名も無き、国一番の侍   作:ファルメール

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第34話 侍と日柱

 

 その日の事は、今でも鮮明に覚えている。

 

 空を見上げればもう闇が消えかかっている、朝ぼらけだった。

 

「どうか、お考え直しください。兄上」

 

 傍らに立つ縁壱が、哀願するように語り掛ける。

 

 彼の兄の残骸、かつて継国巌勝であったその鬼は見晴らしの良い平原に立っている。夜明けまで後、十分ほどの時しかない。その時が過ぎれば遙か彼方に見える山際から差し込んだ陽光は、瞬きの内に彼の体を塵へと返すであろう。

 

 巌勝だった鬼が振り返る。

 

 対峙する両者は双子であるが故にその姿は鏡に映したようであり、唯一違う所、六つの眼の異形が、弟を見据えていた。

 

「分かって…いよう…今は…抑えておれる…が…いずれ…私は…鬼の衝動に…呑まれ…無辜の民を…喰らうで…あろう…その前に私は…己自身で…始末を付ける…」

 

 これは切腹にも似た行いであった。

 

 自己犠牲はこの世で最も崇高な徳であり、切腹は侍の最高の儀式。そして侍とは私心無く戦える兵のこと。形は変わるものの趣旨は同じだ。

 

「他に何か方法がある筈です。それを探しましょう」

 

「お前は…その漠然とした…可能性の…為に…多くの人々の…命を…天秤に掛ける…のか…?」

 

「…」

 

 縁壱は返す言葉が無かった。

 

 かつて自分の妻に起きた悲劇が、今度は自分の兄であった鬼の手で他の誰かに起きる。そのような状況を頭の中に思い描いただけでも吐き気を催しそうであった。

 

「…それとも…」

 

 そう、言い掛けて巌勝であった鬼は頭を振って言葉を呑み込んだ。

 

 彼の言葉の続きはこうであった。

 

 それとも…お前が…私を…斬るか…?

 

 それも一つの道ではある。

 

 だがそれは巌勝だった鬼の方が反吐をぶちまけたくなるような、おぞましい想像だった。

 

 弟がどれだけ自分のような愚兄を尊敬し、慕ってくれているかを彼は知っている。

 

 その縁壱に、自分の不始末の尻ぬぐいを頼み成敗させるなど、それをさせたら彼の中に残っている巌勝が、永遠に己を許すことが出来ないだろう。それは死よりも恐ろしい。

 

「ならば、兄上…どうか、兄上の命を私にお預けください」

 

 その言葉を、弟が自ら口にした。

 

 胸中の驚きを辛うじて隠して、巌勝であったその鬼は振り返った。

 

「縁壱…お前は…自分が…何を言って…いるのか…分かって…おるのか…」

 

 弟は、神妙に頷いた。

 

「どうか、私と共に生きてください。一緒に人に戻る道を探しましょう。そして、もし兄上が人を喰らおうとされたその時には…私が…俺が…兄上の頸を斬ります」

 

「本気…なのか…」

 

「はい。私は、兄上と共に生きます」

 

「そう…か…」

 

 巌勝だった鬼は頷き、体を小さくしていくと、縁壱の傍らに置かれていた箱に入って蓋を閉めた。

 

 

 

 

 

 

 

 ざわりと、柱達にどよめきが走った。

 

「十二鬼月二体の討伐…」

 

「それに、完全な日の呼吸の使い手…」

 

「恐れながら…お館様、それは確かなのですか」

 

 風柱の問いに、鬼殺隊の長・産屋敷耀哉は鷹揚に頷いた。

 

「間違いないよ実弥、複数の鎹鴉が確認している。それに少なくとも、炭治郎にそれが出来ておかしくない実力がある事は、図らずもたった今証明されたと思っているけど」

 

「……」

 

 論より証拠という言葉があるが、この論法を出されては当事者であっただけに不死川も押し黙るしかなかった。つい数分前に、炭治郎が本気ではなかったとは言え柱である彼の攻撃を捌ききり、尚且つ反撃の頭突きを喰らわせたのはこの場の全員が目の当たりにした。

 

「…昨夜の話ですが、竈門君は鬼の妹を庇って私と私の継子の二人を相手にして、毒が効いてくるまでの間は攻め切らせずに持ち堪えました。完全な日の呼吸を見た訳ではないですが、確かに柱になって恥じない実力はあるのでしょう」

 

 しのぶが補足説明する。

 

 先程の立ち回りと彼女の証言を受けて、柱への抜擢という耀哉の措置に反対の立場の者も、少なくとも炭治郎の実力不足という方向からの追求は諦めたようである。

 

「…では、そもそもこの竈門炭治郎なる隊士が鬼を連れている事実について、ご説明いただいてもよろしいでしょうか?」

 

『理性も知性も無さそうな印象だったのに、さっきから随分流暢に話しているな』

 

「そうだね、驚かせてしまってすまなかった」

 

 失礼な事を考えている炭治郎を尻目に、これは予想出来ていた問い・予想出来ていた反応であったのだろう。耀哉は慌てなかった。

 

「結論から言うと…先程も言った通り、炭治郎と禰豆子の事は私が容認していた。この事を、皆にも認めて欲しいと思っている」

 

 鬼殺隊の長から、鬼の存在を認めろという要請が出る矛盾。

 

 これに対する柱達の反応は、やはり予想出来たものであった。

 

「…私としてはお館様の願いであっても、ただでは承知しかねる…何か、そのような特例を許される理由があるのでしょうな?」

 

 数珠を鳴らしながら、悲鳴嶼がまず口火を切った。

 

 続いて、他の柱達もそれぞれの意見を述べる。

 

「俺は派手に反対する。鬼を連れた隊士など認められない」

 

「俺はどっちでも良いかな…興味無いし、どうせすぐ忘れるし…」

 

「信用しない信用しない。そもそも鬼は大嫌いだ」

 

「心より尊敬するお館様であるが理解出来ないお考えだ。全力で反対する!!」

 

「鬼を滅殺してこその鬼殺隊。竈門の処罰を求めます」

 

 やはりと言うべきか概ね反対に傾いており、不死川の言葉はそれを総括するものであった。

 

 つまりこれは予想出来た反応であり、耀哉は穏やかなままで傍らの子供に「では、手紙を」と促した。

 

「こちらの手紙は元柱である鱗滝左近次様から頂いたものです。一部抜粋して読み上げます。『炭治郎が鬼の妹と共に在ることをどうかお許しください。禰豆子は強靱な精神力で人としての理性を保っています。飢餓状態であっても人を喰わず、そのまま二年以上の歳月が経過致しました。俄には信じがたい状況ですが紛れもない事実です』」

 

 ここで、僅かな間だけ言葉が切られた。

 

「…『もしも禰豆子が人に襲い掛かった場合は竈門炭治郎及び、鱗滝左近次・冨岡義勇が腹を切ってお詫び致します』」

 

 一瞬だけ、この庭先からしんと音が消えたようだった。

 

 炭治郎は、その文面の内容を即座には解しかねた。

 

 何度か脳内で読み上がられた言葉を反復してやっと呑み込んだ時に、目に熱いものが溢れてきた。自分の為に、恩人と恩師が命を懸けてくれている。

 

「…しかしながら、責任を取って切腹するというのは何の保証にもなりはしません。やはり少なくとも俺は認められない」

 

「不死川の言う通りです!! 人を喰い殺せば取り返しが付かない!! 殺された人は戻らない!!」

 

「実弥や杏寿郎の言葉も尤もだね。人を襲わないという保証が出来ない、証明が出来ない」

 

 耀哉は認めた。

 

「ただ、人を襲うという事もまた証明が出来ない」

 

 この返しは的確であり不死川は「うっ」と言いそうな表情になった。

 

「禰豆子が二年以上もの間人を喰わずにいるという事実があり、禰豆子の為に三人の者の命が懸けられている。これを否定する為には、否定する側もそれと同等あるいはより以上のものを出さねばならないと思うのだけど」

 

「……っ」

 

「…むう!!」

 

 少なくとも即座には、風と炎の両柱共に反論の言葉を持たなかったようである。

 

「それに炭治郎は、鬼舞辻無惨と遭遇している」

 

 続いてこの場に投じられた言葉の爆弾によって、柱達に今度こそざわめきが走った。

 

「まさか、そんな?」

 

「柱ですら誰も接触した事が無いと言うのに…こいつが?」

 

「どんな姿だった? 能力は? 場所はどこだ?」

 

「戦ったの?」

 

「鬼舞辻は何をしていた?」

 

「根城は突き止めたのか?」

 

「…」

 

「おい、答えろ」

 

「黙れ俺が先に聞いてるんだ。で、どうなんだ?」

 

「…遭遇した場所は浅草です。二十代半ばか後半くらいの男の姿をしていました。遭遇したのは僅かな時間で戦わなかったし、すぐに見失ったので根城は分かりません。奴は一般人の女の人と子供と一緒に行動していて、人間の振りをして過ごしているようでした。能力は、すれ違い様に人の体に自分の血を入れて鬼にする事が出来るようでした」

 

「もう少し詳しく…」

 

 キリが無さそうだったので、耀哉が指先を口元にやって「静かに」という動作をすると柱達はぴたりと平伏の姿勢を取った。

 

「鬼舞辻はね、炭治郎に追手を放っているんだよ。単なる口封じかも知れないが…私は初めて鬼舞辻が見せた尻尾を掴んで放したくない。そして恐らくは禰豆子にも、鬼舞辻にとって予想外の『何か』が起きていると思うんだ。分かってくれるかな?」

 

 柱達は、すぐには明確に反論する言葉を持たなかった。

 

 一人を除いては。

 

「分かりません、お館様。人間ならば生かしておいても良いが鬼は駄目です。承知出来ない」

 

 不死川の手が腰の刀に伸びた。

 

 そうして、後一秒の十分の二でも遅れていたのなら緑色の刃が抜き放たれていただろうが、待ったを掛ける者が居た。

 

「良いですか?」

 

 挙手したのは、柱の片割れ・時透無一郎であった。

 

 ぴたりと、柄を握ったまま実弥の動きが止まった。

 

「何かな、無一郎?」

 

 素早く耀哉が発言を許可する。

 

 こうして行動の腰を折られた形になって、一時的にせよ不死川の意図は潰されたようである。

 

 無一郎は不死川に向き直った。

 

「不死川さん、質問ですけどあなたは柱になってから今まで、どれくらい鬼を斬ってきたか覚えてますか?」

 

「あァ?」

 

 質問の意図が分かりかねるようで、風柱は首を傾げる。

 

 だがじっと自分を見る霞柱の視線が真剣なものであったので、彼は少し視線を泳がせた。これは記憶の糸を辿る仕草である。それはほんのちょっぴりの時間でしかなかった。

 

「いやァ…いちいち覚えてねェなァ」

 

「そうでしょうね。僕も覚えてません。誰かこの中で、自分が鬼を何体斬ってきたか正確に分かる人が居ますか?」

 

 誰も、答える者は居なかった。当然と言えば当然、いちいち数えるのが面倒なくらい、鬼を斬っているからこその柱である。

 

 そもそも柱になる為に甲階級の隊士が十二鬼月を討伐するか、もしくは鬼を五十体討伐するという条件が設定される程である。これはとりもなおさず、途轍もない数の鬼が鬼殺隊によって狩られており、同時に更に途轍もない数の人間が鬼舞辻無惨の手によって鬼に変えられているという事であった。

 

「僕達の代だけでもこれなんです。更に鬼殺隊は何百年も前から続いています。今日まで何体の鬼を斬ってきたのか…正確な数はとても分からないでしょうね」

 

「…で、時透。お前はさっきから一体何が言いてぇんだァ。はっきり言ってみろォ」

 

「さっきの手紙で、鱗滝さんって人は禰豆子…でしたっけ? その隊士の妹の鬼が強靱な精神力で人食いを我慢しているって書いてましたよね。確かにそれもあるかも知れないけど、それだけとはとても思えないんですよ」

 

「…と言うと?」

 

「星の数ほど沢山の人が鬼にされたのにその全員が全員、禰豆子に劣る精神力しか持っていなかった訳がない」

 

「「!!」」

 

 無一郎のこの一言は、確実にこの場の空気を変えたようである。

 

「…確かに。精神力だけで人食いの衝動を抑えられるなら、もっと沢山同じような事例があって良い筈です」

 

 これはしのぶの説明である。

 

「あァ。だから俺は必ず人食いをするから鬼は生かしておけねェって言ってるんだァ」

 

 無一郎の意見は認めつつ、実弥はまだ自分の考えを曲げるつもりは無いようだった。

 

「でも…もし本当に禰豆子、が、人を喰わない鬼だと言うなら、禰豆子には何か…まだ鬼殺隊が知らない秘密があると思うんですよ。それが、お館様の言われる鬼舞辻にも予想外の『何か』だと思うんです」

 

「何か、とは?」

 

「分からないから『何か』としか言い様がないんですが…とにかくまだ鬼殺隊が知らないものです」

 

「成る程、時透弟の言いたい事は分かった!!」

 

 いつも変わらぬ大きな声で、煉獄杏寿郎が発言した。

 

「今、鬼の妹を斬っても沢山居る人食い鬼が一匹減るだけ!! それよりは鬼殺隊の監視下に置いて、その体にどんな秘密があるのか研究した方が利益がある!! もしかしたらまだ我々が知らない鬼の弱点や、あわよくば鬼舞辻に繋がる秘密が出てくるかも知れない、そう言いたいのだな!!」

 

「はい。その通りです」

 

「…それなら私の所で研究に協力してもらうという条件で、禰豆子さんの即時滅殺には反対します」

 

 このしのぶの意見は、話の流れが変わりつつある証明のようだった。

 

「地味に一理あるのは、認めざるを得ないな」

 

「信用しない。俺は鬼は決して信用しない。信用しない、が…先程の手紙の内容が全て真実であるという前提で、時透弟の意見に益が見込める事は、認めてもいい」

 

「嗚呼…誰か信頼出来る者が鬼の妹を監視するという条件付きでなら、私も認めても良いかとは思うが…」

 

 不死川は刀から手を放した。

 

 いつの間にか風向きが変わってきていて、強引に自分の考えを通すという空気でなくなったのは感じ取ったようである。

 

「しかしだァ、悲鳴嶼さんは信頼出来る者が鬼を監視するって言われたけど誰がそれをやるってンだァ?」

 

 この言葉が言外に伝えている事は二つ。

 

 一つ目、俺は厭だぞ。

 

 二つ目は、それがはっきりと提示出来ないなら、どうあってもやはり禰豆子をここで自分が斬る。

 

 これは既に人間、即ち炭治郎は生かしても良いと譲っている彼にとっては、二度目であり最大限の譲歩と言えるだろう。逆に言えばそれに対してはっきりとした答えが出せるのなら、禰豆子の事を認める…とまで行かなくても黙認くらいはしても良いと言っているのだから。

 

「それなら…冨岡さんで良いんじゃないでしょうか」

 

 しのぶが発言した。

 

「元々、さっきの手紙でも禰豆子さんが人を襲った時は切腹して責任を取ると言われていますし…なら、勿論これは起こってはいけない事ではありますけど…ある日突然『禰豆子さんが人を襲いました』と知らされて切腹する事になるよりは、自分が監視の任務に就いていてそれを失敗した結果である方が、冨岡さんもまだ納得出来るとは思いますが」

 

「嗚呼…冨岡ならば、良いか」

 

「地味に腕は確かだからな」

 

「奴にはお似合いの任務じゃないかね」

 

「…うむ!!」

 

「…チッ」

 

 最後に、見るからに不承不承ではあるが、自分が提示した条件に納得の行く回答が得られた事で一応ながら不死川は了解の態度を見せた。

 

 切っていた鯉口を戻すと、炭治郎の頭を押さえ付けていた手を退かした。この話はここまでという明確な意思表示だった。

 

 自由になった炭治郎は、素早く動いて禰豆子が入っている箱の傍へと駆け寄った。

 

 絶妙の間を置いた所で、耀哉が再び口を開いた。

 

「炭治郎、それでもまだ禰豆子の事を快く思わない者も居るだろう」

 

 声を掛けられて、はっとした炭治郎は慌てて頭を下げて平伏した。

 

「既に君は二人の十二鬼月を倒している。正直な所、柱の皆がここまで禰豆子に寛大な対応を示してくれるとは、私も思っていなかった。これは、君のこれまでの功績と無関係ではないだろう。だからこれからも柱として、鬼を倒して多くの人を救っておくれ。そうする事で皆に認められるし、君の言葉もより重いものとなるだろう。分かるね」

 

 炭治郎はこの言葉を受けて、噛み締めるように何度も頷いた。

 

「俺は…俺と禰豆子は鬼舞辻無惨を倒します。俺と禰豆子が必ず、悲しみの連鎖を絶ち切る刃を振るいます」

 

 宣誓であり同時に放言であったが、笑う者は居なかった。少なくとも全く完全なる過信とは言わせないだけの実力は、既に披露されているのだから。

 

 杏寿郎に至っては「良い心掛けだ」としきりに頷いている。

 

「よろしい。では竈門炭治郎、たった今から君を日柱に任命する。柱合会議を始めるから、このまま参加するように」

 

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