名も無き、国一番の侍   作:ファルメール

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第35話 炭治郎の侍稽古

 

 こうして柱合会議が始まったが、炭治郎は当然だが出席するのは初めてであり、しかも今この場で柱になったばかりなのである。何を言えば良いのかどうすれば良いのか皆目分からず、他の柱達の話にとにかく付いていかなくてはと意識するばかりで居心地が悪かった。

 

「今の剣士は弱すぎる。ただでさえ若手が育たず死にまくるから柱に成り得る剣士が中々現れない。例外は煉獄の所の甘露寺くらいか。俺は柱の空席を埋めるのは彼女だと思っていたが…」

 

 伊黒の視線が、ここで一瞬だけじろりと炭治郎に向いた。

 

「…それはさておき、単に弱いだけならまだ我慢もしよう。だが先の那田蜘蛛山では一時撤収の命令が出ているのにそれに従わず、隊が殆ど全滅状態になっているのに十二鬼月に向かっていって殺された隊士も出たそうだな? これはどういう事だ、どう責任を取る、どう説明するつもりだ」

 

「そ、それは…」

 

 重要参考人としてこの場に呼ばれた村田隊士はまるで針の筵に座るような心持ちであった。

 

「問題があるのは育手の方なんじゃねぇかァ? 命令無視した隊士の育手は誰だァ?」

 

「ううっ…!!」

 

 村田の手が腹部に動いた。

 

 鬼と戦って体に外傷が出来るのも殉職も覚悟の上だが、上官に詰められて体の内側・胃に穴が空くのを危惧しなくてはならない日が来るとは思わなかった。

 

「それよりあんた、六つの眼を持った侍の鬼と戦ったらしいね?」

 

「「「!!」」」

 

 有一郎が口にしたその言葉を聞いて、柱の中で三人がぴくりと反応した。

 

『国士某さんだ』

 

 一人は炭治郎。

 

『お侍様だ』

 

 一人は無一郎。

 

『あの鬼ですか』

 

 もう一人はしのぶである。

 

「そいつについて分かってる事を話して。どんな些細な事でも全部だよ」

 

 ずいと押し出すように眼前に迫られて、ずっと年下の有一郎を相手に村田はたじたじとなって、もし立っていたのなら何歩か後退りしたであろうと思った。

 

「い、いや分かっている事と言っても、俺もとにかく義勇…あ、いや水柱様を救出する時間を一秒でも稼ごうと無我夢中で…気が付いたら朝になっていて、鬼は日の出前に逃げていきました」

 

「…あ、そう」

 

 有益な情報を村田が持っていないと分かって、有一郎はもう興味を無くしたようにそれ以上は追求しなかった。

 

 結局、その後も幾つかの議題について討論された後に解散間近になって、耀哉が炭治郎に向き直った。

 

「炭治郎、君の柱としての当面の任務についてなのだけど」

 

「は、はい。お館様」

 

「知っているかもだけど、現在鬼殺隊で使われている日の呼吸は長い時間の中でいくつかの技が失伝してしまっているんだ。私が日の呼吸を使う子供達を集めておくから、君には完全な日の呼吸の使い手として、彼等に技を伝えてやってもらいたい。それは彼等自身も含めて、多くの人を鬼から救うことに繋がるだろう。これは実戦と同じくらい大切な仕事だよ」

 

「分かりました。俺、頑張ります」

 

「本来なら柱には自分の屋敷があって、そこの道場で自分や継子の鍛錬も行なうのだけど…すまないがまだ炭治郎の屋敷は用意出来ていなくてね。誰か、屋敷を間借りさせてやってくれないかな」

 

 当主が柱達を見渡した所で、すっと一人の手が挙手された。

 

「では、私の屋敷で如何でしょうか? 冨岡さんや竈門くんの仲間も入院していますし、私も完全な日の呼吸には興味がありますから。それに禰豆子さんの体の検査もさせてもらいたいと思っていますから、ちょうど良いでしょう」

 

 

 

 

 

 

 

 こうして、炭治郎はしのぶの蝶屋敷にて日の呼吸の剣士達に剣を教える事になった。

 

 剣士達が集まるのは明日になるのでそれまでの時間を利用して、炭治郎は入院している仲間達に会いに行った。

 

 善逸の場合。

 

「飲んだっけ? 俺、昼の薬飲んだっけ? 飲んでる所見た? 誰かーっ」

 

 手足に鬼の毒による蜘蛛化の初期症状の縮み・痺れが見られるそうだが、少なくとも大騒ぎする元気はあるようだ。

 

 伊之助の場合。

 

「ゴメンネ、弱クッテ」

 

 全身筋肉痛と川に落ちた事による低体温症。

 

「がんばれ伊之助、がんばれ。お前はがんばったって。すごいよ」

 

 炭治郎はこれから毎日励ましに来ようと思った。

 

 禰豆子の場合…は、寝不足なので箱の中でひたすら寝まくるので割愛する。

 

 義勇の場合。

 

「義勇さん、あの…禰豆子の事、ありがとうございました。命を懸けてくれていたなんて俺、知らなくて…何と言って良いのか…」

 

 義勇の症状は伊之助と同じ全身筋肉痛だ。しかしながら程度がまるで違う。国士某を相手に全力以上の動きをし続けた彼の全身の筋肉は余す所なくズタズタに断裂して体中包帯に覆われていない箇所は無く、炭治郎も実物を見た事は無いがまるで埃及(エジプト)の木乃伊のようである。ちょっとでも動かないように両脚は吊られていて、腕も固定されている。

 

 誰がどう見ても疑いようも無く大怪我人だが、炭治郎がしのぶから聞いた話だと致命的な損傷は無く、むしろ復帰したら前より強くなるだろうという見立てだった。

 

「感謝など不要だ。任務で返せ」

 

 淡々とした口調で愛想の欠片も無い声だったが、炭治郎は何度も頷いた。

 

「はい。末席ですが柱として、俺、頑張ります!!」

 

 ぐっと、炭治郎は義勇の手を握った。

 

「ぐおおおおおおおっ!!」

 

 その際の動きで傷だらけの筋肉が刺激されたらしく、義勇の悲鳴が蝶屋敷中に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 さて翌朝、蝶屋敷の道場には15人もの隊士が集まった。耀哉によって召集された日の呼吸の使い手である剣士達である。

 

 定刻になって、道場に炭治郎が入ってくる。剣士達にざわりと小さなどよめきが起こった。

 

「この方が新しい日柱様か」

 

「まだ子供じゃないか」

 

「だが十二鬼月を二体斬ったと聞くぞ」

 

「完全な日の呼吸の使い手らしいが…」

 

 彼等の他に道場に顔を出しているのは屋敷の主であるしのぶ、しのぶの継子であるカナヲ、蟲柱の住居であり医療施設でもあるこの蝶屋敷の看護師で鬼殺隊隊士のアオイ、屋敷の住人かつ看護と機能回復訓練を担当する寺内きよ・中原すみ・高田なほ。以上6名であった。

 

 荒稽古になって怪我人が出る可能性を想定してすぐ傍に医療班が待機するのと、しのぶとカナヲは剣士として完全な日の呼吸を見学しておきたいという理由からであった。

 

 炭治郎はまず、居並ぶ隊士達に一礼する。

 

「この度、お館様から日柱を拝命しました竈門炭治郎です。まだ未熟者ですが精一杯頑張らせてもらいます。皆さんもどうかよろしくお願いします」

 

 礼儀正しく、大きな声で炭治郎がそう言ったので剣士達はほっこりした。

 

『俺が人に教えるのか…』

 

 一方、はきはきと言った炭治郎であるが内心ではかなり緊張している。自分はまだまだ修行中の身という認識の彼は、他人に教えた経験が無い。善逸と伊之助と一緒に修行した事はあるがあれは仲間への手解きであって正規の修行という訳ではない。

 

 取り敢えず説明から入ることにした。

 

「円舞は、まず肺に空気を入れて血の流れを足の先にまで通すんです。それから腰と肩と腕が一本の線になるようにして、相手の骨や筋肉の動きを見て…」

 

 だがこの説明は誰一人分からなかったようだ。

 

「骨の向き?」

 

「筋肉の流れ?」

 

「相手の体の中を見る?」

 

「どうやって見るんですか?」

 

 隊士達だけではなく、傍で見ているしのぶやカナヲまで首を傾げている。

 

「慣れれば見えます」

 

 ぴくりと、しのぶの笑顔が引き攣ったようだった。

 

 炭治郎は人に教えるのが爆裂に下手だった。しかしそれでも指導があまり上手く行っていない空気を肌で感じたらしい。アプローチを変えることにした。

 

「言葉で説明するのもなんですから、実際に一度やってみますね」

 

 木刀を手にすると、道場の真ん中へ進み出る。

 

 ゴオオオオオオ…

 

 呼吸の音は、まぎれもなく日の呼吸のそれである。

 

 そうしてヒノカミ神楽、即ち日の呼吸の動きを舞い始める炭治郎。

 

 円舞

 

 碧羅の天

 

 烈日紅鏡

 

 幻日虹

 

 火車

 

 灼骨炎陽

 

 陽華突

 

 飛輪陽炎

 

 斜陽転身

 

 輝輝恩光

 

 日暈の龍・頭舞い

 

 炎舞

 

 十二の型が全て舞われる。一連の技は淀みなく、一つの技から一つの技へ少しの違和感も無く連続して繋がっていく。

 

 剣士達が知る型は彼等の誰よりも高い精度で舞われ、長い時の中で失われた知らない型は、同じ呼吸の技を修めている者として適当な穴埋めのものでなく、紛れもなく本来の日の呼吸の技と技との間隙を繋ぐものであるとはっきりと理解出来る。

 

「凄い、これが本物の日の呼吸か」

 

「俺達のとまるで違うぞ」

 

「いや、違うんじゃない。欠けていたものが埋まっているんだ」

 

 炭治郎が舞い終えると、一斉に拍手が起きた。彼が完全な日の呼吸の使い手であるという話が真実であるという話の、その一片の疑問さえもたった一度の演舞によって完全に拭い去られた。

 

「それで日柱様、どうすればこの技を習得出来るでしょうか」

 

「何度もやれば、体が覚えます」

 

 結局、そこに戻ってしまった。しのぶの額に青筋が浮かんだ。隊士達も戸惑っているようだ。

 

 炭治郎自身も再びその空気を感じた。

 

『困ったな、どうすれば良いんだ』

 

 こんな時、自分に剣を教えてくれた人達だったらどうしただろう。

 

 日柱は記憶を辿る。

 

『…少しでも力を抜いたり…あるいは途中で攻撃を止めた時には…お前の頸と胴は泣き別れだ』

 

 国士某は次元が違いすぎて参考にならない。

 

『もう教える事は無い。後はお前次第だ。お前が、儂の教えた事を昇華出来るかどうかだ』

 

 未熟者の自分は鱗滝さんのようには出来ない。

 

『どんな苦しみにも黙って耐えろ。お前が男なら。男に生まれたのなら。進め!! 男なら、男に生まれたなら、進む以外の道など無い!!』

 

 錆兎の言葉はいい線行っていると思うが今少し抽象的な気がする。

 

『死ぬほど鍛える。結局それ以外に出来ることないと思うよ』

 

 最後に脳裏に蘇ったのは真菰の言葉であった。

 

 炭治郎はそれで、すっと胸のつかえが取れたように思った。

 

「そうだ、結局それしかないんだ」

 

 まずはきりっとした顔付きを作ってみせる。指導者が不安そうにしていたら教わる側は余計不安になってしまうだろう。

 

「じゃあみなさん、やはり言葉であれこれ説明するよりも体で覚えるのが良いと思います。全員そこに並んで、俺の動きの真似をして剣を振ってください。一から十二の型を順番に何度も何度も繰り返して、全員体に染み込ませてもらいます」

 

「はい!!」

 

「やるぞ」

 

「みんな、並べ並べ」

 

「もたもたするんじゃない、急げ急げ」

 

 木刀を振るのに十分な空間を空けて隊士達が整列したのを確認すると、炭治郎は稽古を始める。

 

「ただし皆さん、ただ剣を振る真似じゃ駄目です。実戦のつもりで、本気で体を動かして剣を振ってください。それではまずは、円舞から」

 

 炭治郎が円舞の動きをすると、それに倣って隊士達が微妙に型やタイミングが不揃いながら、円舞の動きを繰り出す。

 

「続いて、碧羅の天!!」

 

 二番目の型の動きをした炭治郎に続いて、やはり隊士達も中国武術の型稽古のように、揃って動いて左右対称に同じ動作を行なう。

 

 これを見て、しのぶは顔の険が取れたようである。一時はどうなるかと思われたが、真っ当な剣術稽古の風景になってきた。

 

「日の呼吸の完全な技も見れましたし、これならもう大丈夫そうですね。では私とカナヲは自分の仕事に戻ります」

 

 しのぶはそう言ってカナヲを連れて道場を後にした。

 

「次、烈日紅鏡!!」

 

「「「はい!!」」」

 

 

 

 

 

 

 

「そろそろ、稽古が終わった頃でしょうか」

 

 夕刻になって、仕事を終えたしのぶが再び道場に戻ってきた。

 

「あ、し、しのぶ様!!」

 

 彼女の姿を認めると、なほが血相変えて駆け寄ってきた。ただ事ならぬ様相を見て、蟲柱の表情も厳しくなる。

 

「どうしました?」

 

「と、とにかくあれを…」

 

 道場の中をしのぶが見ると…そこには死屍累々と表現して差し支えの無い光景が広がっていた。

 

 もう夕方になって気温が下がり始めてきている時間帯なのに、むわっとした熱気が肌を撫でて嗅覚を濃厚な汗の臭いが嗅覚を刺激する。

 

 軽く足が滑って、しかし柱としてしのぶはそれで転ぶような鍛え方はしていない。彼女の足を取ったのは道場中を池のようにしていた汗だった。その汗溜まりの中に、隊士達が大勢倒れている。

 

 彼等を前にして、炭治郎は日の呼吸の型を舞い続けている。

 

 数名の隊士はまだ辛うじて体が動くので必死に炭治郎に追従しようとするが、しかし全員腰が砕けて膝が笑っていて風が吹いても倒れそうであり、振るう剣の動きもゆったりとしていてしかも大波が打っている。

 

 対照的に、炭治郎が舞う日の呼吸の動きは未だ力強くしかも余計な力が入らず流麗ですらあった。

 

 しのぶは懐から時計を取り出した。ちょうど時計の針は五時を回った所だ。修行が始まったのが七時だったから…

 

「休憩は取ってるんですか?」

 

「正午の昼食の時に三十分ほど。それ以外はほとんどぶっ通しです」

 

「完食されたのは日柱様だけで、他の人達は殆ど喉を通らなかったみたいですが…」

 

 つまり朝から五時間、午後からも四時間半ほどをぶっ続けで全力の動きを繰り返している事になる。曲がりなりにも鬼との戦いで鍛えられた屈強の隊士達が屍と化すのも頷ける荒行である。そしてそんな動きをずっと続けられる炭治郎の練度も恐ろしい。

 

 しのぶはこの少年が短期間で十二鬼月二体を倒すという功績を挙げた理由が、実感として理解出来た気がした。

 

 疲れを見せず、神楽の剣技を舞い続ける炭治郎だがそんな時間は不意に終わりを告げた。突然、操り人形の糸が切れたかのように彼の体から全ての力が失せてその場にくずおれる。

 

「え?」

 

「日柱さま?」

 

「竈門君?」

 

 一番近くに居たアオイが恐る恐る、動かない炭治郎の体に触れて、そしてさあっと顔から全ての血の気を引かせて真っ白にさせた。

 

 口元に手をやり、次に炭治郎の首筋に手を当てる。

 

「い…息してない。脈も無い。ひ、日柱様が死んで…!!」

 

「っ!!」

 

 一瞬で事態の深刻さを悟ったしのぶが駆け寄ろうとして、だが彼女の足取りはすぐに止まる。

 

 息も脈も絶えた炭治郎の左腕がギュルっと振り上げられて、そのまま勢い良く自分の胸をギャゴっと叩いた。

 

「ふうっ」

 

 止まった心臓に刺激を与えて再動させた炭治郎はすぐに立ち上がって、朝の軽いジョギングを終えたようなさわやかさで深呼吸した。

 

「ん…」

 

 外を見て、ここで漸く炭治郎は日が暮れているのに気付いたようである。

 

「もうこんな時間か。それじゃあ、今日の修行はこれまでとします。清掃を始めましょう。明日も今日と同じ時間から稽古を始めるから遅れないように」

 

 炭治郎はそう言うと、外の井戸から水を汲んできて道場の雑巾掛けを始めた。

 

 ほんの数分前まで心臓が止まっていた人間が、それをやるのだ。

 

 動けない隊士達も、しのぶもアオイも同じ表情をしていた。その時、全員が思っていたのは同じ一つの事だ。

 

『信じられぬものを見た』

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、七時。

 

 道場で正座して精神統一しながら隊士達を待っていた炭治郎だが、時間になっても誰も現れない。

 

「みんな時間を間違えたのかな?」

 

「それが日柱様…これを」

 

 アオイがやって来て、手にしていた何通かの手紙を渡してきた。

 

「えーと、何々…? 『日柱様、昨日は貴重なご指導をありがとうございました。私にはまだ日の呼吸を学ぶ資格が無いと痛感致しました。一度、基礎体力を付け直して参ります。どうか探さないでください』…」

 

 他の手紙も読んでみたが、大体似たような内容だった。それ以外の隊士は親の法事だとか別の任務への参加が急に決まったとかで来れなくなったという一応の説明を鎹鴉が伝えてきた。が、これが建前で実際には稽古からの逃亡である事は流石に鈍感な炭治郎にも分かった。

 

「俺の教え方が悪かったのかな…」

 

「悪いに決まっています。皆さん川が見えたとか、牛や馬の頭をした鬼の夢を見たとか言ってましたよ」

 

「そう言えば俺も最近よく、おばあさんの姿をした鬼に会ってる気がするんだけど…」

 

「…!!」

 

 アオイはそれを聞いてドン引きしたようだ。目に見えて顔色が悪くなった。

 

「まぁ一応、日の呼吸の型は伝えられただけ一歩前進とは言えますけど」

 

 そこにしのぶがやって来た。

 

「竈門君、少しお話しましょうか」

 

 決して威圧するように声を荒げたりはしないものの、有無を言わせぬ圧があった。

 

「あ、しのぶさん。おはようございます」

 

「えぇ、おはようございます。それで聞きたい事というのは一つ。君は一体、誰からあんな鍛錬法を習ったのですか?」

 

「!」

 

 一瞬、炭治郎は答えに窮した。

 

 教わった相手は国士某だ。

 

 しかしながら鬼に鍛えられました、などと言える訳がない。だが正直者の彼は嘘を吐く時に普通の顔が出来ない。とても辛いのが顔に出る。恐らく一発で見抜かれるだろう。ならばこの場合はどうかわすか…

 

 脳内で一秒の十分の一の時間を使って、答えを弾き出す。

 

「俺の、師匠からです」

 

 ギリギリ、嘘は言っていないのでこれは顔に出なかった。

 

 当然と言えば当然の答えなのでしのぶもそれ自体は疑問に思わなかったらしい。

 

 だが…

 

『竈門君の師匠と言えばつまり育手の事、彼の育手は元水柱の鱗滝左近次翁、そう言えば冨岡さんも同じ鱗滝門下、冨岡さんもあんな心臓が止まるような修行をさせられていた…? それで今のような性格に…?』

 

 しのぶの中で、長年の疑問が独自の形で整合して腑に落ちたようである。

 

「ま、まさか…?」

 

「? どうしたんです?」

 

「いえ、冨岡さんが今みたいになった理由が、少し分かった気がしたんですよ」

 

「義勇さんはとても良い人ですよ」

 

「ええ、それは疑っていません」

 

「?」

 

 

 

 

 

 

 

 数日後、狭霧山の鱗滝宅。

 

 この日、炭治郎の鎹鴉・天王寺松右衛門が鱗滝左近次に手紙を届けてきた。

 

 鱗滝翁はすぐに手紙を広げる。

 

『略啓 鱗滝左近次殿。俺はこの度、お館様から日柱の位を拝命致しました。これも全て鱗滝さんのご指導の賜物です。それと俺と禰豆子の為に義勇さんと一緒に命を懸けてくださった事は、感謝の念に堪えません。本当に、何と感謝して良いのか、どれほど言葉を尽くしてもこの気持ちを伝えることが出来ません。今度、一度時間を作って狭霧山に伺って直接お礼を言いたいと思います。どうかそれまでお元気であられますよう、お祈り申し上げます。俺は今後とも教えていただいたことを忘れず、日々精進致します。 匆々 竈門炭治郎』

 

「炭治郎…」

 

 老剣士の肩がぶるぶると震えて、天狗面の隙間から大粒の涙がこぼれ落ちていく。

 

 まだ正式に隊士になって一年も経ていないのに、それで柱に選ばれるなど…

 

 数えきれぬ死線をくぐり、筆舌に尽くしがたい鍛錬を経た事を察するのに大した想像力を必要とはしない。

 

 鬼殺の剣士になるべく自分の下に来た時、鱗滝翁は炭治郎を剣士にするつもりも最終選別に行かせるつもりも無かった。

 

 それは今まで彼の下で学んだ子供達が一人を除いて誰も最終選別から帰らなかったから、炭治郎を行かせたら彼も帰らない気がしてならなかったからだ。正直な所、禰豆子の事も諦めていた。剣士になれなければ、炭治郎も妹を人間に戻すことを諦めるだろうと、そう思っていた。人を一人も喰わず、罪を犯さないまま逝けるのなら禰豆子にとってもそれが救いであろうと考えていた。

 

 ただそれではたった一人残される炭治郎があまりにも不憫だ。だからこそ、一人でも生きていける力だけは授けてやりたかった。その為の修行だった。

 

 しかしその修行で、炭治郎は鱗滝翁自身、斬る事は出来ないだろうと思って与えた『大岩を斬れ』という無理難題をやり遂げたのだ。

 

 そんな事はできっこないと思っていた。

 

 大岩を斬ることも、妹を人間に戻すことも。

 

 だが炭治郎は前者をやり遂げた。

 

 不可能など無いと、あの子は教えてくれている。やり抜こうとする意思の力一つで、可能性は無限にあるのだ。ならば後者、禰豆子を人に戻す事だって出来ないなどと誰が言い切れるのだろう。

 

「やはり炭治郎、お前は…凄い子だ。よくぞ、ここまで…」

 

 滂沱として流れる涙が、止まらない。

 

 今の炭治郎の働きを見れば、錆兎も真菰も、帰らなかった他の子達も報われるだろう。

 

 久しく忘れていた感動に鱗滝が浸っていると、家の窓にもう一匹の鎹鴉が留まった。

 

「む? 今日は随分鎹鴉が来るな」

 

 やって来たのはしのぶの鎹鴉である艶だった。やはり手紙を運んできたようだ。

 

 鱗滝翁がその手紙を読んでみると…

 

『前略 鱗滝左近次様。急なお手紙で恐縮ですが竈門炭治郎君の修行方法について至急確認したい点があります』

 

「?」

 

『呼吸が止まり、脈が消え、心臓が停止するまで鍛錬を続け、しかも最後の力で胸を叩いて止まった心臓を動かして自分を蘇生させるという指導は、狭霧山では一般的なものなのでしょうか』

 

「な!?」

 

『尚、この指導方針は現水柱である冨岡義勇さんの性格形成にも影響している可能性が考えられる為、何卒詳細なご回答をお願い申し上げます。鬼殺隊・蟲柱 胡蝶しのぶ』

 

「…炭治郎、お前、何やってんの?」

 

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