早朝、産屋敷あまねがこの山路を歩くのは二度目だった。
一度目は先日の事。ある一家の子供に鬼狩りの剣士となる事を勧誘する為だった。
最近になってかつて鬼舞辻 無惨を後一歩まで追い詰めた始まりの呼吸の剣士達の末裔がこの山の杣人一家である事が分かり、彼等に鬼殺隊への協力を頼みに行ったのだ。
結果は、予想はしていたがあまり良いものではなかった。双子の兄弟は自分達の才能が困っている人を助ける為に役立てられるのならと乗り気であったが、両親はどちらも良い顔をしなかった。
無理も無い。自分の子供を、望んで明日の命も知れない世界に放り込みたい親がどこの世界に居るだろうか。
今日はもう一度頼むべく我が子二人を伴って、山道を歩いていたが…一家の住居へ近付くにつれて前回来た時には無かった、異様な物が眼に入ってきた。
木が、切り倒されている。
いやそれだけなら杣人が住む山なのだから不思議は無い。
まず異様なのはその数だ。
半径20メートルほどの円状の範囲の木が、悉く切り倒されている。
地面に転がる木の幹は、どれも二つか三つにぶつ切りになっていた。
しかも切断された断面が異常だった。どの切断面も、目の細かいヤスリで念入りに整えたかもしくはカンナを掛けたかのように滑らかで、指で触れても少しもザラつきが感じられず、まるで鏡面のように滑らかだった。斧や鋸ではこんな風に切れる訳がない。
一番奇妙なのは、切り株だった。切り株の切断面は、横から見ると全て同一平面上で一直線に揃っている。どんなに几帳面な性格の者でも、一本一本木を切っていってこんな風になる訳も無く、またそれをする理由が考えられない。
あまねがこの破壊の中心付近の地面を調べてみると、まだ新しい草鞋の足跡があった。
「これは…」
ここに立っていた誰か、足跡の主が(そんな物があるならの話だが)刃渡り20メートルもある、恐ろしく薄くて切れ味の良い刃物を、物凄い速さで思い切り振り回したとでも言うのだろうか?
仮にそんな物があってそれを振るえる者が居たとして、その者は何の為にこんな事をしたのだ?
言い様の無い不安が胸に膨らんできて、あまねは目的地へ向かう足を速めた。
継国巌勝は両手に大きな包みを抱え、この数年で歩き慣れた昼の山道を歩いていた。
彼の足取りは、鼻歌でも聞こえてきそうな程に軽やかだった。今日はめでたい日になる。
子供の頃は一昼夜走り続けて少しだけ息切れして疲れて小休止が必要だった距離も、大人になった今では楽に走破出来るようになった。
やがて目的地である家が見えてくる。
しかし、人の気配が無い。
留守かと思ったが、戸が開いている。
家の中に入ってみると、想像とは違っていたがしかしだからこそ異様な光景が広がっていた。
整然としていて、荒らされたり争った形跡などは、何も無い。
だが埃が溜まっていて、しばらく誰もここで生活した痕跡も、立ち入った形跡も無かった。
家の床には丁寧に拭き取られてはいたが、木目に染み込んだものまでは拭いようが無かったのか、微かな、しかし夥しい血の跡が滲んでいた。良く見ると壁や天井にも、同じように血が拭き取られた形跡があった。
調度品や家具はきちんと整頓されている。
棚の金品には手が付けられていなかった。
だが神棚に飾られていた、笛だけが無くなっている。
吐き気がしてきた。横隔膜が痙攣し、嫌な予感に鳥肌が立った。
手にしていた包みを放り出す。中に入っていた小袖や、米、餅、魚など縁起物が詰まった重箱の中身、魔除けのお守りが床に散らばった。
家の裏手にはちょうど人一人分ぐらいの大きさの、土を掘って何かを埋めた跡があり、そこには大小の石が積まれて線香皿が置かれている。皿の中には、僅かに燃え尽きた線香の灰が残っていた。これは明らかに墓標。誰かを埋葬し、弔った跡だ。
理屈に合わない。
出産時のものなら大出血には合点が行くが、床は兎も角壁や天井まで血が飛び散るのは不自然だ。
物盗りなら金品を奪っていく。
怨恨の線も考えたが、この家に住む夫婦はどちらも人に恨みを買うような人間ではない。
暗殺や謀殺だとしても、ならばこんな風に家を清掃するよりも、火の不始末に見せ掛けて家を焼いてしまった方が余程確実にしかも手っ取り早く、全ての証拠を隠滅出来る筈だ。
熊や狼など獣が出たにしても、それなら壁に爪痕が刻まれていて良い筈だがそれも無かった。第一それでは少なくとも誰か一人は出た犠牲者が弔われていた説明が付かない。
仮にここを訪れた旅人がたまたま犠牲者を埋葬してくれたとしても、殆ど何の痕跡も無くなるほど丁寧に家を清掃までしてくれるものだろうか?
一体ここで何があって、誰が家を清掃して、誰が誰を埋葬したのだ?
国士某は小さな包みを片手に、夜の山路を進んでいた。
今日は新月だが鬼は夜目が利き、また彼はこの山路をもう幾十年も毎月歩んでいるのですっかり足が道を覚えていて、目を瞑っていても滑落したり迷う心配は無かった。
彼が向かう先は、数世代前からこの山に住む杣人一家の家である。
その住人達は彼と縁深い存在だった。故に国士某は彼等の存在を知ってからは、月々生活費の足しとなるように、こっそりといくらかの金を家に付け届けしていた。何十年も毎月、一度も欠かした事は無い。
お陰で一家はこの家には神仏のご加護があると信じ、いつからか毎月その日が近付くと神様をおもてなしする為に食事を用意するのが習わしになっていたが、それに手が付けられた事は無かった。
実際には神仏どころかそれを行なっていたのは鬼だったのだ。鬼である国士某は、人間の食事を口にする事が出来ない。その食事は、翌日には家の子供が食べるのがこれも習わしとなっていた。
今はこの家は四人家族だった。父と母、それに双子の男子。
二年前に母が病に倒れ、この時国士某は生活費とは別に珠世に頼み、いくつかの薬も金と共に付け届けるようになっていた。
その甲斐あってか母は回復し、今は家族四人で楽ではないにせよ、慎まやかで清く、平和な暮らしが営めている。
国士某が付け届けするのは、彼なりの罪滅ぼしだった。今の一家の暮らしの困窮には、彼にも責任の一端がある、少なくとも彼自身はそう考えていたからだ。
今日も薬と金を付け届けして、双子がどれほど大きくなったかを一目見て帰ろう、そう考えていた時だった。
「!」
夜山の静謐な空気を裂いて微かだが、しかし確かに、悲鳴が聞こえてきた。
「よもや…」
澱に沈んでいた古い記憶が、急激に蘇る不快感を覚える。
彼は手にした包みを放り出すと、空間にその像を留めぬ程の速さで山道を駆けた。
鬼である彼には体力の配分など必要無く、常に全力疾走出来るのであっという間に道のりを走破し、すぐに目的地の家が見えてきた。
まだ家まで50メートルはあり、視界の中で小さくしか見えないが…
六つの眼がもたらす鋭敏な視覚は、一瞬だけだが確実に、家の小さな窓から覗く鬼の姿を捉えていた。
「!!」
鬼侍の判断は早かった。
手をかざすと、瞬時に掌から噴き出した血肉が形を為して、一振りの刀へと姿を変える。
全体に血管を思わせる紋様が走り、刀身には無数の眼球を持つ異形の刀。
血鬼術によって造られる彼の刀、銘は虚哭神去。
その刀を振るって繰り出されるのは、彼が編み出した数多の業の中で、最も長い射程距離を持つもの。
呼吸が、ホオオオオオと異様な響きを立てる。
「全集中・月の呼吸…弐拾肆ノ型 交差月・慟哭ノ輪」
刀が振るわれると共に発生した鋭利な力場が50メートル以上も一直線に伸びて、家の壁越しに、しかも正確に鬼の体を袈裟斬りに断つ。
その間にも国士某は家に向かって駆け続けており、更にその最中に虚哭神去を血液に戻すと、腰の刀を抜刀する。
姿を現した紫の刀身が、瞬時に赫く輝き出す。
そして既に間合いに入り、斜めに上体を断たれた鬼は何が起こったのかのかも分からず、しかし落ちる体が地面に到達するよりも早く、振り下ろされた赫い刃に頸を断たれてこの世から失せた。
「これは…」
国士某の眼に入ったのは…
血の海と化した家屋。
子供に覆い被さるようにして事切れている両親。
ぼんやりと、母の体を抱く兄。
幾度も名前を呼びながら、必死に父の体を揺する弟。