名も無き、国一番の侍   作:ファルメール

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第06話 仇の侍

 

 その夜、継国巌勝は自宅の居間にて昼に僧侶から聞いた話を思い返していた。

 

 墓の改葬(遺骨を現在の墓地から別の墓地に移すこと)する為に御霊抜き(読経を行ない、墓石や骨壺に宿っているとされる故人の魂を浄化するとされている儀式)を行なった僧侶の話によると、あの墓に葬られていたのは二人。

 

 大人の女性と、恐らくは胎児もしくは嬰児であろう大きさの赤ん坊の遺骨であったそうだ。

 

 そして大量出血の痕跡が見られ、弔った者であろう者が不在で何日も放置された家。

 

 これらの状況証拠から、あの家で何が起こったのかを推理するのならばこうだ。

 

 恐らく難産であり妻がその負担に耐えられず、赤子共に命を落としてしまう。

 

 夫は二人を弔うと、家を清掃した後で何処かへと旅立った。

 

 十分考えられる話だ。出産は常に命懸け。彼等の母が早世する原因となった病も、その大本は双子の出産によって無理をしたからではないかと、家中の者が噂しているのを漏れ聞いた事もある。

 

 夫の心の動きも自然なものであると言える。彼等はあの家で十年もの時間を共に過ごしてきたのだ。伴侶を亡くして過ごすには、あの家には、あの土地には、思い出が多すぎるであろう。そこでこの先の時間をたった一人で生きて行けと言うのは、なんと残酷な事であろう。

 

 もしかしたら世を儚み、人知れず命を絶つのでは…

 

 一度はそんな懸念もしたがそれは恐らくあるまいと思う。彼は宝物の笛を持ち出している。あれは自分と彼の繋がり、ならば死にはすまいと巌勝には分かっていた。

 

 ただこの説には幾つか、腑に落ちない部分もある。

 

 出産を行なうならば産婆を呼ぶ筈だが、近くの村々に聞いて回ったがどこの村のどの産婆もその家に呼ばれた者は居なかった。

 

 それに出産時の出血で床に大量の血が付着するのは分かるが、壁や天井にまで血が飛散するというのは…?

 

 よほど急激に産気付いたのか?

 

 難産で、痛みに耐えられずに暴れ狂ったのか?

 

 何か、喉につっかえた小骨が抜けないような不快さが消えなかったが他に考えられる結論も無く、巌勝は恐らく、多分そうであったのだろう、現実は理屈の通りにはならない、不合理な事も起こり得るのだと自分を納得させる。

 

 彼は懐から、一枚の紙を取り出す。

 

 達筆な文字でそこに大きく書かれていたのは、二人の名前だった。

 

 一つは男子の名前で結弦(ゆづる)。

 

 結は結ぶ・縁のこと。弦は音・響きであり同時にぴんと張り詰めた強さのこと。縁を結ぶこと、心の糸を歌のように美しく鳴らすこと、張り詰めて真っ直ぐに強くあること。自分達三人の名前全てに因むこの名前を考えるのに一月も掛かってしまった。

 

 もう一つは女子の名前で奏恵(かなえ)。

 

 奏は音や歌(うた)のこと、恵はめぐみ、幸多い人生となるようにとの祈り。この名前を考えるのに、配下全員に知恵を絞らせた。

 

 大変だったが、今となってはその日々も楽しかった。

 

 楽しかったのだ。

 

 巌勝はその名前が書かれた紙を蝋燭の火にかざすと、焼き捨てた。

 

 襖を開き、月を見上げる。

 

 

 

 

 

『兄様、触られますか? 動いてるのが分かりますぞ』

 

『不要だ…元気な子であるのは…見れば分かる』

 

『ああそうじゃった、兄様はうちの人と同じで、生まれつき生き物の体が透けて見えるのじゃったな。けど触ってみなされ』

 

『温いな…人の体…命は』

 

 

 

 

 

『もう帰られるのですか? せめて泊まって行かれても良いのでは?』

 

『長居して…身重の体に負担を掛けては…まずかろう』

 

『それにしても兄上はお忙しい中、遙々ここまで来て下されましたのに。二月振りの休みぐらいゆっくりされても』

 

『気遣いは…無用…七つの頃には既に…一昼夜走り続けても…少しだけ疲れて僅かな時間だけ足を止めれば…駆け抜けられた距離…まして今ならば…足腰の良い鍛錬に…なる』

 

 

 

 

 

『兄上、私には夢があります』

 

『昔は…この国で二番目に強い…侍になる事と…そう言っていたな』

 

『今は違います。今の私の夢は家族と静かに暮らす事です。この小さな家で、布団を並べて眠りたい。愛する人の顔が見える距離で、手を伸ばせばすぐに繋げる、そんな距離で』

 

『左様…か』

 

『時々兄上が訪ねて来られた折には仕舞っていた酒を出して、共に酌み交わしたいです。肴は兄上の武勇伝』

 

『…』

 

『大切な人が笑顔で、天寿を全うするその日まで幸せに暮らせるよう。決してその命が理不尽に脅かされる事が無い…ただひたすら平和な、何の変哲も無い日々が…いつまでも、いつまでも続けば良いと…そう思っております』

 

『では…お前達がそんな日々が送れるよう…私も武士として…この地を良く治めねば…ならぬな』

 

 

 

 

 

『私が…名付け親に?』

 

『はい、兄上に産まれてくるこの子の名前を考えていただきたいと思っております』

 

『私で…良いのか?』

 

『兄様だからお願いしたいんじゃ』

 

『これは…難題だな』

 

 

 

 

 

「思えば…不憫な…ものよ」

 

 巌勝が呟く。

 

「この私をも凌ぐ…無尽の才がありながら…忌み子として育てられ…家を捨て…そのようなささやかな幸せさえ…叶わぬとは…」

 

 彼は庭へ下りると腰の刀を抜いて、思い切り手近にあった石灯籠へ向けて振り回した。斜めに断たれた石灯籠の上半分がずるりと滑って、ずしんと音を立てて落ちた。

 

「今更言っても…仕方無いが…あの家には今少し…月に一度ほどは…足繁く通うべきで…あったか…そうすれば何かが…変わっていたやも…知れぬ」

 

 実際に起きていたのは全く完全に想像の埒外の出来事であり、彼がそれを知るのはこれより数年先のこと。

 

 だがもし。時の流れにもしもは無いが…しかしながらもしも、あと二週間ばかり前に、巌勝があの家を訪れていたのなら。

 

 その時はこの時代、そして未来の多くの者達の運命が、また別の方向へと流れていたであろう。

 

 

 

 

 

 

 

 蒸し暑い、何が起きてもおかしくないような夜だった。

 

 時透無一郎は喉が渇いて瓶から水を飲もうと目を覚まして…そして家の入り口から、人食い鬼が入ってくるのを目の当たりにした。

 

 思考が飽和状態になり、体が固まる。

 

 目に映る景色だけがゆっくりと、それでいて解像度が高く見えた。

 

 鬼の爪が振り下ろされて、自分の体はズタズタにされると思った。

 

 でも、痛みは襲ってこなかった。

 

 父親が自分に覆い被さって守ってくれていた。父の体が引き裂かれて血が壁を塗らして肉片が天井まで飛んで、血肉の雫が無一郎の顔に落ちてきた。入り口に置かれていた神様の為の食事にも鮮血がぶちまけられた。

 

 鬼は兄を庇った母の体も紙のように裂いて、そして今度こそ彼等を手に掛けようとその鋭い爪を持った手を振り上げ…

 

 そして唐突に線を引いたような切れ込みが体に入って、その線に沿って上半身が滑り落ちて、そして体が地面に落ちるよりも早く、空中で振り下ろされた赫い刃によって頸を落とされて、灰のように崩れて消えた。

 

 先日、この家を訪ねてきた産屋敷あまねの話を聞いていた無一郎にはすぐ分かった。

 

 今、両親を手に掛けたのが彼女が言っていた人食い鬼だと。

 

 では、その人食い鬼を斬ったこの侍は何者なのか。あまねの言っていた鬼狩りの剣士? しかし人間ではない。その面貌には、人ならざる六つの眼が爛々と輝いている。

 

 一体何がどうなっているのか?

 

 そんな彼の思考は、地鳴りのようでもあり、落雷のような声によって中断された。

 

 それは、兄の声だった。途轍もない咆哮が、十年以上も一緒に過ごしてきた人の口・喉から発せられているとは信じられなかった。

 

 

 時透有一郎は寝苦しくて夢見が悪かったその夜、体の上に何かがのしかかってきた衝撃によって目を覚ました。

 

 そしてまだ、悪夢が続いていると思った。

 

 自分の体に寄り掛かって事切れている父。弟に抱かれて動かない母。

 

 家族以外にここに居る者は、唯一人。

 

 入り口に立つ、六つ眼の怪物。手には、刀を持っている。

 

 刀。

 

 血の海と化している家。

 

 動かない両親。

 

 これらを見た時、有一郎の視界が真っ白に染まって、記憶が全て途切れた。

 

 

 有一郎はすぐ傍にあった木の棒を手に取ると、訳の分からない叫び声を上げながら国士某に打ちかかった。

 

「兄さん、違う!! その人は…」

 

 無一郎が兄を止めようとしたが、腕を掴んだ手は信じられないほどの力で振り解かれて、彼自身も床に倒されてしまった。

 

 有一郎は材木を国士某の体にメチャクチャに叩き付けた。

 

 幾度も、幾度も。

 

 国士某は何もしなかった。避ける事も、有一郎を攻撃する事も、体を防ごうとする動作も取らなかった。

 

 何度も、何度も、木材が少しの躊躇も無くぶつけられるが、まるで何百年も前からそこに在った巨大な岩を叩いているようで鬼侍の体はびくともしない。打ち込みが十回に達したかという所で、木の棒の方がヘシ折れてしまった。

 

 ほんの僅かな時間だけ戸惑った有一郎は半分ほどの長さになってしまった棒を放り捨てると今度は枝切り鋏を手に取るや腰溜めに構えて、思い切り突進した。

 

「兄さん、止め…」

 

 聞こえていたかどうかは定かではないが、しかし無一郎の制止も空しく鋏が、国士某の胸に突き立てられた。

 

 鬼侍はそれでもびくともせず呻き声すら上げなかった。

 

 口にしたのは、只一言。

 

「これで…少しは…気が済んだか」

 

 無造作に、刀を握っていない左手がゆったりと動き…軽く拳を作った人差し指の第二関節が有一郎の鼻の下を静かに打った。

 

 たったそれだけの動作で、有一郎の体から一切の力が失せてぐらりと崩れ落ちる。

 

 国士某はその体を片手でしっかりと抱き留めた。

 

「兄さん」

 

「大事は…無い…しばらく…休ませて…やれ」

 

 腰の鞘をちらりとも見ずに、国士某は紫色の刀身に戻った日輪刀を片手で納刀すると、有一郎の体を無一郎へ渡した。その後で彼はやっと思い出したかのように胸に突き刺さっていた鋏を無造作に引き抜くと、放り捨てる。鋏を抜いた時には、もうその傷口は再生してどこにも見られなかった。

 

 有一郎を家の中で血が飛んでいない場所に敷き直した布団に寝かせた後、無一郎と国士某は、時透家の両親の亡骸を埋葬した。

 

 簡易ながら墓標を作り、いくらかの花を手向けて合掌する少年と鬼。

 

 しばらくの間、どちらも並んで墓を見たままで一言も発さなかったが、先に口を開いたのは無一郎だった。

 

「あの…お侍様なんですか? 毎月お金や…母さんが病気の時に、薬を置いてくれたのは」

 

「何故…そう思うのか?」

 

「だって今夜は、いつもお金を置きに来てくれる日だし…それに、僕達を助けてくれたじゃないですか」

 

 無一郎は国士某に向き直って、深々と頭を下げた。

 

「本当に…本当に、ありがとうございます。あなたが来てくれなければ、僕も兄も、どうなっていた事か…それに母さんの事も…お侍様は、僕達の守り神です」

 

 国士某は墓の方を向いたままで、六つの瞳の内の三つが動いて無一郎を見た。

 

 そうして、静かに頭を横に振る。

 

「お前の目には…何やら私が…特別なもの…神仏の如く…見えているかも…知れぬが…それは…事実と異なる…私はいつも遅く…間に合わず…守れず…為すべき事を為せず…人として死ぬ事も出来ず…生き恥を晒し続ける…何の価値も無い…男なのだ」

 

「そんな事を言わないで…お願いですから…」

 

「後一時間ほどで…夜が明ける…鬼の私は…日に当たれぬ…そろそろ行かねば…ならぬ…身の振り方は…産屋敷を頼れ…剣士にはならずとも…面倒は…見てくれよう」

 

 これは事実ではあるが、話を打ち切る為の口実でもあった。鬼侍は立ち上がる。

 

「だが…もし…私に恩を感じるなら…一つ…頼みがある」

 

 ここで国士某は無一郎に向き直った。

 

「兄が目覚めたら…両親を殺したのは…六つの眼を持つ…侍の姿をした鬼だったと…そう伝えよ」

 

「えっ…? なんで、そんな…」

 

「人が持つ中で最も強いものは…怒り…憎しみ…殺意…そうした負の感情…両親の仇を…いつか殺す…それを生きる糧とするなら…それも…よかろう」

 

 無一郎の視線が、家へと向く。

 

 兄はきっと、この一件で剣士を志すだろう。

 

 両親の仇の、もうこの世には居ない鬼を斬る為に。ならば、自分のやるべき事は。

 

「じゃあ…お侍様。僕も剣士になります。いつか兄があなたと会った時に、兄にあなたを斬らせない為に。一生懸命努力して、それだけの力を、必ず身に付けます」

 

「止めても…無駄か」

 

 無一郎は、強く頷いた。

 

「では…励む事だ…我が末裔よ」

 

「はい!! …え? 末裔って、あれ? え!?」

 

 無一郎がその言葉にはっと気付いた時には、すぐそこに居た筈の国士某の姿はもう何処にも無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 ガチン、ガチン…

 

 鯉口を切っては納める音が、もう夜明けも近くなった山中に響いていく。

 

 国士某は帰り道を歩きながら、幾度もその動作を繰り返していた。これは彼の苛立ちがそうさせていた。

 

「今まで…同じ轍を…幾度踏んだ事か…未だ繰り返すとは」

 

 キィン

 

 一際透明感のある音が、鞘から鳴った。

 

「未熟千万」

 

 国士某が歩み去った後、一帯の木々の幹には次々に切れ目が入り、ばらばらと連続して地面に落ちる響きは長い一連の音のように聞こえた。

 

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