「…これが、僕達に起こった事の全てです。お館様」
「そうか…辛かったね。無一郎」
国士某が去ったその朝、訪ねてきたあまねによって保護された時透兄弟はひとまず鬼殺隊預かりとなって今後の身の振り方を考える事となり、無一郎は現在の産屋敷家並びに鬼殺隊の当主である産屋敷耀哉の前に通され、自分達の身に起こった出来事を説明していた。
鬼によって家族を殺される者は珍しくない、寧ろ鬼狩りの多くはそれをきっかけに鬼殺隊に入った復讐者だ。
ただし今回の無一郎の場合は、始まりの呼吸の剣士の末裔という出自に加え、あまねが見た山中の木がまるで一刀一振りによって薙ぎ払われ切り倒されたような異常事態が発生した事などもあり、これを重く見て特例として耀哉への目通りが叶ったのである。
そこで無一郎は、全てを語った。
鬼に両親を殺されたこと。
自分達もあわや殺されるという所で、鬼の侍・国士某によって救われたこと。
恐らくその国士某が、自分達の家に何十年も前から毎月の付け届けをしてくれていたこと。
国士某の助言により兄が剣士として生きる動機を与える為に、彼が家族の仇と偽ったこと。
国士某が自分の事を末裔だと呼んだこと。
何もかもを伝えた。
その後で、無一郎は深々と頭を下げる。
「お願いしますお館様、この事はどうか、兄さんには伝えないでください!!」
有一郎は今、非常に不安定な状態にある。
あの後、目覚めた兄は自分の出自など多くを忘れていた。辛うじて両親や無一郎の事は忘れてはいなかったが、それだけではなく人の顔や名前を、長く覚えていられないという記憶障害の後遺症まで負っていた。
無理もあるまい。
十を少し過ぎたばかりの子供が、目の前で両親を惨殺されたのだから、衝撃を受けて心に傷を負うのは当然だ。何かが違っていれば、無一郎がそうだったかも知れない。
そして有一郎は、体が動くようになると心身の回復が未だ不十分であるにも拘わらず、取り憑かれたように鍛錬を始めたのである。せめて適度な休息をと無一郎が諫めたが、その声も殆ど聞こえてはいないようだった。それほどの集中力で稽古に臨んでいるのだ。いやもうこれは、執念をも通り越して怨念に近いかも知れない。
体も心も綱渡りのような今の兄を支えているのは、両親の仇の鬼を斬るという復讐の一念。それが崩れたら有一郎の全てもまた崩壊する。双子である無一郎にはそれが分かるのだ。
耀哉は鷹揚に頷いた。
「分かったよ無一郎。これは君と私とあまね…この場に居る者達だけの秘密だ。君がそれを明かさない限り、私もあまねも決して口外しない。墓の下まで持っていく事を約束しよう」
妻に視線を送る耀哉。これは「それでいいね?」という確認だ。あまねは無言で頷いた。
「ありがとうございます。ありがとうございます!!」
畳に額をこすりつけ、心からの感謝を示す無一郎。
数分間もそうしていただろうか。気持ちを落ち着けた彼は、鬼殺隊の長へと一つの疑問を投げかけた。
「お館様、一つ教えてください」
「何かな? 無一郎」
「あの鬼のお侍様は、僕の事を自分の末裔と言っていました。そしてあまね様は僕達を始まりの呼吸の剣士の末裔と教えてくれました。では…あのお侍様は、始まりの呼吸の剣士が、鬼になった人だったのですか?」
「…」
この問いに、耀哉は即答を控えた。
僅かな時間、妻と視線を交わす。あまねは何も言わなかった。産屋敷の当主にして鬼殺隊の長は夫だ。伝えるにせよ伝えないにせよ、彼の判断を尊重して正しいと信じ、理解するよう努め、支え、実現の為に力を尽くす。それがこの家に嫁いでからずっとそうしてきた彼女の意思だった。
「無一郎、君は約束が出来るかい?」
「約束…ですか」
「私達は君の話を秘密にすると約束した。同じように君も、時が来るまではこの話を秘密にしてくれると、約束してくれるかい?」
よほど重大な内容である事を察して、無一郎は一呼吸を置くと正座し直して姿勢を正し、今まで以上に真剣に話を聞く態勢を整えた。
「はい。決して誰にも話さないとお約束します」
満足したように、耀哉が頷く。
「では…始まりの呼吸の剣士達の話は、君はどれほど知っているかな?」
問われた無一郎は以前に、あまねから聞かされた話を思い起こす。
「確か…戦国時代に鬼の親玉を後一歩の所まで追い詰めた凄い剣士達が居て…その人達が呼吸の技を生み出してそれまで使われていた剣術と組み合わせる事で、現在鬼殺隊で使われている呼吸の技が出来上がったと」
「その通りだね。そしてこれは産屋敷の当主に代々口伝で伝えられている事なのだけど…始まりの呼吸の剣士の中に一人。鬼舞辻 無惨によって鬼にされてしまった剣士が居たんだ」
「では…それが、あの鬼のお侍様だと?」
「そうかも知れない。当時の鬼殺隊は彼を討伐しようとしたけど、結局それは出来なかったらしい。だからその鬼が現在まで生き延びている可能性はある。それにその侍の鬼が無一郎の先祖だとしたら、毎月無一郎の家にお金を届けていた動機も説明が付く…同じ一族だからね。ただ、無一郎に言ったその鬼の言葉が全て出鱈目とも考えられるから、確たる証拠は何も無いんだ」
「はい」
これは正論である。無一郎は神妙に頷いた。
「ただ…一つだけ、確かな事がある」
「それは、何ですか?」
「鬼殺の剣士…私の子供達が使う呼吸にはいくつもの流派・種類があるけど、それらの中で基本となる呼吸の技があるんだ」
「炎・水・風・夜・雷・岩の6つですね。特にその中でも炎と水の呼吸は歴史が古く、これを使う剣士はいつの時代でも柱の中に入っておられます。鬼殺の剣士となられる方はまずそれらの呼吸のいずれかを修められ、そこからその呼吸を極められたり、派生で新しい呼吸を作られたり、または自分の体質や性格に合った呼吸を学び直されたりするのです」
「はぁ…」
確かにそれも大切な事ではあろうが、いきなり呼吸の技の説明を始められて無一郎は戸惑っていた。
しかしそれも続く耀哉の言葉を聞くまでだった。
「一つ、その呼吸を伝える中で…鬼の剣士を相手にする事を想定した戦い方を教える一派があるんだ」
月の呼吸 壱ノ型 朔月・宵の宮
『お、お侍様…今のは…?』
『あれは人食い鬼だ…そして私達は鬼狩り』
『人食い鬼…鬼狩り…』
『私が来るのが…今少し早ければ…お前の家族も…助けられたかも知れぬ…皆を救えなかったのは…慚愧に堪えない』
『謝らないでください。あなたは私の命の恩人です。何か、私にも…あなた方のお手伝いをさせてください』
*
『月柱様!!』
『お前は…あの時の』
『私も鬼狩りの剣士になれました!! これからは一緒に鬼から無辜の人々を守る為に戦います!!』
*
『月柱様、私には夢があります』
『夢…?』
『はい!! 私もこの月の呼吸を修めて、二人目の月柱になって共に戦う事です』
『戯れ言を…申すな…柱はそう容易く…成れるものでは…ない…だがお前に確かな才があり…弛まぬ努力を重ねれば…成れるやも…知れぬな』
『はい!! 頑張ります!!』
『では…頼むぞ…励む…事だ』
*
『これを…持つが良い』
『月柱様、この本は?』
『私が使う…月の呼吸9つの技を…書にまとめたものだ…鍛錬の助けになればと…思ったのでな』
『あ、ありがとうございます!! 必ず、月の呼吸を極めてみせます!!』
*
『ほ、本当ですか。月柱様!!』
『お前も甲になった…私の継子として…迎えたい…』
『身に余る光栄です。私、今まで以上に、頑張ります!!』
『浮き立つような気持ちにならぬか…だと…? 確かに…その通りだな』
*
『大変だ!! 月柱様が、鬼になった!!』
『ははは、何を言ってるんです。昼間から飲んでるんですか?』
『誰が冗談でこんな事を言うか!! 日柱様が身内から鬼を出した責任を取って、鬼殺隊を辞められたんだ!!』
*
『お労しや、師範』
『これが…最後の稽古となるか…どれほど上達したのか…試してやろう』
『参る』
月の呼吸 壱ノ型 朔月・宵の宮 月の呼吸 壱ノ型 闇月・宵の宮
*
『ま、まだだ…私はまだ…戦えるぞ』
『良い上達振りだ…今のお前の腕…柱にも決して劣るまい…更に…励む事だ…そしていつか…私を超え…更なる高みへと…登り詰めよ』
『月柱様…師範、待って…!! 待て!! まだだ…まだ終わってないぞぉ!!』
*
「う、うーむ…」
まだ夜明け前ながら、暮森は長年の反復で体に染み付いた習慣でいつも通りの時間に目を覚ました。
彼は戦国時代から代々産屋敷家に仕え、鬼狩りを生業とする一族の出身だった。彼の家では剣士としての才能を持って生まれた者は剣士となり、そうでない者は隠や医療班など後方支援として従事する。
彼は剣士としての才能に恵まれ、柱にはなれなかったものの甲階級の隊士にまで出世し、30で負傷によって引退するまで命があり、それ以降は育手として剣士を育成する形で鬼殺隊に貢献し、幾人もの鬼狩りの剣士を鍛え上げ、そうして気付けば初老の年となっていた。
そんな彼は、時々夢を見る事がある。
見た事も行った事も無い場所の、会った事も無い人と話している夢。
現役時代、彼の日輪刀を担当していた刀鍛冶はそれは記憶の遺伝ではないかと言っていた。自分達の里でも良く言われている。受け継がれていくのは姿形だけではない、生物は記憶をも遺伝する。初めて刀を打つ時に同じ場面を見た記憶があったり、経験した筈の無い出来事に覚えがあったり。そうしたものを記憶の遺伝と、彼等は呼んでいるらしい。
ならば自分のあの夢は、先祖の記憶だというのだろうか。
「それにしても最近はあまり見る事もなかったのに、どうしてまた急に…」
考えるが、しかし結論は出ない。出る筈も無い。
気を取り直して、身支度を始める。もうすぐ朝稽古の時間だ。
外に出る前に、彼は机に置かれていた一冊の書物を開く。とても古く色褪せており、めくり癖や手垢が付いて幾度も読み返されたのが分かる。表紙には「月柱ノ書」と書かれており、暮森が教える剣技や呼吸術の詳細から指導法に至るまで、事細かに記されている。毎朝これを読むのは、欠かせない彼の日課だった。
最近暮森の所に、新しい剣士の卵がやってきた。
素晴らしい才能を持つ子供だった。
暮森が鍛え上げた剣士はこの三十年で二十人以上にもなるが、その中で最も才気に溢れた者をして尚、天秤の対として軽すぎるほどの別格の天稟。その肉体は鍛えれば鍛えるだけ強くなり、技は口頭で説明して一度見せただけの型を、鏡に映したかのように正確に再現する。
砂が水を吸うようにとはまさにこの事を言うのだろうか。今まで出会えなかった本当の天才を目の当たりにして、きっとこの少年に出会い、鍛え上げる為にこそ自分の今までの剣士としての生も、育手としての経験もあったのだろうと暮森は確信するほどだった。
この子は必ずや誰より強い剣士になる。だから暮森も命懸けで彼を鍛え上げる所存だった。
庭先に出るとまだ暗い朝の静かな空気の中で、木刀が風を切る音が既に響いていた。
時透有一郎。
この少年は天稟も然ることながら、何より鍛錬に打ち込む姿勢は比喩ではなく血反吐を吐くほどで鬼気迫るものがあった。今日だってそうだ。夏とは言えまだ涼しい未明なのに全身玉の汗を掻いて、体からは湯気が立ち上っている。一体何時間素振りをしているのだろうか。
「あ…えーと…なんだっけ…先生…おはようございます」
「あ、あぁ…おはよう。準備は出来ているようだな」
ただ一つ、あまり多くの事を長く覚えられない所だけはどうも…聞けば両親を目の前で殺された時に心に負った傷が原因であるという。
それがどうにも暮森には危うく思えて仕方無く、彼が不憫でならず…なればこそこの先有一郎がどんな事があっても生きていけるように、自分が出来る事は全てやり、授けてやれるものは全て授けようと決めていた。
「では、まずは昨日のおさらいからだ。教えた技をやってみろ」
眼前に用意された藁人形の前で、有一郎は腰溜めに刀を構えた。
ホオオオオオ…
それぞれの呼吸術独特の響きが木霊する。
「全集中・夜の呼吸 壱ノ型 朔月・宵の宮」
一閃。
居合の剣のように鞘から抜き放たれた刃が、藁人形を真っ二つに断ち割った。