空気が濁っている。周辺に魔法が発動した影響は出てないが、気温が不自然に低い。
「へぇ、本当に居た。シュラハトが言った通りだ」
足を止めて、呼吸を整える。霜が草を覆い始めている。無意識の放出か、それとも私への牽制か。
魔物はこちらに姿を見せない。しかしこちらを見ている。私の持つ魔道具の魔力でも感知しているのだろうか。その魔道具のいくつかを手の中に収める。
白い息を吐きながら一歩前に出た。
「そこで止まれ」
その瞬間、地面が凍った。反射的に足を引くが少し遅い。靴底が地面に固定された。思わず舌打ちが漏れた。
「……こんにちは、魔物」
視界の奥、薄い霧の向こう側に私にとって不倶戴天の敵が立つ。あの魔物だ。既に魔法を展開させている。
「魔力をほとんど感じない。ゼーリエのように魔力制限でもしているのか?」
魔物の声は随分落ち着き、余裕がある。魔法の出力といい、私を格下に見ている証拠だ。まぁ変えようのない事実だが。
「『熱を放射する魔道具』『石を放つ魔道具』『音を発生させる魔道具』『竜巻を発生させる魔道具』起動」
魔物へ向けて数百度の熱線、時速数百キロの石、鼓膜を破壊し脳に影響を与えうる大音響、魔力の混じった皮膚を切り裂く暴風が同時に迫る。
単なる魔法使いなら不可能な魔法の多重展開。常人であれば一撃一撃が致命的な魔法の包囲。
だが、その魔物はたった一つの魔法を使うだけでこれらを全て防いだ。
熱と音は魔法によってエネルギーを全て奪われ、竜巻と石は突如出現した氷壁に阻まれた。
『
私の周囲の温度が一気に氷点下まで下がり、着ていた毛皮のコートが凍るとともに砕け散る。魔物の使う強力な魔法。全ての熱を奪い凍らせるそれが私に向けて放たれた。そのままの肉体で受ければ体内の水分は凍り、皮膚が割れ、考える間もなく死んでいただろう。
しかしそうはならなかった。封魔絋が練り込まれた人工繊維が魔法の術式を乱し、肌の表面を侵す前に無効化したからだった。
「魔法を受け止めた……のとは少し違うな。魔法が解除された……?」
「仇討ちに来てるんだ。魔法への対策ぐらい無くてどうするのさ」
言葉半ばに魔物から放たれた氷塊を、封魔絋を混ぜた金属棒で粉砕する。
「成る程。魔法そのものは消すが、魔法の影響は消せないらしい。大方封魔絋か?それなりに考えてきたようが」
地面のコートから新しい魔道具を取り出す。その照準を全て魔物に向け起動した。
「『魔物を観測する魔道具』『水を集める魔道具』『圧縮する魔道具』『温度差を生む魔道具』『空気に断層を作る魔道具』『金属を高速で射出する魔道具』起動」
空間に衝撃が弾けた。氷壁は砕かれ溶かされ吹き飛んでいく。数十層の壁がひたすら食い破られていく。しかし新しく作り直されたそれらが、魔物を守る壁としての役割を十分に果たし続ける。
シュラハトが魔道具に込めた魔力が湯水のように流れ出ていく。魔力の尽きた魔道具を放り捨てる。全て指向性を持たせたはずだ。それなのに、肌がじりじりと焼けるように痛い。
『魔物を観測する魔道具』から得た情報を元に、魔術式をその場で書き直す。より効率的になるように、より効果的になるように。それでも尚、全く足りない。
地面に落ちた汗が瞬時に凍る。私は押されている。魔道具による攻撃は全て受け止められ、魔物の魔法を完全に防ぐことは出来ていない。当然だ。単純に積み上げた年季が違う。
魔物の視線は凪いでいる。
「それでいい。退屈になれ。期待外れであれ。油断しろ。お前にとって魔法が全てらしいけど、だから負けるんだよ。クソ野郎」
◇ ◇ ◇
弱い。
魔法の全てを魔道具で代用し、封魔絋を使う戦い方自体はこれまで戦った人類の中でも異質だがそれ以外に突出した部分は無い。
魔力反応が薄い理由も既に理解した。このエルフは魔力制限などしていない。ただ単に魔力の保有量そのものが異常なまでに低い。生まれたての幼児のような魔力量。
だから外付けの、借り物の力を使用する。努力しても届かない場所へ道具で誤魔化している。それは魔法使いへの侮辱であり、この勝負に意味はない。
早く終わらせようといつも通り一歩踏み出す。地面が凍り、空気が沈む。しかし、エルフは間一髪で魔法を躱した。
早い。いや、私の認識が遅れたのか。エルフの周囲を凍らせるつもりだっただが、氷は一拍遅れて広がった。わずかな遅延。誤差の範囲だ。
出力を上げる。冷却域を拡張。魔法はその通りに応える。
なのにエルフはまだ動いている。おかしい。エルフのいる場所は既に極低温のはずだ。いくら封魔絋で直接凍らせることが出来ずとも、その周囲を冷やせば人は死ぬ。人間には呼吸が必要不可欠だからだ。
もう一度出力を上昇させる。急成長した氷が鳴る。空気が割れる。
だがエルフの輪郭がブレた。いや違う。脳内で情報を修正する。
何故なのかは分からない。しかしその対処法として魔法を再設定する。対象を局所冷却から自身を起点にした空間全体へ広げる。いくら位置を誤魔化そうと全て冷やせば関係ない。
その瞬間、情報を読み込む最中の脳に違和感が跳ねた。思考と結果の間に薄い膜が挟まったようなズレがある。
いつの間にか攻撃を止めたエルフは、こちらを見ながらただ立っていた。
「もう来ないのか?」
言いながら、魔物は気づいた。冷気が広がらない。
否、冷えている。だが熱を奪えない。本来なら空気を伝い、触れずとも命を奪うはずの力が途中で途切れている。封魔絋ではない。魔法が無効化されたような変化ではない。
先ほどから奇妙な事ばかりだ。何が起きているのか分からない。一つだけわかったのは、それら全てが相手が私に何かをした事で起こったということのみ。
「であればそれを上回るまで」
更に魔法の出力を上げる。空間の気温が限界まで低下していく。今まで勝ってきた方法をなぞっていく。
それが自身の首を絞める事に気づかないまま、魔物は魔力を減らしていく。
魔物は前方を見据えた。
そこには変わらず一人のエルフが立っている。剣も杖も持たず、魔力の気配すらない。魔道具から放たれた魔法らしきものも無いというのに、凍えている様子はなかった。
理解できない。
これほどまでに冷やしている。周囲の空気は凍りつき、岩は脆く砕け、触れれば即座に死に至る温度だ。
それでもエルフはただそこにいる。
◇ ◇ ◇
「
ヘルズは足元で起動された魔道具を見る。
『空間を隔離する魔道具』
この魔道具自体に強制力は殆どない。ただ空気を通さないようにするだけの魔法だ。数十の魔法が飛び交い空気中の魔力が大きく乱れ、平常心を失った魔物では感知できないほど小さい。
彼女がしたのは、この魔道具で自分一人でを囲む空間と、魔物と自分を囲む空間の2箇所を包んだだけ。
空気が冷えると物質は形を変える。気体から液体に、液体から固体に。元々物質のあった空間は真空へと変化していく。冷気は伝わる必要がある。空気、接触、流れ。それらがなければ奪う対象が存在しない。
「冷気は条件付きの現象だ。極低温はエネルギー操作の一形態だ。それを理解した上でその魔法をこれだけ見せられれば対処法は簡単に思いつくよ」
魔物はこちらを睨み続ける。その目は私を睨み続けている。その殆どを占めるのは肌に突き刺さるような敵愾心。
「そう、お前の中ではまだ負けてない。私はお前を殺せないからねぇ。だからこの場からまだ逃げない。ただお前の勝つ方法も無いけど」
言い切った時点で彼女の興味は魔物から離れた。シュラハトからの
魔物は魔法を使い続けている。その魔法は何も乱れていない。魔法の術式も魔力の入力も全て満たされている。ただ結果だけが返ってこない。
地面の温度は変化しない。空気中に結晶化の兆候は示さない。いくら待っても同一のまま。
魔物は魔法が通じていない現状を外的要因として処理している。術式の失敗ではなく何か干渉があるためだと。だから何度も再試行する。
魔力が流れる。魔法が発動したのは分かる。だが外界には何も現れない。魔物にとって魔法とは絶対だ。正しい行為は正しい結果を生むという前提が崩れている事に思い至らない。
彼女はただ待った。魔物の魔力が尽きるまで。
途中で魔族の視界と魔法の情報のズレを生み出した方法について解説。面倒なら読まなくて全然いいよ。
ヘルズがしたのは、魔族の『万物を凍てつかせる魔法』の発動に必要な
「どこを、どれくらい、いつ冷やすか」
という点に対して
「電磁波をノイズとして混入」
させることで、魔族の魔法に
「冷却判断が遅れる」
「冷却位置がズレる」
「出力の過剰、過小」
という結果が出るようにした。細かい調整はシュラハトがやってくれた。
この魔族の魔法が外界の影響を全く受けない完全なスタンドアローン状態だったら根本的に成り立たないはず。ネットに繋がずデータをアップロードする事が不可能な感じ?
それに電磁波とかの電磁エネルギーって冷やして消える類いのものじゃないしね。条件外の対象について魔法は無力なのです。
村のエルフが戦闘特化でないにしても数千歳のエルフを殺せる魔族に真っ向勝負で勝つ方法が思いつかなかったので「魔法の精度」を乱して魔族が半ば自滅する方向にした。
色々小説内で描写できなかった。