月の郵便屋さん   作:槙 秀人

3 / 18
月影の約束

 冬の夜。

 月は澄み渡り、静かな光が町を包んでいた。

 

 丘の上の古びた郵便局に、今夜も月見が現れる。

 銀色の制服に白い帽子。肩には、まだ届けられていない手紙が詰まった皮の鞄。

 

 その夜、彼が手にしていたのは、淡い桜色の封筒だった。

 差出人の名前は「澄子(すみこ)」とある。

 宛先は――「あなたへ」。

 

 月見は目を細め、封筒をそっと開いた。

 

 

 ~ あなたへ。

 

 もうすぐ、私はこの世を離れると思います。

 体が少しずつ、静かに終わりに向かっているのがわかるのです。

 あなたのことを、忘れた日はありません。

 

 あの時、私は生きることを選びました。

 家族を持ち、子を育て、孫に囲まれて、今は静かな日々を過ごしています。

 

 それでも、夜になると、あなたの声を思い出します。

 あの約束の言葉。あの笑顔。あの手の温もり。

 

 亡くなったら、あなたに会えるかしら。

 でも、それは夫に対して不義理かもしれない。

 

 けれど、もしあなたが生きていたなら――

 私は、もっと不義理をしてしまったのかもしれない。

 

 あなたが生きているのか、もうわからない。

 だから、私はこの手紙を月に託します。

 もし、どこかで読んでくれるなら、それだけで十分です。

 

 ありがとう。

 そして、さようなら。

 

 澄子より。 ~

 

 

 

 月見は手紙をそっと鞄にしまい、夜の町を離れ、遠く離れた国へと向かう。

 そこには、健一(けんいち)という名の男がいた。

 

 彼は紛争地で負傷し、記憶の一部を失ったが、今は静かな村で花を育てながら暮らしていた。

 時折、夢の中で「澄子」という名を聞くことがあったが、それが誰なのかは思い出せなかった。

 

 その夜、月見は彼の家の前に立ち、手紙をポストにそっと差し込んだ。

 月の光が彼の庭の花々を優しく照らしていた。

 

 翌朝、健一はポストの中に見慣れない封筒を見つけた。

 差出人の名を見て、胸がざわついた。

 封を切ると、懐かしい言葉が並んでいた。

 読んでいくうちに、記憶の断片が少しずつ戻ってくる。

 

 澄子!!

 

 桜の咲く丘で、未来を誓った人。

 彼女の笑顔。彼女の声。彼女の手。

 健一は、手紙を胸に抱きしめた。

 そして、決意した。

 

 

 

 数日後。澄子は病院のベッドで静かに過ごしていた。

 窓の外には、雪がちらちらと舞っている。

 その日、病室の扉が静かに開いた。

 白髪混じりの男性が、ゆっくりと入ってくる。

 澄子は目を細め、驚きと戸惑いの中で彼を見つめた。

 

「…健一さん?」

 彼は微笑み、手に持った桜色の封筒を見せた。

 

「手紙、読んだよ。思い出した。全部じゃないけど…君のことは、忘れてなかった。」

 澄子の目に涙が浮かぶ。

 

 彼女は手を伸ばし、健一の手を握った。

 その瞬間、窓の外の雪がやみ、月が顔を出した。

 まるで、微笑んでいるかのように。

 

 

 その夜、月見は丘の上の郵便局に戻っていた。

 彼の仕事はまた一つ、終わった。

 だが、鞄にはまだ、誰かの心に届かなかった言葉が残っている。

 

 今夜もまた、月の光に乗せて、彼は静かに歩き出す。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。