Exhaust Anthem   作:ストーム11

4 / 5
Part4 - 二人の午後

 

 昼前の日差しが、ガレージの天窓から差し込んでいた。

 

 嗅ぎ慣れない匂いに目を覚ます。ガソリンと、オイルと、鉄の香り。時計を視線で探すと、針は11時を過ぎていた。隣のソファで物音。家主も目覚めたようだ。

 

「おはよ……今何時?」

「11時半。案外寝坊助なんだな」

「お互い様でしょ……久々によく眠れたわ」

 

 マコトが髪をかき上げながら呟く。表情が、少しだけ緩んで見えた。

 

 作業台の隅に、缶コーヒーが二本並んでいる。マコトがそのうちの一本を手に取った。

 

「あんたも飲む?」

 

 脳裏に浮かんだのは、父さんの手つき。豆を挽く音と、立ち上る香り。

 

「コーヒーは香りを飲むものだろ」

 

 オレは思わず呟いた。

 

「へえ、本格派なんだ」

 

 差し出した缶を揺らしながら、マコトが苦笑する。

 

「まあ……な。でも、ありがたく頂くよ」

 

 手に取った缶コーヒーのラベルを見つめる。大量生産の印刷、添加物の表示、工場で調合された液体。でも、今じゃこの泥水が主流だ。

 

 プルタブを開けると、わざとらしい甘ったるい香りが立ち上がった。豆の風味なんて端から無い。それでも、マコトと一緒に飲むこの時間には、別の意味があった。

 

「闇市で豆を見かけた事があるわね」

「本当か?」

「高かったけど。どうせご飯食べに行くし、ついでに見てみる?」

 

 そういえば、昨晩から何も食べていなかった。

 

 コーヒーを名乗る黒い何かを飲み終えると、マコトが昨夜の練習用スクーターを指した。

 

「それじゃ、さっそく路上教習ね。アタシが案内するから」

「でも、スクーターでついていけるバイクじゃないんだろ? オマエのカゲロウってやつ」

「確かにレプリカと原チャリじゃね。でもいいのよ、合わせるのもマスツーの醍醐味だし」

「マスツー?」

「マス・ツーリング。複数台での走行」

 

 マコトが少し照れたような顔をした。

 

「まあ、二台だけど」

 

 その照れた表情が可愛らしく見えた。

 

「ああ、これあんたにあげるわ」

 

 練習でも使ったヘルメットを受け取る。顎の部分がつながっていない白いシェル。シンプルだが、しっかりした作りに見えた。

 

「先輩たちが言ってた、初心者は安全第一って」

 

 マコトが自分のヘルメットを手に取る。黒いシェルに、ステッカーが数枚。インカムもつけているそうだ。オレのヘルメットにもつければ、走行中でも会話できる優れモノ。

 

「いきなりフルフェイス被っても息苦しいでしょ」

 

 ヘルメットを被ると、視界が少し狭くなった。でも、頭を包まれる安心感がある。楽器ケースに楽器を仕舞う時のような、大切なものを保護する感覚。

 

 スーパーレックスという名前らしいスクーターのシートに座り、エンジンをかける。昨夜より慣れた手つきでセルを押した。静かな音が響く。

 

「置いていかないだろうな」

「大丈夫、ちゃんと引っ張ってあげるから」

 

 マコトがカゲロウにまたがる。2ストロークの咆哮がガレージに響いた。

 

「それより開けすぎないようにね。そのレックス、結構ドッカンだから」

「なんだそれ」

「いきなりフルスロットルは危ないってこと」

 

 ガレージの扉が開く。外の光が差し込んで、一瞬目を細めた。

 

 外縁区の路地を抜け、広い道路に出る。

 

 マコトのカゲロウが前を走り、オレのレックスがそれに続く。最初はおっかなびっくりだったが、だんだんリズムが掴めてきた。

 

 直線で少しアクセルを開けてみる。エンジンの鼓動が早まる。緩やかな加速。でも、思ったより伸びない。マコトとの距離が少し開く。

 

 もう少し開けてみよう。アクセルを握り込む。

 

 一拍のラグ、急激な加速。レックスが吠える。予想以上の勢いで前に飛び出した。風切り音が一気に大きくなる。これが「ドッカン」か。

 

 マコトのカゲロウに追いつき、並ぶ。思わず笑みがこみ上げた。

 

 風を切って走る爽快感。昨夜のトランペット演奏とは違う種類の開放感だった。自分がどこへでも行けるような錯覚に陥る。なるほど、走り屋が毎晩のように出るわけだ。

 

 電動バイクの後ろには何度か乗ったことがある。それぞれに個性があるのは、楽器と同じだ。稀に、深夜に排気音が聞こえた理由がわかった。

 

 赤信号で並んで停まる。

 

「速いな、これ!」

 

 ヘルメット越しにマコトに声をかけた。

 

「調子に乗ってると吹っ飛ぶわよ」

 

 マコトが振り返る。バイザーを上げた奥で、呆れたような表情が透けて見えた。

 

「ま、そこまで回せるなら大丈夫そうね」

 

 信号が青に変わる。今度はもう少し大人しく走ろう。でも、この開放感は忘れられそうにない。

 

 マコトの甲高い排気音と、オレの必死な排気音。アンサンブルを奏でていると、風に混じって香辛料と焼き物の匂いが漂ってきた。人の声、笑い声。活気ある空気が鼻をくすぐる。

 

 前方に古い石造りの建物が見えた。教会の前庭に開かれた闇市。

 

 石畳の上にシートを広げた露天商たち。古い電子機器、得体の知れない部品、手作りの工芸品。正規の商業娯楽区とは全く違う雑多な活気があった。

 

「すげえ賑わいだな」

「この辺、ガードのルートに入ってないのよ。ちょっと待ってて」

 

 マコトがそう言って人混みに消える。オレは一人、闇市を見回した。

 

 空気には様々な匂いが混じり合っていた。香辛料、焼いた肉、揚げ物の油。得体の知れない魚の丼をかき込む背中、湯気を立てる串焼き、正体不明だが美味しそうな香りを放つ屋台料理。

 

 人々の服装も様々だ。企業の制服を着崩した中層市民、作業着姿の技術者、色とりどりの古着を身にまとった若者たち。普段なら絶対に混じり合わない階層の人間が、ここでは同じ空間を共有している。

 

 腹が鳴った。朝の缶コーヒーだけでは足りない。

 

 でも、財布の中身を確認して溜息。オレの所持金じゃ、どの屋台も手が出そうにない。

 

「はい。アタシのお気に入り」

 

 マコトが戻ってきた。手には湯気を立てる何かの包み。

 

「貸し一つね」

 

 そう言って、オレに差し出す。

 

「なんだ、これ?」

「饅頭。甘くないやつ」

 

 マコトが頬張る。美味そうに食べるものだ。

 

 オレも一口食べてみる。ちょっと生地が分厚いが、肉汁の旨味が溢れ出した。

 

「結構イケるな、屋台料理ってのも」

「何の肉か知らないけどね。一応、この店のやつで当たったことはないわ」

 

 おいおい、本当に大丈夫かよ。

 

 手にした温かい肉饅頭を眺める。かさ増しした生地、気持ち程度の餡。しかし、不味くはない。

 

 なにより空腹には敵わない。マコトに倣って頬張ってみた。なるほど、こうやって食うほうが美味い。青空の下での食べ歩きという、居住区じゃあ絶対に許されない背徳感を感じる。まあ、もう帰れないか。

 

 久しぶりに、満たされた気分だった。

 

「コーヒー豆、あっちに有るって」

 

 マコトの指差す方を見れば、古い木製の看板が掲げられた露店。

 

 しかし、そこで値段を聞いて絶句することになった。たった一杯分の豆の値段が、さっきの肉饅頭の何倍もする。

 

「ま、今後の目標ってことで」

 

 マコトが肩をすくめる。その目は、少しだけ遠くを見ていた。

 

「……ヒモじゃねえし、少しは稼ぐか」

 

 オレはトランペットケースに手を伸ばした。

 

「ン? ……まあ、ここでやってるやつは見かけるけど」

 

 マコトが見回す。教会の真正面のスペース。ちょうど、他の演者が演奏を終え、機材を片付けてハケた所だった。誰の許可も必要としない、文字通りのストリート。

 

「この辺りのことは、オマエの方が詳しいだろ。ここにいてくれ、何かあったら頼む」

「……しょうがないわね」

 

 マコトは小さく息を吐いた。

 

 マウスピースを唇に当て、軽くウォーミングアップ。教会の石壁が音を反響させる。思っていたより響きが良い。

 

 思い切って、ベルアップ。

 

 青空に抜けていくようなハイトーン。大昔の映画の曲だと父さんが言っていた。無理やり出していたこの高さも、ちょっとは吹けるようになったつもりだ。

 

 最後をきっちり吹ききって、ダラっとさせずに切る。メリハリが大事だ。

 

 呼吸を整え空を見上げた。外縁にはハトがいるんだな。

 

「トランペットとは珍しい、新顔ですかな?」

 

 オレが振り返ると、白い法衣を着た人物が教会の扉から現れていた。年配の男性、穏やかな笑顔。ネオン色のバイザーゴーグルが印象的だった。

 

「あ、たしかこの教会の……なんだっけ」

 

 曖昧なようだ。マコトが視線を向ける。

 

「時々、夜に騒がしいなとは思ってたけど」

「ワタクシはファーザー・DD」

 

 丁寧に一礼。よく響く、信念の通った声だった。

 

「電気子羊どもの牧師を務めております」

「電気子羊?」

 

 なんだそれ。オレは首をかしげた。

 

「この街で音を求めて彷徨う者たちですな」

 

 DDが優しく微笑む。その目に、深い理解と包容力が宿っていた。

 

「音楽をなさる方も、バイクを愛する方も、皆同じ。沈黙に抗う者たちです」

 

 マコトが少し感心した様子で聞いている。オレが問い返した。

 

「沈黙に、抗う?」

「祈るよりアゲていくのです、電気子羊どもよ」

 

 両手を広げる大仰な仕草。その動作は演劇的で、こちらを煽り立てるよう。

 

「もしよろしければ」

 

 そう言って、小さなワイヤレスマイクを差し出してくる。

 

「バックトラックもつけましょうか」

「いいのか?」

「ワタクシも音を生業としておりまして」

 

 DDが背後のスピーカー群を指す。ただの神父じゃないらしい。音響屋が法衣を着ているという表現が近いか。ただ、単純な見た目だけじゃない何かが有るような気がした。

 

「お仲間が増えて嬉しい限り」

 

 マイクを使うと、迫力が格段に向上した。単純なビートが入るだけでも、一気に『音楽』って感じになる。3曲ほど、トランペットの美味しいセクションを中心に奏でた。

 

 有り難いことに、ハードケースには小銭がちらほら。

 

「今夜、北の高架下で巡礼(フェス)があるのですが」

「そこまで騒いだら、ガードが寄ってくるんじゃないのか?」

「さて。ワタクシはこうして生きております」

 

 DDが意味深に微笑む。オレは唖然とした。

 

「ま、外縁って一口に言っても、色々とあるのよ」

「……それじゃ、未整備区画なんてどうなってんだ」

「あそこはね……アタシも詳しくないから」

 

 マコトが肩をすくめる。

 

「この世界には、まだまだ知らない場所がたくさんありますよ」

 

 その言葉には、半世紀以上を生き抜いた者が持つ重みがあった。

 スメラギが作り上げた管理システムを、軽やかに泳ぎ抜けてきた者の余裕。二人の若者にはまだ理解できない、巡礼者の言葉だった。

 

「よろしければ覗いてみませんか? 今夜の巡礼(フェス)

 

 オレとマコトは顔を見合わせた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。