夜の高架下へ向かう道すがら、オレは胸の奥で期待と不安が入り混じるのを感じていた。
マコトのカゲロウの後を、レックスで追いかける。DDが教えてくれた場所は、市街地からかなり離れた工業区域の奥だった。昼間なら重機とトラックが行き交うが、夜には静寂に包まれる場所。
「本当にこんな所でフェスなんてやってるのか?」
疑問に思った頃、前方に明かりが見えた。
高架下の巨大な空間に、異様な光景が広がっていた。
箱型の大きな車両が鎮座し、その周りに人だかりができている。車両の側面が展開されて即席のステージになっており、巨大なスピーカーが積み上げられていた。ストロボライトが明滅し、薄いスモークが夜の空気に混じっている。
移動礼拝堂〈ベズウレヘム〉。
DDが言っていた名前を思い出す。これがあの神父の正体か。
「ここまで派手にやってたなんて……」
マコトも感嘆の声を上げている。バイクを停めて、二人でその光景を眺めた。
電動バイクに跨った走り屋たち、色とりどりの髪をした若者、作業着姿の技術者、闇市で見かけた年配の夫婦。
地下ライブハウスとは、なんか雰囲気が違う。
あそこでは「危険な雰囲気を楽しんでる俺たち」みたいな空気があったが、ここは違う。みんな、なんていうか……本気だ。
「原初にフロアの熱狂ありき」
声が響いた。ステージ上に、白と紫のビート法衣に身を包んだDDの姿があった。十字の反射材がストロボに照らされて輝いている。ネオン色のバイザーゴーグルの奥で、その瞳が群衆を見回している。
「神は『光あれ』と言われた。するとストロボがあった」
笑いと拍手が起こった。宗教的な荘厳さと、ふざけた軽やかさが同居している。不思議な空気だった。
「沈黙は支配、音は自由の旗。今宵も
DDの声に合わせて、観衆が手拍子を始める。単純なリズムだが、段々と会場全体が一つになっていく感覚があった。
「今宵は新たな巡礼者を招き入れましょう。ロゴスが真鍮の器を求めておられる」
DDがこちらを見て手を差し向けた。周りの視線がオレに集まる。
ロゴスってなんだ?
「行きなよ」
マコトが背中を押す。
観衆が道を開けて、オレをステージに導いた。足取りは重いが、断る理由もない。ハードケースを抱えてステージに上がる。
「今宵の聖歌はスカパンク・ナンバーから。電気子羊どもよ、踊るのです。鼓動を揃え刻むのです」
DDが軽く手を振る。〈ベズウレヘム〉の照明システムがオレだけを照らし、マイクスタンドが自動的に調整される。
トランペットを組み立て、マウスピースを唇に当てる。いつものウォーミングアップを軽く吹いてみると、音が〈ベズウレヘム〉の高出力PAシステムで増幅された。
その音質に息を呑む。DDが微調整するたび、音がさらに美しくなる。
ここでは何かが違う、そんな気がする。
DDが軽くミキサーを操作し、一曲目が流れ出す。本来はボーカル曲だが、インストアレンジされている。トランペットパートに入れということか。
イントロからAメロに入ると、客席からなにか聞こえてきた。
歌っている? 次第にその声が大きくなり始めた。
その時、ふと気づく。
いつのまにかDTMのボーカルパートが聞こえなくなっている。
そんなもの、必要ないからだ。
DDがやったのは、最初のきっかけを与えただけ。
マイクがないのによく通る声。合わせて歌う数人。コーラス部分での大合唱。
歌声は大きくなり続ける。よく聴けば歌詞がバラバラだ、一番と二番が混じってる。
でも、不思議と一体感があった。
何度もライブをやってきたつもりだったが、初めての感覚だった。
二番が終わり、ゆったりとしたブリッジ。会場の空気が一瞬静まる。
そして、最後にもう一度コーラス。オレもマイクを手に取っていた。
シンプルでわかりやすい、叫びの応酬。
続けて二曲目が流れ出す。今度はトランペットがメインの曲だ。慌てて流れに乗る。客席から掛け声が飛び、ビートに合わせて踊っている。
熱狂の匂いが、更に濃くなった。
三曲目。演奏を終えると、心からの拍手と歓声が響いた。
客席から何かが飛んできた。何かを包んだ紙切れ。くしゃくしゃになったスメラギのプロパガンダポスターを開くと、お札が入っていた。
「見事な祈りでした」
DDがステージの端で微笑んでいる。
「地下で演奏されておられたので?」
「ああ、それなりに」
「あそこは『用意された荒野』ですからな。今日は新鮮でしたでしょう」
用意された?
「地下も悪い場所ではありませんが」
DDが機材を片付けながら言う。
「あそこは、どうしても『お客様』になってしまう。演者すらもね」
言われてみれば、確かに地下では――
「なにこれ、REACHが勝手に……」
マコトの声が聞こえた。慌てている。カゲロウのエンジン音、少し大きくなった?
「では、お時間のようですな」
「青バイが三台、こっちに向かってる!」
マコトが振り向きざまに叫んだ。
観衆がざわめき始める。フェスの熱狂が、一転して緊張に変わった。
DDだけは落ち着いていた。むしろ、危険が迫ると笑顔が大きくなるようだった。
「電気子羊ども、散開の時間です」
DDが大きく手を広げる。〈ベズウレヘム〉の照明が一斉に明滅し、スモークが大量に噴出された。
「今宵はここまでと参りましょう」
瞬く間に、会場が濃いスモークに包まれた。ストロボが激しく点滅し、どこに何があるのか分からなくなる。
「マコト!」
オレは慌ててステージから飛び降り、マコトを探した。
甘い人工的な匂いのスモークが鼻を突き、咳き込む声があちこちで響く。バイクのモーター音、足音、叫び声が入り混じり、誰かの肩がぶつかってハードケースが手から滑りそうになった。群衆が蜘蛛の子を散らすように消えていく。
スモークの中で、カゲロウのエンジン音が響く。
「こっち!」
マコトの声の方向に向かう。レックスのそばで、彼女がヘルメットを被っているのが見えた。
「どうする?」
「別々のルートで行きましょ。峠で合流よ」
マコトが素早く判断する。
「峠って?」
「高架に沿って北に行けば、峠の麓にスタンド、ガソリンスタンドがあるから。道なりに行けば看板が立ってる、そこに隠れてて」
「分かった」
オレもヘルメットを被る。レックスのエンジンをかける。
「気をつけろよ」
「あんたの方こそ。初心者は安全第一よ」
マコトのカゲロウが一足先に駆け出していく。オレも反対方向に向かって走り出した。
振り返ると、スモークの向こう。青いライトが闇を切り裂く。夜空に鳴り響く2ストロークの咆哮を追い立てる、電気仕掛けの番犬たち。
フェスの魔法は終わった。また逃走の時間が始まる。
高架に沿って走る。ミラーに青バイは映っていない。マコトの音が、夜を切り裂いている。
今は一人だ。でも、今夜は独りじゃない。