敏腕ハンドラーである俺は勇者の扱いを心得てる   作:バショウ科バショウ属

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44号矯正室

 朦朧とする意識、鉄のように重い身体。

 薄く開いた瞼からは鉱石灯の青い光と寒々しい薄闇が見える。

 どうして地上世界(ソルム)は温もりに乏しいのだろう?

 天井世界(テクトゥム)にいた頃、陽を見たのは一度だけ。

 第6群島の中層に追いやられたエインズワース家の領地は、日照時間が極端に短かった。

 だから、いつまでも僕の肌は陶器みたいに白いままだ。

 お前は光の届かない掃き溜めの人間なのだと世界が突きつけてくるようだった。

 

 頭痛、そして耳鳴り――考えが上手く纏まらない。

 

 代用コーヒーとは名ばかりの劇物を頭から浴びせられた時の事を思い出す。

 いや、あの時とは痛みの質が違う。

 まったく危機感のないマスター(師匠)と東の連絡路で別れた後、僕は――

 

「おや、もうお目覚めですか」

 

 第三者、それも友好的ではない者の声。

 四肢に力を入れた瞬間、手首と足首に鈍い痛みが走る。

 椅子と身体を固定しているロープが、ぎちりと音を立てた。

 

「僕をエインズワース家の者と知っての蛮行か」

 

 反射的対応。

 物理的な脱出が無理となれば、交渉において最大のカードを切る。

 共和国派閥に属するフロス要塞では有効な手だ。

 僕の実力で勝ち取ったものじゃないけど、背に腹は代えられない。

 

「凋落のエインズワースに何が出来ると言うのですか?」

 

 そんな僕の抵抗を鼻で笑う声には、残念ながら聞き覚えがあった。

 ああ、最悪だ。

 このフロス要塞で幅を利かせている派閥の頭、僕が嫌うハンドラーの1人。

 薄汚れたコンクリート床から視線を上げ、見たくもない顔を睨みつける。

 

「やはり、君か……グレンビル」

 

 前髪を後ろに撫でつけ、眼鏡の奥に鋭い眼光を潜ませる男。

 頭から爪先まで防呪印を施した装いで固め、地上世界の外気に触れることを嫌う清浄至上主義者。

 この男こそグレンビル家の当主、カーティス・グレンビルだ。

 

「久しぶりですね、ハンナ・エインズワース」

 

 こっちは顔も見たくなかったよ。

 名前を呼ばれるだけで吐き気を催す嫌悪感が湧き上がってくる。

 

「こんな仕打ちを受ける覚えはないよ」

「おや、心当たりがないと?」

 

 グレンビルは大袈裟に両手を広げ、わざとらしく驚いてみせた。

 他人の神経を逆撫でするのが得意な男だ。

 掃き溜めにお似合いの人間性だよ。

 

「あるわけが――」

「アーチボルトの弟子」

 

 がたりと椅子が鳴る。

 勝ち誇ったように口角を上げるグレンビルから視線を外し、唇を強く噛む。

 やはり、狙いは僕ではなく彼(・)か。

 

「心当たりがあるでしょう?」

 

 ハンドラー・アーチボルト、僕のマスターはグレンビル家に敵視されている。

 フロス要塞防衛戦の功労者と称えるのではなく、自身の利権を脅かす敵として排除に動いたのだ。

 これまでにも似たような事件はあったけど、本当に救いようがない。

 

「僕は人質ってところかな」

 

 グレンビルは勇者を4人失ったところで戦いの場を自分の牙城に移した。

 フロス要塞のハンドラーである限り勝てない理由が、これだ。

 オーガスタ家当主のような最低限の礼節など持ち合わせていない。

 

「ええ、野良犬を躾けるための餌です」

 

 目的のためなら手段を選ばない。

 僕を見下ろすグレンビルの細い目は、屠殺される家畜でも見ているかのようだった。

 勇者どころか、ハンドラーすら人間と思っていない。

 

「彼を躾けるだって?」

 

 マスターと一度でも言葉を交えた者からは出てこない言葉だ。

 かつて天井世界を救った勇者を道具としてしか扱えなかったハンドラーに手懐けられるものか。

 僕が君の立場だったら確実に殺す相手だよ。

 

「あの野良犬は貴女をずいぶんと可愛がっているようでしたからね」

 

 鉱石灯の光を眼鏡が反射し、グレンビルの鋭い眼光が青の中に隠される。

 可愛がっている、ね。

 師弟関係を結んだ気でいるのは、きっと僕だけだ。

 

「番の鳴き声を耳にすれば、大人しくなるでしょう」

 

 下品な光沢を放つブーツがコンクリート床を擦り、赤黒い液体が筋を引く。

 この部屋で行われた行為の残滓か。

 

 いや、それよりも僕と彼が番って――そう見える?

 

 馬鹿か、僕は。

 この状況で考えることじゃないだろ。

 どうやら劇物の影響が抜けていないらしい。

 マルティナとタチアナの虚ろな眼差しを思い出せ。

 そして、足下から首元まで這い上がってくる死の恐怖を。

 

「グレンビル、君は思い違いをしている」

「ほう」

 

 よし、自分でも驚くくらい冷静な声が出せた。

 あの2人に比べれば、グレンビルの見せる暴力性なんて児戯だ。

 この男の思い通りになるつもりは毛頭ない。

 

「僕に人質としての価値はないよ。彼にとっては僕も木端というやつさ」

 

 ここで僕が殺されたとしても、マスターは顔色一つ変えない。

 ハンドラーとして三流以下の君を一笑するだけ。

 

 ――僕が廃棄勇者だったら来てくれるかな?

 

 冷めた思考の片隅で、彼を待ち望む自分がいる。

 厚い扉を蹴り破り、悪漢を打ち倒し、手を差し伸べてくれるのではないか。

 自信に満ちた笑みを浮かべ、仕方ねぇなと言って。

 ああ、うるさい。

 都合のいい雑音を意識の外に締め出す。

 

「人質になるとすれば、子飼いの勇者か、協力者のオーガスタくらいじゃないかな」

 

 前者は言わずもがな、竜の逆鱗だ。

 後者はマスターと子飼いの勇者にとっての生命線だ。

 

「まぁ、できればの話だけどね」

 

 微かに眉を顰めたグレンビルを見るに、どちらも失敗したらしい。

 そこで、手を出すはずがないと油断していたエインズワースの小娘を狙ったわけだ。

 この要塞が掃き溜めにある事を忘れていた自分に嫌気が差す。

 でも、人質として無価値と分かれば、僕に割く時間が無意味だと気付くだろう。

 

「はぁ……」

 

 眼鏡を指で押し上げたグレンビルは、やれやれと大袈裟に首を振った。

 

「貴女こそ思い違いをしていますよ」

 

 そして、空気の質が変わる。

 息苦しさを覚える粘ついた感触に。

 

「いいですか、ハンナ」

 

 僕の名前を気安く呼ばないでくれるかな?

 室内の温度は高くないはずなのに、背筋を嫌な汗が伝う。

 

「これは、ただの余興です」

 

 グレンビルが一歩踏み込めば、影が僕を飲み込む。

 

「野良犬1匹、いつでも駆除できるんですよ」

 

 足下に広がる寒々しい薄闇とは違う。

 それは大きく、深く、悍ましい。

 まるで地上を覆う天蓋のようだった。

 

「ずいぶんと高く買っているようですが……」

 

 触診する医官のように手袋の具合を何度も確かめるグレンビル。

 その顔は清浄至上主義者とは思えないほど、穢れに満ちていた。

 いつも権威を誇示するように連れている護衛がいない理由に、ようやく思い至る。

 

「そんなにあ(・)れ(・)が気に入りましたか?」

 

 目の前の男は、僕を獲物と認識していた。

 本能的に危険を察した身体が今すぐ逃げろと訴えてくる。

 でも、今の僕には眼前の男を睨みつけるしかできない。

 

「エインズワースの女とは浅ましいですね」

 

 伸ばされた手が無造作に、無遠慮に、僕の髪を触る。

 悍ましい感覚から逃れようと目を逸らしても、弄ばれる銀の髪が視界の端で揺れる。

 グレンビルの狙いは、彼ではなく僕だった。

 悪寒が止まらない。

 

「雑種の次は、野良犬の種を欲しがると――」

 

 悍ましい獣の言葉は、蹴り破られる扉の音に打ち消された。

 

「…は?」

 

 間の抜けた声が入口へと吸い込まれていく。

 そして、入れ替わるように軍靴の音が響き渡った。

 

 ――自分の目が信じられなかった。

 

 室内に踏み込んできた人影は僕よりも身長が低い。

 でも、彼は悪漢より遥かに大きく見えた。

 

「な、なっ」

 

 慌てて振り返ったグレンビルの足音が無様なテンポを刻む。

 

「なぜ、ここにいる…!」

 

 血の臭いを伴って足音が迷いなく進んでくる。

 鉱石灯の冷たい光に照らされる黒は、今は亡き王国軍の士官服。

 軍帽の下から覗く笑みは、実力に裏打ちされた自信の証。

 

「ハンドラー・アーチボルト!」

 

 大声で名前を呼ばれた僕のマスターは、いつものように傲慢不遜な台詞を吐く。

 

「呼ばれる前に来てやったぜ、木端」

 

 ああ、来てくれた。

 来るはずがないって諦めたふりをしても、胸の高鳴りを抑えることができない。

 彼と目を合わせただけで全身の強張りが解けていく。

 僕は、ずいぶんと単純な人間らしかった。

 

「マイルズは何をやっている!?」

「寝かせてやれよ。死ぬほど疲れてたみてぇだからな」

 

 マスターが左手だけで指し示した先、入口の床面に誰かの脚が見えた。

 おそらく、人間の荷重限界まで装甲化したグレンビル家の重装護衛だ。

 痙攣しているところを見るに、手荒い寝(・)か(・)し(・)つ(・)け(・)だったらしい。

 

「役立たずめ…!」

 

 悪態を吐くグレンビルが腰に右手を伸ばす。

 清浄至上主義者の装いに隠された黒い暴力が顔を覗かせる。

 専ら私刑に使われてきたグレンビル家の回転式拳銃――

 

「死ねっ野良犬!」

 

 闇を払うようにコートが翻され、1発の銃声が響き渡る。

 薄闇を切り裂く白い閃光。

 ぱっと頬に散った熱量は、ひどく鉄臭い。

 

 ――決着は一瞬だった。

 

 下品な装飾を施された回転式拳銃が床で鈍い音を立てる。

 

「ぐぁぁぁっ…貴様、よくも、よくもっ」

 

 そこへグレンビルが倒れ込み、苦悶に満ちた声を漏らす。

 必死に押さえる右肩からは止めどなく血が流れ、薄汚れた床面を清めていく。

 いい気味だ。

 

「当主様なら喚くんじゃねぇよ」

 

 いつの間にかマスターの右手には無骨な四連装拳銃が握られていた。

 白い硝煙を燻らせる銃口は、グレンビル家当主の額を狙ったまま微動だにしない。

 

「この私がっ…野良犬ごときに!」

 

 眼鏡の奥で憎悪の炎を燃やしながら喚き続けるグレンビル。

 この状況でも相手を見下した態度を改めるつもりはないらしい。

 大したものだと思わず感心してしまう。

 

「分かっているのか、アーチボルト!」

「ああ?」

 

 下品な回転式拳銃を部屋の隅に蹴り飛ばされ、反撃の術を失ったグレンビルが吠える。

 そう、ここからが問題だ。

 当主を殺したとしてもグレンビル家が消滅するわけじゃない。

 あらゆる手段を用いて報復に出るのは想像に難くない。

 

「私を、このカーティス・グレンビルを殺せば、共和国が動くぞ!」

 

 それこそ共和国派閥のフロス要塞において最も強力なカードを切ってでも。

 でも、敏腕ハンドラーを自称するマスターなら鼻で笑い飛ばしてしまいそうだ。

 どんな状況でも不敵に笑いながら切り抜ける、そういう人だ。

 

「レジサイドが?」

 

 別人かと思うほど、感情の希薄な声が響く。

 一瞬、理解が追いつかなかった。

 

 天井世界では聞くことのない――否、話すことを許されない蔑称。

 

 レジサイド(王族殺し)とは、王制を解体した共和国人に対する最大限の蔑称だ。

 でも、マスターが、アーチボルトが言うがない。

 

「ああ、そうだ!」

 

 それを口にするような生粋の元王国軍人は1人残らず処刑されたからだ。

 今、生き残っている者は共和国に協力した英雄として――

 

「共和国を脅かす危険因子として、今度こそ抹殺される!」

 

 どうしてアーチボルトは地上世界にいるんだ?

 

「王国の勇者殺――」

 

 グレンビルの口を噤ませる金属音がコンクリート床の上で躍った。

 僕の足元まで転がってきた空薬莢が青い光を反射する。

 息の詰まるような静寂。

 

「やっぱり期待外れだな、お前」

 

 口元に軽薄な笑みを浮かべる彼の声は、ぞっとするほど温度を感じなかった。

 空薬莢を吐き出した四連装拳銃に新たな弾丸が装填されていく。

 その動きは機械のように正確で、無駄がない。

 

「なんだと…?」

 

 かちり、と最後の1発が填め込まれる音が響いた。

 音もなく銃口が上がり、引金に指が置かれる。

 

「野良犬に噛まれたくらいで連中が動くかよ」

 

 地上世界の薄闇でも存在感を放っていた黒が、室内に滞留する闇と同化する。

 

「まっ――」

 

 軽々しい銃声。

 鼻を刺す血と硝煙の臭い。

 コンクリート床を広がっていく赤黒い絨毯、そこへ沈み込む人影。

 フロス要塞の権力者、グレンビル家当主は野良犬に噛まれて呆気なく死んだ。

 

「無事か?」

 

 死体を爪先で小突いてから、歩み寄ってくるマスター。

 厨房に立っている後ろ姿からは想像もつかないほど、彼は慣(・)れ(・)て(・)い(・)た(・)。

 元軍人なのだと嫌でも認識させられる。

 

「動くなよ」

 

 飾り気のないナイフを腰から抜き、僕と椅子を縛るロープを手早く切断する。

 

「あ……うん」

 

 ようやく口から出てきたのは、意味のない音だった。

 感謝すべきなのに必要な言葉が出てこない。

 目の前に立つ男がいなければ、きっと闇の中で一生を終えていた。

 落ちぶれたエインズワース家の小娘を救うために、グレンビル家に乗り込もうと考える人間はいない。

 

 二度目だ――アーチボルトが僕を闇から救ってくれたのは。

 

 でも、胸を締め付けるような不安が消えない。

 太陽のように眩しい光が、一瞬でも目を離したら闇に溶けてしまいそうで。

 誰の手にも負えなかった廃棄勇者を手懐け、保安隊すら怖気づくグレンビル家に真正面から挑む元王国軍人。

 ハンドラー・アーチボルトとは、一体何者なんだ?

 

「おい」

 

 手首に残るロープの痕を確かめながら思索に耽っていると、不意にマスターが顔を覗き込んできた。

 肉食獣のように鋭く、真っすぐな瞳に吸い込まれそうになる。

 近い、近いよ。

 

「せっかくの可愛い面が台無しじゃねぇか」

「かわっ…!?」

 

 完全に奇襲だった。

 どうして、軽々しく、そういうことを口にするんだ!

 普段は安っぽい悪人を演じているけど、油断したところに一言差し込んでくる。

 これで下心なんて欠片もないのだから手に負えない。

 いつかマルティナか、タチアナに食われるぞ、この軍人崩れ!

 

「ほらよ」

 

 ナイフを鞘に戻したマスターは、代わりにハンカチーフを頬に押し当ててくる。

 すると、白い布地に赤が滲み、少しずつ広がっていく。

 

 ああ、グレンビルの血――それを見たマスターが安堵の息を小さく漏らす。

 

 跳弾によって僕が負傷していないか、心配していた?

 荒れ狂っていた感情の置き場に迷って、ハンカチーフを乱雑にもぎ取る。

 

「…ありがとう」

「おう」

 

 可愛げのない感謝を口にしても、こういう時は茶化した応答をしないのがマスターだった。

 まったく、この人は。

 いつも意識して、空回りするのは僕だけ。

 不公平じゃないか。

 

「とっととお暇するぞ。立てるか?」

「もちろん」

 

 差し伸べられた手を挑むように掴むと、マスターは上等と笑って引き上げてくれた。

 この力強さに安心感を覚える。

 地上世界の闇ごときで消し去れる光なものか。

 血臭に満ちた室内から出て、点々と鉱石灯の光が続く廊下を見渡す。

 

「マスター」

「なんだよ?」

 

 薄暗い廊下を迷わず進むマスターは、僕に呼ばれても振り返らない。

 足を止めたら確実に置いて行かれるだろう。

 でも、今日はマスターになった覚えはねぇって怒らないんだね。

 

「貴方は、何者なんだ?」

 

 小走りで駆け寄り、わずかに背の低いマスターに問う。

 僕はアーチボルトの事を何も知らない。

 これまでの道程も、好物も、出身群島も、誕生日も、本名すらも。

 

「はぁ…今まで俺の何を見てやがったんだ?」

 

 わざとらしい溜息を1つ。

 それから傲慢不遜な笑みを作り出し、マスターは堂々と言い放つ。

 

「どこからどう見ても敏腕ハンドラーだろうが」

 

 それしか知らないんだよ、僕は。

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