物心ついた時から頭の病気だった。
別に腫瘍がどうだのというような物理的な意味で脳に異常があるわけではない。かといっていわゆる発達障害のようなものでもない。いや、分類としては発達障害で正しいのだろうが、何せ症状に前例がないせいでかかりつけ共々扱いに困り果てた。
あらゆる物に「違和感」を覚えるのだ。「ここはこうだったはずだ」「あそこはこんな場所ではなかったはずだ」と、既視感とも未視感ともつかない認識と現実のズレが不定期かつ頻繁にやって来る。
お陰であらゆる物が楽しめた試しがない。何かに熱中した時に限って冷や水を頭からぶちまけられたように違和感が襲ってくるものだから、何事にも打ち込めない。反対に認識と現実を合致させようとして「ここでこんな出来事があるはずだ」という訳のわからない確信と共に遠出してみたりと、我ながら亡くなるその寸前まで両親に迷惑を掛けっぱなしである。
違和感まみれの世界。あれも違う、これも違う、そのはずなのに現実ではそっちの方が正解。そんな様だから捻くれて、見事不良の仲間入りをした。
幸い頭の出来自体は悪くなかったから、学校なんてクソだと喚く連中を説き伏せて――――時には物理的に床を舐めさせて――――勉強させて居心地のいい場所に仕立て上げるのも大して苦労しなかった。
とはいえ学校なんてのは所詮時間制限つき。中学3年間を超え、奇跡的に高校へと入り、さてこれからどうするかとネジの狂った頭を抱えて悩んでいた折、俺は中央トレセン学園のトレーナーというものを目指すことになった。
理由なんてそう難しいものでもない。
不良と頻繁につるむ割に校内での素行はさほど悪くなく、むしろ不良共をまとめ上げて良いストッパーになっている。成績も良く提出物も恙無い。人格面はやや不安はあれど及第点。他にも諸々不安要素はあるが資格を取るにはまぁ足りているだろうという恩師からの直々の推薦だった。
やりたい事もなく、進路に悩み始める頃には頭を蝕む違和感との付き合いも
結果は……まぁお分かりだろう。普通に落ちた。恩師の手前阿呆な真似もできんと本気で挑んだが、学はともかく人格面がやはり駄目だったらしい。というかそもそも中央トレーナー資格というもの自体本来は専門学校に通うなりして挑むようなものだ。それを中卒ギリギリの不良に勧めたあたり、恩師は俺の頭の出来に相当な自信があったらしい。
とりあえず真っ先に恩師に頭を下げに行った。色々と悪い噂の立ちやすかった俺をずっと庇って味方をしてくれた人だ。恥をかかせまいとしたが結局駄目だった、脳足りんな馬鹿ですまなかったと、そう言ったが……
『それでもお前を信じるさ。お前は誰かの救いになれる、それが偶々今じゃなかったってだけだ』
……多分一生頭が上がらないんだろうな、と。そう思わされて、打ちのめされるに留まった。
ちなみに連んでた不良共は皆一発で試験を突破、中学からの親友は高卒で新人トレーナーとなり各方面に就職するか進学した。おのれ裏切りモン共め、スポンジみたいな頭してた癖に。
◇
恩師に頭を下げた日から数ヶ月。燃え尽きたように何もやる気が起きず、その日もふらふらと街を歩き回っていた。
夢というものを持ったことがない。理想というものを抱いたことがない。全てが違和感に塗れて純粋に想えない楽しめない。故に初めて夢を抱き、理想を胸に挑んだ絶壁から滑り落ちてスタミナ切れを起こしたらしい。
本を読めば訳の分からない第六感に半端なネタバレを喰らう。傷心旅行をすれば事故の予知夢に邪魔をされる。勉強をしても異世界の知識に妨害を受ける。資格試験勉強中は無視できた違和感がより性悪になって襲ってくる。
違和感、違和感、違和感、違和感、違和感。何もかもが現実とすれ違って噛み合わず、何にも熱中できない日々が再び始まった。
世界はブレて重なり、声は無茶苦茶に加工されたように響いてくる。酷い時は万華鏡の中に閉じ込められたようになる。
――――ふと、連んでいた連中を思い出す。
違和感。
不良とはあんなによく話を聞く連中だっただろうか?
違和感。
学校を抜け出し非行に走るような輩が自称不良の話なんて穏やかに聞くか?
違和感。
いいやそもそも、この世界は異常に対して寛容すぎないか?
違和感。
世界はもっと窮屈で、醜いはずじゃないのか?
違和感。
人間は異物を排除したがるはずなのに。
違和感。違和感。違和感。
世界に馴染めない。自分だけどこか鏡の向こう側の常識を引っ提げている気分になる。
妄想ならどれほど良かったか。思考が妨害され、五感が狂う実害が出ている以上は単なる拗らせた中二病で片付けることができない。現実が大人になる程大きく重くのし掛かって来る。事あるごとに集中を削がれて注意力が散漫になるような人間なんてどこも欲しがらないのが道理だろう。まともな食い扶持を稼げるかも分からない。
じゃあどうやってこれを解消すればいい? 薬は効かない、カウンセリングは無意味。まさか頭を割って脳でも弄るか? 何の異常もない、薬すらいらないと言われているのにそんなことしてどうしろと。
渦を巻いてうねるような思考は留まるところを知らない。答えの出ない堂々巡りにだんだん苛立ちが重なって余計に不安定になる。
こういう時に何かを考えるのが一番駄目だと経験則で知っているから、一番頭を空っぽにできる場所へ足を運んだ。
「ホンットなんもねぇな、此処は」
そこは、いわゆる運動公園のような場所。
コンクリートの段差に打ち込まれた座り心地の悪い座椅子、管理はされているのだろうが伸び放題の大木、そして(個人的に)反発が強くて感触の好かないウッドチップのレーン。設備的にもやや不足気味で、誰一人寄り付かない寂れた場所。唯一良い点としては高い建物からやや遠く枝葉に囲まれるので、夜になると星空がとても映えるという事くらいか。
昔から、嫌なことがあると独りになるために此処に来ていた。後見人の爺さんの私有地なのだが、何やらワケありでこうして運動場として整備されて公に解放されている。その爺さんが頻繁に此処を訪れる俺の様子を気に入ったことで、綺麗に掃除して朝晩に鍵さえ開け閉めしてくれるなら何をしてもいいと言われ、ほとんど公認で俺の縄張りと化している場所だった。
平日の真昼間という事もあって、普段なら特等席としてだだっ広い場所を独り占めできる……のだが。今日に限っては事情が違った。
「……珍し、誰か走ってんのか」
特徴的な耳と尻尾でそこにウマ娘が居るのは分かった。ただ、やけに遅い気がする。
遅いが、手を抜いているわけではなさそうだ。人相は良く見えないが
ウマ娘というのは耳が良いらしいが、それでも
なので、とりあえず自分の存在をアピールしておくことにした。
「おーい、そこの嬢ちゃん!」
「……え? あ、私ですかぁ!?」
「そうそう、つーかアンタしかいないだろ、ココ」
立ち止まって駆け寄ってくるウマ娘へ近づいていく。観客席が一段高くなっているから自然と見下ろす体勢になり、わざわざレーンへ降りるのも面倒なのでそこにしゃがみ込んだ。光を反射する銀髪――――芦毛に、夕暮れのような鈍色の瞳の少女。赤と白の特徴的なジャージで所属は丸わかり。垂れた目尻といい仕草といい、あまり覇気というモノを感じない手合いだった。
「お前さん、中央の生徒だろ? 学校の練習場はどうしたよ?」
「あぁー……ちょっと全面改修というか整備が入っちゃってまして。本当はお休みでも良いんですけど……」
「けど?」
「その、私トロくて……なのでその分ちょっと頑張らないとなーってなってですね。それで探してたら近くに
「なるほど? ……一応聞くが、ココのこと誰かに聞いたか? だだっ広いわりに誰も寄り付かねぇし気づきもしねぇから、俺の特等席だったワケなんだけど」
「いえ? ロードワークしてたら、本当にたまたま目に入って……」
「たまたま、ねぇ」
違和感が神経を逆撫でる。
――――不安、不満。眼前の分岐路の片方を照らす誰かを見ながら、同時に暗闇の方へランタンを手に歩こうとし、その両方に躊躇している。緩い走りは未練の裏返し、無自覚の希求。断ち切れないまま足元の良く燃えそうな枯葉の山を踏みつけて、手をこまねいている。決めなきゃいけない、先は見据えている。なのにどうしても足を動かせない。
怖い、後悔したくない、照らされた分岐の人々が持つ松明の熱量を見て、手に持つランタンを見下ろして、その光の拙さに瞳は陰る。
「……の、あの!」
「――――ぁ、っと……悪ィ、ボーっとしてた」
気を抜くとすぐこれだ。制御不能、原理不明。コントロールもできない癖に正確性だけは一丁前のクソ体質。ありもしない違和感を見据えるだけにとどまらず、直視した人間の抱える違和感すら暴き立てる不躾で無遠慮な目と脳ミソがいやになる。
自己嫌悪も良いが、誰かに見せるもんじゃないとすぐさま意識を切り替える。
いつものルーティン。溜め息を吐いて、3,2,1。ほら、元通り。
「いや悪いな嬢ちゃん。ここんとこ寝不足でよ。将来の夢もねぇのに社会に放り出されそうで頭抱えてたんだわ」
「うわ~、大変ですねぇ……あれ? ということは……」
「察しが良いな。17歳の未成年。今年の春卒業のギリ高校生だよ」
「私は……一応、中央の中等部です。ジャージでわかっちゃいましたかね」
「まぁな。ここいらでその赤白ジャージっつったら1つしかねぇし。服に着られてる感っつーの? やけにブカブカなのも、将来見越してワンサイズデケェの買っちまったとかそんなとこだろ」
「すご、正解です。観察力すごいですね」
軽薄な感じを装えば向こうもノッてきた。警戒していない訳ではないが、ある程度気は許してくれたらしい。
なんとなく話すのも楽しくなってきて、そのまま腰を下ろして言葉を紡ぐ。
「色々見てりゃ分かるっつの。……此処誰も居ねぇだろ? 曰く付きだか何だか知らねぇが、誰も寄り付かない私有地なんだわ。いつもは管理頼まれてる俺が独り占めしてるワケ」
「い、曰く……というか私有地って、もしかして使ったの不味かったり……?」
「いや? 綺麗に使ってくれるんならどんだけ使ってもいいって言質握ってるし、別に構いやしねぇだろ。本題は、お前がどうやってココ見つけたのかって話」
「どうやって、って……本当に、たまたま、ふつーに見つけただけなんですけど……」
「そう、ソレだよ」
何度か連んでいた不良共を使って実験したことがあるが、この運動場は
そもそも認識されないから都市伝説に数えられることも無く、都会のど真ん中に有るにもかかわらず無視される。ほとんど超常現象そのものな場所だ。故に、見つけた時点で普通などでは断じてない。
「何か心当たりとか無いか? 生憎、前例の方は警戒心丸出しで何一つ口を開きやしなくてな。俺としても幽霊屋敷ならぬ幽霊運動場なんて管理したかねぇし、ここらで原因の一つ明かしてやりたいとこなんだわ」
「うーん……そう言われても、ですね……本当に何も無いし、ふつーにロードワークしてたら見つけただけですし……」
「となるといよいよ袋小路か。そのうちココに食われるかもな。オレ」
「うぇえ、止めてくださいよ~。怖くなってトレーニングに身が入らないじゃないですかぁ」
癒されるというか、変な安心感がある子だ。わざわざ外出してまでトレーニングに励んでいた割に鬼気迫るものが無いというか。
ウマ娘という関連性だけで掘り返した記憶の中に居たどこぞの
違和感が浮き彫りにした心境に触れるかどうか一瞬迷い、そんな無遠慮な真似はするべきじゃないと思い直す。
第一、そういう方向で世話を焼くために声を掛けたわけでもない。
「つーことで、だ。此処はマジで中から助け呼んでも誰も来ねぇ可能性高ぇんだわ。悪ぃけど終わるまでここで見張らせてくれや」
「うーん、一人で練習できる方が良かったんですけど……まぁ、良いかな? お兄さん良い人そうだし」
「どこからその確信湧くんだよ……まぁ良いけどよ。俺この辺で昼寝してっから、帰るときは声かけてくれ」
「はーい。じゃあ引き続き使わせてもらいます~」
言うだけ言って、木陰になっている席に寝転ぶ。硬いし寝心地も最悪に近いが、寝れないことは無い。なによりこのまま起きていると思考が鬱屈としたものへ偏っていきそうだから、雑談で気分が良くなっているうちに目を閉じた。
これが今から2、3年ほど前の話。
これから始まるのは芦毛の少女こと「ヒシミラクル」が高等部に入ってからの物語だ。
ミラ子……いいよね……
あ、タグは今後増えます。悪いなミラ子、この作品ボーイミーツガールなんだわ。