ミラ子の出番が最後の最後ですがご容赦を。次からウマ娘いっぱい出てきます。
――――気が付けば、目の前の金持ちに平手打ちを喰らわせていた。
原因といえるものはいろいろ思いつく。金持ちの会合というモノがそもそも肌に合って無かった。友人がひたすら笑われてイライラしていた。その日に限って例の「違和感」が悪化して朝から何にも集中できなかった。
だが、原因が何であれ結果は結果だ。やっちまった以上半端で終わる方が駄目だと知っているから突っ切った。
「あぁ悪ィ。さっきからコバエがブンブンブンブンうるせぇもんだからよ、手が滑っちまった」
呆然としているヒゲの糞親父を真っ向睨みながら、一生分の怒りという怒りをかき集めて言葉を選ぶ。さっきから苛ついてたんだよこの野郎。人の知り合いに恥だの出来損ないだの負け犬だの言いたい放題しやがって、言葉だろうが拳だろうが殴ったら殴り返されるなんて当たり前のこと、まさか忘れていたか?
「テメェが何処の誰だの何のお偉いサマだの関係ねぇよ。目の前でダチが虚仮にされたら手か手札の1発や2発出るだろ?
賠償だの代償だの勝手に言えば良い。だが忘れるなよ、お前みたいに利口な損得勘定じゃ動けねぇ、目の前の事に納得するかどうかでしか動けねぇ頭のおかしいクソガキだってこの世には居るんだぞ。
「ダチがやけに鬱くせぇ顔して付いてきてくれっつうから何かと思えばコレか? 寄って集ってガキ一人苛めるためにパーティーかよ。クソ下らねぇ――――帰んぞ」
礼儀だの何だのはもうどうでも良くなっていた。いつまでも隣で沈んだ顔してる奴が気に食わなくて、それ以上に「違和感」で視界も聴覚もぐちゃぐちゃになっていたから心身の限界が割と近くて、無理矢理手を引いてパーティの会場を後にした。
――――ノイズまみれで腹立つ面したガキの紅い目だけが、やけに記憶に残っている。
「……嫌ぁ~~~~~~なもん思い出した…………」
朝起きて頭を抱えたのが「違和感」じゃない日なんてあったんだな、と思ってしまうくらいにはひどい過去を夢に見てしまった。個人的に人生で1,2を争う黒歴史だ。一生時間の地層に埋めておきたかった。
今思い出しても本当に“ナイ”。駄目な点を挙げればキリが無いが、何よりまず物理的に手を出したのが一番駄目だろう。思春期だからってやって良いだの悪いだのというラインを飛び越えている。何してんだマジで。中二病かよ。中二だったよ当時。
仕方がないと意識を切り替える。幸いにして今日は「違和感」の薄い日らしく幻覚も幻聴もあまり無い。これで朝日を浴びる幸せまで邪魔されたらどうしていいか分からなくなる。
眠い目を擦りながらキッチンに立ち、取り出すのはベーコンとバナナと薄切りの食パン。
ベーコンはカリカリになるまで焼いて塩コショウを軽く振り、バナナは斜めに切ってベーコンの油で火を通す。それらをトーストした食パンに乗せてチョコソースを軽く掛ける。美味く仕上げるコツは気持ち薄めの味付けにすること。
「やっぱ、朝はこれだわ」
塩と油と糖。この世の何より心を満たす三重奏。熱したバナナは意外にも甘さは控えめで、ベーコンの塩気をよく引き立ててくれる。両親が亡くなる前はよく強請って作ってもらった思い出の味。今となっては常食しているのがちょっと申し訳なくなると同時、大人になってしまったと思う。
父と母はもうこの世のどこにもいない。結婚記念日の旅行の最中に事故で即死した。
その日は「違和感」が酷くて、朝から体調を崩していて――――「違和感」が示す事故現場が、両親の向かった場所だなんて終ぞ気付かなかった。
後見人こと運動場の地主の爺さんに拾ってもらっていなかったら、今頃まともな生活をしていたかも怪しい。そこんところは感謝してもし足りない。学校の恩師と並んで二大恩人だ。
「……あ、そうだ。爺さんに呼ばれてたの今日じゃん」
カレンダーを見て思い出す。何やら大事な用があるとかで爺さんに呼び出しを受けていたのだ。
せっかくのバナナベーコントーストだが、それで時間に遅れるわけにもいかない。とっとと胃袋に収め、景気づけに牛乳を流し込んで家を出る。
芦毛の少女ヒシミラクルことミラ子との出会いから1年弱。「違和感」の妨害に屈して進学にも就活にも敗北を喫した俺は、無事フリーター生活を満喫していた。
「月に20万出そう。儂の代わりにあそこを本格的に管理してくれんか?」
「やりまァす!!」
自分でもどうかと思うぐらい見事な一本釣り。仕方ないだろ、今無職なんだよ。
中央トレーナーを目指していたころが例外だったらしく、その後の進学も就職も「違和感」のせいで気が狂いそうな幻覚と幻聴に悩まされて大敗したのだ。人ごみの騒音を大音量で、かつ寝ても覚めても四六時中頭の中に響かせられるようなものだからたまったものじゃない。今日のように「違和感」が薄い日はあるが、1年の6,7割ほどは酷い調子なのでアルバイトすらまともにできない社会不適合者だ。
というか、ライセンス資格に落ちた辺りから「違和感」が明らかに悪化している。本格的に日常生活に支障が出ているのに対処法が無いので、この爺さんから金をもらえなくなった時が俺の最期だ。どうか優しく殺して欲しい。
「……で、だけど。思いっきり返事しちまったとこ悪いんだけどさ、詳しく聞かせてくれよ」
「食いついてそのまま釣り上げられるほど緩くもなかったか、小賢しい」
「どうせ水揚げされるなら納得してからがいいんでね。実際、条件良すぎる上に藪蛇すぎんだろ。何があったよ」
調子を戻して聞き返せば、爺さんは押し黙ってしまう。基本罵倒と返答がセットみたいな人だからこういう反応は珍しい。
喋らないなら待つだけだと出された紅茶を飲み、茶菓子をパクつく。しばらくして大きな置時計が時間を知らせた頃、ようやく口を開く。
「……お前さん、虫の報せやお告げの類は信じるか?」
「おう。何だったら生まれてこの方苦しめられ続けてるしな」
「『お前に明け渡せ』と。そう言われたのだ。それもウマ娘用に整備した上でな」
「そいつはまた」
……が、それはそれ。この爺さんがそんな確証もないモノに屈するほど脆いとも思えない。いつもの調子だったら鼻で笑って無視していたはずだろう。
「……で? そのクソふざけたお告げに沿って俺に仕事って名目であの幽霊運動場渡すってか? アンタそんなに素直な人だっけ?」
「いちいち煽らんと話せんのかクソガキ。
「……チッ、20万っつったな、金の出どころは?」
「中央だ。今朝になって急に支援を申し出てきた。管理人がいるなら月給まで出すとな。ついでに示し合わせたように金持ち連中もコナを掛けてきおった。そっちは土地を買い取ると言うだけのつまらん話だったがな」
「へぇ。中央以外だとどんなのがいるんだ?」
「“力”が筆頭。後は木端連中が幾らか…後者は儂が蹴ったがな。特に“力”はやけに執心しておったわ、欲しい額を言えなどほざきよる」
「マジのガチな奴に狙われてんじゃん。爺さん何したんだよ」
「さぁな。逆恨みだろうよ」
飛び出してきたビッグネームにドン引きした。この爺さん、自分が訳の分からない大金持ちなのを差し置いて他の名家に恨みでもあるのか意地でも名前で呼ぼうとしない。とはいえキーワードでどこの誰かを察する程度は長い付き合いがあれば出来ることで、蹴った理由もまた然り。
「何だ、金さえありゃ言うこと聞く耄碌爺とでも思われてキレたか?」
「阿呆。どいつもこいつも目当てはあんな痩せ地ではない。お前だ」
「……」
「かつて居たもんだ、名家が大勢揃う会場に飛び入りで行きたいと言い出し、またぞろ珍しい何をするのかと思えば赤の他人に平手を喰らわせ蜻蛉返りした巫山戯たガキがな」
「…………」
「『違和感がある』が口癖でなぁ……ウマ娘を見るや否や機嫌を悪くするわ、口を開けば罵倒と皮肉……あぁ場違いなんてものではない、あれでは宴会に迷い込んだ痩せぎすの野良犬……」
「だぁーーーーー分かった! よぉーーく分かったからその語り口調やめろマジで!! 俺のせいです人生の汚点ですマジですいませんでした見放さず養ってくれてるの感謝してます!!」
「分かっとるなら良い」
例の黒歴史に関しては冗談抜きで爺さんと俺の共通の人生の汚点なので本当に頭が上がらない。沽券にかかわるのだからあのまま勘当されたって文句は言えなかった。それを小言の1つもなく養ってくれたのだから、学校の恩師同様本気で頭が上がらない。
「どうにもあれ以来、お前に目を付けた
「やっぱそれも俺の頭のコレか」
「おうとも。万物万象、
爺さんは俺の「違和感」のことを知っている。中央トレーナーを目指していたことも、その夢が折れた後から「違和感」が悪化したことも当然周知の事実。例の平手打ち事件は俺と爺さんにとって汚点だが、他にとっては金の卵を産みうるガチョウだったらしい。それが透けて見えるから気に食わず、爺さんの罵倒と皮肉は勢いを増す。
……そろそろ本当に言い訳ができなくなってきた。ほぼ俺のせいだ。なんで養って貰えてるんだろう俺。
閑話休題。口は悪いし手が出ないだけで割と喧嘩っ早いし偏屈だが、何だかんだと身内には甘い人だ。多分だが俺の幸せだの何だのをチラつかされて、柄にもなく揺れてしまったのだろう。
「中央めには渡してやっても構わんが……よりにもよってお前が居ることを把握している節があることが信用ならん」
「補欠合格の代わりに首輪付けたいんじゃねぇの? 噂なんて学生経由で幾らでも入ってくんだろ」
「ならば何とでも方便を使ってお前を囲えばいい。あそこを欲しがるついでというのが納得いかん」
「また始まったよ」
この爺さん、納得のいかないことには難癖付けて頑として頷かない。身内に甘いとは言ったが、その身内に当たるのが今は一人しかいないせいか俺が関わった瞬間からガードが鉄壁の鎖国状態になる。面と口調からは想像しにくいがこれでいてかなり親バカの気がある。
そこまで考えて、幽霊運動場の景色が浮かんだ時にふと
いつも見ていたあの景色に、誰かが映り込む。『そこはお前の場所じゃない』とふくれっ面をしている誰か。
「……なぁ、もしかしてなんだけど」
「何だ。まさかまたぞろ視えたか」
「いや、まぁその、何だ。間違ってたら鼻で笑ってくれていいんだがよ」
「お前の存在以上の笑い話などこの世にないわ。言ってみろ」
酷い言い草だがまったくもって反論できないのでスルー。感じた違和感、ミラ子以来の不快感を覚えない幻視を根拠に答え合わせを挑む。
「あそこ、アンタの思い出の場所だったりする? 初恋の人に会った、的な……」
「――――不躾だな、お前の目は」
「やっぱりか……」
俺の件はともかくとして、そりゃ色々言ってでも渡したくないよな、とソファに体重を預ける。爺さんがトレーナーだったという話は聞かないが……
「片思いだ。彼女は……レースどころか入学すらする前に、病でこの世を去った」
「……悪ィ」
「悪いのはお前の目だ。お前が見たくて見たわけではなかろう」
「そういう問題か?」
「そういうことにしておけ。……あの場所だけは、儂は誰にも盗られたくなかったのだ。盗られる前に自ら姿を隠し始めた時は仰天したがな」
「……」
……本音を言えば断ってしまいたい。爺さんの思い出の場所を無心するほど俺は屑になりきれない。
だが、現実的な問題として金がない。爺さんから恵まれる小遣いで衣食住を揃えて生きている身で、おまけにまともに働けない体だ。何より爺さんもいい歳だ、明日明後日にぽっくり逝ってしまったっておかしくないくらいには老いている。
気味悪いことだらけで気に入らないが、死に掛けの爺の脛を齧って満足していられるほど不真面目な性根もしていない。なら、採るべき選択は一つだろう。
「良いぜ、受けるよその仕事。どうせまともな仕事の出来ねぇ頭だしな」
「……悪いな。ただでさえ振り回されとるというのに」
「しょげんなって。らしくねぇぞ偏屈爺さん。何だったらアンタの墓あそこに作ってやろうか?」
「人が心配すればすぐそれかこのクソガキ。だが、まぁ……良いやもしれんな」
「マジで言ってんのかこの悪趣味ジジイ」
話によれば整備に掛かる時間は1か月。随分な突貫具合に思えるが、それで十分らしい。
1か月後、俺は小さな運動場の主になって、おまけとばかりに作られた居住スペースで住込みで働くことになった。
そして、更にその1か月後――――爺さんが、息を引き取った。
死因は老衰。自分の寝室で、眠るように逝ったという。
遺書には遺産の大半を換金して俺の下に寄越すようあったらしい。
何も恩を返せないうちに、大恩人の片割れは手の届かない場所へ行ってしまった。
◇
「――――ってのがだいたい半年前な? んで今俺ここの持ち主なワケ」
「びっっっっっくりするくらい超絶ド重い話されてどうすればいいか分かんないんですけど……!!」
現在、俺こと
結果、ドン引きされた。当たり前といえば当たり前である。俺は現役女子中学生にいったい何をぶちまけてるんだろうな?
「まぁ父さんと母さんの件はもう踏ん切り付いてるし、爺さんだっていつ死んでもおかしくねぇと覚悟はできてた。字面よかダメージは少ねぇよ」
「で、でも……だって、
「————」
予想外な返しが来たせいで一瞬呆気にとられてしまった。触れないと思っていた場所に急に触れられたような、そんな
「……慣れたよ」
不快感は無かった。違和感は感じているのに不愉快ではないというのはやはり珍しいから、何となくミラ子のことが眩しく思えて視線を上げた。
天気は快晴、気温はやや高いが風は涼しく、芝の地面に棒立ちしていてもしんどくない。心地のいい日だ。
そんな日なのに目の前の女の子曇らせてたら、またぞろあの偏屈爺さんが嫌味言って来そうだな、なんて思ったから話題を変えた。
「つうかお前、どんだけ外練してんだよ? 学校はどうした学校は」
「今日はお休みです〜。いっつもこんなとこ引き篭ってるから時間感覚ズレてるんじゃないですかぁ?」
「言うねぇこのズブ芦毛」
「いでででででででで!!」
反論する前に最速でアイアンクローを喰らわせる。ウマ娘は力は強いが痛みを感じるポイント自体は人間とそう変わらない。なので大体同じ位置でツボを刺激してやれば軽い力でも制圧できるという寸法だ。それはそうと打ち解けてからと言うものの言葉に容赦が無くなって来ているこのズブ娘どうしてやろうか。
木陰の隅に建てられた小さな墓。そこに寄り添う違和感。
それをわざと無視して、笑う。
「そらそら、ご自慢の怪力はどうしたよウマ娘?」
「痛くて力入んないですっていだだだだだ!!」
「痛がっても良いがお前から言ってきた以上
「うぅ……婦女暴行……」
「どこで覚えてくるんだそんな単語」
「学校ですけど」
「そりゃそうか」
二人そろって、何がおかしいのかケラケラ笑う。
この普通がいつまでも続けばいいのに――――なんて。そんなしみったれた感慨を投げ捨てて、俺はコイツの特訓に付き合う。
「未来のトレーナーに目にモノ見せるんだろ、とっととやるぞ、自称ふつーの女学生?」
「言われなくても分かってますよ、自称ふつーの無職さん?」
走る背中を目で追いながら、ミラ子の耳に装着したイヤホン越しに指示を出していく。
幸せそうな男女が笑っているような声が、墓石の方から聞こえた気がした。
雨乞のヒミツ
実は、年配の知り合いが結構多い。
引っ叩いた金持ちは一般通過性悪モブです。誰の親でもないし親戚でもないのでご安心を。