俺の世界にあるのは、ずっと音だけだった。
盲目の俺を世話してくれる女の子もいて、食事もちゃんと取れて、幸せな生活。
でも、誰かに生かされているその毎日に、俺はどこか息苦しさを感じていて。
なぁ、美しい世界ってどんなのだ?
今の俺は生きてるって言えるのか?
幸せな人生って、どんなのなんだ?
俺は目が見えない。
生まれつきそうだった。
俺の世界にあるのは音だけだった。
「リュウジー、むっかえに来たよ~」
「おっ、ハナ。今日も可愛い服だな」
「も~! 見えてないくせに」
「心の眼では見えてるんだよ」
盲目の俺を世話してくれているのがハナ。女の子。判別理由は声と自称。
ハナはいつも目が見えない俺のことを助けてくれる。
何で助けてくれるのかって?
「リュウジ、今日も生きてくれてありがとうね」
「……あぁ」
それは話すと長くなるんだが、一言で言えば俺がハナの”命の恩人”ってヤツだからだ。俺自身にその自覚は薄いんだけどな。
「今日はどこに行くんだ?」
「ふっふーん、どこでしょう」
「……腹、鳴ってたぞ」
「ふぇ!? ウッソ、バレてた!?」
「食材調達なんだな」
「あ~! カマかけたー!」
今日は食材の調達に行くらしい。こういう食料のゲットのひとつですら盲目の俺はひとりで出来ない。ハナに頼りっぱなしだ。
「今日は手に入ると良いな~」
「……ハナ、お前も俺になんかカマってなければそんな腹を空かせることも」
「良いんだよ」
ハナは俺と手を繋がない。
俺は自分の足でひとりで歩く。手を伸ばせば触れられる距離だけど、俺達が触れ合うことはない。
声と足音だけが頼りだ。
ハナの声はいつも明るくて、その本心はわからない。
顔を見ることができない俺にはハナの真意なんか分からない。
だから、気遣うしかない。
でもそんな俺の気遣いは、明るく振る舞いたいハナのテンションと中々食い合わないのだ。
いちいちこうやって微妙な空気を作ってしまう。
音だけの世界に生きている俺には、ちょっと苦しい。
「……なぁ、あの花キレイじゃないか?」
ツン、と鼻につく匂いを感じて俺は右側を指差した。
ハナが小さく声を上げる。
「ん! 食料はっけ~ん! ナイス!」
「マジか!」
どうやら俺が感じた良い匂いは食材の匂いだったらしい。我ながらナイス偶然だ。
「えへへ、今日の分の食料をゲットだね~」
「よし! 帰るか!」
「えぇっ!? 早いよ~! もっと見てまわろーよー!」
「見れねぇっての」
俺は溜め息を吐いた。ハナはどうやら今日は散歩の気分らしい。
ハナは、目が見えない俺に様々なものを体験させてくれる。
「こんなに良いお天気の日なんだからさっ!」
きっと、目が見えない俺に世界を伝えようとしてくれてるのだろう。
きっと、そこには素晴らしい世界が広がっているのだろう。
一度も世界を"見た"ことのない俺が想像すらできない素晴らしい世界が。
だけど、俺にとってはそれは苦痛なんだ。
「……そうだな」
眼が見えない俺にとっては、その優しさも気遣いも苦痛なんだ。
手を伸ばせばそこに素晴らしいものがあって、そして俺にはそれを一生掴むことができない。
そこにあるのに、届かない。
「ハナ、手を繋がないか?」
「だ~め!」
「……一応聞くけど理由は?」
「バレちゃうから」
「何が?」
「乙女のひみつ♡」
「ったく……」
俺達はそうして過ごしている。
毎日、毎日、お互いを気遣って、生きている。
俺は辛い。
正直、苦しいんだ。
「じゃあ、また明日来るねっ!」
「元気でな」
「ちゃんと食べるんだよ?」
「わかってるって」
「大きくなるんだよっ」
「りょーかい。お前もダイエットちゃんと続けろよ」
「にゃっ!? なんでダイエット失敗したことを……!」
「やっぱりか」
「あ~! またカマかけた~!」
「わかりやすすぎるんだよお前は」
そうやって上っ面だけの幸せな生活を続けて。
幸せ。
そう、幸せだ。
今が幸せな生活なのは否定できない。そもそも盲目の俺がこうやって生活できている時点で幸せなんだ。食べ物もあって、心配してくれる人もいて。
でも、今の俺は生きていると言えるのだろうか?
ハナに手取り足取りお世話されて、既に死んでいるようなものなのにまだ生きていて。
音だけの世界で、世界を感じるのは大概口の中だけ。
俺は、生きているのだろうか。
「……贅沢なんだろうな」
俺はハナが置いていった食料を探す作業を始めた。
一人じゃ、足元の荷物すら持てない。
「……いこっか」
「あぁ」
俺達は墓参りに来ていた。ハナの弟の墓らしい。俺達は手を合わせて弟に想いを馳せた。
「生きるってトクベツだよね」
ハナは呟いた。
俺はハナが自殺しようとしたところを止めたことがある。
ハナが俺を命の恩人だと言っているのはそのせいだ。
命は簡単に終わる。
命はすぐに消える。
だから、俺達は生きるのだ。
すぐに死ぬから、一瞬で燃え尽きる命だから、生きるのだ。
ハナは生きる気力を一時失っていた。それは許されざる行為だ。生者は生きている。生きることは生者の義務だ。死んでいった仲間たちに顔向けできない。
でも、死者の感情を決めつけるのも罪咎だよなと思ったり。
墓参りは食料の調達のついでに行われる。この辺では食料が手に入りやすいのだ。そして、死者に想いを馳せる。
ここでは死が近い。だから生きることについて考えてしまう。きっとそういう場所なのだ。
俺はふと切り出してみることにしてみた。
鎌をかけてみることにした。
「なぁ、ハナ」
「なぁに、リュウジ?」
「……
「!」
ハナは、小さく息を飲んだ。
俺は続けた。
「俺は盲目だ。俺みたいな枷を……呪いみたいに、懺悔みたいに、償いみたいに"生"につなぎ止めるのは、どうなんだ?」
ハナは、何も音を発さない。
表情はわからない。
「俺はハナに生かされて、お世話されて……それで本当に生きてるって言えるのか?」
ハナは、何も音を発さない。
表情はわからない。
「俺は息苦しい」
ハナは、何も音を発さない。
表情はわからない。
「お前は幸せなのか? 俺を無意味に生に繋ぎとめて……それで何になるんだよ」
ハナが息を吸った。
何かを言おうとしているのだろうか。
俺には、わからない。
「俺には目の前が見えていない。お前には見えているのか? この生活の
その時、ハナの声が聞こえた。
わずかな感情の機敏でも聞き逃すまいと俺は集中した。
ハナは……笑っていた。
"笑っていた"。
俺には、わからない。
「意味ならあるよ」
ハナの声は楽しそうに弾んでいた。足音がする。少しずつ俺の方に近付いてくるのがわかる。
「意味って……なんだよ」
「わたし、リュウジが好き。弟のこととかは関係なく、わたしを救ってくれたリュウジが」
ハナの声は近い。
手を伸ばせば届く距離にいるのがわかった。
「俺もだよ」
「ふふ、良かった。両想いだね」
「あぁ」
ハナの気配が近付いてくる。
ツン。
ハナの身体と俺の身体が触れる。
もう、分かっている。
何がこれから起こるのか、俺にはわかっていた。
「世界は息苦しい?」
「あぁ」
「生きるのは辛い?」
「あぁ」
「リュウジ、あなたも弟と同じ。世界に絶望して、生きることが大変になっている」
「……でも、きっと今の生活は幸せだ」
「わたしはリュウジに本当に感謝してる。弟の死に影響されて命を断とうとしていたわたしに、生きる意味をくれた。あの時の言葉、覚えてる?」
「……あぁ」
覚えている。
俺はハナも同じに見えたから。俺も世界に絶望していたから。生きる意味を失っているから。
────わたしには生きる意味がわからない
────俺も生きる意味を知らない。でも、腹は減った。死ぬなら何かくれ
俺は惨めったらしく生きようとしていた。
幸せな生活を求めていたのだろうか。
でも、もう今となってはどうでもいい。
音が聞こえる。
ハナの腹の音だ。
死にたいって思ってても、腹は減る。
食べたくなる。
きっとそれは、俺達の………"本能"だからだ。
ハナの吐息が俺の首筋にかかる。
あぁ、
「いただきまぁす」
ハナの口が、
「……大好きだよ、リュウジ。わたしに生きる意味を……リュウジを食べる瞬間をくれてありがとう」
俺達はきっとお互いを愛し合っていた。
辛くて、苦しくて、それでも生きるためにお互いに協力して、献身的になって。
それを愛と呼ばずに何と呼ぶのだろうか。
俺は震える
「よう、やく……しあわせ、にな、れた……ありがとう……は……」
愛し合う女は、男を食す。
きっとそれは俺達カマキリの本能だ。
食すために、生かす。
食されるために、生きる。
俺の人生は今この瞬間に"意義"を持った。
なんだ。
世界なんて見えなくても、この瞬間はこんなにも美しいんじゃないか。
世界は試練なのかもしれない。美しい世界に目を奪われて、俺達の最後のこの何より美しい瞬間を曇らせるための。
ハナの租借音が聞こえる。
今、俺の世界にあるのは、美しい音だけだった。