【書籍化】男女比1:30の貞操逆転世界で身を挺して女の子たちを守ったら愛が重くなりすぎた 作:一森 一輝
グリーディアに詰られるのと同時にパンテラが見ていたのは、同族の民の視線だった。
言葉はなく、ただ恨みの籠った目でパンテラは見られていた。
誰も、こんな目でパンテラに向けたことはなかったのだ。なのに、克明に見えた。あるいは、見せつけられたのか。
パンテラはバイクに載せられながら、もう動けないと思っていた。もうどうにもならない。終わりだ、と。
そんなパンテラの前で、パンテラよりも小さな少年が、必死にパンテラを庇っていた。
「パンテラに罪はない! パンテラは何も悪くない!」
パンテラ自身はもう諦めていたのに、テクトだけは抵抗していた。パンテラは自分の罪悪感に押しつぶされていたのに、テクトだけは否定してくれていた。
「お前の所為だろ、グリーディア! 全部、全部お前がやったことだ!」
「パンテラはお前以外を助けていたら何も悪くなかった! それは良いことだ! 善行だ!」
「パンテラは何も悪くない! 何もだ! すべて、すべてお前が悪いんだグリーディア!」
その言葉の一つ一つが、パンテラの心を救っていた。パンテラはテクトの後ろに乗りながら、嗚咽をこらえきれなかった。
そうだ。そのはずだった。パンテラは、悪いことをしたつもりなんてなかったのだ。なのに、こうなってしまって。
あの時は殺人だなんてことは、頭の片隅にもなかったのに。今では何人も殺して、殺し過ぎた結果、また殺せなくなってしまった。パンテラの手は血で汚れ切ってしまった。
でも、それでも、だからこそ。
パンテラにしか、できないことがある。
「テクトっ!」
グリーディアを感電させて落馬させ、そこから素早く距離を詰めたテクトは、グリーディアの腕を切り落としていた。
速い。そう思う。純粋な人間、それも男とは思えないほどの戦闘能力。
だが、今回ばかりはダメだ。ここで、止めなければ。
「や、やめ。許し、こ、殺さないで」
「黙れ。お前は、誰かの命乞いを聞いたことがあるのか」
テクトは、パンテラすら恐ろしくなるような鬼気迫る表情で、グリーディアの襟首をつかみ、刀を振りかぶっていた。このままでは、テクトがグリーディアを殺してしまう。
それは、ダメだ。
パンテラは必死に駆け、振り下ろされようとした刀を素手で掴む。それに驚いて、テクトが「パンテラっ?」と振り向く。
良かった。間に合った。手のひらから血を流しながら、パンテラは言う。
「テクト、止めるんだ。こいつを殺しちゃあいけない」
「―――何でだ。こいつは死ななきゃならない奴だ。誰かが殺さなきゃならない奴だ」
テクトの目は、憎悪に染まっていた。ああ、とパンテラは悲しくなる。
「そんな目をしないでおくれ。あたしは、テクトのそんな顔を見たくないよ」
パンテラが言うと、テクトの決意が鈍る。手から力が抜け、刀を下ろす。
「でも、パンテラ」
「テクト、しゃんとおし。こいつが憎いのは分かる。だけどね、あんたは染まりすぎだ」
「染まるって?」
テクトがパンテラを見る。パンテラはテクトの肩に触れ、こう言った。
「あたしの憎しみにだよ、テクト。その憎しみは、あたしのものだ。あんたのじゃない」
「っ」
テクトが瞠目する。そんなテクトを、パンテラは抱きしめた。
「でもね、嬉しいよ。それだけテクトは、あたしに親身になってくれたんだって。この十年間、あんたほど純粋に、あたしの味方をしてくれた人は居なかった」
パンテラは無頼だ。誰にも頼らず、一人で生きてきた。時には誰かと手を組むことはあったが、テクトほど無私の心で味方してくれる者はなかった。
そう思うと、ただひたすらに、テクトのことが愛おしくなる。だからこそ悲しい。パンテラとテクトの間にある、見えない、しかし致命的な溝が。
だが、それでもテクトに、この溝を超えさせてはならないのだ。
パンテラはテクトの温もりを抱きしめる。十分にそれを味わってから、離した。
「だからね、あんただけは、身綺麗でいておくれ。汚れ仕事は、あたしに任せな」
「っ。パンテラ」
パンテラは地面に落とされ、必死に這って逃げようとするグリーディアを掴む。
「ひっ。や、やめ。頼む。お願いよぉ! みの、見逃して。あ、あのときは、あの時は助けてくれたじゃないのぉ!」
腕からこぼした自らの大量の血で汚れ、それでもグリーディアは生き汚く喚く。
急ごう。このままでは、こいつの死がテクトの所為になる。
そう思った時、グリーディアは手を懐に入れ、パンテラに青の宝玉を差し出してきた。
「もっ、目的はこれでしょぉ!? あげるからっ、だから、命だけは見逃してよぉっ!」
「あげる……?」
「かっ、返す! 返すから!」
パンテラは無言で宝玉を奪う。それから胸元に仕舞い、グリーディアを見た。
あれだけ強大で、手も足も出せずにいたグリーディア。殺そうとすると、かつてのトラウマが、吐き気が蘇る。
それで、気付くのだ。そうか。テクトは、殺せないパンテラの代わりをしようともしてくれていたのか、と。
「……本当に、愛おしいねぇ」
けれど、そこまで男に自分の尻を拭わせられない。パンテラは、腐っても女だから。
拳を構える。息を吐く。まばたきをすれば、グリーディアに破砕の啓示が輝いている。
「……あたしらの神は、まだあたしを導いてくれているんだね。こんなに汚れたあたしでも」
「やめ、やめて。お願い。いの、命だけは。お願い、助けて」
みっともなく命乞いをするグリーディアに、パンテラは震える。
今すぐにやらなければ。自分がやらなければ。そう思うだけで苦しくなる。過去のトラウマ。同族のほとんどが殺された。虐げられた同族も、その仇も、この手で殺した。
臓腑がねじれて、ひっくり返るような不快感。
今すぐにでも吐いてしまいそうだった。でも、それだけはダメだった。今すぐやらなきゃ、テクトが一線を超えることになってしまう。パンテラが罪を、持っていかなければならない。
だから、どうにか決心を付けるために、パンテラは言葉を絞り出す。
「グリー、ディア。あんたの、言う通りだ。あんたを……助けたこと。それはあたしの罪だ」
「っえ、は、何……?」
「だから、償わなきゃあ、いけない」
目をつむる。かつての惨劇の直後のように、色濃く血の記憶が蘇る。
「死んでいったみんなに、仇を討ったって」
助けられずに見殺しにした同族たち。虐げられた末に、この手で奪った同族の男。この手で奪ったその仇の命。
「みんなの恨みは果たされたって」
罪悪感で、眠れない日々があった。誰しもにも命があって、生活があった。殺すという事はそれを永遠に奪う事。もう二度としない、できないと思った殺人という選択肢。
「想い人にだけは、人殺しなんてさせなかったって」
その罪をパンテラは、再び犯す。眠れない夜が待っていても、その所為で離ればなれになるしかなくなっても、それでも罪の重みから守りたい人ができたから。
テクトのために、パンテラは再びこの手を、血で穢す。
そしてパンテラは、目を開けるのだ。
「……そう、知らせないとね」
「やっ、やめ、助け――――」
パンテラはグリーディアを放り投げる。その中心に、拳を放った。
「砕けな、外道」
破砕の啓示が、瞬いた。
「ぐぎゃっ、ぎゃひぃぃぃいいいいいいい!」
グリーディアの体が、弾ける。その勢いで宙に飛ぶ。弾けて、弾けて、沖合へ飛んでいく。
「ぃきゃっ」
そして最後に、パァンッ、と遠く粉々に砕けるのが見えた。
グリーディアの細かな破片が、海に散り散りになっていく。海の藻屑となったのだ。
振り返ると、テクトはひどく心配そうな顔をしていた。「なんて顔をしてんだい」と近づき、その頭を撫でる。
「だって、パンテラ、殺しは」
「……いいんだよ。あんたが殺すより、ずっとマシだ。……そうだ、これ」
パンテラは思い付きで、テクトに青の宝玉を託す。
「えっ? は、え、パンテラ?」
「グリーディアが持ってるのが我慢ならなかっただけで、別に欲しかったワケじゃないからね。せっかくなら、テクトが持っていておくれよ」
「でも、これはパンテラの一族の秘宝で」
「テクト、前に話したろ? こいつはね、化け物を倒した英雄が、想い人に送ったもんだよ」
言うと、テクトはポカンとする。「あー、だから、つまりね」とパンテラは逆に照れる。
「……言わせんじゃないよ」
結局良い言葉が思いつかなくて、パンテラは強引にテクトに押し付けた。
そのままその場を去ろうとすると、テクトが「パンテラ!」と呼ぶ。
「どこ、行くんだよ」
パンテラは思う。領主殺しの下手人が傍に居れば、テクトを不幸にしてしまう。だから急いで、この場から離れなければならない。
だが、それを伝える必要はない。優しく朗らかに、こう答える。
「さぁね。また気ままに過ごすさ。あんたとは、ひとまずここまでだ。助かったよ、テクト」
「……また、会えるか?」
振り返ると、テクトはひどく寂しそうな顔をしていた。だからパンテラは、ニッと笑う。
「いい子にしてれば、きっとね。だからその綺麗な手は、汚すんじゃないよ。あたしの男」
そうして、パンテラは駆け出した。夕日が沈む。それよりも、パンテラは速く走る。
かつてなく、足が軽い。
後日俺は、ベッドの上で、パンテラからもらった青の宝玉を見つめていた。
「……綺麗だな」
素直に言葉を口にする。だが、虚脱感がぬぐえない。
パンテラに守られたという気持ちと、やはり俺が殺すべきだったんじゃないかという気持ちが、葛藤している。あのまま、トドメは俺が刺すべきだったんじゃないかと。
「でも、そんなの、パンテラは望んでなかったんだよな。なら」
青の宝玉を、手の内に抱く。
「殺しは、ダメだ。元々するつもりはなかったけど、もう、絶対にできない」
そう約束した。破ったらパンテラは悲しむだろう。だから、しない。できない。
そう決意した瞬間、扉が開いた。見れば、チャミーが立っている。
「お疲れだ、テクト。後処理は済ませておいた。お前には苦労を掛けたな」
「悪いな、チャミー。今回も助けられた」
後始末も大概大変だった、と思い返す。五ねぇだけがケロッとしていた。衛兵は結局全滅させた癖に。ウチの姉がヤバい。
だが同時、パンテラが去ったという話を聞いて、五ねぇは拗ねてもいた。
『ふ~ん、だ。お別れの挨拶もないなんて。パンテラさんのバカ』
そんな一幕を思い出す俺に、チャミーが肩を竦める。
「こちらのセリフだ。死人に口なしではないが、これでずっとやりやすくなった」
チャミーは近づいてきて、ベッドに腰を下ろす。俺も上体を起こして、対面する。
「……それは?」
するとチャミーが、俺の手の内にあるモノを見て、首を傾げた。
「ああ、これか? パンテラから貰った宝物だよ。『青の宝玉』とか何とかいうらしくって」
「ほう……綺麗だな。少し見せてもらっていいか?」
「良いぜ。大切なものだから、丁寧に扱ってくれよ?」
渡すと、チャミーはじっくりと宝玉に見入った。ためつすがめつ、様々な角度で眺める。
すると、どういうワケか、宝玉の青がチャミーの目に差し込んだ。
「……?」
俺はまばたきをする。するといつの間にかチャミーの目に差し込んだ青は消えていて、俺は目の錯覚か何かか? と目を擦った。
「ありがとう、見事な逸品だった。大切にすることだ」
「あ、ああ……」
宝玉を返してもらう。俺が懐に仕舞うと、チャミーは言った。
「にしても、もう夏休み後半か。大冒険続きだな。無人島に、悪党退治か」
「からかうなよ。そういうこともあるだろ?」
「はは、本当に面白い奴だ。なら、夏休みの最後も、大冒険といかないか?」
「は?」
俺が見ると、チャミーは悪戯っぽく笑っている。
「お前が脱出した魔獣島。バジリスクが消え、地龍が大人しくなったから、あそこの古代遺跡を調査できるようになった。テクトはこういうのが好きじゃないかと思ってな」
「分かってんじゃんかよチャミー」
遺跡調査。そんなの、ワクワクしないワケがない。
「決まりだ。さぁ来い。お前の友人も勢揃いだぞ」
「え? マジで? まだ帰ってなかったメンツって言うと、ウィズとアイギスか?」
チャミーが部屋を出る。俺は浮足立って、その後に続いた。