【書籍化】男女比1:30の貞操逆転世界で身を挺して女の子たちを守ったら愛が重くなりすぎた 作:一森 一輝
幼い頃、シアは自らの父、国王陛下に溺愛されていた。
そういうことは、普通あまりない。娘は貴族の男にとっては数多くいる子供の一人で、たった一人を特別に愛するということは、平民でもないと相当に珍しい。
だが、シアは他の姉妹たちに比べて、良く時間を割いてもらったという記憶があった。シアが父の下に向かったら、父はよく破顔してシアと遊んでくれた。
だから、シアは父の愛を疑ったことがなかった。当たり前に父に愛されていると思っていたし、そんな自分が特別なのだと自然に思うことができた。
シアが、父よりも遥か年上の、他国の大貴族との結婚を勝手に決められたのは、そんなある日のことだった。
『……あの、お父様……?』
いきなり降って湧いたような話に、シアは当然困惑した。
そりゃあ、シアとて王族の自覚はある。好きな相手と自由な結婚なんて、そんなものは期待していなかった。
だが、しかし、この相手は。
『その、結婚の件、なのですが。この公爵様は、側室を魔族との最前線に送り、その多くが戦死している方と、聞いて……』
シアがそのように問うと、父はひどく痛ましそうな表情で、こう言った。
『イリューシア、ああ、愛しい我が子よ。余とてこのような真似はしたくなかった。だがこの方には、我が国は大いなる貸しがあるのだ』
まるで辛くて仕方ない、という顔で、父はシアのことを抱きしめ、言った。
『頼む。余のためと思って、どうか堪えてはくれぬか……!』
シアはその言葉に、涙ながらこくりと頷いた。
父のためなら、シアはそう思った。当時齢十にも届かない身で、父のために死を半ば甘受した。
そうして、シアは淡々と嫁入りの準備を整えられた。
学園入学すらできないままに、シアは結婚し、戦地に送られる。そういう覚悟をしていた。それが父のためになると、王族の義務なのだと思っていた。
だから、嫁入りに他国へと赴く前日、不安になる心に少しでも父の声を聞きたいと、夜に父の寝室に赴いた。
そこで、僅かに扉を開けたシアは、高笑いする父の言葉を聞いたのだ。
『そういえば、明日はイリューシアの嫁入りか。ははははっ。この公爵は金払いがいいからな。余の贅沢の足しになる』
シアは、言っている意味が分からなかった。
『まったく、正妃め。奴は余が国庫の金に手を付けようとしたら、「これは国家運営のための予算です。手を付けてはなりません」などと……!』
苛立たしげに言う父。シアは硬直して、その場から動けなかった。
『だから、奴の子で足りない分の金を稼がせてもらうことにしたのだ! 奴は確かに男を生んで実権を握ったが、それ以外の娘は余の好きにさせてもらおう!』
そう言って、父はゲラゲラと高笑いを上げた。
信じられなかった。シアは、これが自分を愛してくれた父の姿と、認識できなかった。
ふらつく足で、シアはそのまま母の下に向かった。
母は王家の実権を握る正妃。いつも多忙で、父とは違って、話しかけてもまともに対応してくれることの方が少なかった。
だがその日ばかりは、もうシアには、母しか頼れる相手はいなかった。
母は寝室でも、いくつかの書類に目を通していた。疲れ切った目をしていた。もしかしたら聞いてくれないかもと思った。
しかし面倒そうにしながらも、母が『こんな深夜にどうしたの』と言ってくれたから、シアは『幻を見たのではないかと思うのですが』と前置きしてから、父の言葉を母に伝えた。
母はその話を聞き終えた後、全身を震わせていた。
『―――教えてくれてありがとう、シア。良かったわ、手遅れになる前で。本当に良かった……!』
母は、そのように言った。それから、何も心配しなくていい、と言われ、その夜は眠った。
翌日になるとすべては終わっていて、詳細を知らされないままにシアの縁談は破談となっていた。
それ以来、めっきりと父と会う機会は少なくなった。ただ、その件の一年後に、一度廊下ですれ違うことがあった。
その時遭遇した父は、見る影もなくやつれていて、服装もみすぼらしくなっていた。
そんな父が、シアとすれ違うとき、シアにしか聞こえないように言ったのだ。
『貴様の所為だ……! 恨むぞ、呪ってやる、イリューシア……!』
ゾッとした。シアは恐ろしくて、振り返ることもできなかった。
それが、シアの記憶する、最後の父の姿。
以来シアは、どうしても男性に対して信頼を抱くことができないでいる。
実際、それからも知り合う男は、すべて酷いものだった。露骨に傍若無人な者。女を使用人同然に扱う者。公爵家の男ですら、裏では何を考えているか分からない。
共通しているのは、女を人間だとも思っていないこと。
だから、最近知った下級貴族の少年、テクトも同様だと考えた。
確かに面白い男で、女に対しても丁寧。無垢で、ウブで、可愛らしいところがある。
けれど、テクトは男だ。
いずれテクトも、土壇場になったら自分を裏切る。シアには、そういう確信があった。今どれだけ親しくしていても、利益と天秤にかけて、シアを捨てる日が来ると。
……構わなかった。シアは、そう思うほどにテクトとの日々を楽しんでいた。
だから、解呪に乗り出した。危険な儀式になる。シアに呪いを移し、その真価を発揮させねば、どう足掻いても呪いは解けまい。
それだけではない。取り巻きの多いシアでも、今回頼れる者はいないのだ。
何故ならこの呪いは再現が簡単で、知られれば『幻影妃』の血統全体を危険にさらす。しかし『幻影妃』の血統は高等貴族に偏っていて、下級貴族の解呪などには手を貸さない。
ならば、この解呪の儀式は、テクトとシアの二人でやるしかない。
そして、テクトが自分を裏切るのは、見捨てるのはこのときだろう、と思った。
男には戦う術がない。自分と一緒に死んで貰おうだなんて、シアは考えていない。だからこれは、シアの望んだ形に、テクトの裏切りを誘発させるやり口。
いつか、本当に傷つく形で裏切られるくらいなら、先に自分でも納得できる形で、裏切ってもらおうと思ったのだ。
だから今、シアはそうした。周囲には無数の幻影騎士たちが反乱を起こし、シアに剣を向けている。
テクトは突き飛ばし、今きっと階段を駆け下りて脱出していることだろう。それでいい。それがいい。だってこの状況を、テクトはどうにもできないのだから、仕方ない。
ここからシアが助かる術はない。だから、逃げるテクトがどんな顔をしているのかを、知らないままに死ぬことができる。
例えシアを罵倒しても、清々したと笑っていても、それはシアには分からない。
―――あるいは、シアを惜しんでくれているか。泣いてくれるか。
「……ふふっ」
そんな訳はない。けれど、そう妄想しながら死ぬのは、シアだけの特権だ。
幻影騎士たちの刃が迫る。このまま死ぬのだと目をつむる。
そして、呟くのだ。
「……わたくしにしては、悪くない生でし――――」
「頭下げろッ、シア!!!」
シアはその大声に、びくりと肩を跳ねさせた。
迫る刃が一瞬鈍る。シアは何が何だか分からないまま、咄嗟に姿勢を低くする。
次の瞬間、それは起こった。
「パイルッ、バンカーァァアアアアア!」
パゴォォオオオオン! と軽快な金属音と共に、空中に火炎の華が咲く。
その勢いに、シアは地面を転がった。起き上がると、広がった火炎に幻影騎士たちが吹っ飛んで、道ができていた。
そして、その先に、見たこともない武器を両腕に付けたテクトが、炎を纏って立っている。
「な、なん、え、テク、ト……?」
「シア! お前はホント、テンパると突拍子もないことしやがって!」
テクトが、強い目でもってシアを見つめている。その目から、シアは目が離せなくなる。
「いいか!? シア! お前がどんな目に遭ってきて、世界をどんな風に捉えてるのかは知らないけどな!」
ずんずんと前に進み出て、テクトはシアの手を取った。
「俺は! お前の付き人で、お前のお世話係なんだぞ! 俺がお前を、見捨てると思ったのかよ!」
その言葉に、シアは思わず嗚咽する。
強くなれと育てられた。強くなければ女ではないと言われて生きてきた。困った時に誰も助けてくれないから、自分の足で立ち上がってきた。
だから、シアは、信じられない。今自分の手を掴む手が。自分を窮地から助けてくれるテクトが信じられない。
「そん、そんな、だって、わたくしは、あなたに対して不義理を」
「してないだろ! 誠実にしようとした結果が、これだろ! つーかこんなしょうもないことのために自己犠牲するくらいなら、まず朝にシャッキリ起きなさい!」
幻影騎士が、少しずつ意識を取り戻していく。だが、シアはもはやそんなことはどうでもよくて。
「だってぇ……! わたくし、どうしても朝はダメでぇ……! だからテクトに、本当は嫌われてると思っててぇ……!」
ボロボロと泣くシアに、テクトは言う。
「あの程度で嫌ってたら誰のことも好きになれないっての! いいから逃げるぞ! 掴まれ!」
シアはテクトに抱きしめられ、直後強烈な力で、崩れた穴から外に投げ出される。