優神を許さないのは何も間違っていない   作:生物産業

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1年以上ぶりの投稿になります。よろしくお願いします。


第1話 ナナシは激怒した

 ナナシは激怒した。

 必ず、かの邪智暴虐の冒険者を制裁しなければならぬと決意した。ナナシにはダンジョンのルールがわからぬ。

 

 ここはダンジョン30階層――通称《密林の峡谷》。瘴気漂う深層手前の危険地帯。その奥地に、彼は“研究のため”と称して、遊び半分でやってきた。

 

 目的はただ一つ。蜜だ。

 

 ダンジョンで稀に採取できる特殊な樹液。それは地上のものとは比べものにならない芳香を放ち、かの天界から降り立った神すら「天の蜜」と称賛するほどの逸品。芳しい、深い、心を溶かすような甘さ。

 

 だが、どの木からでも採れるわけではない。

 

 当たりかハズレかは、実際に枝を傷つけるまで分からない。しかも日によって反応が違い、昨日採れた場所が今日は沈黙することもある。

 だからこそ、探し出すのは至難で、価値も跳ね上がる。

 

 しかし、それでもナナシはやってきた。すべては自分の好奇心を満たすために。

 

 そんな苦労の果てにようやく見つけた蜜木――それが、目の前で爆散した。

 

「…………」

 

 数秒の沈黙のあと、ナナシの顔が、笑みでも歪みでもない、無表情のまま凍りついた。

 

 そして――。

 

「どこのどいつだァ――ッッ!!」

 

 峡谷に、怒声が轟いた。

 

 明らかに人工的な爆発跡。モンスターではない。人為的な何かだ。

 瞬間、ナナシの全身に戦闘態勢が走る。

 

 まず殴る。

 理由は後だ。

 ボコボコにしてから、せいぜい言い訳を聞いてやらなくもない。

 

 怒気が、ダンジョンの瘴気をも押し返す。

 研ぎ澄まされた気配探知が、爆心地周辺の人影を捉えた。

 

 次の瞬間、ナナシの右足が地を蹴り、風を裂く音と共に飛翔する。

 わずか数秒、彼は集団の頭上に降り立つ――その瞬間だった。

 

 天井が、揺れた。

 

 いや、何かが落ちてきたのだ。

 

 それは“何か”としか言えない存在だった。

 巨大で、禍々しい。骨のような外殻に覆われた異形のモンスター。まるでスケルトンと化石を掛け合わせたかのような姿。だが、決して脆弱ではなかった。

 

 その身を包む外骨格は鎧のように重厚で、両腕――いや、六本あるその“腕”のすべてには、アダマンタイトを思わせる鋭利な爪。

 

 その異形が、集団の一人に襲いかかる。

 断末魔を上げる間もなく、肉体は紙のように引き裂かれ、赤い霧をまき散らして崩れ落ちた。

 

 絶望が、残された者たちを飲み込む。

 理解を越えた死が、ただ目の前で起きた。

 

 我を忘れて魔法を放つ者もいたが、魔力は弾かれ、爆ぜることすらない。武器を振るった者もいたが、打撃は全て甲殻に阻まれ、折れ、跳ね返される。

 

 死が近づく――それを誰もが悟った。

 

 ただ一人を除いて。

 

「ちょっと待て」

 

 抑揚のない声が、混乱の只中で響いた。

 異形が次の獲物へと爪を振り上げたその刹那。誰よりも速く、誰よりも軽く、その腕の軌道に入り――

 

 ナナシは、それを、素手で、受け止めた。

 

 爪が止まる。

 

 無造作に、腕を掴む。そして、そのまま――引きちぎった。

 

 バギィィッ、と骨が砕ける音。モンスターが、悲鳴を上げる。

 

 ナナシは寸分の迷いもなく、懐へと飛び込む。

 

 魔法でも刃でも傷つけられなかった外骨格に、彼の拳が突き刺さる。

 

 そして――静寂が訪れた。

 

 その瞬間まで暴威を振るっていた怪物は、まるで存在そのものが霧散したかのように、跡形もなく掻き消えた。

 

 沈黙。恐怖。呆然。

 その場にいた冒険者たちは、誰一人として言葉を発せず、ただ立ち尽くしていた。

 

 ナナシは肩を軽く回しながら、ぽつりと呟く。

 

「……人の獲物を横取りするとか、マナーを守れ、モンスター」

 

 まるで、少し嫌な出来事に巻き込まれた程度のテンションで。

 

 そして、くるりと振り返る。

 爆発の主犯とおぼしき冒険者たちに目を向けた。

 

「さて」

 

 笑った。――無邪気な笑みだった。

 

 だが、それを見た冒険者たちの顔から、色が消えた。

 

 さっきの怪物以上の、理解不能の存在が、そこにいた。

 圧倒的な力。理不尽な力。紛れもなく、“災害”と呼ぶにふさわしい存在。

 

 誰かが悲鳴を上げるよりも早く、泡を吹いて倒れた。

 一人、また一人。次々と意識を手放し、地に崩れる。

 

 ――断罪の時間。

 

 その日、ダンジョン30階層に現れた“少年”によって、多くの者が人生観を更新することとなる。

 

 己の限界と、世界の広さを知るために。

 

 ◆ 

 

 気絶しているからといって、許されるわけがなかった。

 

 ナナシは無言のまま、近くに転がっていた男の襟首をつかみ、右手を震わせる。

 狙うは頬。決めるは百発。

 問答無用の百裂ビンタを、今まさにその顔面に叩き込もうとした――そのとき。

 

「ちょ、ちょっと、いいかしら……?」

 

 控えめな声と共に、トントンと肩を叩かれる。

 

 ナナシが振り返ると、赤髪の少女が困り顔で立っていた。

 何を言えばいいのか分からず、とりあえず止めに入ってしまったらしい。体が勝手に動いたのだろう。

 

「お仲間?」

 

 その一言で、場の空気がピシリと凍った。

 

 もし「はい」と答えていたら、その少女の顔面は間違いなくオークのようにパンパンに膨れ上がり、生涯マスク必須の人生を歩む羽目になっていただろう。

 

 ナナシの怒りが本物だと察した少女は、勢いよく首を横に振った。

 

 ――ぶんぶんぶんぶんぶん。

 

「そ」

 

 その一言で、ナナシの興味は失せた。

 が、手は止まらない。

 

 彼は無言で百裂ビンタを放ち、気絶していた男を強制的に覚醒させにかかる。

 

 しかし、男は起きない。頬を叩かれ続けても、ぴくりとも反応しない。

 

 ――弱すぎたか。

 

 ナナシは反省し、ビンタの威力を上げた改良版「百裂ビンタ改」を準備しようとした。

 

「やめて差し上げろ。闇派閥(イヴィルス)のライフはもうゼロだ」

 

 そんな彼の肩を、今度は小柄な少女が軽く叩いた。

 冷静沈着な口調が、どこか深刻さを帯びていた。

 

「僕の苦労を台無しにした奴らに人権はない。慈悲もない」

 

 ナナシの目はまだ怒りに燃えていた。

 しかし次の標的を狙って動き出そうとする彼を、今度は周囲の少女たちが一斉に取り囲み、言葉で制した。

 

「この者たちは法の裁きを受けることになりましょう。お天道様の下を歩くことすらできはしません。あなたが手を汚す必要などございません」

 

 そう言ったのは、長く艶やかな黒髪の女性。

 口調は優しく、語りかけるようで、どこか淑やかだった。

 

 ……が。

 

「ムカつく。ぶん殴る。僕、笑顔になる」

 

 理屈を超えていた。

 

「……ライラ、任せた」

「輝夜、面倒くさいならそう言え」

 

 溜め息混じりに前へ出るのは、軽装の少女。

 その視線がナナシとぶつかる。

 

「小僧、やりたいようにやるのが一番だ。やっちまえ」

「おっけ。あざまる」

「「「おいおいおいおいおい!!!」」」

 

 一同が全力でツッコんだ。

 

「というか、君、見たことない顔だけど何者? あ、私はアリーゼ・ローヴェル。正義と秩序の神、アストレア・ファミリアの団長! えっへん!」

 

 唐突な自己紹介。ドヤ顔つき。

 

 「ナイス団長」と他のメンバーが話題をそらそうと拍手するが、その顔芸にはノーコメントを貫いた。

 

「個人情報漏洩の観点から、初対面の人には名乗らないようにしてるんだ」

「胡散臭い神様が言いそうなやつ!」

「……アタシとしては高評価だけどな。めんどくせぇけど」

「ライラ、口が悪い」

 

 名前すら伏せるナナシの警戒心に、治安維持組織としての面倒くささと、同時にライラはある種の好感を覚えていた。

 

 情報は武器だ。

 自分の弱さを理解している者ほど、それを安易に晒さない。

 

「とりあえず、地上に戻らない? アストレア様も交えて話せば、少年もきっと――」

「あ、知らない人に誘われてもついていかないようにしてるんだ。何されるか分からないから」

 

 正論だった。

 

 正義のファミリアを名乗ろうと、それが証明になるとは限らない。

 この少年にとって、エンブレムなどただの模様でしかない。

 

 アリーゼがどう返そうか悩むその前に、

 

「とりあえずやることやって落ち着いたから、撤収します。あでゅー」

 

 その場から、少年の姿が、ふっと――掻き消えた。

 

「……消えた!?」

 

 一同が驚愕する中、さらに衝撃が走る。

 

「ちょっ……闇派閥の連中の顔……! 全員パンッパンなんだけど!?」

 

 見ると、気絶していたはずの男たちの顔が、全員オーク並みに腫れ上がっていた。

 

 十数人分の百裂ビンタが、誰にも気づかれずに炸裂していた。

 

「……誰も気づかなかったのかよ……」

 

 レベル4を超える者すら含まれていたというのに、その誰一人として少年の攻撃に反応できなかった。

 

 ただの怪力でも、ただの技術でもない。

 あれは、圧倒的な“力”。

 

 少女たちは、笑顔の奥に潜む異質な強さに、ただ圧倒されるしかなかった。

 

 ◆

 

 オークにジョブチェンジした闇派閥(イヴィルス)をギルドに引き渡した後、アストレア・ファミリアの面々はホームへと戻っていた。

 その報告の中には、あえて伏せた「少年」の存在があった――それは今、主神アストレアにだけ伝えられている。

 

「正体不明のモンスターを、一撃で……それを助けてくれた謎の少年、ね」

 

 静かな館の一角、神アストレアは眉を寄せながら、団員たちの報告を受けていた。

 言葉は抑えていたが、その瞳には確かな驚きと警戒の色が浮かんでいる。

 

「リオンが入団した頃と比べて、幼く見えました。おそらく……十一、いえ、十歳前後かと」

 

 報告するのはアリーゼ。彼女らしからぬ慎重な口調だった。

 

「その年齢の少年が、貴女たちでも勝てそうにないモンスターを、たった一撃で?」

 

 アストレアの問いかけに、アリーゼは苦笑を浮かべながらも頷いた。

 

「質が違うとはいえ……イヴィルスの奴らの攻撃は無効化されてました。防御もできず、壊滅していました。あのモンスターに襲われれば十中八九、私達も全滅だったと思います」

 

 その場にいた全員が、言葉を飲み込む。

 普段から自信満々なアリーゼが、ここまで断言するのは極めて珍しい。

 その慎重さこそが、今回の件の異常性を物語っていた。

 

 アストレアは静かに頷く。

 

「……貴女がそう言うのであれば、きっとその可能性は高かったのでしょう。最悪の未来が訪れなくて、本当に良かった」

「清く正しく生きてるご褒美ですね、うん。やっぱり私ってばえらいっ!」

 

 胸を張るアリーゼに、輝夜が冷たく言葉を投げつける。

 

「ボケ倒すな、団長。……それより、件の少年の行方はわかったのか?」

「えー? 私はギルドに報告しに行ってたし、それは輝夜の担当じゃないの?」

「その報告書を、誰が作ったと思っている? 私だ、ボケリーゼ」

 

 眉をぴくつかせながらも、輝夜はため息をつく。

 ナナシに関する記述は、すべて削除済み。

 それは、必要以上の混乱を防ぐためでもあり――何より、あの少年に無用な注目が集まらぬよう、配慮した結果だった。

 

 補佐役としての責務。

 時にイラつく団長の尻拭いも含め、それが副団長たる輝夜の日常である。

 

「貴女たちがこうして相変わらずでいられるのも、その少年のおかげ。会ってみたいわね……きちんとお礼を言いたい」

 

 アストレアは穏やかに微笑む。

 その笑顔には、感謝と尊敬、そして一抹の警戒心が含まれていた。

 

「ダンジョン下層に防具も付けず、単独潜行するようなイカれたガキだ。何考えてるかなんて分かるわけねぇ」

 

 ライラが頭を掻きながら嘆くと、すぐ隣でアリーゼが鼻を鳴らす。

 

「来た、来たわ! 私の勘が! すぐ近くに“あの子”がいるって叫んでる!」

 

 両腕を広げ、きらきらとした目で天を仰ぐ団長。その姿は、もはや信仰者というより信者。

 

「……それ、女神の天啓とでも言いたいのかしら」

 

 苦笑混じりにアストレアが呟くと、団員たちがそろって首をかしげた。

 なぜこのアホの子が団長なのか――

 毎度湧き上がる疑問が、今回も一同を包んだ。

 

 だが、その“アホの子”の直感は――

 なぜか、いつだってよく当たるのだ。




今作は24,25話くらいを想定しています。大筋は出来ているのでエタることはないと思いますが、仕事との兼ね合いもあるのでご了承ください。
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