優神を許さないのは何も間違っていない   作:生物産業

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第14話 オラリオの巨峰は世界一

「ファイたん、相談があるんだ」

 

 開口一番。ノックもなしにドアを開け放ったその声に、執務机の向こうで書類を整理していた女神はぴくりと眉を動かした。

 

「急に現れたと思ったら……その呼び方はやめなさい。バカにされている気がするわ」

 

 男装の麗人――神・ヘファイストスは、深いため息をつく。せめてノックくらいしなさい、と言いたげな目線をナナシに向けながらも、それが無駄だと悟っているのか、諦めに近い表情だった。

 

 もしこれが椿であれば、「相変わらずね」と笑って流せる。しかしナナシは眷属ではない。

 

「農場が欲しい」

「話を聞きなさい。それに貴方は知らないかもしれないけど、うちは鍛冶専門のファミリアなの。不動産は基本的にギルドか商会の管轄よ」

 

 ヘファイストスが理知的な声で冷静に諭す。が、ナナシはその言葉にきょとんとした顔を向けると、何かを思い出したように、無言で視線を訴えかけてきた。

 

(……前にも何軒かくれたよね?)

 

 言葉にせずとも伝わってくる圧が、地味に強い。実際、ナナシの拠点の一部は、元はヘファイストスの私有物だったはずだ。

 

「それは私が個人で所有していた家を譲っただけよ。農場クラスの土地なんて、持っているわけないでしょう」

「そこをなんとか」

 

 と、ナナシは懐から次々と――いや、明らかに空間の法則を無視した何かから――ドロップアイテムを机の上へと並べ――るのは不可能なため、床に布を敷いて置きはじめた。

 

「……これは……!」

 

 ごろりと転がるでは済まされない大きさの、バロールの邪眼。黒々と光る、ウダイオスの黒剣。アンフィス・バエナの竜胆、ゴライアスの硬皮、さらにはカドモスの被膜まで――。階層主クラス、いや深層の伝説級モンスターのドロップ品が勢揃い。

 

 どこから出した、ではない。ナナシであれば、容量無視の魔道具くらい持っていて当然だ。問題は――なぜこれを所持しているか。

 

 バロール単独討伐の例など、空想の産物扱いされている。風の噂でオラリオ最強の冒険者オッタルが挑んでいるとされているが、その真偽は定かではない。

 それを目の前の少年が、いとも簡単に「どうぞ」とばかりに差し出しているのだ。

 

 協力ファミリアもなし。所属もなし。

 

 つまり、ソロ。

 

 思考を放棄してベッドにダイブしたくなる。

 だが、ヘファイストスは鍛冶の神だ。己の矜持が、簡単に白旗を上げることを許さない。

 

(……この素材、どれだけの名品が作れるか……っ!)

 

 興奮を押さえ込もうとする手が小さく震える。市場には決して出回らぬ品々。そのすべてが、いま手の届くところにある。

 

 しかし、待て。

 これは明確な罠だ。

 まだ素材は自分の物ではない。ナナシは「農場」と引き換えにこれらを提供すると言っている。それなら、農場を用意する必要がある。

 

 もちろん、ナナシの持つこの素材を売り払えば、土地の一つや二つ簡単に買えるだろう。だが、それはつまり――自分の手から、この至高の素材が失われることを意味する。

 

(勿体なさすぎる……!)

 

 神とはいえ、下界にいる限りはただの人と大差ない。私利私欲に抗えないことだってある。むしろ、自分はまだ理性を保っている方だ。

 

(よし、私はまだ女神の品位を保っている。うん、大丈夫)

 

 自分に言い聞かせながら、都合の良い理屈で脳内会議を終了したヘファイストスは、意を決して言った。

 

「……デメテルのところに行きましょう」

「ファイたんの存在意義……」

「……」

 

 たらい回しにされただけじゃないか、というナナシのつぶやきに、ヘファイストスはそっと目を逸らした。

 

 ――そして、自らの欲望を満たすべく、動き出したのだった。

 

 ◆

 

「失礼するわ」

 

 扉を開けて一歩踏み出す。優雅な仕草と落ち着いた声が、陽だまりのような部屋に響く。

 

「あら、ヘファイストスじゃない? これは珍しいわね。あなたが私のファミリアを訪れるなんて。何かあったのかしら?」

 

 デメテルがふわりと笑いながら振り返る。その胸元は、季節外れの豊穣を思わせるような膨らみで、アリーゼやリューが見れば、きっと瞳の光を失い、現世に絶望するレベルだろう。

 

 「オラリオの巨峰は世界一」──そう囁かれているが、果実だけの話ではない。

 

 そんな場に、鍛冶の神が姿を現した。生産の神と農業の神の邂逅。だが、事情を知らぬデメテルは、可愛く小首を傾げるだけだった。

 

「旧交を温めに来た――って言えれば良かったんだけど、ごめんなさい。今日は相談があって」

「それは……隣の男の子に関係があるのかしら?」

 

 視線は、ヘファイストスに付き添ってきたナナシへと移る。

 

「農場が欲しい。ファイたんの不動産では扱ってなくて」

「私は不動産屋じゃないわよ」

 

 息の合ったようなやり取りに、デメテルの目がぱちぱちと瞬く。

 

「へぇ……ヘファイストスも、ずいぶん面白い子を眷属にしたのね。でも農業をしたいなら、うちのファミリアの方がよかったんじゃないかしら?」

「勘違いよ。この子は私の眷属じゃないわ。そもそも、どこの子でもないの」

「あら、そうなの?」

 

 神と行動しているからといって、すべてが眷属とは限らない。デメテルもそれは理解している。懇意にしている商会に頼まれて来たのだろうと、なんとなく納得した。

 

 まさか、目の前の少年がオッタルにすらなしえていない単独でのバロール討伐を成功させるほどの化け物などとは、思いもよらず。

 

「この子、ちょっと……いえ、かなり特殊でね。興味があることはなんでもやるタイプなの。農場の件もその一環よ」

「あらあら、ずいぶんと優しいご両親がいらっしゃるのね」

 

 その言葉に、ナナシはあっさりと答えた。

 

「親はいないけど、金はある。というより、ファイたんからむしる」

 

 ……数秒の静寂。

 

 デメテルの思考が停止する。

 

 一方、ヘファイストスは「むしるって何よ……」と小さく呆れつつも、素材は買い取る予定なので、否定はしなかった。

 

「……ご、ごめんな――」

「別にいいよ。見た目は子供だからね。そう思うのは自然。そんなことより、農場が欲しい。第一段階としては、爆走するキャロットを作るところからかな」

「……ちょっと待って。話が急すぎて、私の頭が追いつかないのだけれど……」

 

 デメテルは本気で混乱していた。爆走キャロット。何その言葉。野菜って、走るの?

 

「出資者に企画の説明は必須。任せて」

 

 ナナシは堂々と胸を張ると、いつもの調子で企画の概要を語り始めた。

 

「仮想ダンジョンの環境構築。その再現実験として、魔力密度を一定に保ちつつ、生態系の変化を観察する。通常の農作物が、異常な環境下でどう進化するのか……これは農業、魔物学、生態魔導の分野にまたがる壮大なプロジェクト!」

 

 ぱんっと手を叩きながら語るその顔は、楽しげというより若干怖い。

 

「たとえば、人参が地下から飛び出し、高速で駆け回る。葉っぱをなびかせ、道行く者に手を振るキャロット。いいね? 食糧と冒険の融合だよ!」

「……理解が追いつかないわ」

「つまり面白い。面白いは、すべてにおいて優先されるべき概念なんだ。一緒にダンジョンを作ろう!」

 

 農場の話が、いつの間にか仮想迷宮開発にすり替わっていた。ヘファイストスとデメテルは言葉を失う。

 

(この子……頭のネジが……いや、そもそもボルトごと外れてるんじゃ……?)

 

 そんなデメテルの心の声をよそに、ナナシは真剣だ。

 

「もちろん、安全面も考慮してるよ。結界魔道具も開発済み。24階層クラスのモンスターまでなら封じ込め可能。いずれ深層級野菜が出てきたとしても、結界も強化するから問題ない」

 

 そう、あくまで安全第一。迷惑はかけないという建前を掲げる少年。

 

 今まで散々人を巻き込んできたくせに、どの口が言うのか。

 

「収穫担当者のレベルが心配だけどね。毒は持たせないようにするつもり。食材であることはマスト」

「へ、ヘファイストス……」

「言ったでしょ。特殊な子なのよ。でもね……たぶん、この子の言うこと、実現できるの」

「……特殊すぎるわよ」

 

 本気で頭を抱えるデメテル。理解できない。でも、神の能力が告げてくる。この子は嘘をついていない。

 

 それが、また厄介だった。

 

(ありえない……そう思えたら、どれほど楽か)

 

 隣でへファイストスは、どこか居心地悪そうに咳払いする。彼女自身、ナナシの計画を事前に聞いていたわけではない。単に素材に釣られて同行しただけだ。だが、今さら引き返せない。

 

「少し……考えさせてちょうだい」

「狭くていいから、実験スペースを提供してほしい。レポートは目にしたくなくなるほど精密なやつを出すから」

「出資者に嫌がらせしないで」

 

 ヘファイストスが苦笑交じりにたしなめる。

 が、そこにいた誰もが、気づいていなかった。

 

 ――これは、オラリオに未曽有の災厄をもたらす、始まりだったのかもしれない。

 

 そんな可能性に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「好きな言葉は平凡な日常です!」

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