優神を許さないのは何も間違っていない   作:生物産業

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第18話 ちょっと何言ってるかわかんない

「それ、寄こせよ。俺たちが有効活用してやる。金になるぞ、それ」

 

 湿った風が吹き抜ける裏路地。薄暗い石畳の路地裏に、血走った目を光らせた男たちが立ちはだかる。

 

 鎧はぼろぼろ。外套は染みだらけ。口から漏れるのは、薬臭さとアルコール。いかにも“こじらせた系”の小悪党。ソーマ・ファミリアの、それも末端の連中。

 

「魔道具か? どうせ拾いもんだろ? ガキが持ってても意味ねぇって」

 

 ナナシは彼らの言葉を聞いていたが、反応はなかった。

 

 いや、正確には“聞いていなかった”と言ってもいいだろう。意識はすでに次の実験案に向かっていた。

 

 彼の手には、データ記録型の魔道具が一つ。

 

 実験メモ用に起動させたそれを、ちょうど路地裏で確認していたところだった。見せびらかしたつもりなどなかったが――まあ、見せたのと同義か。

 

 結果、こうして絡まれる羽目になる。ナナシからすれば、面倒な割に生産性ゼロの時間だ。

 

「なぁ、少し痛いの我慢すれば――」

「だまりんす」

 

 ぽつりと、乾いた音のように言葉が落ちた。

 

 その瞬間、男の一人が崩れるように倒れた。何が起きたのか、傍から見ていた仲間ですら理解できなかった。

 

 レベル5の冒険者でさえ反応困難な、神速のフック。ましてやこの程度の連中に見切れるはずもない。

 

 ただ一発。それだけで地に沈む。

 

「盗人ごときが、僕の貴重な時間を奪うとは。これで尻狙いなら死んでいたよ、全く」

 

 呟きながら、ナナシは肩についた埃を払った。

 

 その物言いは、まるでゴミ掃除を終えたあとのような淡々さだった。

 

「は、はァ!? 俺たちを盗人だと!? ソーマ・ファミリアの冒険者をなめてやがるのかっ!」

 

 怒声をあげたのは、まだ何も理解していないバカの一人。

 ナナシはその叫びを受けて――ふっと口元をゆがめた。

 

 ――笑った。邪悪に、愉快げに。

 

 次の瞬間、懐から通信端末を取り出し、ボタンを押す。その前に軽く腕をふる。

 叫んでいた男たちは、壁にめり込み、意識を飛ばしていた。通話前のマナー。騒音を控えるべし。

 

『……は? 何の用だ、いきなり』

 

 返ってきたのは、少し苛立ったようなライラの声。

 

 彼女もすでにナナシに慣れているとはいえ、こういう時の呼び出しは大体――ろくでもない。

 

「あ、うん。三日月に杯のエンブレムね。ありがとう。え、問題起こすなって? 何言ってんの、僕は被害者。加害者に賠償責任を問うのは当然でしょ? 心配ならアーディでも寄こしておいて。後片付けに便利だし」

 

『いやちょ――』

 

 ライラの声が何かを言う前に、通信はぷつりと切られた。

 

 ナナシはいつものように一方的だった。

 そして、再び視線を男たちに向け――

 

「というわけで、僕は悪くない。だから遠慮なく、交渉に行くよ」

 

 そう言って、何事もなかったように歩き出す。

 向かう先は、ソーマ・ファミリアのホーム。

 情報はライラから聞き出した。

 

 一言で言えば、運が悪かった。ナナシ以外が。

 

 そう。ほんのちょっと、運が悪かっただけ――男たちにとっては、取り返しのつかないレベルで。

 

 ◆

 

 ソーマ・ファミリアのホーム――。

 

 かつては清貧を尊び、酒神の恩寵を求めて集った者たちの拠り所。だが今は、金と暴力にまみれた、もはやファミリアとは名ばかりの場所。

 

 そんな空気の中に、少年が一人。

 

 ナナシはその中心で、悠然と椅子に座っていた。目の前には、眼鏡にネクタイ、白いシャツをきっちりと着こなしたザ・営業マンという見た目の男――ザニス・ルストラ。

 

 ナナシを襲ったものの一人を引きずりながらホームに来訪。

 制止する門番を無視して、責任者に会わせろと一言告げる。

 子供だと侮って絡んできたものは、すでに地面に転がっている。

 対応できなくなり、ファミリアの団長が応対することになったのが今だ。

 

「なるほど。君が、うちの団員を傷つけて、ここまでやってきたと」

 

 ザニスは卓に置かれたワイングラスをゆらゆらと揺らしながら、どこか余裕のある微笑を浮かべていた。理知的で、優雅。だが、その笑みの奥には、相手を見下す含みが確かにあった。

 

「頭悪いの? 人の話聞いてた? 被害を受けたのは僕の方。なので、請求に来た」

「請求?」

 

 頭が悪い。そう言われたザニスの目頭がぴくついたが、相手は子供と大人な対応に努めた。

 

「5億ヴァリス」

 

 ナナシは、ごく当たり前のように金額を口にした。

 その一言に、ザニスの眉がわずかに動く。

 

「……はて。子供一人の魔道具が、それほどの価値を持つと?」

「持つよ。ぶっちゃけ、今まで取引してきた情報がも入ってるしね。利用すれば、普通にそれ以上稼げる。まあ、僕以外に扱えるとは思えないけど」

「ふむ、なるほど」

 

 ザニスは椅子に深く腰を沈め、優雅に手を組んだ。

 相手は子供、だが、ただの子供ではない。

 小人族(パルウム)の大人という可能性もあるが、どちらにしろ脅威ではない。

 そう判断したザニスだったが、なぜか冷や汗が止まらない。

 それでも、子供なのだ、言いくるめるのは簡単だと口を開く。

 

「しかしだな――」

 

 彼が語り始めたのは、まるで舞台俳優のような、流れるような理詰めの反論だった。

 

 曰く、道端でトラブルが起きたのは偶然であり、団員個人の逸脱行為にすぎない。

 曰く、ファミリアとしての責任を問うには根拠が薄く、請求の法的正当性が欠けている。

 曰く、そもそも子供が単独で交渉に来ること自体、正常な判断力を欠いており――

 

「5億」

 

 ナナシの返答は、それだけだった。

 

「……え?」

「5億。さっさと払え。ファミリアの人間が集団で襲ってきた。つまりは組織的。そちらの事情をこちらが汲む必要はない。責任者の管理不足。しっかり責任をとってもらう。それが組織というもの」

 

 ザニスの笑みが、わずかにひきつった。

 ナナシのあまりに暴論すぎる主張に。

 そしてそれを全く悪いことだと思ってもいないその精神性に。

 小悪党にすら頭がおかしいとナナシは思われてしまう。

 

「……君は、分かっていないようだね。私は、譲歩の余地を持って交渉しているんだ。団員の処分も行う。形としての謝罪も――」

「5億」

 

 その言葉を、少年はぶれずに返す。

 

 その態度に、ザニスの中の“理性の仮面”が、音を立てて剥がれ始めた。

 

「……いいだろう」

 

 ザニスは立ち上がり、部屋の奥に控える団員に目配せをした。

 

「彼に、痛みを教えてあげなさい。“交渉”とは何か、身体でな」

 

 数人の冒険者が動き出す。

 ナナシは、まったく動かない。

 

 次の瞬間――

 

 バキンッ!

 

 乾いた音が鳴ったかと思えば、一人、二人、三人――。

 

 全員が、同じ方向に同時に吹き飛んだ。壁に、床に、そして柱に――音を立てて、意識ごと突き刺さる。

 

 部屋に響くのは、木くずと石の破片が落ちる音だけ。

 

「……へ?」

 

 ザニスが一歩、後ずさる。

 表情から、余裕が消える。

 こんなはずではない。あるはずがない。

 脳内でなんでもその言葉繰り返される。

 しかし、現実はこんなはずだった。

 

「暴力による交渉? 任せて得意分野。知力に自信があるなら暴論で、武力に自信があるなら圧倒的な暴力で。これが僕の交渉力さ」

 

 自信満々にとんでもないことを言ってのけるナナシ。

 

「バカな……この、ガキが……!」

 

 ザニスの顔から、笑みが完全に消えた。

 叫びながら、腰に装備していたナイフを掴む。

 

「舐めるなよ、クソガキがぁあああ――!!」

 

 吠える。

 踏み込む。

 だが。

 

「舐めてるよ?」

 

 そして、飛ぶ。

 拳が。

 ザニスの頬に、鮮やかに突き刺さった。

 その瞬間、ザニスの体は地面に激突する。

 面白い様に跳ねて、鈍い音を立てて再び地面に舞い戻る。

 

「交渉は決裂。よって報復処理に移行します」

 

 ナナシは手をゆっくりと振り下ろし――

 

 パァン!

 パァン!

 パァン!

 

 頬を的に、百裂ビンタを開始した。

 文字通り、容赦なく。音のリズムすら美しく。

 吹き飛びそうなザニスの顔を、理不尽な高速連打が襲う。

 

「ストップ」

 

 その手が止められたのは、アーディが慌てて駆け込んできた直後のことだった。

 

「……お疲れ様。やりすぎ。顔がもう御用案件だから、ストップで」

「被害者は僕なんだけどな」

「わかる。でも、その被害者が顔面を100発以上殴ったら、もう別件だからね」

 

 アーディはため息をつきながら、倒れた団員と部屋を見渡す。

 

「まー……ここぞとばかりに、調査しちゃおうかな。あまりいい噂聞かないし」

 

 ごめんちゃいと可愛く謝罪し、執務室にあった、机の引き出しから資料や薬品、刻印付きの契約書に目を通す。

 厳重にカギを掛けられていたが、レベル4の彼女には無意味なものだった。

 

「……これは……」

 

 表情が険しくなる。

 それは闇派閥(イヴィルス)との関係を示す証拠。裏で流れていた密売ルートの痕跡だ。

 

「やっぱり、ね。最近の噂、嘘じゃなかったか」

 

 アーディは端末を取り出し、ライラに連絡を入れる。

 

「こちら、アーディ。ソーマ・ファミリア内で闇派閥(イヴィルス)との繋がりを確認。お姉ちゃんに協力してもらって、人員を送ってもらって。徹底的な調査が必要」

 

 ナナシはその様子を見ながら、ソファに腰を下ろす。

 

 その時だった。

 半壊した扉が軋む音を立てて開かれた。

 黒髪の神、ソーマが現れる。

 

 その歩みはまるで重力を持たないように、無音で、無気力に。ただ在るだけの存在として部屋へと入ってきた。

 

「……誰だ?」

 

 それだけを呟くと、彼は床に転がる団員たちをちらりと見るでもなく、視線をナナシたちに向けた。

 騒動があったことなど気にもしていないようだった。

 

「……え、えっと。神様? あなたのファミリア、結構な数が気絶していますよ」

 

 アーディが困ったように、けれどやや呆れたような声をかける。 

 

「自分の子供なのに、気にしないのですか?」

 

 どこか、アーディの言葉には怒気があった。

 その問いかけに、ソーマはほんの僅かに目を細めた。

 

「……もう、関心はない」

 

 静かに、けれど確かに。 

 

「こいつらは“神酒”に飲まれた。意思も誇りも捨て、ただ快楽に溺れる。そんな者を、俺の眷属と呼ぶのは……虚しいだけだ」

 

 ソーマはそう呟くと、ローブの内側から一本の瓶を取り出した。

 透き通った液体が、グラスに注がれる。

 

「これが、その“神酒”ですか?」

「ああ。……下界の者は、この香りだけで魂を奪われる。堕落した存在に成り下がる」

 

 言葉に感情はなかった。だが、その視線の奥には、諦めと、わずかな怒りすらあった。

 

「飲んでみるか?」

 

 差し出されたグラスを、アーディは躊躇うように見つめた。

 

 だが、横から――

 

「大した自信。自称味覚王である僕がテイスティングしてあげよう」

「自称なんだ」

 

 ナナシがスッと手を伸ばし、グラスをひったくる。

 

「あ、ナナシってまだ子――」

 

 止める間もなく、少年は一気に飲み干した。

 子供に酒を飲ませてしまったと、アーディが慌てる。

 

「……ふむ。なるほどね」

 

 喉から胃の奥へ、まるで液状の焔が滑り込むような感覚が走る。

 

 口の中に広がるのは、花蜜のような甘さと、どこか土の香りを思わせる複雑な芳香。熟成香の奥には、ほんのりと果実の酸味と、金属的な余韻。魔力に直接訴えかけてくるような、脳髄をくすぐる波動すらある。

 

 ナナシは目を細めながら、空になったグラスを見つめた。

 

「確かに、これなら酔わせるというより、堕とすって表現の方がしっくりくる。堕落した冒険者、確かに納得だ。香りだけで脳の判断力を鈍らせて、味覚に快楽物質を叩き込んで、飲んだ本人の価値観を数秒で塗り替える」

 

 ソーマがわずかに目を見開く。 

 

「恐ろしいほど完成されてる。まさに魔性の酒ってやつだね。飲み干した者が酒に酔うんじゃない。この酒の一部になる。彼らが依存したのも納得」

 

 ナナシはグラスを傾けながら、くるくると回して残った一滴を観察する。 

 

「……ただ――」

 

 そこで言葉を切り、ソーマの方にニヤリと笑いかける。

 

「美味しいのは確か。でも僕の特製ドリンクの方が好きだな。これ、刺激は強いけど、繊細さに欠けるし、余韻が単調。あと、バフ効果が持続しても精度がブレる。使い所、選ぶね。これならアストレア・ファミリアの風呂場の残り湯を聖水とかいって売り出した方がお金になりそう」

「ちょっと何言ってるかわかんない」

 

 思わず突っ込むアーディを横目に、ソーマが珍しく沈黙する。

 

 その視線は、少年――ナナシに注がれていた。

 

「……お前は、酔わないのか?」

「うん。ていうか、これって酔わせるための酒でしょ? 味じゃなくて効果狙い。神酒なんて大層な名がついて逃げの一手、ちょっとがっかりだよ」

 

 ナナシはソファに座りながら、グラスを逆さにして見せた。

 

「ごちそうさま。代金は今回の件と相殺してあげる。ホントなら全然足らないけど、君ら捕まるだろうし、お金もなくなるだろうから、僕の優しさ割引ってことで」

「割り引いて、半壊か。優しさってなんだろうね。むしろナナシの方が加害者」

 

 アーディが哲学を開始する。

 かつて正義とは何かと神に問われたことがあるが、別ベクトルの問いに、彼女の視線はどこか遠かった。

 

「……ふ」

 

 そこでようやく、ソーマの口元がわずかに緩んだ気がした。自分の酒が取るに足らない。なんなら美少女たちの残り香以下と言われている。

 

 そう言われたはずなのに、彼にとって屈辱よりも愉快さの方が勝ったようだ。

 

 神は何も言わず、静かに踵を返す。

 

「……いい感じに去ったけど、お姉たまが来たらひっ捕らえるってこと忘れてるよね」

「それは言わない約束だよ……」

 

 この日、ソーマ・ファミリアの勢力は怖ろしいほど衰退した。

 団長のザニスを含め、彼に近しいものは闇派閥とのつながりがある証拠を掴まれ、恩恵を封印されて牢屋行きに。顔が見分けがつかないほど膨れ上がっていたが、ソーマが恩恵を封印する際に、ステータスで確認ができた。

 

 ザニスとは関係なく、問題行動や小犯罪を犯していた者には厳重注意やペナルティが課される。

 そして、残ったファミリアの中で改宗(コンバージョン)を望むものは、別のファミリアへの移籍が可能となった。

 

 神であるソーマにも相応の罰が下され、当面、酒造りは禁止。

 解禁されてからも、醸造にかかる費用の捻出のために団員たちが問題を起こしたら、即時解散という話で決着がついた。

 

 

「あの子は、一体何者だったんでしょうか?」

 

 自分と同じくらいの少年がファミリアを半壊に追いやった。小さな小人族(パルウム)の少女の未来は、少年の八つ当たりによって大きく変化するのだった。

 

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