「おや?」
視界の端に流れるような緑が揺れた。
深緑の長髪、気品を纏い歩くその姿は、まるで歩く芸術品。
彼女の通る道を遮る者は誰もおらず、まるで“そうあるべき法”が存在するかのように人々は左右に散り、遠巻きからそっと彼女を讃えていた。
けれど、ひとりだけ。
まるで道の真ん中がマイホームの廊下かのように、少年がふらふらと歩いてくる。
「やっほー」
笑顔で手を振る少年に、彼女――リヴェリア・リヨス・アールヴは、深々とため息をつく。
「……お前くらいだ、私にそんな態度を取るのは」
ナナシとリヴェリアの出会いはダンジョンで偶然であった。
24階層を探索していたナナシと、素材集めに同階層を訪れたリヴェリアが、子供が一人でこんなところにいると、不思議に思って近づいたのが始まりだった。
その時はそれくらいで別れたが、時折ダンジョンや街で会えば挨拶や少し会話するくらいの中に自然となっていた。
「え? リヴェリアっていじめられてんの? かわいそ……」
どこまでも本気で哀れむ瞳。
リヴェリアは額を押さえた。
「おい、どうしてそういう発想になる……」
「だって、みんな目も合わせてくれないんでしょ? 挨拶もされないし、距離も取られてる……これ、典型的ないじめの構図じゃん?」
「……私はエルフの王族だと言わなかったか?」
「それと“ぼっち”の因果関係がわからないよ。僕、ひゅーまんだし。王族とか関係ないし」
「常識的にあるだろう、関係……」
「僕の辞書に“王”に敬意を払うなんて載ってないんだ。あるのは“無知”と“無謀”と“無能”だけ」
清々しいまでの問題発言。だが、ナナシの目はどこまでも真っ直ぐだった。
リヴェリアは黙って、彼の頭を雑にわしゃわしゃと撫でる。
普段の彼女ならしない行動だ。
「さすが陰険エルフ。人の頭を何だと思ってるの?」
「バカだと思ってる」
「わぉ。過去最大級のストレート罵倒。やっぱり僕の知ってるエルフは性格悪い」
「お前にだけは言われたくない」
「でもガレスは僕のこと、“真っ直ぐな心根の持ち主”って褒めてたよ?」
「……間違ってはいないが、良い意味で言ったとは限らん」
そこだけは同意するリヴェリア。彼女は少し目を細め、ナナシに尋ねる。
「今日はどこへ行くつもりだ?」
「もちろん、ダンジョンだね」
「……ふむ」
一瞬、思案。すぐに決断。
「私も同行しよう。今日は暇だからな」
「え、邪魔」
「即答だな」
リヴェリア・リヨス・アールヴ。
オラリオ最大手ファミリアの副団長にして、“九魔姫”の異名を持つ最強の魔導士。
そんな彼女に、即「邪魔」発言。
聞いていた者がいれば、暴動のひとつも起きていたかもしれない。
「私は強いぞ?」
「それならもっと邪魔」
「ぐぬぬ……!」
ナナシにとって、ダンジョンは“おもちゃ箱”だ。
知的好奇心を満たす冒険の場であり、未知と遭遇する刺激の海。
「僕にとって“強い人”は、楽しみを奪う存在でしかないんだ」
「……お前とアイズは、やっぱり似てるな」
「誰それ?」
「うちの問題姫だ。気を抜けば、すぐにダンジョンに潜っていく」
「おお~気が合いそう」
「絶対に会わせん」
二人が出会えば世界が加速する――悪い方向に。
リヴェリアの脳内に“オラリオが火の海”のビジョンが浮かぶ。
「いいけど。てか僕、リヴェリアにもそんな興味ないし」
「……ちょっと傷ついたぞ?」
地味にショックを受けているリヴェリア。悪気なく罵倒されたのは初めての経験かもしれない。
「僕の興味は今はダンジョンだよ。未知がいっぱい、楽しいがいっぱい」
「ほう?」
「モンスターの動きとか、生態とか、ドロップアイテムとか……そういうダンジョンの“仕組み”を知りたいだけ」
その言葉に、リヴェリアはわずかに目を見開いた。
この子は──世界を“遊んでいる”。
「……ならば、せめて、せめて命だけは粗末にするな。笑っていろ。お前は、バカみたいに笑ってる方がいい」
「なんて暴言……」
お前が言うなとリヴェリアが言おうとしたところで、突如、石畳にどしんと重たい音が響いた。
「ふっふっふ、なんだい、不細工のリヴェリア。こんなところで道草とは珍しいじゃないかァ?」
ドン、と腰を突き出し、これでもかと自己アピールをする巨体が、ナナシとリヴェリアの前に立ちはだかった。まるで通せんぼ。
カエル型のモンスター。ナナシが目の前の人物に抱いた素直な感想だ。
普段、アリーゼ達を美少女なのにクソと罵っている彼。
しかし、それは彼女たちが本当に綺麗であり、その綺麗さなら多少の暴言を吐かれてもしかたがないという、ナナシの個人的な妬みからくるものだが、そんな彼でも目の前の人物に直接的に言うのは控えた。
そう控えてしまった。王族であるリヴェリアにすら使わなかった気を、この場で使ったのだ。
そんな彼女に抱いた感想が、モンスターである。それを言わないだけの良心がナナシにも残っていたのだ。
一方、気を遣われた彼女はそんなことは知りもしない。自分こそが地上で最も美しいと言わんばかりのプライドで身を包んだその女は、堂々たる態度で笑う。
──フリュネ・ジャミール。
オラリオ屈指の規格外――いろんな意味で。イシュタル・ファミリア所属、そして美を追い求める狂戦士である。
「……また会ったな、
「ゲゲゲゲゲッ! これだから不細工はやだヨ。アタイの美しさにすぐに嫉妬するからさ」
美の基準というのは人によって違う。天界を含め、現在最も美しい存在は誰と聞かれれば、フレイヤの名前が確実に上がる。
しかし、ナナシからすれば、
目の前の人物もきっと似たような感性なのだろう。
自分こそ、至高。その基準で他者を評価すれば大抵は不細工となる。
ナナシがモンスターと勘違いしたほどの容姿、普通の人間と感性が違うのも納得だ。
「上層だとオーク、中層だとミノタウロスあたりが好みにあうんじゃないかな?」
「ああん? 不細工エルフ、あんた、こんな小便臭いガキにご執心かい? エルフの感性はアタイにはわからないネ」
おそらく、彼女の感性を理解してくれる人間はなかなかお目にかかれないだろう。
「貴様と感性が合わないという点だけは同意してやる」
「同じく」
ナナシがリヴェリアにのっかる。
「用がないならどけ。目障りだ。私の美意識では貴様は見るに堪えん」
「めっちゃ言うじゃん。僕ですら気を遣ったのに」
過去何度か諍いを起こされたリヴェリアにとって、目の前の
「違うね、不細工。見た目以外もダメだから貴様は未熟なんだヨ!」
フリュネは自信満々に胸を張った。物理的に空間が圧迫された。
「真の美とはッ! このこぼれ出る肉体の躍動感! 溢れる自信! ほとばしる性への肯定ッ! そうだろう、クソガキ!」
フリュネの情熱の矛先がナナシに向いた。
「え、僕?」
「そう! そこの貧相で未熟そうなガキ! このワタシの美をどう思うッ!」
リヴェリアが止めようと口を開くより早く、ナナシはポツリと答えた。
「……すごい」
「ふふん♪ 当然だな! あと数年したら抱いてやるよ」
「全力でお断りします」
「身の程を知ってるってことかい? さすがにアタイ程の美人は敷居が高いってことだね!」
その言葉に満足そうに腰を振るフリュネをよそに、リヴェリアが眉をひそめた。
「お前は何を言っている」
「リヴェリア、人の感性はその人のものだよ。あれだけ自分が最高の美だと信じているんだ。それを覆すなんて僕たちには不可能だよ」
「……確かに」
「他人がどう言おうと、自分こそが美しいって、堂々と自信満々に言えるその強さ。その一点に関してだけは、素直に賞賛するしかない」
ナナシは真顔だった。
皮肉でも冗談でもなく、完全な本気のトーンである。
「なるほど……そういう考え方か」
「そういう事。ぶっちゃけしゃべるモンスターって思ってしまった数分前の僕を殴ってやりたいくらいだ。あの人基準で言えば、僕やリヴェリアなんてゴブリンと同じさ。不細工と言われるのも仕方がない」
「あれを美の頂点とするならそうかもしれん。少しは長く生きたという自負があったが、思い上がりだったようだ」
「仕方ないよ。世界にはいろんな未知がある。それを受け入れるかは別として、そう言う考え方もあると理解しなくちゃ」
そう言って二人はフリュネに向かって、頭をぺこりと下げた。
不細工だと思って済まないと。
酷い謝罪である。
「不細工の醜い嫉妬ったらありゃしないネ。とりあえず、喧嘩を売っているってことは分かったヨ。ガキに食指は動ないが、今のうちに最高の美を教えて、他のメスじゃ満足しない体にするのも悪くはない」
フリュネの笑顔がさらに広がる。
「これが男女差別。リヴェリア、今だけ男になって」
「無茶を言うな……」
フリュネのレベルは5。レベル6のリヴェリア相手では分が悪いと思ったのか、標的をナナシに変える。
「さあ、天国を見せてやるヨ!」
その巨体からは考えられないほどのスピードの突進。魔導士であるリヴェリアでは、反応はできても防ぐことは難しい。
巨体×速さはそのまま威力に直結する。防御魔法を放つことが出来れば脅威でもないが、その時間は彼女にはなかった。
仕方なく抱き込むようにしてナナシをかばおうとするが、それよりも早く、ナナシが動いた。
「貞操危機パンチ!」
「ぐぇ!!」
男女平等パンチが突進してきたフリュネの顔面を捉える。
ヒキガエルが踏み潰されたような声をあげて、フリュネは吹き飛ばされていった。
かつてオラリオ最強がぶん殴られた時の数倍の距離を錐もみしながら飛んでいく。
狙いすましたのか、民家や人に被害はなく、フリュネはゴミ捨て場にその身を投棄される結果となった。
「ふぅ~。モンスター討伐だね。あ、間違えた。美の化身退治だね。体裁は大切」
「……おい。今の力はなんだ? あの化け物は曲がりなりにも第一級の冒険者だぞ」
レベル5を軽々と吹き飛ばす存在。自分と同格で同僚のガレスをもってしても、フリュネを同程度吹き飛ばすことはできない。
「ほら、価値観の違いだよ。僕は最強。ただそれだけ。受け入れなきゃ。じゃ、僕はダンジョンに行くよ。あでゅー」
そう言ってナナシの姿は消えた。
「な、何なのだ……一体」
自分が預かっている問題姫よりもはるかに問題児なのでは?
リヴェリアはこの日、初めてナナシの脅威を知ることになるのだった。