「むふふ」
「その笑い方、気味が悪いからやめた方がいいって、前にも言ったよね?」
あどけなさが残る青髪の少女が、不気味な笑みを浮かべるナナシに苦言を呈する。
「ただのひもの戯言だよ。僕の信念を揺るがすには百年早い」
「君の気味の悪さと“ひも”は関係ないでしょ!?」
「ひもとは、自らの全権を他者に預ける愚行。そんな輩に人権など無いも同然。つまり、戯言」
「な、なんて人権侵害……」
相変わらずの暴論に、少女はあきれ果てたようにため息をついた。もっとも、このやり取りもすでに半年の付き合いになる。
二人の出会いは、まさに偶然だった。
当時九歳だったナナシは、すでに世界の真理の一端を垣間見ていた。理解を越えた理不尽に満ちた環境から逃げ出し、放浪の旅に出た。
その身一つで世界を渡り歩けたのは、異様とも言える悪魔の力とそれによって生じた副産物ともいえる知識のおかげだった。
その日、ナナシは人里離れた森で獣を仕留め、食事の準備をしていた。
そんなとき、視界がふっと白む。
(まぶしい)
思わず目を細めたその瞬間、目の前に血まみれの少女が現れた。
ゼロ距離で魔法を浴びたかのような惨状。腹部は裂け、内臓が露出し、意識もない。
まだ生きているのが不思議なほどだった。
「……まぁ、助けるか」
淡々とした表情で、ナナシは少女の身体に手を添えた。次の瞬間、大地が轟音と共に砕ける。
土煙を払いながら、ナナシは「ぺっぺ」と口の中の砂を吐き出した。
異常な音が響いたにもかかわらず、少女はぴくりとも動かない。だが、身体の傷はすでに跡形もなく消えていた。
呼吸すら止まっていた彼女が、今は穏やかな寝息を立てている。
(さて、これからどうするか)
ナナシは少女を見下ろしながら、獲物を調理する手を再び動かし始めた。
それが、約二年前の出来事だった。
――そして現在。
「命の恩人というのは、それだけ偉大なんだ」
「はは~」
少女は両手を上げ、深く頭を下げる。
こんなバカげたやり取りができるようになったのは、つい半年前のこと。治療を終えた少女が目を覚ましたのたのがちょうどその頃だ。約1年半ほど、彼女は眠りについていた。
そうして目覚めた第一声が――
「え、私は誰?」
あまりにテンプレなセリフに、ナナシは一瞬ツッコミを入れそうになった。
少しの会話で、彼女が記憶を一部失っていることが分かった。会話を続けていくうちにその曖昧な記憶も思い出されていった。
彼女の話によれば、自分はオラリオの治安維持を担うファミリアに所属していたという。
(……自分とは違うタイプか)
ナナシは己の出自を知らない。ただ、地獄のような環境で意識を持ち、胡散臭い爺さんに拾われ、なんとか生き延びてきた。
正義感などない。ただし、死にかけの少女を見捨てるほど冷酷でもない。
せめて身体が動かせるようになるまで、旅に同行させよう――そう決めた。だが、それは容易ではなかった。
ナナシの治療による反動か、少女は全く目覚めず、目覚めてもその身体は自らの意思で動かすことができなかった。
「ぶっちゃけ下の世話までした僕に、君は一生頭が上がらないと思う」
「な、な、なっ……!?」
顔を真っ赤に染める彼女は、耳まで真っ赤で、今にも湯気を噴き出しそうだ。
半月ほど前、ようやく動けるようになった少女は、歓喜の声を上げていた。
彼女にとって唯一の救いは、ナナシがまだ子供だったという事実。それすらも慰めにならないかもしれないが、大人の男に世話をされたよりは、まだマシだった。
「こ、こほん」
「取り繕っても無駄だよ」
「いいからっ!」
赤面しながら話題を変えようとする彼女に、ナナシはやれやれと肩をすくめる。
「ようやく体も思い通りに動くし、お姉ちゃんに会いに行こうと思って」
「街の憲兵はガネーシャ・ファミリアが担当してるって話だったよね。君の所属先でしょ?」
「そうだね。だから……どんな顔して会えばいいか」
「今さらでしょ」
ナナシと少女がオラリオ入りしたのは、ほんの一週間ほど前。
少女が目を覚ましてからの旅路は、体が不自由な彼女を連れてのものだったため、半年近くかかった。
本来なら正面から入っても問題ない。だが、ナナシは門番への説明と面倒な手続きを忌避した。
理由は――面倒だから。
その一言で法を破ろうとするが、他国でもやっていたので本人は今さら感。
少女が泣く泣く従い、人気のない深夜に城壁を登って侵入。
ナナシ曰く、「人間、頑張れば垂直も走れる」
それを信じる者がどれほどいるかは別として、事実として都市への潜入は成功した。
宿を取る余裕はなく、ファミリアへの帰還も却下されたため、二人の居住先は廃教会となった。
荒れ果てた教会も、ナナシの手にかかればそれなりに住める空間へと早変わり。
地下の隠れ家で、二人の奇妙な共同生活が始まった。
そうしてようやく少女が動けるまで回復したのだ。
「さて、街でもぶらつきますか?」
「おやおや少年、お姉さんとデートしたいのかな?」
にやにやと笑う彼女は美人で、確かに魅力的だ。
だがナナシにとって彼女は、すでに“世話した対象”であり、恋愛対象外。
「少年を前にいやらしい顔する自分の変態性を自覚してくれる? 貰い手いなくなるよ。あ、僕はノーサンキュー」
「ち、ちが――っ」
「命の恩人に色目を使うなんて、度し難い。ちょっと距離取ってくれる?」
少女は涙を浮かべ、誤解だと必死に訴え続けるのだった。
◆
「それで、さっさとお姉たまに会いに行けば? 場所は分かるんでしょ?」
「しくしく」
「…………」
「うっ」
無言の圧力に押され、少女がわずかにたじろぐ。
「そ、そうなんだけど、こ、こう久しぶり過ぎて緊張してきたというか、どんな顔して会えばいいか」
「普通に会えば? どうせ行くんだし、悩むだけ無駄じゃない?」
「正論は時に人を傷つけるんだね」
「言っておくけど、そろそろ追い出すからね。体も動くようになったし」
「うん。ちゃんと恩は返すから」
「お金も武器もない無力な君に、一体何が返せるのか疑問で仕方がない」
「いたい、いたい、いたいよ~。誰か心のエリクサーをください」
「この期に及んで借金とは……いっそ売り飛ばした方が……」
「怖いこと言わないでよ! 発想が子供じゃないんだけど!」
「子供のままでいさせてくれない世界が悪い。そんな世界を作った神が悪い。うん、神は死すべし」
「ナナシの神様嫌いは相変わらずだね」
「神を語る似非神がこの世界には溢れている。世界の浄化のためには、不要物の一掃が必要だ。まずは僕を地獄に放り込んだ、あの忌々しい優神を見つけて、火あぶりの刑に処して弁明を聞こうか」
「それ語る前に死んじゃうから!」
神殺しはこの世界で最大の禁忌。普通なら誰もが知っている常識だ。
だが、隣を歩く少年は、そんなこと気にした様子もなく、軽くその境界線を越えていく。
冗談だと笑えれば良いが、彼なら本当にやってしまうのでは、と少女は密かに神に祈った。せめてその時が来ないようにと。
そんな時、通りすがりの一人のエルフの少女がふと足を止め、ぽつりと呟いた。
「アーディ?」
目の前の少女を見つめながら、理解が追い付かない様子。
だが、体は覚えていたのだろう。気づけば、ぽろりと涙が頬を伝っていた。
次の瞬間、そのエルフはモンスターに飛びかかるような勢いで、アーディに抱きつく。
驚きつつも、アーディは泣きじゃくる彼女の頭をそっと撫でた。
「久しぶりだね、リオン」
その姿はまるで慈愛の女神のようだった。
◆
「あとは若い人同士でじっくりと」
すべてをアーディに任せて、その場を抜けようとするナナシ。何とも言えない満足そうな顔だった。
「いや、君の方が若いからね!?」
ツッコミを入れつつ、少女がナナシの腕を掴んで逃がさないようにする。
「アーディ! アーディ! アーディ!」
「ちょっと怖い。昔、宗教でもやってたの?」
「そんなわけないじゃん。私は可愛い普通の女の子!」
ふざけ合っていると、リオンの動きがふと止まった。
「……普通の女の子」
受け入れがたい何かがあったのか、リオンの涙が止まり首を傾げている。
「物語にはよくある話さ。『普通』を名乗る少女が、殺伐とした世界を支配するという」
「そんな話がありふれていたら、世界はとっくに崩壊してると思うけど」
「戦争で国が滅んだりしてるから、世界は十分混乱してるよ。どこかの誰かさんは意識を失って荷運びされてたけど」
「……その節は、大変ご迷惑をおかけしました」
アーディが頭を深く下げる。戦地で何が起きていたのか、彼女には記憶がない。
「あ、あの……」
「あ、泣き止んだ? ごめんね、こっちで話し込んじゃって」
アーディの優しい笑顔が、リオンの記憶と重なり、確信に変わる。
目の前にいるのは、間違いなく自分の知っているアーディだった。
「アーディ……」
「うん。二年ぶりかな。少し大きくなった? でも胸は私の方がまだ勝ってるね。美人度ではリオンの圧勝だけど♪」
能天気に笑うアーディ。
「二年ぶりの再会でマウント。可愛いだけが取り柄の無駄飯ぐらい。控えめに言ってクズですわ」
「お、可愛いだなんて照れますな~。いや~美人に生まれてすみません」
えへへと笑うアーディ。そんな他愛のないやり取りこそが、リオンにとって本物の証拠だった。
「美人さん、お金ちょうだい。美形に生まれなかった僕は酷くご立腹だからさ」
「へ、返済計画のご相談からお願いします。調子に乗ってすみませんでした」
「許すわけがない。とりあえず、娼館にでも……」
ナナシの物騒な一言に、アーディは必死で首を横に振り、心の中で出かけそうになった「身体でお支払いを」という言葉をなんとか飲み込んだ。
「す、すみません」
二人のやり取りに置いてけぼりだったリオンが、ようやく声を発する。
「とりあえず、家出少女が無事捕獲されたみたいだし、あとはご勝手に」
「そう言えば、貴方は昨日の……」
「? エルフに知り合いはいないかな。アーディを案内してあげて。僕は僕でやることがある」
「え~ナナシ、行っちゃうの?」
「何をいまさら。僕がダンジョンに行ってるときは一人だったじゃん」
「か弱い女の子を知らない土地で放置するなんて。しくしく」
「いや、ここが君のホームだから。知ってる人がいる場所でしょ」
「そうでした」
あたまをぺしりと叩き、茶目っ気たっぷりに笑うアーディ。
「随分と仲が良い。まるで姉弟のようだ」
「あ、やっぱりそう思う? えへへ」
「酷い侮辱だ。僕の名誉は著しく傷つけられた。しかるべき場所に訴えを起こし、名誉棄損の賠償金を要求する」
「それは私に対して失礼すぎるでしょっ!」
「なるほど。この二年間の生活費の全額返済を一括でご希望と? 治療費も含めると、相当な額になりそうだね」
「わーん、ナナシ、お願い、返済はちょっと待って!」
アーディは涙を滲ませながら、ナナシにすがりつく。
「少し良いだろうか? アーディの件もあるし、まずはシャクティに話を」
「お姉ちゃん!!」
先ほどまで尻込みしていたのが嘘のように、アーディの表情が輝いた。
こうして三人は、アーディの姉――シャクティ・ヴァルマの元を目指して歩き出す。
もちろん、ナナシはがっちりとアーディに腕をつかまれたままだった。
結局、面倒を避けようとする者に限って、面倒ごとは向こうからやって来るものなのだ。