「アーディ! アーディ! アーディ!」
「さっき見た光景だな……」
リューに連れられて訪れた館。その一室で繰り広げられていたのは、ほんの少し前にも見た、涙と歓喜の再会だった。ナナシはその様子を横目に、ぼそりと呟いた。
再会。それは感動的なものとして語られることが多い。この場にいた誰もが、涙を浮かべて「おかえり」とアーディを迎えていた。彼女と同じ色の髪を持つ女性が、妹を抱きしめ、震える声で何度も名を呼ぶ。
……その中心にいた、もっとも喜びを爆発させていた存在は、他でもない。
「俺がガネーシャだ~~!!! わーん!! アーディ~~よっ! 無事で良かったぁっっ~~!!」
この館の主、そしてファミリアを束ねる主神。喧噪の中心にいたのは、群衆の主《ガネーシャ》であった。
「うるさ……」
「その言い方はおやめなさい。アーディは、皆に慕われていたのです。死んだと思われていた彼女が、奇跡のように帰ってきた。それを喜ばない者など、いないでしょう?」
ナナシの呟きに、黒髪の美女が優雅に言葉を返す。ゴジョウノ・輝夜──その丁寧な物言いは一見上品だが、実のところは猫を被った仮面に過ぎない。
アーディを連れ帰ったリューが、アストレア・ファミリアの団員へ報告へ向かっている間、ホームで書類仕事をしていた輝夜とアリーゼがこの場に駆けつけていた。
「まさか、私たち以外にも少年が人を救っているなんて……神様も粋なことをしますね」
「神なんてクズですよ。偉い人にはそれが分からんのです。それにアーディの件はただの偶然。目の前が急に光って──気づいたら、そこにいたんで」
「……少年は、神をお嫌いで?」
輝夜は眉根を寄せ、ナナシの刺々しい言葉に反応する。
「確実に抹殺する予定の似非神はいる。羽根のついた帽子に、ヘラヘラした顔。旅商人気取りのクソ野郎、ご存じない?」
「…………知りません」
ナナシの双眸に宿る殺意に、輝夜は一瞬言葉を詰まらせる。思い当たる神の姿が脳裏をよぎったが、あえて「知らない」と答えた。その神の名を口にしたが最後──天界送りでは済まされぬと悟ったからだ。ナナシに「絶対殺す」と言われたら、本当に殺しかねない。それだけの説得力と、危うさを彼は持っていた。
神殺しは禁忌。そんなことは言っても仕方がないと、絶対殺すマンと化しているナナシに告げなかった。告げたとしても答えは変わらないのだが。
「帰っていいかな」
歓喜に包まれた空間を一通り眺め渡したナナシは、場違いなほど冷静な声でそう告げた。その響きが思いのほか通ったのか、アーディを抱きしめていた二人──シャクティとガネーシャが、ナナシのもとへと歩み寄ってくる。
「アーディの恩人を無視してしまい、申し訳ない。私はガネーシャ・ファミリアの団長、シャクティ・ヴァルマ。妹を助けてくれて、感謝している」
「俺がガネーシャだ~!」
まるでテンプレのような名乗りと共に、神と団長は並んで深く頭を下げた。その姿には儀礼以上の誠意があった。
「ま、喜んでもらえたなら何よりだよ。……あ、帰還が遅れたのは、主に妹さんの体調不良のせいだから。僕のせいじゃないよ?」
わざわざ“責任の所在”を明言するあたりが、ナナシらしいと言えばらしい。彼にとって「説明責任」は、“逃げ道”と同じくらい重要なのだ。
「それについて詳しく話を聞かせてもらってもいいだろうか。アーディが無事だったことに気を取られ、状況が何一つ分かっていなくてな」
シャクティの声音には礼節と真摯さが滲んでいた。ナナシもそれを無碍にするつもりはない。
「うーん……と言っても、いきなり目の前に現れたかと思ったら、もう瀕死でさ。正直、死んでたんじゃないかってレベル。なんとか助かったけど、こっちも巻き込まれて、その代償で最近までまともに動けなかったんだ。あ、文句は受け付けてないから」
そこまで淡々と述べた後、ナナシはことさら無関心を装うように視線を逸らす。
「妹の命を救ってもらった恩人に、文句など言うはずもない。心から感謝している」
赤く腫らした目を伏せ、深く頭を垂れるシャクティ。彼女の中でナナシへの感謝は、もはや「償い」に近いものとなっていた。
「少年の言っていることは、確かなのであるッ!」
唐突に神が吼えた。
「アーディとの繋がりは確かに途絶えていた! おそらく一度死んで、そして生き返ったのだ! ああ、なんという奇跡……!」
神──ガネーシャは、契約を結んだ眷属の“気配”を感知できる。それが二年前、突如として断たれたのだ。神である彼ですら死を確信したほどの断絶。それが今、目の前に立っている。奇跡以外の何物でもないと、彼は確信していた。
「ナナシ~助けて~!」
その時、泣いているアリーゼにしがみつかれているアーディが、まるで溺れる者のように救援要請をかけてきた。
「そういえば、昨日の二人がいるじゃん。アリーゼと輝夜、だっけ?」
「今さら気づいたようで。さっきまで会話していたのに」
輝夜は冷ややかな視線で返すが、アリーゼは感情があふれたままアーディを抱きしめ続けている。涙、鼻水、喜び──すべてを一緒くたにした“女の友情”が、そこで展開されていた。
「それじゃあアーディ、借金返済のために、ちゃんと働くんだぞ。利子は気分で変わるから」
「が、頑張ります……」
アーディの返事は、涙交じりでありながらもどこか義務感のような響きを孕んでいた。
「そのことなんだが、私が立て替えよう。……それに妹を救ってくれた礼も、きちんと支払いたい」
シャクティが前に出て、力強く告げる。その瞳には覚悟が宿っていた。
「借りたものは借りた奴が返す。それが常識。……大人なんだからさ。──あ、アーディって大人だよね?」
どこか挑発的な口ぶりで、ナナシはシャクティに問いかける。無垢な瞳で妹を見つめながら。
「今年で……十七になるな」
「おお、意外と年上だった。言動だけ見たら十四か十五だと思ってたよ」
「半年前まで寝たきりだったから、精神年齢的には十五かな! ナナシとは四つ差だしっ!」
「四つも六つも、大した差じゃないと思うよ。それより、借金返済の目処を立てて」
「うっ……」
正論という名のパンチは、どんな魔法よりも効く時がある。
「具体的に、いくらぐらい……でしょうか?」
アーディは目を伏せ、声を絞り出す。
「知らん」
「おい」
あまりの投げやりな返答に、思わず輝夜が素でツッコむ。いつもの猫かぶりをかなぐり捨てた反応だった。
「二年分の生活費と、瀕死からの治療費……相場は?」
「部位欠損があるなら、秘薬の相場になるだろう。爆破事件から完全回復と考えるなら──ざっと一億ヴァリスは下らない」
輝夜は顎に手を添えてしばし沈思し、いくつかの医療系ファミリアの価格帯を頭の中で照らし合わせた上で、そう答えた。
「じゃあ、二億で。安全に旅をした経費込みってことで、ちょっと盛っておくのが誠実ってもんでしょ」
「自分で吹っかけといて、それ言うんだ。……まあ、返すけどさ」
アーディの表情には呆れも見えたが、諦めもあった。きっとこの先、彼女はこの借金をネタにからかわれ続けるのだろう──だが、それでも。
彼女の目は、どこか晴れやかだった。
「軽く言ってるが、二億だぞ? 四十階層のモンスターを倒しても、ドロップ品で三千万いくかどうかというところだ」
姉──シャクティ・ヴァルマは、静かに、しかし現実を突きつけるように言葉を重ねる。
「お前は忘れてるかもしれないが、レベル3でソロとなれば、せいぜい二十階層が限界だ。……それで二億なんて、何年かかるかわからん」
その言葉に、アーディは唇を噛みしめながらも一歩も引かず、真っすぐにナナシを見つめた。
「それでも、ナナシにしてもらったことに対して……私が返せるのは、それくらいしかないの。だから、これは私がやらなきゃいけないことなんだ」
ふんす、と胸を張るようにして告げる姿に、シャクティは思わず小さく笑った。二年の歳月があっても、妹は芯の部分で何も変わっていない──その事実が、少しだけ嬉しかった。
そんな空気の中、ナナシがぼそりと一言。
「アーディ、ざっこ。三十階層まではピクニックじゃん」
その場にいた全員の思考が、一瞬止まった。
「「「え?」」」
口を揃えたような疑問の声が、同時に響く。
三十階層──それは多くの冒険者にとって、生と死の境界線。普通であれば、重装備と補給を整え、複数人のパーティで挑む階層。だが、ナナシにとってそれは“普段着で日帰り可能な散歩コース”にすぎなかった。
それが冗談で済まないことを、アリーゼと輝夜は知っていた。彼の力をギルドに報告する際、あえてナナシの情報を秘匿とした理由が、そこにある。
──下手に扱えば、何が起こるかわからない。
そう判断した彼女たちは、敢えて口をつぐんだ。沈黙は肯定であり、同意であり、ある種の“封印”でもあった。
リューも、その沈黙に倣うように、何も言わなかった。
「それにさ、見たところアーディの力って、普通の人とあまり変わらないよね? 僕の見立てだと、せいぜい一階層のモンスターと互角ってところかな」
淡々と告げるナナシの言葉に、シャクティは眉間にしわを寄せた。視線を隣にいた神──ガネーシャへと向ける。
「……おそらく、ファルナが消えたのだろう」
静かに口を開いた神は、次の瞬間、天に向かって叫んだ。
「わーんっ!! アーディ~~~!!!」
──号泣。
それはもう、見事なまでの全力投球である。
「……泣くな。で、契約はし直せるのか?」
シャクティが呆れたように尋ねると、ガネーシャは涙を拭いながら、なおも声を震わせた。
「それは……彼女の意思によるだろう。どうする、アーディ?」
「私としては、戦う力が欲しい。だから、どんとこいって感じかな。何をするにしても、力があって困ることはないし」
えへへ、と無邪気に笑うアーディ。その笑顔は、過去に死を経験した者とは思えぬほど、明るかった。だが、彼女の目の奥には確かな覚悟と、抗う意思が灯っていた。
──彼女は、やはりアーディ・ヴァルマなのだ。
ガネーシャ・ファミリアの面々は、その笑みに心を打たれ、自然と微笑を浮かべていた。
やがてアーディとガネーシャは再契約のために別室へと移動する。だが、そこで思わぬ問題が発生した。
「な、なんだって~~~っ!!」
ひときわ大きな絶叫が館に響き渡る。戻ってきたガネーシャの顔は、喜びとは真逆のものだった。
「……うるさい」
「神ガネーシャは、常にあの調子です。……民衆が元気になることが多いので、誰も気にしていません」
輝夜が苦笑を浮かべながら説明するが、ナナシは首をかしげるばかりだった。騒がしいだけで、彼の中には“ありがたみ”という概念が一切湧かなかった。
「……で、どうしたんだ?」
「再契約ができないのだ! 俺とアーディの繋がりは断たれていた……だがファルナ自体は、消えていなかったのだ! むしろ“無効化”された状態で存在しており、俺の力では上書きできない……っ!」
涙ながらに叫ぶガネーシャ。しかし、神ですら手を出せない現象に、場にいた者たちは言葉を失った。
ファルナ──神の恩恵。それは神と冒険者を繋ぐ神秘の契約。通常は一度断たれれば、その加護も失われるはずだ。だが今、アーディにはそれが“消えていない”。だが“使えない”。
神にとっても未知の事態が、ここに生じていた。
そんな異常事態に対し、ナナシはたった一言、呟いた。
「……使えな」
冷淡で、容赦のない評価であった。
「しつもーん。ガネーシャ様、それってつまり……アーディはこのまま、ずっと力を取り戻せないの?」
場の空気を読むでもなく、読まないでもなく、アリーゼが明るく手を挙げて問いかけた。
「いや……他の神であれば、上書きは可能だろう。これは“改宗”に近い状態だ。ただ……アーディを手放すなんて……ガネーシャ、悲しい」
両手で顔を覆いながらも、ガネーシャはどこか芝居がかった悲嘆の声を上げる。その様子を尻目に、アリーゼはぱっと笑顔を咲かせた。そして誇らしげなドヤ顔でリューと輝夜に目配せする。
「私に、名案がありますっ!」
「アストレア様に頼むのでしょう? 私は異論ありません。アーディとは、浅からぬ縁がありますから」
「私も構いません。アーディは、大切な友人です。できることがあるなら、喜んで」
アリーゼの宣言が口をつくより早く、輝夜とリューが彼女の意図を読み取って応じた。アーディへの思いは、彼女たちにとってもまた、無視できるものではなかった。
「え、えーっと……」
背後からひょこりと顔を出したアーディは、板挟みにされたように困惑の表情を浮かべ、視線をナナシへと向ける。
「僕を見られても困るんだけど。まずはお姉さんと話すのが先でしょ? 二年ぶりなんだし、死に別れたと思ってたわけだし」
あくまで他人事のように、それでも核心を突くようにナナシが言うと、シャクティがすっと立ち上がった。
「すまん。アーディを少し、借りる」
そう言って、妹の肩に手を置き、そのまま部屋をあとにする。
「……意外です。少年も、気を遣えるのですね?」
それを見送った輝夜が、少しだけ感心したような声で言うと──
「輝夜、超失礼。頭を地面にこすりつけて謝って?」
「あらあら……年上のお姉さんを土下座させるとは。子供にしてはずいぶん高尚な趣味をお持ちで。将来が不安でございますねぇ」
「年上とか関係ない。雑魚は這いつくばる宿命。……輝夜は雑魚だから、そんな君を憐みと慈悲の表情で見てしまうのは仕方がない。そうか、これが可哀そうってことだね」
あっさりと切り捨てるように放たれた暴言に、輝夜のこめかみがぴくりと跳ねた。笑顔は崩さないままだが、空気が一瞬、冷えた。
「……あれ? 怒るところ? でもさ、実際弱かったよね。普通、デコピンで気絶なんてしないし」
「…………っ」
先日倒された瞬間を思い出し、輝夜は眉間に深くしわを刻む。まさか、あれが“デコピン”だったとは思ってもいなかったらしい。
「ざーこ」
容赦なく重ねられたナナシの一言に、ついに限界を超えた。
「ぶっ殺す!!!」
猫を被っていた仮面が剥がれ落ち、輝夜が刀に手をかける。アリーゼとリューが止めようと動いたが──その前に、ナナシの姿が掻き消えた。
「今度は運ばないよ?」
次の瞬間、ナナシは輝夜の背後に現れ、その首筋へ軽く一撃。全力であれば死に至るが、加減されたそれでも、レベル4の冒険者を昏倒させるには十分だった。
崩れ落ちる輝夜を、リューが慌てて支える。
「アリーゼ、部下の教育がなってない」
「部下じゃないからね? 仲間だよ、仲間」
「煽っておいて、煽り返されたらキレるとか、短気すぎでしょ」
「うちは武闘派ばっかりなの。考えるな、感じろって精神で生きてるの」
「あー……納得」
リューに目を向けて、ナナシが頷く。
「……なぜ、こちらを見るのです?」
「不器用そうだからさ。“やりすぎてしまった”とか、言いそう」
「ナナシ凄いっ! リオンがよく言うセリフだよ! なんで分かるの!?」
「ア、アリーゼ……!」
素直に恥を晒すアリーゼに、リューが顔を赤らめながら抗議する。
「……エルフってポンコツなの? 初めて会ったけど、ちょっと避けたいかも。なんか、厄介そう」
さらりと放たれた暴言に、リューは一瞬、言葉を失う。数秒後、言われた内容を理解したのか、反論しようと口を開いたが──
「ナナシ、そういうこと言わないの。リオンは可愛い女の子なんだから♪」
アーディが笑顔でリューの手を取り、優しくフォローに入る。
「エルフは美形ってよく聞くし、見た目が良いほどポンコツってこと? 美的観点とスペックの反比例、興味深いテーマだね。アーディも美形だから、ポンコツってことか……なるほどなるほど」
脳内メモ帳に何やらメモを取りながら、ちらりとアリーゼを一瞥──そのドヤ顔を見て、ナナシの仮説は補強された。
「で、お姉さんとの話し合いは?」
「うん、それなんだけど……ナナシを手伝うってことで、ダメかな?」
「なるほど。自ら実験動物に志願すると。いろんな研究テーマがあるし、試験体は必要だから歓迎するよ」
「物騒な発言やめて。誰も身を捧げるつもりはないから」
アーディがナナシの頭に手を伸ばすが、彼はそれを軽やかにかわす。
「アリーゼは? アーディを引き取るって話、してたよね?」
「私としてはそのつもりだけど、最終的にはアーディの意志が一番だし。本人が望まないことを押しつけるのは良くないと思ってるの」
「……アリーゼ、実は良識ある人だったんだ。ごめん、頭の弱いただのうるさい人だと思ってた」
「えぐっ……何気ない一言で致命傷を与えてくるとか、ナナシ、恐ろしい子……。私が慈悲深くなかったら今ので爆発してたわ」
ここは怒ってもいいのでは? 周囲の視線がそう言っていた。
「ま、とりあえず……アーディはいらない。たまに実験に協力してもらって、その対価を借金返済に充てる。それでチャラ。もう面倒は見ないから」
「うぅ……ナナシひどい」
アーディが目に涙を浮かべて訴えるも、ナナシの心には一滴の揺らぎもなかった。
「じゃ、僕は行くね。あでゅー」
言い終えるより早く、ナナシの姿はかき消えた。
その異常な光景に、ガネーシャ・ファミリアの面々が一斉に驚愕する。
「……今の、ナナシのスキル?」
ぽつりとアリーゼがアーディに問いかける。ナナシの事情を一番知るであろう彼女に、自然と皆の視線が集まった。
「んー、正直、よくわかんない。本人はね、“その気になれば人間は消えるし、空も飛べるし、海も走れる”って言ってたよ?」
そんな馬鹿な──その場にいた全員の心が、一つになった瞬間だった。