優神を許さないのは何も間違っていない   作:生物産業

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第6話 人の心を忘れてしまったエルフ

 バベルの入り口。

 人目に紛れるよう佇むのは、森の民――一人のエルフだった。涼やかな風貌を仮面のように保ったまま、彼女はただ一点を見据えていた。

 

 それは、“件の人物”がダンジョンに潜る、その瞬間。

 

 そして――少年は、誰にも気づかれることなく、その地獄の門に滑り込んだ。

 普通であれば止められる。身なりからして冒険者とは思えず、ギルドの許可も下りていない者が、単身であの地下へ入ろうとするのだから当然だ。だが、彼は気配を消し、すり抜けるように、ダンジョンへと消えた。

 

 面倒を嫌う少年らしい選択だ。

 

「で?」

 

 振り返ったナナシが無感情に問う。

 

「で……とは?」

 

 問い返したのは、後ろから無言で追ってきたエルフ、リュー・リオン。彼女は僅かに身を引き締めるような声色で答えた。

 

「なんで、付いてくるの?」

「輝夜からの命です。お目付け役として。あなたが、何か問題を起こすかもしれないと」

 

 そう説明したが、実際には少し違う。

 

 本当の理由は、アーディの提案だった。

 最近、アストレア・ファミリアの話題にたびたび上がる少年――ナナシ。彼の実力、知識、そしてその振る舞いには不明瞭な点が多い。

 アリーゼとアーディは彼を信頼しているが、その中には、彼の“実力”を危険視する声もあった。

 

 だからこそ、リューが選ばれた。

 アーディに「学びになるはずだ」と言われれば、武人である彼女はうなずくしかなかった。

 

「一つだけ言っておくけど……」

 

 歩き出した少年が、不意に立ち止まり、振り向きもせずに告げた。

 

「僕の邪魔はしないで」

「わ、私は足手纏いになるほど、弱くは――」

 

 リューは語気を強める。

 たとえナナシがアリーゼや輝夜を退けたと聞いていようとも、自身はレベル4の冒険者。サポーター扱いされるいわれはない。

 

 しかしナナシは冷たく、だが淡々と続けた。

 

「そうじゃないの。モンスターは、すべて僕の獲物」

 

 ――だから、邪魔はしないで。

 

 その静かな言葉に、リューの背筋がぞわりと粟立った。

 この少年はいったい何者なのか――その問いが胸の内に浮かび、そして、それに答えるように、地獄のような時間が始まった。

 

 ◆

 

「……ハァ、ハァ、ハァ、ハァッ……!」

 

 肩で荒く息をしながら、リューは地に膝をついた。呼吸を整えようとしても、喉が焼けつくようで空気が足りない。

 

「情けないな。これだから冒険者は」

 

 振り返りもせず、ナナシが小さく呟く。

 

 ――ここは三十七階層。

 

 リューの意識が霞む中、脳裏に浮かぶのは、ただ一つの疑問。

 

(……この少年、本当に何者……?)

 

 ナナシがダンジョンに潜ると同時に、リューはただ走ることしかできなかった。攻撃はおろか、言葉を交わす余裕すらなく、走り、追いすがる。それでも追いつけない。

 

 途中、回復ポーションを使いながらも、その足取りはどんどん重くなる。

 一方、ナナシはといえば、そんな彼女を「遅い」とでも言いたげに横目で一瞥するだけ。現れたモンスターに対しては、不満のはけ口のように一撃を加え、あっさりと粉砕していく。

 

 ついには、あまりの遅さにリューは荷物のように担がれて運ばれる羽目に。

 

 本来ならば、認めた者以外に触れられることを嫌悪するエルフ――それも特に、リュー・リオンはその性質が強いとされていた。

 

 だが。

 

(……アリーゼ以外にも……触れても、平気なのか……?)

 

 確かに、ナナシには命を救われ、親友を取り戻してくれた恩がある。

 しかしそれと、肌に触れることを許せるかは、まったく別の問題だ。

 

 リュー自身、それがなぜなのか、わからなかった。

 

「お、やっぱりこのタイミングだったね」

 

 三十七階層――通称、『白宮殿《ホワイトパレス》』。

 広大な空間と白亜の壁が幻想的な景観を作るその地に、少年の声が響いた。

 

 この階層は、アストレア・ファミリアですら単独突破を断念し、他派閥と共闘してようやく乗り越えた危険地帯。

 そんな地に、彼は嬉しそうに立ち、足元の地面を見つめている。

 

「とりあえず邪魔だから、上に行ってて」

 

 次の瞬間――リューの首根っこを掴むナナシ。

 信じられない光景だった。レディに対してあまりにも無礼、無作法、そして容赦がない。

 

「きゃっ――!」

 

 不意を突かれ、宙を舞う。投げられた先は、岩場の高所。リューの身体は平らな地に転がり、荒く息を吐いた。

 

「な、なにをするのですかっ……!」

 

 怒りをこめて叫ぼうとした瞬間――

 

 その身に、全身を駆け巡る危機感知が“警報”を鳴らす。

 

(この感覚……来る!)

 

 『ルーム』と呼ばれる特殊空間の中央。地面が異様に隆起し始め、そこから現れたのは、巨大な骸骨の巨人――。

 

 それは、まさしくダンジョンが吐き出した“災厄”だった。

 

 リューが硬直する中、ナナシは一歩踏み出し、嬉しそうに微笑んだ。

 

「ようやく来たね。さて――じゃあ、始めようか」

「や、やはり──階層主(ウダイオス)……!」

 

 見間違えようがない。あの威容、あの気配。

 以前に一度だけ相対したことがある。だからこそ、身体が先に理解する。

 

 “自分では勝てない”。

 

 それは確信に近い直感だった。

 理屈ではない。理屈を越えた“本能”が、リューの心に警鐘を鳴らしていた。

 

 もし、もしもこの場にナナシがおらず、自分ひとりだけだったなら――きっと今、震える足を止めることさえできず、恐怖に支配されていた。

 絶望という名の沼に呑まれ、何もできずに、ただ立ち尽くしていたに違いない。

 

(でも……今は、彼がいる)

 

 安心、という言葉はあまりに軽い。

 それでも、ナナシがいるというだけで、自分が「立っていられる」。

 その事実が、悔しさと共に心を締めつける。

 

(本当に、彼なら……あれを、問題なく対処できるのか?)

 

 助けに入ろうなどと考えること自体、傲慢だった。

 自分が観戦者に過ぎないことは、ナナシに首根っこを掴まれて岩場に放り投げられた時点で明らかだ。

 

 次元が違う。

 

 ただその事実を、どうしても認めたくなくて、握りしめた拳に爪が食い込む。

 

『――オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!』

 

 咆哮が響く。いや、轟くというより、爆ぜた。

 地鳴りにも似た声の奔流がリューの全身を貫き、心臓がわずかに揺れる。

 

 視界が霞む。鼓膜が震える。肺が圧迫される。

 

 それでも。

 

「――……っ」

 

 視線の先にいた少年は、わずかに眉一つ動かさず、ウダイオスの眼前で仁王立ちになっていた。

 

 その背中が、信じられないほど、大きく見えた。

 

 骸骨の巨人――スパルトイ。

 その変異種であり、迷宮の孤王《モンスターレックス》。ウダイオス。

 

 全身は闇を塗り固めたかのような漆黒に包まれ、骨の隙間から漏れる魔力がまるで瘴気のように空気を蝕んでいく。

 肉体は持たずとも、そこに在るのは暴力と死の象徴。

 一歩、近づくたびに、恐怖が本能を焼き、汗が滝のように噴き出した。

 

 自信家な者ほど、あの巨体を見て「自分は特別」と信じることができなくなる。

 自分が“ただの人間”であることを思い知らされる。

 

 リュー・リオンも、かつてはそうだった。

 

(私は……成長していない)

 

 アストレア・ファミリアの仲間たちとともに歩んだ日々。

 闇派閥(イヴィルス)の罠。異常事態(イレギュラー)で現れた忌まわしき獣――ジャガーノート。

 仲間たちは無力感に満たされ、リュー自身も絶望に染まりかけた。

 

 その時、誓ったはずだった。

 

 「もう、あんな想いはしない」と。

 「もう、立ち止まらない」と。

 

 それなのに。

 目の前に広がる死を前にして、剣を抜こうという意思すら湧かない自分がいる。

 

「……うるさいよ」

 

 小さく、しかしはっきりと響いた声。

 

(ナナシ……)

 

 リューの意識が再び焦点を結ぶ。

 少年は、まだあの巨人の前に立ち続けていた。

 

 怖気も、緊張もない。ただ、不機嫌そうな表情で、ズボンのポケットをまさぐっている。

 

 ――いや、違う。

 彼が取り出したのは、腰につけた小さな袋だった。

 

(……?)

 

 明らかに妙だった。

 その袋は、手のひら大の布製の巾着にすぎない。

 だというのに、ナナシはその中へと肘までをずっぽりと差し入れている。

 

(おかしい……)

 

 袋の容量を超えた動き。

 それだけで、リューは背筋に冷たいものを感じた。

 

 そして――次の瞬間。

 

「なッ!?」

 

 巾着の中から、ナナシが引きずり出したのは、掌大……いや、頭ほどもある、巨大な宝石だった。

 

 その輝き。

 その脈動。

 

 それは、ただの宝石などではない。

 

 ――魔石。

 

(……大きい……それも尋常じゃない……!)

 

 冒険者であるリューが一目で理解した。

 それはかつて、自身が見たどんな魔石よりも大きく、かの十八階層の主《ゴライアス》から得られたものよりも、ひと回り……いや、ふた回りも大きい。

 

「ほい」

 

 ナナシは、それを軽々と片手で持ち上げると、無造作に投げた。

 

 狙いは――ウダイオスの口元。

 

 放られた魔石は弧を描き、見事にその巨大な骸骨の口の中へと吸い込まれていく。

 

 リューの全身に、冷水を浴びせられたような衝撃が走った。

 

「バカなっ!? そんなことをすれば――!」

 

 思わず、声が裏返る。

 

 あれは、やってはいけない行為だ。

 絶対に、踏み越えてはならない“禁忌”。

 

 モンスターが、同胞の魔石を取り込んだとき。

 それは時として、自らを強化し、知性さえ得ることがある。

 

 ――強化種。

 

 過去、たった一体の強化種が、五十名を超える上級冒険者たちを殺戮した事件があった。

 血塗れのトロール。

 あの化物を討伐するために動いたのは、【ロキ・ファミリア】というオラリオ最強の一派である。

 

 それほどの“災厄”を、ナナシは今、自らの手で生み出した。

 

 狂気。

 それ以外の言葉が、浮かばなかった。

 

『――ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』

 

 その瞬間、空気が変わった。

 

 まるで、世界の色が赤に染まったかのように。

 ウダイオスの咆哮が、ダンジョン全体を震わせた。

 響き渡る唸り声は、リューの鼓膜を刺し、胸を締めつけ、膝から力を奪っていく。

 

「あ、赤い……?」

 

 目の前にそびえ立つ巨体が、漆黒から真紅へと染まりゆく。

 ただの赤ではない。

 どこか、生臭く、濃厚で、見る者の脳裏に「死」を想起させる血の色だ。

 

 骨格の隙間から立ち上る魔力が、まるで炎のように渦を巻いている。

 そしてそれは、先ほどとは比べ物にならないほどの圧力を空間に生み出していた。

 

(これは……!)

 

 ウダイオスの下半身が隆起し、地を蹴るための太い骨脚が姿を現す。

 まるで、地下に封じられていた神が復活したかのような光景だった。

 

 先ほどまで、地に埋まっていた下半身が完全に地上へと姿を現し――その巨体は、軽く二〇メドルを超えていた。

 巨大な腕に握られた剣もまた、赤く染まり、魔力の稲妻を纏い始めている。

 

(これが……強化種……!)

 

 ギルドが全冒険者に対し「逃げろ」と命じる、絶対的脅威。

 

 これを見た瞬間、まともな冒険者なら退く。

 否、立ち向かうという選択肢すら思考に浮かばない。

 

 だが――

 

「うん! 良いね、良い感じっ!!」

 

 ナナシは、笑っていた。

 

 リューが呆然と目を見開く中、少年は無邪気な笑顔で歓喜の声を上げていた。

 

(笑っている……?)

 

 顔を綻ばせ、目を輝かせて、まるで祭りを前にした子供のように。

 そこには、先ほどまでの無感情な冷たさも、不機嫌さもなかった。

 

「やっぱりさ、このくらいの緊張感がないと、やる気出ないんだよねー」

 

 軽い口調でつぶやきながら、ナナシは一歩、巨人に向かって踏み出した。

 

 その瞬間だった。

 

『オオオオオオオオオオオオオオオ!!』

 

 怒りに満ちた咆哮とともに、ウダイオスが動いた。

 握った剣が、風を裂く。

 空気が悲鳴を上げ、周囲の地形が衝撃波でえぐられる。

 

 ナナシの前へと、赤黒く染まった剣が突き出された。

 

「ナナシッ!!」

 

 リューが悲鳴を上げる。間に合わない。

 彼は――動かない。避けようともしない。

 

 次の瞬間、鈍く重い音が空間に響いた。

 

 ナナシの身体が、斜めに吹き飛ぶ。

 風圧をまとった一撃は彼の身体を容易に弾き、石壁へと叩きつけた。

 

「ナナシ――ッ!!」

 

 リューは、岩場から飛び降りるように駆け出した。

 ナナシが死んだ。そう思った。

 

 いくら彼が異質な存在であっても、あの一撃は致命だった。

 あの巨体の力、魔力を纏った剣、それが直撃して無事で済むはずがない。

 

(早く、回復を……!)

 

 焦りが喉を締めつけ、心拍数が跳ね上がる。

 

 だが――

 

「邪魔」

 

 冷たい声とともに、視界が一転する。

 

「――えっ?」

 

 首の後ろを掴まれた感触とともに、またしても宙を舞う。

 二度目の猫扱い。そして――二度目の岩場着地。

 

『ファッ!?』

 

 驚愕の声が、モンスターから漏れた……ような気がした。

 

 次の瞬間、巨大なウダイオスの胴体が――裂けていた。

 

 爆発ではない。斬撃でもない。

 ただ、静かに。そして確実に、崩れていく。

 

 骨と魔力の塊だった巨体は、音もなく崩れ、地へと沈み、粒子となって消えていった。

 

(い……いない……?)

 

 リューは、目を疑った。

 ナナシのいた場所には誰もいない。さっきまで壁に叩きつけられていたはずの少年の姿が、忽然と消えていた。

 

 と、次の瞬間――

 

「うーん、もうちょっと強いと思ったんだけどなー」

 

 ナナシの声が聞こえた。

 

 そこには、消えゆくモンスターの残骸を見つめながら肩をすくめる少年の姿があった。

 無傷だった。

 笑っていた。

 

 肩にかかった埃を、軽く払うような仕草。

 まるで――虫を払い落とす程度のことしかしていないように。

 

(な、なんなのだ……この少年は……)

 

 思考が追いつかない。

 理解が拒絶している。

 だが確かに今、自分の目の前で、強化種となったウダイオスを――あの災厄の存在を――たった一撃で仕留めた少年が、そこにいた。

 

 ◆

 

 呆然――とは、まさに今のリュー・リオンのことだった。

 

 気づけば、彼女はアストレア・ファミリアの館の門の前に立っていた。

 どうやってここまで帰ってきたのか、まったく記憶にない。

 

 記憶にあるのは、巨大モンスターが爆発四散して、その隣で笑っていた不気味な少年の顔だけ。

 

「……で、結局何しに来たの?」

 

 ナナシが振り向きもせずに、荷物を下ろすかのような調子で言った。

 まるで、旅の途中で拾った野良犬に向けるような温度感だった。

 

「え、いや……その……」

 

 返答に詰まるリュー。言いたいことは山ほどあるが、何から言えばいいのかさっぱり分からない。

 

 そんな時、後ろから明るい声が飛んできた。

 

「おかえりー! 二人とも無事に帰ってきたんだねー」

 

 現れたのは、アストレア・ファミリアの癒し系、アーディ・ヴィルマ。

 

「アーディ……」

「どうしたのリオン? 幽霊でも見たみたいな顔して」

「アーディが実は幽霊だった説。足、ある……? 透けてない……? っく!」

「っくじゃないよっ!! ちゃんとあるから! 生きてるからっ!」

 

 ツッコミにもキレがあるアーディ。そんな彼女を横目に、ナナシが口を開いた。

 

「あ、そうだ。アーディ、ちょっと実験に付き合って。どうせ暇でしょ? 役立たずだし」

「ねえ、話聞いてる? っていうか、あからさまに見下してない!? 相変わらずナナシだね!」

「変わる理由がないからね。僕の人生に何の影響も与えられない、ちっぽけな存在、それがアーディ」

「乙女が傷つくようなことを平然と……。そういうとこだよ、モテない理由」

「なるほど、モテる女は2億ヴァリスを返済してくれると? さすが美少女」

「ぐさっ。褒めてるようで、催促してくる高等技術……っ。さすがナナシだね♪」

「笑顔で言っても減額はしないから。利子は優しさで帳消しにしてる」

「はいはい。体で払いますよー。実験に付き合えば、少しくらいチャラになるでしょ」

 

 結局、二人のやりとりはいつも通り、というやつだった。

 

 それを見ながら、リューは思った。

 

(……やっぱり、この二人、姉弟のようだ)

 

 血は繋がっていない。が、空気感と距離感が、完全に姉弟のそれである。

 

「よし、じゃあ庭に行こう。実験スペース確保」

「待ちなさい。人のファミリアの庭を我が物顔で使おうとするのは、どうかと思います」

「仕方ない。アーディが死んでしまうかもしれないけど、ダンジョンでやろう。うん、エルフ様が心が狭いから」

「……やめなさい。それに私は狭量ではない」

 

 不意にリューがナナシの腕を掴んで止めた。

 

 その瞬間だった。

 

「あ~~~~っ!!」

 

 割れんばかりの声が屋敷内に響く。

 喧しい紅の正花(スカーレット・ハーネル)こと、アリーゼ・ローヴェルが警邏任務から戻ってきたのだった。

 

「いまだにアリーゼが団長であることを受け入れられない僕がいる。いや、まあいざというときの行動力とか納得できそうではあるんだけど、納得できないというか」

「ははは……」

「やる時はやるんです、うちの団長は」

 

 アーディとリューがやんわりとフォローするが、全然響いていない。

 

「ちょっとちょっと、褒めるときはしっかり褒めて! ねえ、私をもっとあがめて、奉って!」

「エルフ様、そういう嘘はいけないな?」

「アリーゼ、謝ってください。私たちに」

「なんで私が!? っていうか、流れおかしいでしょっ!」

 

 すっかり騒がしくなったエントランスで、ナナシがぽつりと呟く。

 

「それにしてもリオン、やったじゃない♪」

「まあ、確かに人を2、3人やってそうな目つきだよね。でも、輝夜の方が殺ってそう」

「アリーゼとナナシが同じことを言ってるのに、ぜんっぜん意味合いが違うのはなぜでしょう……」

「思考かな。ナナシは素で物騒」

 

 今日も、アストレア・ファミリアは平和だった。たぶん。

 ナナシとの付き合いが長いアーディは、アリーゼとナナシの言葉の「質の違い」を、誰よりも的確に理解していた。

 

 そのため――

 

「って、そんな冗談言ってる場合じゃないわよ! リオン、ついに見つけたのね、運命の人を! 絶対に逃がしちゃダメっ!」

「なっ!? な、何を言っているのですかっ、アリーゼ!」

 

 リューの顔が瞬時に赤くなる。

 耳まで真っ赤。完全に茹でエルフ状態。

 

「だってさ、自分から男の手を握れるなんて、リオンにしては超レアケースじゃない? 普通だったら“触るな”って投げ飛ばしてるでしょ」

「そ、そんなこと……!」

「じゃあ聞くけどぉ? 初めて輝夜と会ったとき、挨拶しようとした彼女を投げ飛ばしたの、誰だったかしら~?」

「そ、それは……!」

「アーディは忘れてるかもだけど、初対面のとき、抱きついてきたアーディをきれーいに避けて、地面とぶちゅーさせたのも、誰だったかしら~? ま、私はしっかり“にぎにぎ”してあげたけど!」

 

 ふふんと鼻を鳴らし、あからさまにドヤるアリーゼ。

 

「……人の心を忘れてしまったエルフ。親近感を感じるね」

 

 ナナシがリューを冷めた目で見つめている。そのくせ自分と似ていると発言する精神性。

 

「ち、違う! 私は……私は、故郷の者たちのように他種族を見下したりはしないっ!」

「でもアーディは地面と恋人未満の関係になったんでしょ?」

「わ、私は! あ、あれはアーディが、初対面でいきなり抱きついてくるから……!」

「ふむ。アーディの変態性を一瞬で見抜いて、冷静に回避した。10点の加点だ」

「えっ、加点!?」

 

 アーディがなんでと言いたそうな顔だ。

 

「しかし、アリーゼには気を許した。それは減点。10点を失う」

「えっ、結局0点じゃないの!?」

「公平な判定だね。あとアーディが変態ってのは否定できないし」

「ちょ、ちょっと!? 変態じゃないもんっ! リオンってなんかこう……抱きつくといい匂いがしそうだなーって!」

「わかる~! リオンはとっても温かくて、いい香りなの! 昨日なんて、抱き枕にしたんだからねっ!」

「いや、抱きついて匂いかいでる時点で、変態じゃん。それが美少女だから絵面的に許されてるだけで、これが髭面のむさいおっさんだったら即通報案件だよ?」

 

 ナナシの正論がズバァァンと突き刺さる。

 アーディとアリーゼの笑顔が若干ひきつった。

 

「……でも神ロキが言ってたわ。“可愛いは正義”って!」

「その神もどき、ただの変態でしょ」

「……否定は、できません」

 

 リューがボソッと呟いた。

 さすがに、変態神を庇うほどの信仰心はないらしい。

 

 そのとき、アリーゼがバッと手を叩いた。

 

「って、また話が逸れてるじゃないのっ! で、リオン、なんでナナシは大丈夫なの? ホの字なの? 初対面は? どこが好き? ねぇねぇ教えてっ!」

「アリーゼ……はぁぁ……」

 

 リューは両手で顔を覆い、ゆっくりと天を仰いだ。

 

 ――なぜ、私はここにいるのだろう。

 

「出会いは皆と同じでしょう。それと――ナナシに命を救ってもらった恩はありますが、別段、異性としての好意はありません。触れられる理由もわかりません。……幼いから、じゃないでしょうか?」

 

 リューがきっぱりと言い放った。

 

 だが。

 

「嘘よっ! 前に街で炊き出しの手伝いした時、リューの可愛いお尻に触れようとしたガキ大将を投げ飛ばしてたじゃない! 私がキャッチしてなかったら、あの子、エルフのお姉さん嫌いになっていたわ!」

「「うわぁ~……」」

 

 ナナシとアーディの声がハモる。

 さすがの二人も、子供を物理的に打ち上げる行為にはドン引きらしい。

 

「くっ……」

 

 本人にも自覚はあったのだろう。リューは反論できず、歯を食いしばってこらえるしかなかった。

 

「やっぱりエルフって陰険でポンコツで、最低なんだな。うん、もう僕、エルフとは距離を取って生きる」

「ぐっ……ち、違う! エルフはそんな種族ではない!」

「でもさっき自分で言ってたよね? “故郷のエルフたちは他種族を見下してる”って。僕のエルフ情報、今のところ君だけなんだよね? つまり、その発言でエルフ全体の評価が決まる。正しい、よね?」

「ぐはっ……!」

 

 リューが、ふらりと膝から崩れ落ちる。

 今にも血を吐きそうなほどの衝撃――だったが、それは幻覚。たぶん。

 それでも、精神的ダメージは計り知れなかった。

 

「……あ、リューとアリーゼのせいで話が脱線してた。アーディ、実験に付き合って。ダンジョンで死んでも気にしないから」

「気にしてよ!? ちょっとは人の命を!」

「だってリューが“ダンジョンで追い詰めればいい”って……」

「言ってない!! 私は一言も言ってないっ!!」

「庭を貸さない。それすなわち“ダンジョンで死んでこい”っていうメッセージ。解釈って大事だよね?」

「な、なんて理不尽な解釈……」

 

 エルフの聡明なる頭脳をもってしても、ナナシの言葉の斜め上な理屈には対処不能らしい。

 

 そんな中、アリーゼがさっぱりした笑顔で言った。

 

「庭くらいいいわよ。修練でもみんな使ってるし。それに、ナナシの実験って何するのか、ちょっと気になるしね」

「さすが団長、太っ腹……あ、そう言えば、戻ったね」

「お腹と顎を見るのはやめようか、ナナシ? 乙女には決して踏み込ませてはいけない領域があるんだから!」

 

 輝夜とライラが先に戻していたとはいえ、警邏前の急ピッチダイエットが間に合ったのは奇跡だった。

 それでも、ナナシ特製“悪魔のクレープ”が乙女たちの自尊心にクリティカルヒットをかましたことに変わりはない。

 

 くじけぬ乙女心は、今日も強く、たくましく在り続けている。

 

「……アーディがドワーフのおじさまたちと同じくらいにならないよう、ちゃんと見張らないと」

「えっ、私って何されるの……?」

 

 明らかに不安そうなアーディを軽やかにスルーして、ナナシはスタスタと庭へ向かっていった。

 

 こうしてまた、平穏とは程遠い一日が始まる。

 それでも、彼らの日常はどこか温かく、どこまでもにぎやかだった。

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