優神を許さないのは何も間違っていない   作:生物産業

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第8話 あっぱれ、実にあっぱれ

「さて、実験を始めようか」

 

 ナナシがいつもの調子で宣言するのを聞いて、アーディが小声で問いかけた。

 

「ねえ、ナナシ。輝夜にもサンドイッチ、食べさせなくていいの?」

 

 それは――乙女に肉をつける、悪魔の料理。

 

 アーディの眼差しはどこか黒い。

 己だけがふっくらした現状に、どうやら納得がいっていないようだ。したたかである。

 

 だがナナシは、そっけなく首を横に振った。

 

「いらないよ。アーディみたいに“垂れ流し”状態になるわけじゃないし」

「へ?」

「今回やろうとしてるのは、僕の方から輝夜に魔力を流して、その感覚を掴んでもらうっていう実験」

 

 魔法を持つ冒険者は、魔力の存在を感じ取れる。

 なぜなら、それを使って魔法を放つからだ。

 

 では、魔法を使わずに魔力を扱うことは可能か?

 

 理論上は可能なはずだ。だが、現実にはほとんどの者がそれを成せていない。

 鍛冶師や魔道具職人の一部はスキルのおかげで感知はできるが、使いこなすには程遠い。

 

 ましてや、魔力だけを意図的に操作しようなどという発想すら、

 魔法大国(アルテナ)ですら生まれていない。

 

 彼らにとって魔力とは、“魔法”を行使するための媒体に過ぎず、

 魔剣や魔道具もまた、“魔法”を封じ込めたものに過ぎない。

 

 ――魔法なき魔力操作など、幻想に過ぎない。

 

 だが、ナナシは違った。

 

 彼は魔法を持たぬ者。

 発現もしなかった。だが――

 

 魔法を受けたことがある。

 

 ナナシの性質において、それはとても重要な事だった。

 

「輝夜、お手」

「……斬るぞ?」

「さっさと出して」

 

 ナナシの指示に、輝夜が不満げに手を差し出す。

 どうせ抗っても、気絶させられるのがオチと理解しているあたり、実に物分かりがいい。

 

「じゃ、送るよー」

 

 軽い声とともに、ナナシの手から熱が流れ込む。

 

「――っ!」

 

 輝夜が眉をひそめる。

 

 熱い。温かいのではない。

 体の内側を焼かれるような熱さだ。灼熱という表現がしっくりくる。

 それが、皮膚の下から骨の奥まで満ちていく。

 

「熱さを感じたら、ぎゅっと抑え込んで。一面に燃え広がる炎を、手のひらに収める感じで」

「……無茶を言う」

 

 輝夜が吐き捨てるように言ったが――その声に、焦りはなかった。

 

 アーディとは違う。

 彼女は“感覚”ではなく、“経験”で理解する。

 

 幼き頃より武に身を投じ、幾度も魔法を使いこなしてきた彼女にとって、

 この熱は初めてではない。

 

 異なるのは、その密度と奔流。

 

 ――だが、性質は同じ。

 

 まるで抜刀の瞬間のように、心を集中させる。

 

 炎を、掌に集めるように。

 暴れる獣を、細い縄で縛るように。

 

 ――そして、それは成った。

 

「やる~」

 

 輝夜が魔力の扱いに慣れてきたことを確認すると、ナナシは満足そうに頷いた。

 

「じゃ、動いてみようか」

「は?」

 

 唐突なナナシの一言に、輝夜が眉をひそめる。

 だが、その瞬間、ナナシの姿がかき消えた。

 

「――っ!」

 

 息を飲む暇すら与えず、背後からこれ見よがしな大きな気配が迫る。

 反射的に踏み込み、振り返りざまに一太刀を放つ。

 だが、その斬撃は虚空を裂いただけだった。

 

(速い――いや、見えなかった?)

 

 すぐさま周囲を見回す。気配はもう感じない。気配を完全に制御しているのだ。

 不意に右から疾風のような圧力。ギリギリで避けると、横をナナシが駆け抜けていった。

 

「おお! 本当に反応した。さすが輝夜だね」

「遊んでいるのか……!」

 

 輝夜は歯噛みする。動体視力と反射で追えてはいるが、ギリギリだ。目で追える限界の速さ。

 

 それでも――

 

「ッはああああ!」

 

 怒気と共に、居合の構えから五連の斬撃。

 

(ゴコウ!)

 

 魔力による斬撃を同時に放ち、全方位を薙ぎ払う。

 全てを一撃で仕留めるつもりの、全力の一撃。

 本来詠唱をもって完成する魔法が、その過程を省略する。

 

「これは避けられねぇな」

 

 ライラのつぶやき。そしてその場にいた全員がそう思った――次の瞬間までは。

 

 ――シュ。

 

 音すら聞こえないほどの静けさの中、斬撃の中心で、ナナシが両手を広げたまま、動かずに立っていた。

 その全てを、その場の空気を、支配するように。

 

「うそ……」

 

 アリーゼが呟く。

 

 ナナシの足元には、風の余波だけが残っていた。五連撃の全てを、身を動かさず回避したのだ。

 少なくとも、周りの人間には避けたように見えていない。

 

「ちゃんと見えてたよ。けど、威力が落ちてる。魔力が逃げてるね」

 

 軽くアドバイスを残しながら、手の甲で額の汗を拭う輝夜に、ナナシが歩み寄る。

 

「ただ、ここまで反応できるなら、あとは実戦で慣れるだけかな」

「……貴様、なぜそんなことができる」

 

 声が震えていた。

 それは怒りではなく、畏れでもなく、認めざるを得ないという、誇り高き者の悔しさだった。

 

「……僕は天才なんだ。だから簡単な事。魔力を使えるってだけ」

「そのだけ(・・)が、どれほど異常か……!」

 

 だが、その悔しさは、不思議と心地よかった。

 未だ高みにいると信じていた自分が、さらにその上を知ったのだから。

 

「でもね、輝夜。君は確かに動けてた。魔力制御に成功した上で、僕の動きに反応できたのは君だけだ」

 

 その言葉に、ほんの少しだけ、胸が熱くなるのを感じた。

 魔力による制御、精密な高速戦闘、そして何より――

 

「輝夜、今の君、最高に格好良かったよ」

 

 唐突にそう言われ、輝夜の顔が赤く染まった。

 

「なっ……! ふ、ふざけるな!」

「いや、本当だって」

「もう一度切ってやる!」

 

 再び本気の斬撃が放たれるが、それもまた、ナナシの指先で止められる。

 

「もう魔力が足りないね。ちょっと充電しよっか?」

「断るっ!」

 

 そう言って納刀し、模擬戦を終了させる。

 

「つうか、庭を破壊すんじゃねぇ!」

 

 ライラは修繕費を考えて頭を抱えた。輝夜の放った斬撃は地面に大きな風穴を開けたのだ。

 ライラをよそに、ナナシは考察を始めている。

 

「他人の魔力でも十分に利用は可能。ということは合体魔法なんてロマンあふれる必殺技も出来るってことか。ピンチの時にオラに魔力を分けてくれ~なんて胸熱展開も出来ると、なるほどなるほど」

 

 一人満足そうにするナナシ。ロマンは大切だと苦楽をともにした同志(爺さん)から教え込まれている。

  

「ナナシ、ナナシ! 出来た、出来た!」

 

 さて帰るかとナナシが考えていた時、明るい声と共に、笑顔を咲かせたアリーゼがこちらへと駆け寄ってくる。腕には見覚えのある腕輪――おそらく、アーディから借り受けたナナシの魔導具。

 

「……クソだね」

「ええっ!? 予想外の罵倒!? なんで、なんで!?」

 

 声を裏返して抗議するアリーゼに、ナナシは頬を引きつらせながら肩をすくめた。

 

 理由は明白だった。

 

 アリーゼは、自分の魔力を完全に手中に収めていた。今しがた魔力制御に苦戦していた輝夜とは対照的に、彼女はまるでずっと前から扱っていたかのように自然に、自由自在に動き回っていたのだ。

 

 直線を走れば風すら置いていく勢い。ターンも自在、急停止すら難なくこなす。

 その動きはまさに一瞬の閃き、《瞬動》と呼んでも差し支えない完成度だった。

 

「アリーゼ、足裏に魔力を集中してみて。薄い膜を張る感じで」

 

 ナナシの言葉を受けて、アリーゼは試すように目を閉じ、意識を足元に集中させた。

 次の瞬間、空気にふわりと魔力の幕が張られる。

 視認できるほど淡く青いその薄膜を、彼女は迷いなく踏みつけた。

 

「おぉ……」

 

 驚きとも感動ともつかない声が、誰ともなく漏れる。

 

 浮いた。アリーゼが地面から、ふわりと浮いたのだ。

 足元に張った魔力のステップを踏んで、一歩。

 

 それは空へと至る第一歩。

 

「すご……これ、水の上でもできる?」

「うん、水面に膜を張れば、その上も走れる」

 

 ナナシの説明を、アリーゼは目を輝かせて聞いていた。

 どこかで聞いたような台詞が脳裏に過る。

 

 ――人間、その気になれば消えれるし、空だって飛べるし、なんなら海だって走れる。

 

 以前、アーディが呆れ顔でナナシの大言壮語を真に受けたときのことが思い出される。

 だが今、それは現実になろうとしていた。

 

 あとは“消える”を達成すれば、いよいよナナシの妄言は現実として成り立ってしまう。

 

「……アリーゼの魔法は炎を足場にして空を翔る。そういう意味ではやりやすかったのだろう。才能だな」

 

 少し距離を置いた位置から、輝夜が静かに呟いた。

 

 

「アリーゼの場合、才能っていうか、私ならできるという自信かな」

「否定したいところだが、否定できん」

 

 ナナシの言葉に、輝夜は唇を噛む。

 アリーゼの行動は、確かにその通りだったのだから。

 

 アリーゼはもう一歩踏み出そうと、空へ向けて助走をつけた。

 けれど――

 

「きゃっ!?」

 

 次の瞬間、バキンと音を立てて魔力のシールドが砕け、アリーゼは地面に落下した。

 盛大な土煙が舞い上がり、ぽかんとする皆の前で、彼女は尻をさすりながら笑っていた。

 

「いったた……でも、なんか飛べそうな気はする!」

 

 アリーゼの笑顔はまぶしかった。

 転んでも、折れず、諦めない。だからこそ、彼女は前に進めるのだ。

 

「やっぱり、変な意味でアリーゼは天才だな……」

 

 そんな彼女を見て、触発されたらしい。

 リューやライラもやってみたいのか、腕輪を寄こせとアリーゼに駆け寄っていた。

 

「まだ腕輪なしだと、ダメそうだけど、思い込みって怖いなー」

「そうだな。ところで、あの腕輪、ファミリア分提供という形は……」

「するわけがない。あ、お金には困ってないから、そこで交渉しても無駄だよ。あまり広める気もないし」

「オラリオ全体としてみれば冒険者の向上は望ましいことだが、その分危険も増加する。お前が広める気がないなら、正直こちらとしてもありがたい」

 

 ファミリア秘伝の技術と言って、他派閥にバレた時の対応を考える輝夜。

 

「いつかはバレるかもね。身体強化も、腕輪の力が9割くらいだし、あれなしでどこまでバフが乗るか、要観察って感じかな」

「バフ?」

「エンチャントだよ。神の言葉って通じるものと通じないものがあるから面倒だよね」

「神だからな」

「僕からすれば似非だけど」

 

 その後、制御に失敗したリューがホームの壁を破壊したところでお開きになった。

 好奇心にかられて、ファミリアのホームを壊したことを知ったアストレアに説教されたのは別の話である。

 

 ◆

 

 人の忠告は素直に聞くものである。

 ナナシが腕輪を使う危険性をあれほど説いたというのに、どこぞのエルフ様はそのポンコツを発動した。

 

「絶壁おめでとう」

 

 ナナシの、どこまでも悪意に満ちた言葉が空気を切り裂く。

 その直後、ピクンとリューの耳が動いた。反応は早い。だが、怒りのスイッチもまた同様だった。

 

「くっ……!」

 

 その場に立つリューの肩が震える。

 その姿を見たナナシは、さらに容赦なく追い打ちをかけた。

 

「数少ない財産を自ら手放すとは、まさに真のエルフだよ。戦いに不要なものを切り捨てる、その姿勢――正義の覚悟そのもの。あっぱれ、実にあっぱれ」

 

 口元に手を添え、感心した様子で語るナナシの背後に、ひょいっと輝夜が現れる。

 満面の笑みを浮かべながら、ノリノリで便乗した。

 

「あらあら、私も見習わないといけませんねぇ」

 

 当然、エルフ様はブチ切れた。

 

「黙れっーー!!」

 

 その叫びは、空気を一変させるに十分な迫力だった。

 だが、ナナシは涼しい顔で言い放つ。

 

「怒っても現実は変わらない。失ったものは、戻らない」

「ナナシ、からかいすぎだよ。それに、ナナシなら取り戻せるでしょ?」

 

 呆れたように、けれどどこか楽しげにアーディが口を挟む。

 

「これだから覚悟がない者は困る。彼女は、自ら望んで“無”になったんだ。絶壁と呼ばれようが、ぺちゃぱいと言われようが、無乳と――」

「死になさいっ!!」

 

 刃のような怒声が再び飛ぶ。

 リューが跳ねるように飛びかかり、魔力強化された身でナナシに突撃する。

 

 その手にはナナシの腕輪。ほんのわずかとはいえ、魔力を制御できる力を手に入れたエルフの一撃――

 

 ――だったはずが。

 

 「っと」

 

 ナナシは軽く体をひねり、足を一閃。リューの足元を払った。

 

 バランスを崩したエルフは、慣性のまま後頭部から地面へ激突した。鈍い音が響き、空気が止まる。

 

 転がる彼女の姿は――なんとも言えない哀愁を帯びていた。

 

「脂肪を減らした分、軽くなったからね。落ちるスピードも上がった。……それがいけなかったのかも」

 

 ナナシが悪びれもせず、ぽつりと呟いた。

 

「なくなって、初めて分かる大切さ」

「……うぅ……」

 

 リューは地面に伏したまま、小さく呻く。涙は、もうそこまで来ていた。

 

「さすがにやめてやれ。リオンの涙腺が崩壊する」

 

 今度は、アストレア・ファミリアの数少ない良心――ライラが割って入った。

 

「ちなみに、僕は脂肪を増やすことはできるけど……部分的には無理なんだよね。均等に全身に肉がつく」

「女として聞きたくねぇ言葉だが、リオンにとっちゃそれでもありがたいだろ。あとは本人の努力次第だ」

 

 0から1を生み出すのは、いつだって至難である。

 

「仕方ない。材料はもう尽きかけてるけど、なんとかなるかな。また失敗して“ストン”ってなっても責任は取らないよ?」

 

 そう言って、ナナシは懐から包みを3つ取り出し、そっとリューのそばに置いた。

 

「ナナシ、ナナシ、その材料って何?」

「……友人が絶望に沈んでるのに、それを気にも留めず好奇心を優先する団長様、さすがです」

「だって、胸がなくてもリオンはリオンだもの。ちょっと抱きついたときに物足りないかもしれないけど、誤差よ、誤差」

「ぐはっ!」

 

 響いた鈍い音。

 リューが、再び意識を失いかける。

 

「なるほど、お前の胸もともとねぇからを優しく言い換えるとそうなるのか。いいこと言ってる風に見せかけて、的確に相手の急所をえぐるスタイル。さすが正義のファミリアの団長だね」

「えっ!? 今のってそんなに……!?」

 

 何がいけなかったのか分かっていない様子のアリーゼ。

 しかし、周囲の反応は冷ややかだった。

 

「さすが我らが団長……」

「アタシには真似できねぇ芸当だ」

「それでも好かれるのがアリーゼなんだよね」

 

 輝夜、ライラ、アーディが、妙に嫌なニュアンスを込めて褒める。

 言葉では賞賛だが、トーンは完全に「諦め」。

 

「ねえ、アストレア・ファミリアって……仲悪いの?」

「そ、そんなことは……!」

 

 声が小さい。リューは俯き加減に答えた。

 そして後日、急激な増量により、身動きもままならず、転げまわるリューの姿がアストレア・ファミリアのホームで確認されたという。

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