とても気持ちのいい日だ。数年に一度あるかどうか、というくらい目覚めが良く、すっきりとした気分で目を覚ました私は、自室から出る。私が昔いた頃に比べ、門下生の数はめっきり減ったらしい。このくらいの朝には、いつも門下生の稽古の掛け声が聞こえていたはずの適当観は静かだ。鳥の囀りが夜の帷が終わったことを告げている。
まだ慣れない杖をつき、顔を洗いに行こうと歩き出す私は、広場で誰かが運動している姿を見つけ足を止めた。
「アキラ君?」
「ん?あぁ、儀降さんか。いや、この場合師匠の姉なら大師匠と呼ぶべきなのかな?」
太極拳のようなゆったりとした動きを止め、こちらに向き直る今最新の弟子の片割れ、アキラ君がそこに居たのだ。人の良さそうな笑みでこちらを揶揄う姿に私も微笑む。
「私が教えられる事は特にないと思うけどね。今はこの体だし、精々エーテルの流れとか、そっちの方向かなぁ」
「というと?」
「雲嶽山の術法、実は昔は儀玄より私の方が得意だったんだよ?」
あの子はもっぱら体を動かす方が好きでね。できないわけじゃなかったけど……私の方が得意だったのは間違いない。
「へぇ、なんというか……あまり想像できないな」
「今のあの子を見てればそうなるかもね」
そんな話題に上がった儀玄は、今適当観に居ない。なにやらTOPSがどうのこうの、市長から何やらと忙しいようで、『大人しくして』と私に厳しく何度も言っては急いで出て行った。儀玄には悪いけど、私としては嬉しい。最近のあの子はちょっと過保護だったからね。少しのびのびとしようかな、なんて思う。
「昔の師匠……そういえば聞いたことがないな」
「あんまり話したがらないだろうねぇ……」
そういうの言って回るタイプじゃないし。何より私が居ないあの頃は荒れてたんだろうな、と私の部屋の様子で察した。10年は経ってるのに当時のまま綺麗にされてたとか、ちょっと執念のようなものを感じて私は怖くなったよ、うん。そんなの弟子に話したくはないだろう。
「なら、あまり聞かないことにしよう」
そう言うアキラ君。うん、いい子だなぁ。聡いとはこう言うことを言うのだろうか。相手の嫌なこと、嬉しい事。そういうのを察して、欲しい言葉をくれる優しい子。まあ人たらしすぎて色んな子を泣かせそうでもあるけど。
「儀降さんは何を?」
「私?あぁ、目が覚めたばっかだし顔でも洗いに行こうかと」
「なるほど、その後でいいから、僕に教えて欲しいんだ。まだコツが掴めないところがあって」
「へぇ?結構スジが良さそうに見えたのに」
私の中のエーテルをどうにかしようとした時のアレを思い返す。随分と慣れた様子だったけど、本人の中ではまだ未熟なのか。
「なら、少し教えようか」
「お願いします、大師匠?」
全く。現役は既に引退しているようなものなんだけどな。それに、ここは雲嶽山でいうところの支部にあたる場所だ。私と儀玄が一緒に修行していた総本山は別にある。私の事とか、ちゃんと話したんだろうか儀玄。彼女の育てた弟子とか、ちょっと見てみたくもあるんだけど。
そうしてアキラ君に教える間に朝は終わり、昼になる頃、潘さんにお茶をもらいながらのんびりしていたら、私を訪ねてきた人がいた。
「たのもー!って、なんか違う……」
「んん?誰かな」
とても元気のいい声で適当観へと足を踏み入れる女の子。随分と若く見える。栗色の髪に、垂れた大きな耳。赤い髪飾りをした少女だ。何故だか分からないが、彼女にはとても親近感を覚える。
「まぁいいわ、どうもこんにちは!」
「こ、こんにちは?」
元気なのは良いけど、とても勢いがあるね?
「初めまして、私、葉瞬光って言います」
「あぁどうも。私は儀降」
その名前を聞いて、はて、と私の中で引っ掛かるものを感じる。何処かで聞いたような、聞かなかったような。
「どうしたんだい、大師匠」
「あ、その呼び方はもう固定なんだ」
騒がしさに気がついたアキラ君が部屋から出てきた。そうしてこちらを見ると、納得した顔だ。
「姉弟子じゃないか、また何故ここに?」
「姉弟子?……って事は」
「姉弟子……姉弟子……ふふ、良い響き。ゔぅん!そう、私も雲嶽山の門下生よ」
「はー、なるほど」
私がいた頃には居なかったタイプだなぁ。儀玄の代になって、バッサリと古いしきたりとか捨てたとは聞いていたが、これも時代の流れなのか。
「それで、何故私に?」
「師匠が、貴方を訪ねろって。見ればわかるとも言っていたわ」
その言葉に思いつくのは、儀玄が留守の間、私をみて欲しくて彼女に声を掛けたのでは、と思ったが……見れば分かる?何を見るのか。いや、雲嶽山的に見る、とは『視る』だ。そっちに切り替えて見てみれば、なるほど。親近感の理由がわかった。
「瞬光、貴方……青溟剣、使った事あるよね?」
「……ええ」
なるほど、見れば分かるとはそういう意味か。とてもよく見たエーテルの流れだ。そして、使っても平気でいられる理由もわかる。彼女には才能があって私には無かったのだろう。青溟剣を使っても耐えられる人間、なんて流石に想像もしていなかったけどね
「青溟剣の使い方とか、そういうの教えて欲しいって師匠に言ったら、適任が居るって言われたの」
「……事情は理解できたよ」
よくもまぁ、儀玄が使うことを許したものだと思う。きっかけが何にせよ、彼女の体は、もう青溟剣専用、と言って良いほどに特化されている。青溟剣自体はもう無いが、その模造品や、クライン大佐が使っていたものもある。それらを振るうにあたり、教えを乞いたいのだろう。
「それじゃあ……」
「私にできることなら、少しだけ教えてあげるよ」
かつて青溟剣を振るった者として、これは果たさなければならない義務だ。そう私は思った。私の先を進む若人を導こう。できる限り。