今日はポート・エルピスに来た。正直記憶の為、というよりは休みの日を満喫するという事に偏っている気がするがそれは片隅に追いやってみなかった事にしよう。
「……んー」
鼻歌まじりに釣り糸を桟橋から垂らす竿をぶらぶらと動かしながら、海の奥へ目をやる。穏やかな波の音をバックに鼻歌を歌う私は今、自分の為のコンサートを開いているような気分になる。
「釣れないなぁ」
どうやら私にその手の才能はないようで、いくら待てども竿に魚の気配はない。しかし、今こうして流れていく時間に身を任せる私は無敵だ。仮に1匹も魚が釣れなかったとしても、それはそれ。いい一日だったと笑える筈だ。
「あら、先客が居たのね」
そんな時、背後から声が掛かる。振り返れば、サングラスをした整った顔の女性がいた。
「横で良ければ空いてますよ」
「ありがとっ、失礼するわね」
天真爛漫、その一言が似合う雰囲気の女性は、自分の竿から釣り糸を垂らして隣へ座った。
「釣れてる?」
「いいや、全然」
「そう」
短い会話の後、沈黙。どう反応していいやら掴みかねる私とは裏腹に、彼女の表情は楽しげだ。
「歌うのはもういいの?」
「え?」
突然の質問に虚をつかれ声が漏れる。誰も居ないものだと思って鼻歌を歌っていたのをどうやら聞かれていたようで、恥ずかしいやらで私は顔を赤くしながら海へと向ける。
「……恥ずかしいので」
「そう?とてもいい歌声だったわよ?」
一見すれば皮肉にも聞こえてくる言葉には、嫌味に思わせない明るさがあった。
「歌って素敵よね……歌うだけで、明日には違う風が吹くって思えるもの」
「そう、ですか?」
「ええ」
そう話す彼女は海の向こう、見えない何かを見つめ、その表情は明るい。
「今はまだ無理だけど、私は歌ならこの海だって、山だって、この空だって動かせるって信じているわ」
「……それは、凄い」
本気でそう言い切る彼女に、私も彼女が言うならきっとそうなのだろう、と信じたくなった。
「ねぇ、貴方の名前、教えてくれる?とてもいい歌声だったもの。また会いたいわ」
「私の名前は、ユキです」
「ユキ、いい名前ね。私は……皆には内緒よ?特にイヴには」
そう言って綺麗な片目ウィンクをする彼女はイタズラっぽく笑った。
「私はアストラ、アストラ・ヤオ。」
その名前を聞いた時、とてもよく似合っている、と思った。とても響きが彼女のあり方に似合っている。きっと、彼女は星なのだろう。僅かな会話の中でも、そう感じるほどに彼女は眩しく映った。
「そろそろ行かなきゃ。イヴに見つかっちゃう」
「……追われてるの?」
「ええ、こわーい私の騎士に」
冗談めかしてそう笑いながら言ったアストラさんは、じゃあね、と手を振って何処かへと走っていった。ハイヒールでよく走れるなぁ、なんて思いながら、私は糸が揺れる竿を慌てて引き上げた。どうやら、流れ星が私に運を運んでくれたらしい。釣れた魚をベンさんにお裾分けした、とても喜んでくれた。
「……ッ!」
目が覚めて勢いよく跳ね起きる。呼吸が荒れる。汗が肌に張り付き、自分の髪がまるで自らの喉を締めるかの如く絡みつく。気持ち悪い目覚めだった。
「……夢、か」
あり得ない夢だ。とても幸せで、こんな日々がこれからも続くと疑わない日々。そして、目が覚めてはそんな日は訪れない事実に打ちのめされるのだ。
「……」
呼吸を整えベットを這い出て、サイドデスクに置かれた写真立てを手に取る。そこには、在りし日の面影が写されていた。今のようになる事を考えもしなかった、姉妹の笑顔が。
「ダメだな、私は」
もう、あれから何年も経った。こんな有り様では、姉に叱られてしまう。だらしがない、と。
いつも着る雲嶽山当主の服に袖を通す。姉と、お揃いの服だ。そう言えば最近痛んできていたな、またルミナスクエアで修繕してもらおう。そう身支度を終える頃には、寝起きの弱々しさはなく、雲嶽山当主の姿がそこにあった。