Connection First Spring   作:zs3079

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第八話:動き出した心、後ずさった足取り

キーンコーンカーンコーン

 

五時間目の終わりを告げるチャイムの音。

 

先生は話していたことを切り上げて、「宿題、忘れないように」と言い残し、教室を後にした。

 

「新島、ほんと厳しいんだってば」

 

「ふう、やっと息ついたって感じ」

 

教室の後ろから、男子二人のひそひそとした声が聞こえてきた。

 

新島先生は、確かに厳しい方だと思うけど……

 

先生のこと、あんなふうに気軽に言っていいのかな。

 

もちろん、それなりの理由はあると思う。

 

でも、ああいう言葉が耳に入るたびに、なんだか気まずくなってしまう。

 

私は後ろを振り返った。

 

愛ちゃんは疲れたのか、机にうつ伏せになって寝ていた。

 

その様子を見て、私は思わず苦笑いを浮かべてしまった。

 

愛ちゃんと出会って、もう十日以上が経った。

 

「私も輝きたい」と思って手をつないだ、あの日から。

 

私は、ほんの少しずつだけど……変わり始めていた。

 

愛ちゃんって、言葉を交わせる人が多かったから、いろんな人と接することができたのかもしれない。

 

それとも、一緒にいるうちに、その明るさに自然と染まってしまったせいかも。

 

今の私は、ある程度は友達もできて、

 

中学の頃のようにただ助けられるだけじゃなくて、

 

誰かの話を聞いたり、小さな手助けをしたりしていた。

 

「……あっ、そういえば、真田さんにノート貸してあげるって約束したんだった」

 

これまでの出来事をぼんやり思い返しているうちに、ふと頼まれていたことに気が付いた。

 

時計を見ると、休み時間はあと六分しか残っていなかった。

 

急がなきゃ。

 

そう思って、私は鞄からノートを取り出し、席を立って足早に廊下へ出た。

 

幸い、真田さんがいるB組は、うちのD組から教室ひとつ分しか離れていなかった。

 

「明日までに写して返す」って言ってたから、今渡しに行っても、遅くはないはず。

 

そんなことを考えているうちに、私はもうB組に着いていた

 

ドアを開けて、そっと顔をのぞかせ、真田さんを探す。

 

ちょうど真田さんはドアの近くで、何人かの女子と楽しそうに話していた。

 

私は体を引き気味にして邪魔にならないようにゆっくり歩きながら、真田さんのところへ行って、そっと声をかけた。

 

「あの、お話の途中すみません。真田さんにノートを渡しに来たんですけど……」

 

軽く頭を下げて先に断りを入れ、両手でノートを見せた。

 

すると、真田さんはにこやかに応じてくれた。

 

「おー、源さん。ありがと、ちゃんと覚えててくれたんだ。っていうか、そんなにかしこまらなくていいから。もっと気楽にしていいって、気楽で」

 

「ねえ、真田、この人だれ?」

 

隣にいた女子の一人が私をちらりと見てから、また真田さんの方に顔を向けて聞いた。

 

怖いというほどではないけれど、どこかよそよそしい雰囲気が感じられた。

 

「あれ? 私、言ってなかったっけ? D組の源春香さんだよ」

 

「……ああ、あの宮本さんといつも一緒にいるっていう?」

 

愛ちゃんの名前が出た瞬間、なぜか身体がピクッと縮こまる。

 

愛ちゃんは知り合い多いから、私のことを知らない人でも、愛ちゃんのこと言えば私が誰か分かってくれることが多かった。

 

忘れられるよりは、ずっとまし。

 

だけど──

 

何だか、胸の奥がほんの少しだけ、もやっとするのはどうしてなんだろう。

 

「はじめまして、源さん。話は聞いてたよ。私は島田八鶴。島田って呼んでね」

 

さっきまで私を少し警戒していた人は、少し顔を緩めながらそう言ってきた。

 

「えっ、あ、はい」

 

反射的に頭をぺこりと下げて返事をした。

 

──そのときだった。

 

さっきまで視界に入っていなかった光景が、ふと目に入った。

 

「もー、だから敬語使わなくていいんだってば〜。源さん、ほんと礼儀正しいんだから〜」

 

「えっ? 源さん? もしも〜し?」

 

誰かに呼ばれたような気がしたけれど、それに構う余裕はなかった。

 

ノートの上をなぞる、普通の手の動き。

でも、何故か視界に飛び込んできて視線が固まった。

 

サラサラ──

 

音は聞こえなかったけど、まるでその周りだけ時間の流れが違うように感じた。

 

だからだろうか。

 

私はしばらく、その手の動きから目を離せなかった。

 

何を書いているのだろう。

 

──いや、それは重要じゃなかった。

 

重要なのは、そこにいるのが、誰かっていうこと。

 

顔は伏せられているけれど、

 

独特な、誰も寄せつけないような空気を纏っている。

 

「お前は、十分に明るい。だから、いくらでも変われるはずだ。」

 

忘れかけていたあの言葉が、ふっと胸の奥から浮かび上がった。

 

一番聞きたかった、

 

私さえ信じられなかった自分のことを、あるがままに見てくれた——あの言葉。

 

今でも、本音でそう言ったのかまではわからない。

 

でも、私が受け取った意味と、彼の本音は、同じものだったと信じたい。

 

そう思った私は、気がづけば静かに──けれど確かに、彼の席へと歩み寄っていた。

 

視線を少し下ろして、ノートをのぞき見る。

 

文字がぎっしりと綴られていた。

 

「兄さんは、屋敷から出られないだろう」

 

ぼんやりと読み取れた一文には、そんな言葉が記されていた。

 

普通、ノートに手紙を書くことはない。

 

だから、それが小説だということはすぐにわかった。

 

どういう内容なのかな。

 

読書は大好き。

 

だから、彼が紡ぐ、彼だけの物語がどんなものなのか、もっと、もっと知りたい。

 

そんなことを思っているうちに、気づけば彼の席のすぐそばまで来ていた。

 

彼の手が止まる。

 

私に気づいたのか、それとも文章が浮かばなくなったのかはわからない。

 

でも、そんなことはどうでもよかった。

 

私はただ、彼のことを知りたいし、彼の話を聞いてみたい。

 

あのとき、本当にそう思っていたのか、それとも今になってからこそそう思えるのか、それはわからない。

 

それくらい、あのときの私は必死だったと思う。

 

私は少し笑みを浮かべて、彼ではなく、彼のノートに目を向けたままそっと声をかけた。

 

「へぇー、この話、次はどうなるんですか?」

 

彼は一瞬、何も言わずに私をゆっくり見上げた。

 

「え……?」

 

そして、言葉にならない声が、かすかに漏れた。

 

キーンコーンカーンコーン

 

そのとき、六時間目の始まりを告げるチャイムが鳴った。

 

一気に現実に引き戻されて、心臓が一瞬、ドクンとした。

 

そして、ようやく自分が何をやったのか気づいてしまった。

 

「えっ……?! あ、あの、ごめんなさい!!」

 

彼に向かって慌てて頭を下げて、一目散に教室のドアの方へ足を向けた。

 

「み、源さん?!」

 

真田さんの驚いた声に、思わず足が止まりかけたけど──

 

……お願い、今はこのまま行かせて。

 

あまりにも恥ずかしかったので、すぐにでもこの場から離れたかった。

でもー

 

私は反射的に振り返って叫んだ。

 

「さ、真田さん! ノート、明日じゃなくても大丈夫ですから! それじゃ!」

 

ぎこちなく手を上げて直ぐまた振り返って廊下へと飛び出した。

 

私、いったい何したの……?

 

うあああ、バカバカバカ!!!

 

さっきの私、絶対変だったよね?!

 

すぐ近くのクラスだし、変な噂にでもなったらどうしよう?!

 

私だけならまだしも、いつも一緒にいる愛ちゃんの評判まで悪くなったら……?!

 

ああ、何かな、私って。

 

こんなんじゃ、いつも消極的で受け身だった中学の頃と、全然変わってないじゃない!!

 

バカ、バカ……私って……ほんとバカだよ。

 

そのとき、不意に彼の顔が脳裏をよぎった。

 

もう、きっと終わりだよね。

 

いきなりあんなこと言って、あんな変な行動したんだから……

 

「いい人……だったのに」

 

私は頭をぶんぶんと振った。

 

ううん、それはただ私がそう信じたいだけ。

 

本当の気持ちは、ちゃんと話してみないとわからないんだから。

 

でも、信じてみたい。悪い人じゃないって。

 

それって──

 

私のわがままなのかな?

 

考えているうちに、気がつけば自分のクラスを通り過ぎていた。

 

私は慌てて来た道を引き返して、教室へと戻った。

 

 

「本当? 大丈夫、春香? 一番びっくりしたのあなただと思うんだけど、少しは落ち着いた?」

 

携帯の受話口から聞こえてくる、優しい声。

 

今日は幸いなことに、お姉ちゃんに夜の予定がなかったので、久しぶりにゆっくり電話できた。

 

「うん……少しだけ。私、本当バカみたいだったよね……アハハ」

 

私は気まずそうに笑った。

 

「そんなことない、春香。あなたはやりたいことをちゃんとやっただけ。誰にも責める権利なんてない」

 

お姉ちゃんはとても真剣で穏やかな声で、私の言葉を否定してくれた。

 

「そう、かな……でも、みんなに迷惑かけたと思ってるけど」

 

少し弱気に、押し殺すような声で言った。

 

「まあ、寝ている子を起こしてしまったら、迷惑かもしれない…でもそんなの、学校では日常だから。誰も気にしないはずよ」

 

お姉ちゃんは私を安心させようと、少し落ち着いた声で言った。

 

「明日……大丈夫かな」

 

私はまだ気持ちが沈んだままでつぶやいた。

 

「大丈夫。もしあなたに何かしてくるような人がいたら、私にすぐ伝えて。絶対、後悔させてやるから」

 

電話越しに聞こえてくるお姉ちゃんの声は、低くて鋭かった。

 

「えぇ、お姉ちゃん、こわいよ……」

 

私は困ったように笑った。

 

私たち姉妹はお互いのことをよく知っているから、声を聞くだけで表情まで浮かんでくる。

 

「ふふっ。安心して。そんなこと起こらないから。あなたは絶対に誰かに迷惑かけるような子じゃないもの。私の自慢の妹なんだから」

 

私たち姉妹はお互いのことをよく知っている。

 

だから、お姉ちゃんもこう言えるんだろう。

でも、私だって。

 

 

「……お姉ちゃん、今、生徒会長の宣言のときと同じ顔してるでしょう?」

 

「なっ?! どうやってそれを? もしかして今、うちの寮の近くで望遠鏡で私を見てるの?!」

 

お姉ちゃんの慌ててる顔が自然と浮かんできた。

 

こんなお姉ちゃんの天然な姿を知っている人は、ほんの一握りしかいない。

 

その中に私がいるってことが、ちょっぴり嬉しくて、誇らしかった。

 

「そんなわけないでしょ。自分の部屋だよ〜。うふふ」

 

ただそんなお姉ちゃんが可愛くて、思わず小さく笑った。

 

「……まあ、そうやって笑えるなら、もうすっきりしたそうだね。」

 

お姉ちゃんは、あっという間にいつもの調子に戻って、そう言った。

 

どうしてこんなに気持ちを切り替えるのが上手なんだろう?

 

こういうとき、毎回驚かされる

 

「うん……お姉ちゃんのおかげだよ。ありがとう」

 

ほっとした私は、そう言って素直に感謝の気持ちを伝えた。

 

「役に立てたってよかった。あ、それと春香。あの人のことなんだけど」

 

お姉ちゃんは静かに笑って、そこで一呼吸置いてからこう言った。

 

「信じてみたらどう?」

 

「えっ……でも、私の勘違いかもしれないし……」

 

私はためらいがちに答えた。

 

「でも、春香はその人が本当は優しい人なんだって、信じたいんでしょ?」

 

お姉ちゃんはまた、真剣な声で尋ねてきた。

 

「……うん。私は、そう思ってる」

 

私は小さくうなずいて、そう答えた。

 

「じゃあ、信じてみて。その人を信じるんじゃない。“その人を信じたいって思ってるあなたの気持ち”を、信じてみてもいいと思う」

 

お姉ちゃんは、どこか遠くを見ているような声でそう言った。

 

「私の……気持ち……」

 

「そう。誰かを信じたいって思うその気持ちは、すごく大事なものだから。ちゃんと、大切にしてあげてほしくて」

 

その言葉は、どこか懐かしくて……少し寂しさも感じさせる声だった。

 

お姉ちゃんも、誰かを信じたいって思ったことがあるのかな……?

 

「ん? あら、誰か来たみたい。ごめんね春香、そろそろ電話切らなきゃいけなさそう」

 

また生徒会の人なんだろうか。今は新学期だから、きっと忙しいだろうし。

 

「あっ、うん。わかった。また電話するね!お姉ちゃん、おやすみ!」

 

「春香もおやすみ。お父さんとお母さんにも元気だって伝えてね」

 

「うん! じゃあ、切るね!」

 

ピッ──

 

通話を終えて、膝の上に置いていたペンギンのクッションを胸元にぎゅっと引き寄せた。

 

「私の気持ち……彼を信じたいって思う、この気持ち……」

 

自分を、信じてもいいのかな。

 

 

暫くの問いかけは、窓の外から聞こえてくる虫の鳴き声に、そっとかき消されていった。

 

うん、今の私にできることをしよう。

 

お姉ちゃんはそう言ってくれたけど、私はまだ、自分のことを信じられないままだった。

 

でも、彼に向けたこの気持ちだけは、

 

少しだけ──信じてみてもいいかもしれない。

 

今はただ、

 

この気持ちを手放したくない、そう思った。

 

 

四月の涼しい風とともに、

 

夜空の星たちが、風に乗って、部屋の窓から差し込んでくるような気がした。

 

 

私にとって“物語”というものが始まったのがこの日からだった。

でも、それに気づいたのは、ずっと後のことだった。




第八話までお読みいただき、ありがとうございました。



今回は、源春香の視点から、

少しずつ変わっていく自分と、

思いがけず誰かに惹かれていく心の動きを描いてみました。



きっかけはほんの些細な出来事でも、

そこに生まれた気持ちを、誰かに届けたいと思うこと。

その一歩が、彼女にとっての“物語”の始まりだったのかもしれません。



自信が持てず、迷いながらも、

それでも「信じてみたい」と願った春香の姿を通して、

誰かを想う気持ちの尊さと、その脆さを感じ取っていただけたなら嬉しいです。



彼女の中で芽生えた小さな変化が、

これからどのようにかたちを変えていくのか、

引き続き見守っていただければ幸いです。



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