【翻訳】Two Sides, Same Coin   作:こぬ

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本作品は Archives of Our Own にて掲載されている、Yellow_Canna様の作品『Two Sides, Same Coin』の日本語翻訳版です。
元作品:https://archiveofourown.org/works/20927198/chapters/49751756


⚠︎太宰治、中島敦がポートマフィアに所属しているIF世界線です。原作軸、BEAST軸ではありません。

⚠︎太宰治、中原中也が交際関係にあります。物語の本筋には関係なく、描写も少ないですが、苦手な方はご注意ください。

⚠︎ヒロアカ側への厳しめ描写があります。苦手な方はご注意ください。



謎多き街

 

 「ハァッ!?」プレゼントマイクの短い叫びが会議室に響く。手には数枚の書類、どうやらそれらを読んだ結果の悲鳴のようだ。

 

 「無理です」校長の方へ向きなおりながら、ほぼ吐き捨てるようにイレイザーヘッドはそう否定した。「俺が認めません。」

 

 「プロヒーローもヴィランも、ヨコハマに行って戻ってきた試しが無い。同じく反対します」と、セメントス。

 

 「それに、あそこは()()()()()()()()らしいじゃない」

 

 「皆の心配はよく分かっているのさ!」根津校長が落ち着いた様子で返す。「けれど、この機会は生徒達にとってとても有意義な物になると思うのさ!正義と悪は表裏一体。でもその間のグレーゾーンをどうやって受け止めるのかまだ何も知らない彼らに対して、世の中の全てに白黒つく訳じゃないというのを我々が伝えなきゃならないのさ!」

 言葉を続けながら、教師達の注目を集める小動物は椅子から軽く飛び降り、窓際へ向かった。目線の先には校庭、そしてそこで運動している上級生達の姿。

 「ヒーロー殺しが現れて以来、人々の心は揺れ動いている。行動自体は悪であっても、その動機に理解を示している生徒もいる、それが何よりも危険で問題なのさ。だからこそ彼らにはヨコハマを経験して欲しいのさ!」

 

 再び教師陣に身体ごと目線を戻すと、そのままイレイザーヘッドの席を伝って長机の上に軽々しく乗り移る。プロジェクターを起動して映されたのは遥か昔から変わらないままのヨコハマの景色だった。

 美しい海のすぐそばに堂々とそびえる巨大なドーム型の障壁。鏡にように青い空を反射しているそれは外の世界との完全な遮断と隔絶、一種の拒絶のようにも見える。中の様子は一切伺えず、謎めいた街は異様なまでに静かだった。

 

 「…個性が出現して以来、ヨコハマではヴィラン犯罪の記録が一切無い。それはみんな知っているね」

 

 誰からも反応は無い。

 

 「その“犯罪組織”が本当に正義か悪か、彼ら自身に実際に経験して判断してほしいのさ。」

 

 校長がこぼした静かな言葉に、相澤は少し顔を顰めた。無意識的に目線が鋭くなっているのに本人は気づいていないだろう。

 

 「それで、今後のあいつらの信念を試す…ということですか。」

 

 理解できない訳ではない。

 ヒーロー殺しとそのその信念が無ければ、(ヴィラン)連合は世間からはまるで路傍の石のように扱われていただろう。市民の心は揺れ、それ故にヒーローに対する批判が強まった。だからこそ(ヴィラン)連合は爆轟を攫い勧誘したのだ、『雄英生徒がヴィランに堕ちた』ともなれば余計にヒーローや雄英へのせけんの当たりが強くなると踏んで。

 

 「…オールマイト、何カ意見ガアルナラ黙ッテイナイデ言ッテミタラドウダ」

 

 エクトプラズムの指摘に部屋にいた全員が振り向き、長机の端に着席していた元No.1ヒーローの意見を求めるように見つめた。金髪の彼は黙ったまま困ったように眉を顰めて、再び手元の書類に目線を戻す。しばらくは何も言葉を発さなかった。

 長い数十秒の沈黙の後、ようやく口を開いたオールマイトは自身の両手を固く握ったまま語り始めた。

 

 「14年前にヨコハマを訪れたとき、私は正義のために行動していると自負していたよ。街に忍び込んで、その犯罪組織を無くせば街に平和が戻ると思っていたんだ。」

 「…けれど、市民はごく普通の生活を送っていたんだ、ヴィランへの恐怖も無く。いや、正確には()()()()()()()()()()()()()()()()()、全員の認識の中に。」

 「街を管理している組織、“ポートマフィア”と真っ向から戦って敗れた時も、そのまま捕えられた時も、()()が違ったんだ」

 

 捕えられた?オールマイトが?全盛期に?

 

 「WHAT!?連中は無個性だろ?そんな簡単に負けたのかよ!?」

 

 そう、ヨコハマ市民は全員無個性なのだ。まるで時が止まったかのように、個性が出現してから数百年もの間たった1人も個性持ちが生まれていない。光る赤子が出現してすぐに街全体を例のバリアーで覆った影響か、はたまた別の要因かは知られていないが、ヨコハマの人間は超常現象の前と全くもって同じ人体構造をしている。

 だからか、ヨコハマ市民は“旧人類”と呼ばれているのだ。

 

 「それは“異能力”なのさ!」オールマイトの代わりに答えたのは根津校長だった。「個性が現れる前、一部の人間には動物に変身したり水中で呼吸したり、火を操ったりテレパシーを使ったりする能力があったのさ。それが異能力、個性が現れるずっと前から、すでに人間の中には普通じゃない力を持った人たちがいたのさ。その人たちのことを“異能力者”って呼ぶ!ヨコハマにはそういう人たちがたくさん住んでいるのさ」

 

 「それって…個性と何が違うんですか?」不思議そうに13号が尋ねる。

 

 「例えば、ナイフだとすると…」

 と言って根津校長が手に持っていたコントローラーのボタンを押すと、彼の後ろのスクリーンに人間の男性の絵が表示された。右腕がナイフになっている絵だ。

 「これが個性。このナイフの大きさは、体全体の構造に合わせて調整しないとバランスが取れなくなるのさ。ナイフになっている方の腕の上腕二頭筋が一般的な腕よりもかなり筋肉質だしね。体全体のバランスとしては右側が少し左よりも広めになっていて、金属の重さを支えているのさ。」

 

 スクリーンの絵は再び切り替わり、聞いていた教師達の目が大きく見開かれた。プロジェクターに映し出されたのは、さっきと同じ男性の絵。しかし、腕がナイフではなく普通の人間の腕になっており、体の構造も先ほどの絵と比べて完璧に均等になっていた。そして何より目を引いたのが、男性が所持しているように描かれているナイフだ。刃の大きさが男性の身体全身の少なくとも4倍以上の大きさに変わっていた。

 

 「そして、これが異能力なのさ!」

 「見ての通り、異能力は使う人の身体に制限されないのさ!遺伝的にその人の一部という訳じゃないからこそ、異能力は個性よりも遥かに大きな可能性を持っているのさ。けれど逆にその力が使う人自身にとっても危険になり得るのさ。慎重に扱わないと、自分自身の異能力に傷つけられることもあるからね。」

 

 「ならプレゼントマイクが異能力者だったならば、あいつは自分の声の影響を受けるってことか?」

 

 「その通りなさ!」

 

 スナイプの質問に根津校長が頷くと、会議室は再び静寂に包まれた。

 校長の説明通りだとすると、確かに異能力は強力だがその分代償が重い。異能力が強ければ強いほど使用者のリスクが高いからだ。ならば、安定して一定の出力を保てる個性の方が優秀なはずだ

 

 「だからこそ異能力者は厄介なのさ!」

 

 「それはつまり…?」誰かが問いかける。

 

 「危険だからこそ、異能力者は自身の異能力に頼らないのさ!生まれ持った肉体が完全に異能力を受け入れる訳では無いし、特殊な訓練を経て異能力を使いこなせるようになる人もいるからね。異能力無しでも十分な技術と経験を積んでいる異能力者がほとんどなのさ!」

 

 「私が会った異能力者達もそうだったよ。」根津校長の言葉に続いて、オールマイトが思い出すように話す。「例えば…ある少女、恐らく12か13歳だったんだが、彼女は剣を携えた何かを召喚していた。」

 

 「それって、常闇くんの個性みたいな?」

 

 「似ているが少し違う。ダークシャドウは確かに自己があるが、基本的には常闇少年の命令を必要としているのに対して、この少女は()()に命令せずとも自立した思考で戦闘をしていたんだ。2人の人間を相手取っているのと同じ感覚だった、」

 

 「それで捕まった、って訳かしら?」

 

 ミッドナイトの質問に答えは無かった。質問を受けた元No.1ヒーローはしばらく沈黙し、やがて口を開く。しかし、続いた言葉は到底信じられるようなものではなかった。

 

 「…奴らは個性を無効化する術を持っています。」

 

 「WHAT!?」

 「どういうことだ?」

 「そんな話、今まで聞いたことがないぞ!」

 

 教師達のざわめきが会議室を満たす中、セメントスとスナイプが続く。

 

 「もしこの情報が外部に漏れれば……どれほどの混乱が起こるか、想像もつかん」

 

 「そのような兵器が(ヴィラン)の手に渡れば、ヒーロー社会の終焉だ!」

 

 「…その通りなのさ」根津は静かに、そして深く頷いた。「“個性”が現れなければ、人類は今よりもはるかに進化していたかもしれない。それはヨコハマも同じなのさ。世界が“個性”の出現によって混乱する中、ヨコハマは独自に進化して技術を発展させて、外部からの攻撃に備えてきた。だからこそ、どの国の政府も手出しできなかったのさ。」

 

 これは事実だった。

 超常現象の始まり以来、所謂鎖国状態であったヨコハマは外部との関わりを避け、技術の進歩も独自に進めていったのだ。今やその技術力は他の国とは比べ物にならない程に発達している。

 

 「…校長は、どこからこの情報を?」ミッドナイトが不思議そうに尋ねる。

 

 「そんなの簡単さ!今回の修学旅行を計画できた理由と同じ、古い友人に頼んで、ポートマフィアのボスに繋いでもらったからね! 向こうは条件付きで受け入れてくれたのさ!」

 

 「俺は反対だ!」これまで静かにしていたブラドキングが、唐突に口を開いた。手元の資料を机に叩きつけるようにして、声を荒げる。「この修学旅行はA組だけじゃないか! B組はどうなるんだ!?」

 

 ――そこかよ。多くの教師たちが内心でそうツッコミを入れながら、席を荒々しく立った同僚の方を横目に見る。

 

 「贔屓をするつもりはないのさ」根津は申し訳なさそうに、ブラドキングに視線を向ける。「けれど残念ながら、それもポートマフィアからの条件なのさ。ヨコハマに入ることを許されるのは、1-Aの生徒と教員二名のみ、それ以外の同行は拒否されたよ。」

 

 「なら尚更、俺は自分のクラスを行かせたくないです」

 

 相澤はますます頑なな表情になり、強い口調で言い放った。自分のクラスが明確に“選ばれた”と知って、警戒心を隠しきれない様子だ。

 

 「…ポートマフィアは、今まで私たちが対峙してきた(ヴィラン)とは違う。」オールマイトが落ち着いた声で語りかける。「向こうのルールさえ守れば、生徒たちを傷つけないはずだよ、相澤くん」

 

 「“はず”じゃ済まされませんよ」

 

 相澤の反論は鋭く、迷いのないものだった。

 

 「あなたがさっき言ったみたいに、奴らは“個性”を封じる兵器を持っている。俺たちは何の防御もなく、力も封じられた状態で敵の本拠地に足を踏み入れることになるんですよ。」

 

 沈黙が一瞬、場を支配した。

 やがて、オールマイトが静かに口を開いた。

 

 「私はね、“(ヴィラン)をこの世から無くす”ためにヒーローになったんだ」青い瞳が、真っ直ぐに相澤を見据える。「そのために人生のすべてを捧げてきた。でも、現実ではヴィランは存在して、法の目を逃れて自由に動き回っている。皮肉なことに…法を逸脱した者たちこそが、自由になってしまってる。だからか、ヨコハマに足を踏み入れた時、私の心は――揺らいだんだ」

 

 『出ていけ、お前が守るようなものはここにはない』

 

 あの日の言葉が、今でも脳内に棲みついている。

 

 「ポートマフィアはヨコハマの街を愛しているからこそ、その平和を保っている。あそこは彼らの縄張りだ。外部の脅威から街を守るためなら、どんな卑劣な手段も厭わない。そんな彼らをどう評価すべきか、なんて分からない。」

 

 「けど、ひとつだけ確かなことがあるんだ。ヨコハマを目の当たりにして、私は“平和の象徴”という目標を固めた。ポートマフィアは認めないけど、あの街で見た——ヴィランに怯えることなく笑顔を浮かべる市民の姿。それこそが私の理想で、目指すべき世界なんだ、と。」

 

 オールマイトの言葉を聞き教師たちは沈黙した。彼はすでに力を失っているにも関わらず、その言葉だけで空気が重く圧し掛かってくようだった。

 

 しばらくオールマイトと視線を交わしていた相澤が、ため息をついて眉をひそめた。

 

 「…校長。その“古い友人”とポートマフィアは本当に生徒の安全を保証するんですよね」

 

 「モチロンさ。」

 

 

◤◢◣◥◤◢◣◥◤◢◣◥◤◢◣◥

 

 

 「「「えええええええええええ!?!?!?」」」

 

 「ヨコハマ!?」

 「それって、()()()()ヨコハマ!?」

 「マジ!?」

 「誰も入れないって聞いたんだけど!!」

 

 「静かに。」

 

 呆れたように担任が鋭い視線と共に声を上げると、教室は一瞬で静まり返った。席を立ち上がっていた一部の生徒もおずおずと着席し、再び黒板の前の教師3人に注意を向ける。

 

 「さて」根津校長が、相澤の肩に乗ったまま続けた。「2週間後、ヨコハマに修学旅行に行くのさ!」

 

 「せんせー!」葉隠は、必死に手(というより制服の袖だが)を振って注意を引こうとした。「なんでヨコハマに行くんですか?」

 

 「いい質問だが、その前に、まず横浜について何を知っているか話してみよう!」根津が、緑色の髪の生徒を指差す。「緑谷くん!」

 

 「はい!」

 「個性の出現に伴って、ヨコハマは日本から独立を宣言しました。個性によって引き起こされた混乱とパニックによって政府はヨコハマを管理するための人員を送ることができず、効果的な反抗措置もありませんでした。そして独立後、1年かけて街全体を覆うドーム型のバリアのような障壁を建設して、外の世界から完全に隔離したのが最後です。」

 

 「その通りなのさ!」黒い小さな目が教室内を見渡す。「じゃあ、他にヨコハマについて知っていることがある人はいるかい?」

 

 静寂。

 教科書通り、模範解答の緑谷の答え以外に生徒たちが知っていることはほぼ皆無に等しかった。

 

 「これから話す内容は極秘事項だ」

 

 そう告げたのは、相澤先生だった。彼は一束の書類を差し出す。

 

 「お前らにはこの誓約書に署名してもらう。将来ヒーローとして活動するにあたって影響が無いとも言いきれん。署名を拒否する権利はあるが、そういった生徒は退室してくれ。今回の修学旅行も辞退したものとみなす。」

 

 誰一人として席を立たなかった。

 理解できなくとも、全員が誓約書にサインをした。相澤先生が全員の署名を確認し、扉をロックして照明を落とす。代わりに、根津校長がプロジェクターのスイッチを入れた。壁に映し出されたのは、海岸沿いにそびえる巨大なドームの姿だった。

 

 「ここがヨコハマ。」根津校長が口を開く。「緑谷くんが言った通り、この街はバリアに覆われているのさ。個性が現れたあの日からずっと、中で何が起きているのか誰も知らない――というのが普通の認識さ。」

 

 根津はプロジェクターを切り、照明が戻る。

 

 「先生、それって…」八百万が息を呑んだ。言わんとすることがわかったのだ。

 

 「その通りだ」

 

 「プロヒーローや政府関係者のみに知らされていることだが、ヨコハマでは“個性が存在しない”。無個性の社会だ」

 

 クラスに衝撃が走った。叫び声が教室を揺るがす。相澤先生は耳を塞いだ。

 

 「そ、そんなことが…!?」

 

 緑谷が息を飲む。無個性の人間だけが暮らす街が、実際に存在するなんて到底信じられるものではない。

 

 「横浜は、個性が現れた後に隔絶したんだ」と相澤先生。「個性を持たないようにになったのは、その方法も目的も誰も知らない。一部の科学者たちは“個性の進化を防ぎ逆戻りさせる治療法を作り出したのではないか”と推測しているが。」

 

 「今のヨコハマでは、個性が現れる前の人間の生活が続いている。進化を一切受けていない彼らの身体は“旧人類”と呼ばれている。そして、その街にはヒーローも(ヴィラン)も存在しない」

 

 生徒たちは教師たちの言葉を信じられずに見つめた。彼らの世界では、(ヴィラン)は常に社会の脅威だった。毎日のようにどこかでヴィランの事件が報道されている。だからこそ、ヒーローになりたいと願ってきたのだ。

 

 そんな中、(ヴィラン)もいない場所がある――その事実はあまりにも衝撃的だった。

 

 「その代わりに、もっと危険なことがあるのさ。」と根津校長が真剣な声で言った。「今まで政府はヨコハマの調査に多くのエージェントを送り込んできた。ヨコハマにヒーローがいないと聞きつけた(ヴィラン)たちもそこへ足を踏み入れたよ。合計48人の諜報員のうち、帰ってきたのは2人だけなのさ。」

 

 「そして、横浜に入った(ヴィラン)たちは二度と姿を戻ってこなかった。」

 

 「な、なんでだよ」峰田が震えながら尋ねる。「呪われてるんじゃないのかよ…」

 

 「ヨコハマは、個性が現れる前から政府の統制を外れているんだ。現在は世界最大の犯罪組織“ポートマフィア”の管理下にある。」

 

 その言葉に、生徒たちは呆然とした。

 どう反応していいのか分からない、日本にそんな犯罪者の街があるなんて知らなかった、なんで政府は何もしないのか、なんでヒーローは動かないのか。

 

「みんな、その気持ちはよくわかるよ」と根津校長は落ち着いた口調でなだめるように言った。「なぜプロヒーローや政府が動いてこなかったのか……それは、動けなかったからだ。さっきも説明した通り、横浜には個性が存在しない。でもそこには個性よりも危険なものがある」

 

 そこから校長は、“異能力”と呼ばれる力について詳しく説明を始めた。話を聞くほどに、生徒たちの顔は青ざめていく。かつて抱いていた神秘的な街への幻想は粉々に砕け、代わりに暗く重い現実が覆い被さった。

 校長の話が終わると、教室は凍りついたような沈黙に包まれた。生徒たちは思い思いの思考に沈み込み、根津校長は床に飛び降りて言った。

 

 「この修学旅行は強制じゃないさ。参加を希望する生徒には、このあと配られる用紙に自分と保護者の署名をしてもらうことになる」

 

 「校長先生、まだ答えていませんわ。どうして()()()()()()ヨコハマに行くんですの?」八百万が手を挙げて問いかけた。敵地に踏み込む理由は何なのか?

 

「…君たちはヴィランが当たり前の世界で育ってきた」根津校長は穏やかに答えた。「毎日のようにヴィランの事件が起きているけど、君たちが知っている(ヴィラン)とポートマフィアは違う。私は君たちに、自分自身の目でこの世界の悪と正義を見てほしいのさ。自分が進むべき正しい道を見つけて、どんな世界を創りたいのか考えてほしい。それだけなのさ。」

 

 そう言い残し、小さな校長は教室を後にした。残されたのはふたりの教師だけだ。

 

 「で、でも先生!校長が言ってたじゃんか!」峰田が慌てて振り向く。「脱出できる人がほとんどいないって!もしオイラたちが――」

 

 「話に出たエージェントやヒーローたちがどうして命を落としたのか、私は知らない」

 

 ついに、オールマイトが口を開いた。

 嘘ではない。彼らは結局のところ死んでしまったのだ。ポートマフィアは外部の人間を無意味に街に留めておくなんて優しさは持ち合わせていない。同じ運命を辿るだけなのだ。

 

 「私も過去にヨコハマに行ったことがある。今回の修学旅行は、校長先生がヨコハマで影響力を持つ者と繋がっているからで、ポートマフィアのボスが君たちが条件に同意するなら、街への立ち入りを許可すると言ってるからだよ。」

 

 生徒たちは、まるで彼が正気を失ったかのように呆然とオールマイトを見つめた。ヴィランと取引をする?普通は考えられない。しかし、オールマイトならば――。

 

 どんなにくだらない話に思えても、オールマイトの言葉を疑う生徒は一人もいなかった。もしオールマイトが大丈夫だと言えば、それが真実になる。

 話はそれで終わりだった。オールマイトは退室し、相澤先生は授業を再開した。しかし、生徒たちは誰も集中できなかった。結局、あの街のことを考えているのは仕方ないだろう。ヴィランの巣窟に足を踏み入れる――それだけで、どうしても授業に集中できるわけがない。

 

 その日はいつもより長く感じられた。授業が終わり、緑谷が帰ろうとした時、相澤先生が彼を呼び止めた。オールマイトが会いたがっているという。

 

 緑谷は慌てて廊下を走り、スタッフルームに到着した。そこにオールマイトが待っていた。細く痩せた金髪の彼はソファに腰掛け、紅茶を一口飲んでいる最中だった。

 

 「緑谷少年」オールマイトは、緑谷が静かに扉を閉めたのを見て、にっこりと微笑んだ。

 

 「オールマイト、」

 

 「今朝の話は、驚かせてしまったかな」

 

 「は、はい……」

 

 「緑谷少年、君には無理に参加してほしいわけではない。でもできればこの修学旅行に参加してほしい」

 

 「それは…なんでですか?」彼はオールマイトや教師たちの考えが理解できなかった。ヴィランの本拠地に足を踏み入れる理由が、戦うためではなく観察のため――しかもその安全の保証が敵の条件に従うことだけだなんて!

 

 「納得しがたいのは分かる、緑谷少年」オールマイトは目の前に座る少年の葛藤を理解している様子だった。彼自身も、ある意味では今でもそのすべてを受け入れきれずにいる。横浜での経験を通して彼が学んだ一つのこと。それは、横浜の社会が、正義と悪が完全に分かれていないということ。横浜は、灰色の領域(グレーゾーン)――正義()()の境界線が曖昧な街。それこそが今回の修学旅行の大きなな目的だと、オールマイトは信じている。生徒たちにはその現実を目の当たりにして、どんな世界を作りたいのかを自分自身で見定めてほしいのだ。

 

 「オールマイトはヨコハマに行ったことがあるんですよね。どんな場所でしたか?」

 

 オールマイトは少しの間黙ってから、静かに答えた。

 

 「…君自身がその目で確かめることになるよ。もし私がそのことを話してしまえば、君の考え方に影響を与えるかもしれない。だからこそ、君自身の目でその場所を見て、どう感じるべきかを決めてほしい」

 

 「どう感じるべきか…?」緑谷はその言葉の意味を考え込み、眉をひそめた。

 

 「すぐにわかるさ」

 

 緑谷が部屋を出た後、オールマイトはソファに横たわり、ゆっくりと目を閉じた。

 

 あの時の記憶が、今でも鮮明に蘇ってくる。時間が経っても、その細部は不思議なくらいに鮮やかに残っている。

 

 

 

 あの時の少年はどうしているだろうか。

 

 

 

 

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