知性に目覚めたゴブリンが謎の凄腕冒険者として噂されるまで   作:ハメ太郎

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第1話 目覚め

ある日、頭の奥で微かな音が鳴った。

ピコン、と。

それは雷鳴のような衝撃ではなく、静かな湖面に落ちた一滴の水のような、ささやかな閃きだった。

 

それ以前の俺は、ただ欲に従って生きていた。

食欲、排泄欲、睡眠欲。

そして、溜まれば性欲。

それらが俺の身体を支配し、思考などというものは、空腹や眠気の隙間に浮かぶ泡のようなものだった。

 

だが、その音を境に、何かが変わった。

俺は初めて、欲以外のものに心を向けることができるようになった。

たとえば、食事を忘れ、眠ることさえ惜しんで、何かに没頭する。

それは、ゴブリンという種にとっては、どうやら異常なことらしい。

 

今日も、仲間が冒険者から奪ってきたヘルムの構造を、俺は飢えも忘れて分析していた。

夜になっても気づかず、樹の根に凭れながら、黙々と手を動かしていた。

幸い、ゴブリンの目は夜に強い。

闇の中でも、俺の指先は迷うことなく鉄の曲線をなぞっていた。

 

そもそも、ヘルムを「ヘルム」として認識できること自体、俺が他のゴブリンと違う証なのだろう。

以前の俺も、あれを「人間が頭につけてる硬いやつ」としか思っていなかった。

なぜそれをかぶるのか、何の意味があるのか、考えたこともなかった。

 

だが、あの音が鳴ってから、世界の輪郭が変わった。

ヘルムは頭部を守る道具であり、同時にそれをかぶることで戦士に安心を与え、恐怖を和らげる。

さらに、装飾の施されたヘルムは、富と地位の象徴にもなる。

俺はそれらを理解し、そして、理解したがゆえに、今こうしてヘルムを弄っている。

 

歪んだ頭頂部──おそらく仲間に殴られたのだろう──を槌で叩き、丸みを整える。

外れていたバイザーは紐で固定し、少しずつ、形を取り戻していく。

 

試しにかぶってみる。

……ぶかぶかだ。

このまま戦えば、ヘルムはすぐに脱げるか、くるりと回って視界を奪うだろう。

 

俺は立ち上がり、洞穴へ向かう。

そこは、力の強い者たち──位の高いゴブリンたち──の住処であり、彼らが奪った品々が貯めこまれている場所でもある。

俺の目的は、ヘルムを固定するための布。

 

洞穴の左手にある横穴が、宝物庫と呼ばれていた。

入り口には、俺より体格のいいゴブリンが胡坐をかいて座り、頭をコクコクと揺らしていた。

見張りのはずが、睡眠欲に敗れて眠っている。

 

俺はその横をそっと通り抜け、宝物庫へと足を踏み入れた。

宝物庫──とは名ばかりで、そこにあるもののほとんどはただのモノだ。

「綺麗」「光っている」「手触りがよい」

そんな理由で集められた、意味のない品々。

 

俺は音を立てぬよう、慎重に山を漁る。

目当ては布。

それを頭に巻けば、ヘルムのぶかぶかを解消できるはずだ。

 

剣、杖、鎧。

静かにどかしていくと、ついに見つけた。

分厚い黒いマント。

広げてみると、穴もなく、手触りが良い。

それが宝物庫に置かれた理由だろう。

 

俺はマントを雑に畳み、足音を忍ばせて外へ出る。

見張りはまだ眠っていた。

 

洞穴を出て、寝床である樹の根元へ戻る。

深夜。

誰もいない。

 

俺はマントを広げ、裾にナイフを入れる。

ゆっくりと刃を滑らせ、細い帯を何本も作る。

それを額から巻いていく。

肌触りが良く、心地よい。

目と口だけを残して、頭部を黒い布で覆う。

そして、ヘルムをかぶる。

 

……おお。

 

ぴたりと収まった。

まるで、頭の一部になったようだ。

顎紐を締めると、さらに密着する。

何をしても外れそうにない。

 

気を良くした俺は、少し丈の短くなったマントを羽織る。

 

遠くから見れば、ヘルムをかぶり、マントを纏った騎士に見えるかもしれない。

俺はゴブリンの中では長身の部類いだ。

たぶん、違和感はない。

 

マントを羽織っていると、盗んだことを咎められるのでは? と一瞬思った。

だが、宝物庫の中のものを守っているだけで、外に出たものには関心を持たないのがゴブリンだ。

認識とは、そういうものだ。

 

さて、眠ろう。

 

夜明けが近い。

昼に何か予定があるわけではないが、眠った方がいい気がする。

実際、眠気もある。

 

俺はヘルムとマントを身につけたまま、樹の根元で丸くなる。

柔らかな布が俺を包み込むと、瞼が自然と落ちた。

 

世界は静かだった。

俺の中だけが、少しだけ騒がしかった。

 

 

#

 

 

カン、カン、カンと甲高い音が頭に響く。

ゆっくり瞼を開くと、すっかり夜は明け、口から吸いこむ空気には夜のねばり気が感じられなくなっていた。

 

カン。とまたヘルムが鳴った。

何かがぶつかっているらしい。

身体を起こし、ヘルムのバイザーの隙間から辺りを覗く。

直ぐ近くに、見知った顔のゴブリンが立っていた。

俺と同じ下っ端だ。

 

その下っ端の顔には畏れの表情が貼り付いている。

どうやら、ヘルムをかぶりマントを羽織った俺を警戒しているらしい。

左手に持った小石を投げて、俺の反応を見ていたのだろう。

 

俺だ。と声を掛けると、途端に下っ端の表情が緩んだ。

声で俺だと気が付いたらしい。

 

分かったらあっちへ行け。

 

そう言いながら、手をふって追い払おうとするが、下っ端は動かない。

 

人間、いる。仲間、やられた。戦う。

 

下っ端は身振り手振りで、人間と戦闘しているゴブリン達の劣勢を伝えた。

要するに、応援依頼だ。

応援を呼びに来て、ヘルムをかぶりマントを羽織った不審者を見つけた、というわけだ。

 

あの音を聞き、知性に目覚めて以来、俺の中に人間に対する憎悪はない。

ゴブリンが持つ人間への怒りは、欲に近いものなのだろう。

それに抗うことが可能な俺にとって「人間は敵」という感覚は既にない。

むしろ近頃はゴブリンよりも人間の方に親近感を抱いていた。

 

体調が悪い。行かない。

 

素っ気なくそう返す。そして再び樹の根元で丸くなる。

すぐに諦めて、下っ端はいなくなるだろう。

そう踏んでいた。

しかし──。

 

仲間。たくさん死んだ。お前も、行く。

 

下っ端はしつこい。

俺の腕を掴み、無理矢理起こし、歩き出す。

どうやら本当にヤバイ状況らしい。

樹の根元で眠りこけることは、許されない程度に。

 

俺は下っ端に従い、ゴブリンの集落から出て歩く。

ゴブリンの集落は森の比較的浅いところにある。

森の奥はゴブリンより上位のモンスターの縄張りだ。

人間の領域とモンスターの領域の間。

そんな中途半端なところにゴブリンは生息している。

 

急げ。急げ。

 

下っ端は俺の思考を邪魔するように急かす。

そんなに急いだところで、ゴブリンの死体が多少減るぐらい。

そもそも、俺の戦闘力は大したことない。

それに、人間に対する戦意もない。

 

ゆっくり行こう。俺は体調が悪いんだ。

 

駄目だ駄目だと、首を振り、下っ端は俺の腕を強く握る。

とても強い人間なんだ、と身振り手振りで伝えてくる。

どうやら今回の人間はただの冒険者ではないらしい。

そんな奴等、放っておけばいいものを……。

ゴブリンの人間に対する憎悪はやっかいだ。

飢えや渇き。

それを癒すかのように、人間に牙を向く。

 

あれだ!

 

下っ端は大声を上げた。

その足元には血の気のなくなった緑の肌の死体。

死体は幾つもある。

下っ端に視線を戻す。

ピンと差した指の延長線上、斜面の下に人間の姿がある。

騎士が二人。

その騎士に守られるように、女が一人。

三人を取り囲むのは、我が種族ゴブリン。

 

いけぇ!

 

人間の姿を視界にとらえ、憎悪に火が付いたのだろう。

下っ端は人間を囲むゴブリンの集団に合流した。

俺は一人、ゴブリンと人間の戦いを見ている。

洞穴に住む力の強いゴブリン達が先頭に立ち、二人の騎士に襲い掛かった。

騎士の剣筋は鋭い。

先頭を駆けていた上位のゴブリンの首が飛んだ。

しかし、ゴブリン達は止まない。

憎悪に血を滾らせ、剣や槍を振るう。

 

あぁ……。

 

騎士の一人が倒れたとき、俺は声を出してしまった。

心の中で、人間達を応援していたようだ。

騎士一人を倒すのに、ゴブリンの死体は二十ぐらい増えただろう。

二人の騎士は手練れだった。

しかし、四方八方からの攻撃を延々と躱し続けることは出来なかったようだ。

何の手入れもされていない剣でも、身体に当たれば肉を削る。

肉が削られれば動きが鈍り、また肉が削られる。

 

あぁ……。

 

ゴブリン達の投石が、人間の女にも及ぶようになった。

無数に飛んでくる礫から、騎士一人で女を守ることは出来ない。

女の悲鳴に気を乱され、剣筋が逸れる。

一撃必殺だった剣技に陰りが見え始める。

女の悲鳴が続く。

すでに地面に倒れている。

ゴブリンが飛び掛かる。

騎士が叫び、剣を振るう。

剣身が折れ、一瞬の煌きを残して飛び散る。

 

終わりだ。

 

そう、呟いた瞬間。

騎士が懐から何かを出し、高く掲げた。

赤く輝くそれに、ゴブリン達の目が奪われる。

綺麗だからだ。

ピカピカと輝く何かは光りを強め──。

 

ボンッ!!

 

音を立て、何もかもが消し飛んだ。

熱風は俺にまで及び、ヘルムとマントがそれを防ぐ。

マントは見た目通りに上等だったらしく、俺の肌が焦げることはなかった。

 

辺りは煙が立ち込め、引火した下草がパチパチと燃えている。

見る限り、満足に立っているゴブリンはいない。

裸が当たり前のゴブリンに、先程の熱風は厳しかったようだ。

騎士の身体は下半身だけになり、地面に転がっている。

騎士が掲げた赤く光るモノは、最後の手段だったのだろう。

 

俺は慎重な足取りで、斜面を降りて戦闘の跡へ近づく。

地面に転がるゴブリンの死体はピクリとも動かない。

騎士の死体も同じ。

ゴブリンの集落を一つ道連れにし、二人の騎士と女は散った。

そう考えた時──。

 

「助けて……」

 

人間の女の声がした。

「助けて……」と。

俺はいつから人間の言葉を理解出来るようになっていたのだろう。

驚きと混乱で頭の中が忙しくなる。

 

「助けて……」

 

ゴブリンの死体の山の中から、か細い声がする。

あの爆発から一人、女は生き残ったようだ。

騎士の判断は正しかったことになる。

俺が、女を助け出したならば。

 

肉の塊となった同胞の腕や足を引っ張り、山を崩す。

しばらく頑張ったあと、ようやく女の姿が見えた。

ゴブリンの血をかぶり随分な有様だ。

俺はマントの裾で女の顔を拭く。

女は蒼い瞳で俺を見つめていた。

 

「貴方は……?」

 

人間の言葉は理解できる。

たぶん、「ピコン」と音を聞いたときに、覚えたのだろう。

しかし、上手に話す自信はなかった。

「貴方は?」の問いに答えることはなく、俺は女の腕を引っ張って上半身を起こした。

 

「痛……」

 

女の身体は傷だらけだった。

見るからに上等な服には赤い血が滲んでいる。

しかし、俺にはどうすることも出来ない。

もしかすると洞穴の宝物庫に行けば、傷を癒すようなモノがあるかもしれない。

少なくとも、ここで手をこまねいているよりは可能性がある。

 

「えっ、いいんですか?」

 

女に背を向けて屈むと、そう返ってきた。

前を向いたまま、頷く。

女はなんとか立ち上がり、俺の背に身体を預けた。

グッと力を入れて女の脚を抱えて、背負う。

ゴブリンにしては長身であることが幸いした。

傾斜に足をとられながらも、なんとか進む。

 

「……」

 

背負われている間、女は何度か俺に話し掛けようとした。

しかし、その度に口をつぐむ。

もしかすると、俺の素性を怪しんでいるのかもしれない。

知性に目覚めてから、俺は服を身に付けるようになった。

しかし、あくまで服をきたゴブリン。

ヘルムをかぶっていても、人間とは違うのが分かったのだろう。

だが、その沈黙が俺には丁度よかった。

まだ、人間の言葉で会話する自信はない。

そんなことを考えているうちに、ゴブリンの集落に着いた。

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