多くの風を蓄えた帆を誇らしげに掲げ、船はスプーニャを目指す。
甲板に立ち、船縁へ肘をかけた私は、空を飲み込む遠くの海を見てボーッとしていた。
波風が私を慰めるように優しく頭を撫で、髪を後ろに流していく。
だが、傷は癒えない。
あの出来事から一晩経ったのに、私の心は底に沈んだままだ。
それほどまでに、アレを見られたのがショックだったようだ。布越しではあったけども。
私自身、何故ここまで尾を引いているのかよくわかっていない。
もしかしたら結構ウブなのか?120年も生きてきて?引きこもっていたせいで、こういうのに免疫がないということか?
つまり簡単に言うと、エッチなことに耐性がないのだろう。経験もないし。
ちょっと納得した。
「よっ、ピンコ」
「やっほー」
マイカとミコトが現れた。
何となく顔を合わせ辛くなって目を逸らす。
「あー……ピッピ昨日のコトまだ引きずってる感じ?」
ミコトはそう言いながら、私の左側で同じように肘をかけた。
「あんなん事故じゃん、気にしないでいいよ〜」
彼女の励ましの言葉がよく沁みるが、心許無く微笑み返すことしか出来ない。
事故とは言え、男性の男性たる部分を半ば強制的に見せられたのだ。彼女たちは間違いなく被害者だろう。
そうか、この気分の沈みは申し訳なさも混じってるんだな。
さらに落ち込みかけていると、マイカがふらついたまま私の右側に収まり、船縁へ腕と顎を乗せた。
彼女は乗船してからずっとフラフラしている。体調不良だろうか。
ただ表情から変化が読み取れない。今は無表情モードだ。
声をかけようか迷っていたところ、先にマイカが口を開いた。
「ピンコって、たしか大人だったよね」
120年生きてますが何でしょうか。
アレを見られたくらいで大人が情けないとでも言うのでしょうか。
一応頷いて返す。失望されるかな。
「大人のチンチンあんな感じなんだぁ。赤ちゃんのとは違うんだなぁ」
失望の色はなく、感慨深そうにマイカが語る。
真顔でチンチン言うな。
「かわいいピンコに、かわいくないチンチンで……ギャップがあって萌えるかもしれませんなぁ、どうでしょうミコトさん」
「うえっあーし!?……わかんないけど……り…立派なんじゃない?」
やめろ、セクハラだぞ。
話を振られ、目を泳がせて苦しそうに答えるミコトを見て、何だか自分が情けなくなってくる。
「わかんないから直接見せてもらう?」
「ちょっ……直接!?」
やめろ、犯罪だぞ。
しかし、2人がかりで襲われたら対処出来ないかもしれない。
この状況、もしかして危険か?苛立ちが警告へと色を変えていく。
念の為船縁から腕を下ろし、少しずつ後ろへ引くことにした。
「あ、でも私よく考えたら温泉でもう見たか」
「マイカ!?」
そんなもの思い出すな。
不覚だ、あの時見られていたというのか。ならば記憶を消す必要があるかもしれない。この旅でその魔術も見つかればいいが……
さらに後退る。
「いや、あの時はお湯でよく見えなかったな。ちゃんと見とけばよかった」
「何言ってんの!?」
やっぱり警戒したほうが良いかと杖を構えて防御の姿勢を取る。
が、ミコトは腕に乗せたままの頭をぐりっと回してこちらに向け、フッと微笑んだ。
「てな感じで、気にしてないよ。ピンコ」
思えば、怒りと警戒で羞恥心がどうでも良くなっていた。
本当に……コイツは……意外と気が利くというか……
まあ、感謝しておくか。
「今度は生のチンチン見せてね」
「マイカさん!?」
やっぱり止めておこう。
先ほどのやりとりのお陰で、この2人とは今まで通り接することが出来そうだ。
しかし、しかしだ。問題はあちらだろう。
甲板に設置された椅子へを腰を下ろしている、あちらの元へと向かう。
そこには、人目を阻むよう白く大きな帽子を被ったトビウメと、それに寄りそうカスミがいた。
「……カスミ」
トビウメを驚かせないよう、カスミを小声で呼ぶ。
こちらに気付いたカスミがピョコピョコと近づいてくる。
「その……大丈夫そう?トビウメの方は」
「だいぶ落ち着きましたわ。貴方は大丈夫なんですの?」
さりげなくこっちの心配もしてくれる。非常に嬉しい。
「あの2人が元気づけてくれた」
指をさした先でミコトがマイカの背中をさすっている。いつの間にか結構仲良くなってたみたいだ。
それにしても、本当にマイカは大丈夫なのか。病気じゃないといいけど……
で、だ。意識をこちらに戻そう。
「トビウメに謝ろうと思うんだけど……話せる?」
「貴方が悪いわけではないでしょうに……ま、聞いてみますわね」
カスミは蹲るトビウメの元へと戻り、肩に手を置いて語りかけた。
「トビウメ、ピンコ様が来られましたわ。どうします?」
帽子越しにチラッと私を覗いたトビウメは、カスミへ何か耳打ちをした。
カスミがまたピョコピョコとこちらに来る。
伝言係のようで申し訳ない。
「私を挟めば大丈夫だそうですわ」
「ありがとう」
感謝を述べ、トビウメのいる椅子へと向かう。
腰をかけ、カスミ越しに届ける謝意の言葉を考えていると、
「ごっ……ごめんなさいっ!」
先に謝られた。何故トビウメが謝るのだろうか。
首を傾げていると、彼女はカスミを盾にしてチラチラとこちらの様子を伺っている。
そして恐る恐る話を続けた。
「その……ピンコさんは私に気遣ってあの格好を選んだのに……あんな感じになってしまい……」
なんだそんなことか。
苦手なものは苦手なのだから仕方ないだろう。寧ろ彼女には苦手を押し付けているようで、同行していることに申し訳なさを感じる。
それにアレは私の選択だ。後悔はしていない。あの時の風は恨んでいるが、それはそれ。
そういえば、トビウメとまともに会話するのは初めてだ。
直接話す機会がなかったので、今まで聞けなかった疑問をぶつける。
「どうして男性が苦手なの?」
今回の事件の一因とも言える。今後の為に理由は聞いておきたい。
トビウメはモジモジと身じろきしてから口を開いた。
「み…身の回りに……男性がいなくて……」
「簡単に言うと超箱入り娘で内弁慶なんですの、トビウメは」
カスミが解説を挟んでくれた。
そうか。彼女もまた、私と同じで耐性がないのだろう。少し親近感が湧く。しかもラビィがいた私と違って異性との関わりがないなら尚更だ。
ますます自分が男性であることが申し訳なくなってくる。
ならばまた、以前のように女性として扱ってもらうのが、彼女へのダメージも少ないだろう。
だが、それでも。
「トビウメ、前に私が”女性として見ても良い”って言ったの、覚えてる?」
彼女は大きな帽子の鍔を揺らせて頷いた。
「あれ、忘れて」
はっきりと告げる。
トビウメが顔を上げて目を見開いた。
「私はやっぱり、どうしても、男なんだ」
性別は、覆しようのない事実で、現実だ。
”女性として見ろ”だなんて中途半端な発言をした自分を恨む。
最初から主張が出来ていれば、きっとこうはならなかっただろう。
「だから……距離とか、会話とか、なるべく配慮出来るよう気を付けるね」
「いっ……いえ!そんなことは!」
トビウメへの対応について宣言すると、彼女は立ち上がって拒絶の意思を見せる。
どうしたのだろうか。
「わっ…私も……このままじゃダメだと思ってて……!男の人にも慣れないとって……!だから……!」
わたわたと身振り手振りで言葉を紡ごうとしている。
彼女は一度大きく深呼吸して、話を続けた。
「その……アナタで慣れるよう……特訓させてもらっても……いいですか……?」
帽子の端を摘んで顔上部を覆い、口元だけで要望を投げてくる。
それは……男性嫌いを克服しようということか?私を男と理解した上で?
しばらく考え込んでいると、また彼女はわたわたしだした。
「あのあのっ……見た目が女の子よりのピンコさんなら……わっ…私でも話せるかなって……!ごっごめんなさい!失礼ですよね……」
「いや、大丈夫。それで良いよ」
考えるのは後回しにして返答した。
なんであろうと苦手意識に打ち勝とうとする心意気は立派だ。私としても応援したい。出来る限り協力しよう。
私の答えを受け取ったトビウメはパアッと明るくなり、胸の前で小さく拳を固めてから、カスミの横に戻った。
「一件落着ですわね」
労うようにトビウメの腰を優しく叩くカスミ。
彼女にも、聞いてみたいことがあった。
「ねぇカスミ」
「はい、なんでしょう」
「2人が旅してるのって、トビウメに関係してる?」
最初こそ、”身分の良さげなカスミを護衛するトビウメ”と考えていたが、最近どうも、カスミの方がトビウメを気にかけているのが目立つ。ならばカスミの為に旅に出た、と言うより、トビウメの為に旅に出た、と言う気がしてならないのだ。
質問を受けたカスミは驚いたようにこちらの顔を見つめ、眉を顰めて視線を下に落とすと、考え込むように黙ってしまった。
教えるとマズい理由があるのかもしれない。
「ごめん、じゃあスプーニャに行く理由は聞いても良い?」
「ああ、それでしたら……」
カスミが口を開いた途端、海風に見舞われトビウメの帽子が吹き飛ぶ。
風に攫われる帽子か、せっかく埋めかけたトラウマが掘り起こされそうだ。
魔術で回収しようかと杖を構えたところ、飛んだ先にいた女性がキャッチしてくれた。そして帽子を抱えたまま、横にいた男性と共にこちらへ向かってくる。夫婦だろうか。
「危ないところだったわね、はい帽子」
トビウメが帽子を受け取る。取ってくれたのが女性の方で良かった。
全員で頭を下げ、礼をした。
「君たちもコロシアム目当てかい?」
「ころしあむ?」
男性から聞いたことのない単語が聞こえ、オウム返しになる。
「おや、お嬢さんは知らないかい。スプーニャの名物だよ」
「人と人を闘わせてそれを見物する催しよ。野蛮よね」
闘いを見せ物にするのか。血に飢えた人間もいるんだな。
魔界でも似た催しをする地域があるので新鮮味はない。
「貴方達はそれを見にスプーニャへ?」
疑問に思い、質問する。
彼らもまた、血に飢えた人種なのだろうか。
「いや、参加者さ」
「そうなの、悲しいことにね」
女性はあまり乗り気ではなさそうだ。
それなら、
「何故、その……闘うのですか?」
闘いが好きでもなく、見る気もない。ならば何故。
夫婦は一瞬キョトンとして、顔を見合わせた。
男性が目を閉じて顎に手を当てる。
「うん、哲学的な問いだねー。それはそこに闘いがあるから……」
「やめなさい、初対面で」
「あたたっ」
女性が男性の耳を引っ張る。
手慣れた様子だ。
「本当に知らないのね。コロシアムで優勝すると国王にお願いが出来るのよ」
「仕事くれーとかお金くれーとか、まあ可能な範囲ではあるみたいだけど。大体叶うらしいね」
なるほど。景品が用意されているのか。
国王に直談判出来るとなると、国をあげての催しとなる。規模の大きさが窺えた。
「何をお願いする予定ですか?」
男性が話したそうにソワソワしているので聞いてみる。
「よくぞ聞いてくれた!ボクらが夫婦になるためさ!」
相当話したかったようだ。興奮して顔を近づけてくる。
そんな男性の首根っこを掴んで引き戻す女性。この気の置けなさでまだ夫婦じゃなかったのか。
女性が荒々しく鼻息をつく。
「住んでいたところの風習でね。結婚を反対されたの」
「ボク達こんなにも愛し合ってるのにねー」
男性はキスを迫るが、額に手を当て止められている。しかし女性も満更ではなさそうだ。
そして今度は口で大きくため息を吐き、真剣な表情に変わった。
「だから、逃げて、ここまで来た」
女性の目つきが鋭くなる。暗く淀む瞳の中には、鈍く光る不屈の意思が宿っていた。
きっと、ここまで険しい道のりだったのだろう。
「コロシアムで優勝して、……コイツと結婚して、そこに住むのよ」
「ボクら結構強いんだよ?地元じゃ負け知らず!」
男性が力瘤を作って見せる。なんと言うか、マイカを思いだす明るさだ。
きっと女性も、こんな彼の性格に助けられて来たのだろう。
「その……頑張ってください」
私から一言、応援を送る。
お似合いな夫婦だ。ぜひ夢を叶えてほしい。
「ええ、頑張るわ」
「応援ありがとー」
手を振って去っていく夫婦。こちらも手を振りかえす。
彼らが視界から消えた後、ふと、先ほどの会話を思い出した。
「カスミ、まさか参加するの?コロシアムに」
「……そのまさかですわ」
さっきの女性が見せたような光が、カスミの瞳にも宿っていた。
「そう……なんだ」
まいったな、気軽に夫婦を応援してしまった。
身近に参加する者がいるとは思っていなかったんだ。
誰も言葉を発さないまま、ミャアミャアと鳴く鳥の声だけが辺りに残った。
彼女達はどんなお願いをするつもりなんだろう。
気になるが、聞かないことにした。
他にかける言葉も見つからないまま、時間は過ぎていく。
船は翌日の明け方にスプーニャへ着港した。
タラップを降りて地へと足をつける。1日ぶりの大地だ。
カスミ、トビウメと、ミコトに背負われたマイカが後に続く。
「……マイカは大丈夫なの?」
死体のようにぐったりした彼女を背負うミコトに聞いた。
「いやーダメそ。昨日ピッピと話し終えてからずっとこんなんだし」
お陰でピッピと船旅楽しめなかったし!と、憤慨のご様子だ。
そう言いながらもマイカの相手をしてくれていたのだ。意外と面倒見がいいのかもしれない。
後でミコトを労おう。
「マイカさんは船旅が苦手なようですわ」
「ああ、前回もこんな感じ……でした」
カスミとトビウメが補足をしてくれた。
それなら一時的な症状なのだろうか。ならば一安心だが、医者に連れていった方が良いかもしれない。
入国の際に審査官へ聞いてみようか。
手続きのため、港の窓口へと向かう。
カウンターの前に立ち、手続きを始めようとした時、窓口に立つ男が目を見開き、顔を青くして震え出した。
「おっ…お前はミコト……!」
男は震えた指先でミコトを指す。
というか名前も知っているのか。顔見知りか?
「”暴威放埒のトウカ・ミコト”!!」
穏やかでない二つ名でミコトの名を叫ぶ。
え?なに?どういうこと?
状況が読めずにミコトの方を向くと、
彼女は舌をペロッと出し、
「あははー……おひさっ♡」
そう言い放った。