「よいしょっと」
表面が平らな岩に登り大きく息を吸って、吐いた。顔を上げて周囲を見渡す。
ここ何日も見続けている緑色の中に、小さく切り開かれている場所を発見した。小高い丘の上にはいくつかの建物とそこへ続く道のような物が伸びている。恐らくあれがシンイチの言っていた人間の集落だろう。これでようやく2つの山を越えたことになる。
長かった……里を出てから幅のある川を迂回、深い渓谷を迂回で時間をかけてしまい8日は経っている。人の手が全く入っていない森を歩くのにも時間はかかったが、私の歩幅が小さいというのも一因だろう。
しかしこれでやっと舗装された道を歩ける。まだ見えてないけど。
いよいよ人間と出会うという事が現実味を帯びてきた。緊張する……しかしそれよりもやる事がある。
角を隠さないとだ。
隠れ里では気付かれなかったが、迂闊にも隠すのを忘れて見られたのが2回もあった。この先で何が起きるか未知数なので、用心するに越したことはない。先んじて消しておこう。
頭に杖の先端を当てて魔術を唱える。数分後、鈍い光が杖から迸った。術がかかったか確認するため、自身の頭を満遍なく触る。
うん、隠せてそうだ。
この魔術の良いところは対象の見た目だけでなく、物理的な感触さえも隠せてしまえることだ。応用をきかせれば本来ない感触、つまり手の長さや筋肉の量も調整できるという、まさに私が探している理想の魔術だ。そしてこれを考えたのものも私だ。
どうだすごいだろう。
だがこの魔術には重大な欠点があり、使える者がごく限られてしまう。端的にいうと物凄く魔力効率が悪いのだ。並の魔族なら手先を消すだけで魔力が枯渇し死に至るだろう。まあ私でも使えるようにアレコレ試行錯誤した結果ではあるが、非常に実用性のない魔術だ。私とて魔王の魔力が無ければ死んでいる。
しかも身体情報とギドへの変換が下手くそなので更に効率は落ち、なんと角を消すだけで魔王の魔力の五分の四が消費される。超弱体化だ。これは魔界では通用しない。そのため代わりを探すため人間界に来ているということだ。
とりあえずはこの魔術に頼らざるを得ないが、これから先、持ち前の魔力分と残った五分の一の王魔力で人間界を渡り歩く必要がある。改めて実感すると先程はなかった不安がモリモリ湧き出て来た。うむ、頑張ろう。気合いを入れ直して旅を再開する。
岩場を降りて下り坂を下っていく。歩き進めていくと、かなり遠くで森が途切れているのが見えた。舗装された道があるのだろう、やった。
しかし、それと同時に一つ異変に気付く。太陽を妨げ影が多くなっているこの森で、薄ぼんやりとした光が目に入った。
あれは……魔術光か?
感知魔術を開いて周囲を探ると、200mほど先に複数の人間がいた。多数が少数を取り囲んでいるようだ。
人間……人間か。ついにか。
躊躇いもあるが、状況が穏やかではなさそうなので近づいてみることにした。木陰からバレないように顔を出し様子を窺う。
その先では3人の女性を7人の男が取り囲んでいた。憶測だが山賊に襲われているようだ。人間界も物騒だな。山賊には似つかわしくないローブの男が、手先から肘までくらいの長さの短杖を構えている。魔術を使用しているのはこいつか。男は視たところ筋力低下と拘束魔術を掛け合わせて女性たちを無力化していた。
重ねがけ……割と優秀な魔術師なようだが、なぜ山賊なんかに手を貸しているんだ? 見れば他の山賊も身なりが良い。人間はそういうものなのか?
不可解なことはもう一つあった。
捕まっている女性の1人、人間としては若い部類に入るのだろう、整った童顔の顔つきで、黒髪は肩まで伸び、程よく引き締まった体躯、腰には剣を携えていた。
彼女について、どうしてもわからない事がある。
捕まって無力化されているのが不思議なくらい、力量がまるで違うのだ。万全なら瞬く間に全てを鏖殺出来るだろう。
それが何故か片膝をついて苦しそうにしている。手を出せない理由でもあるのか、はたまた力の使い方を知らないのか。
不思議だ。不思議だし、悩ましい。
助けるべきか、放っておくか。うーん、出来れば人間の問題に首を突っ込みたくはない。
しかし、この状況……
否が応でも10年前を思い出す。ラヴィが誘拐されたあの時を。
……なんかムカついてきたな。
彼らの事情を汲むことは出来そうにないし、バレない程度に嫌がらせでもするか。それでその後は女性達に任せよう。煮るなり焼くなり、殺すなり。
身体を木の陰に隠し、ローブのいる位置に魔力無効を開く。
「なっ」
戸惑う声が聞こえて来た。次に男達まとめて電磁場の範囲に収めて開き、筋肉が弛緩する程度の微弱な電気を場に一瞬流す。
「ぐっ」
「があっ」
……ちょっと電気が強かったかもしれない。
後は女性達がその隙をついてよしなにやってくれるだ
「ねぇ」
「ぬばあっ」
急な声掛けに思わず飛び上がる。いつの間にか黒髪の女性が真横にいた。
あまりに早すぎる、感知魔術が更新される前に、割と離れているここまで来たのか。
無表情で感情が読めない彼女は、今まさにジリジリと距離を詰めて来ている。もしかしたら山賊の残党だと思われているのかもしれない。
喉の奥がキュッと閉まり、肩が狭まっていく感覚がある。
手は震えていないだろうか。
戦うというのか、魔王と、現在五分の一のこの私と。
…………
すいません、見逃して下さい。
「キミ、今助けてくれた?」
「へ?」
内心弱気になっていた私に対し、彼女は飄々と問いかけて来た。
「敵が怯む前に、なんかこっちで光ったからそうかなって」
見えていた? 木の陰に身を潜めていたのに? それに私の魔術光は頼りない光量だと評判だというのに……どれだけ目が良いのか。
「違う?」
畳み掛けて来る。ちょっと待って欲しい、こちらは今初めての人間との会話と合わせて命の危険を感じていたばかりなんだ。混乱が混乱を呼び混沌な状態だ。
そんなことは知らんとばかりに、相手は回答をじっと待っている。恩を返すと言われて変に繋がりができてしまうのは避けたい。えーと……うん、知らん顔するか。
「……なんのことでしょう? 私はただの通りすがりの旅人ですが」
記念すべき人間との初邂逅は、間抜けにすっとぼける私の一言で記憶されてしまった。果たしてこれで良かったのだろうか。
彼女は顎に人差し指を当て、あさっての方向を眺める仕草をした。
「ふぅん、じゃあ私達4人を助けてくれたヒーローは別にいるんだなー」
「えっ3人じゃ……」
呟いてからハッとした。彼女はすかさず眉の端を下げてにんまりする。邪悪な表情だ。
「やっぱキミが助けてくれたんだぁ」
ハメられた……迂闊。カマをかけていたのか。目の前の彼女は先程まで無表情だったのが嘘の様にニコニコしている。
「ふふ、褒めて遣わす」
頭をわしゃわしゃと雑に撫でられる。撫でられる側になるのは何年ぶりだろうか。角を消していて本当に良かった。
むず痒い気持ちになりつつも、バレているならと開き直りあちらの状況を聞くことにした。
「他の方はどうなったんですか?」
「他? 敵は全員倒した」
フフンと鼻高々に彼女は言う。
「後カスミはトビウメをカイホーしてる。なんかシビれたとかで」
「え」
他に居た2人の名前だろうか。というか痺れた? 電撃の範囲に含めてしまったのか? だとしたら私の責任だ。
困惑する私の手を取って彼女は言う。
「とりあえず見に行こうか」
引き摺られるように連行される。私の手を握る彼女の手は結構強い力で、とてもじゃないが振り解けそうもない。いや、私の筋力が弱いだけか。
「あ、私マイカ。サイトウ・マイカ。よろしくぅ」
一度足を止めて挨拶をしてきた。無表情のまま繋いでいない方の手でピースしている。覚えていられるかなと思案していると彼女……マイカは無言で見つめて来る。
あ、なるほど、こちらにも名乗れと。
「えーと、ピンコです。よろしく」
私の第2の名はもうピンコで固まってしまったようだ。つくづく咄嗟はダメだな。もういいかこれで。そんなことより痺れたというあたり詳しく聞かせて欲しい。
「その……さっき言っていた痺れたというのはどういった状況だったのでしょうか。お仲間の一人の……」
「トビウメね。あと普通に話してくれて良いぞぉピンコよ」
言いながら彼女は私の頬を突いてきた。
………………長いな、まだ突くのか。
う……
鬱陶しい……
身の回りにはいなかったタイプだ。サイの鬱陶しさとはまた方向が違う。
「力が抜けて動けなかったのが急に消えたからすぐにふたりで攻撃したんだけど、こう、ビリッと来て。で、トビウメがまた動けなくなった感じ」
拘束が解けて直ぐに反撃へ転じたというのか。しかも二人も。
恐らく判断の速さと物理的な速さが仇となり、私の魔術範囲に入ってしまったのだろう。それから7人の男を瞬時に屠り、こちらまで赴いたということになる。つまり、あの呻き声は思ったより電撃が強かったわけではなく、彼女の仕業か。
しかし電撃喰らった上で動けるこの子はもう凄いとしか言いようがないな。とはいえ想定外にも過失を与えてしまった。謝っておこう。
「ええと、ごめん。それ多分私の足止め魔術。男の人達だけにかけるつもりだったんだけど……」
普通に話せと言うので敬語は外すことにした。とりあえず人間には敬語で接しておけば間違い無いとサイが言っていたが、嫌がる人間もいるんだな。
マイカは目を細めて口の端を上げ、また頭を撫でてきた。
「気にすんじゃないやい。乙女たちを守れたことを誇りに思いたまへ」
なんとも……調子が狂う。サイが揶揄って来た時に湧き上がる不快感と億劫感の類は感じないが、こう、居た堪れない。
悶々と戸惑いと困惑を混ぜ込んでいたら現場に着いた。辺り一面には血……といったものは飛び散っておらず、男7名と長い髪を後ろで束ねた女性がまとめてノビている。どうやら死人は出ていないらしい。
「あ、マイカさん! どちらに行ってま……たん……だぜ!」
ノビている女性の傍にいた小柄な子がこちらを見つけて声を張っている。
珍妙な語尾だ。
「私たちの救世主を紹介するぜイエー」
握られた手をぐいっと引かれ、マイカの前に引っ張り出された。
状況的にこのテンションで正しいのか?
「ばばん、このお方こそがピンコさまであらせられるぞ、ひかえおろう」
珍妙な紹介をされ対応に困る。あちら側も目を点にして硬直している。
「あ、ちなみにあっちのおっきいのがトビウメで、ちっさいのがカスミね」
その場ではマイカだけが楽しそうにしていた。話が進まなそうだ。
「その……ごめんなさい魔術に巻き込んでしまったようで。大丈夫でしょうかトビウメ? さんの方は」
意を決してこちらから話しかける。
「いいえっ! こちらこそ助けていただき感謝申し上げ……るん……だぜ! あ、トビウメの方についてはご安心くだ……して……くれよ!」
ウェーブがかかった髪を短く切り揃えた小さい方が頭を下げる。こちらがカスミか。それにしてもなんとも歯切れの悪い話し方だ。この子もマイカに敬語を禁止されたのだろうか。
「貴女が先程魔術を行使された方で間違いないか」
散々紹介されたトビウメが上半身をゆっくり起こして問いかけて来た。凛とした雰囲気に若干気圧される。
どう返事をしたものか。マイカに言質を取られたのでいいえとは言えない。今回の場合助けようとした、というよりムカついたからちょっかいをかけた、と言うのが正しい。自己満足の為なので感謝は別段求めていない上、魔術に巻き込んでしまったのでどちらかと言えば謝罪する立場だ。
返答に迷っているとマイカが屈んで私の陰に隠れた。大きさ的に隠れきれてはいない。
「ふふふそのとおりだ。感謝するがよいぞ」
彼女は声色を変え、そのまま私の代弁をする様に言葉を発した。内容は全くもって真逆だが。
なんだか悩むのがバカバカしくなってきたので思う様に話すことにしよう。
「一応、そうです。痺れについてはごめんなさい。私のせいです」
「お気になさらず、この有様は私の鍛錬が足りていなかったが故。我々に活路を開いて頂き感謝申し上げる」
トビウメはまだ立てるほどまで回復していないのか、体勢はそのままに頭を下げる。
「この方々はどうするんですか?」
気絶している男達の処遇について質問した。生かしておいて報復などされないだろうか。
「うむ、この者達は我々を追って来た兵た……い……などではなく山賊だからな。このままここへ放置しようと考えている」
「くくく、私の拳をまともにくらった者は2日はろくに動けないからね」
腰の剣はどうした。
彼女らも集落を目指しているようで同行することになった。
本当は断りたかったがマイカに肩をガッチリと掴まれ逃げることができなかった。
正直人間との交友関係をあまり広く持ってはいたくない。
私と、ある種族を除いた全ての魔族の記憶からは掻き消されたが、人間界には私が魔王である事を知っている者がいるかもしれないのだ。
あのサイですら歯牙にかけたラヴィの魔法が、人間界まで及んでいるとは限らない。魔界とやり取りができる人間がいるかもまた定かでない。
そう、考えているものの、
「じゃあ改めて、勇者やってます、マイカです」
「えっえっと……見習い格闘家で……どす! カスミですわっ!」
「トビウメだ、カスミを指導している言わば師匠だ。宜しく頼む」
「ピ……ピンコです、旅人と魔術師やってます。よろしくお願いします……」
早速関係が出来てしまった。
不本意ながら。
「へいへーいピンコよ、この子らにも普通に話しちゃっていいんだぜぃ」
肩を組んで再び頬を突いてくる。鬱陶しい。
彼女の言うことは真に受けられないので他の2人に視線を送る。
「ああ、構わない」
「問題ありません! ……ことよ!」
承諾を得た。なら、まあ良いんだろう。
それにしても勇者か。
「えーと、勇者って何?」
聞いたことがないので尋ねてみる。
「私もあまり詳しくないが……言い伝えでは魔族に立ち向かう者を指していた気がするな」
「え、そうなの?」
言った本人が知らなくてどうする。
「私てっきり困ってる人を助ける人のことかなーと」
「ああ……貴様病的なまでにお人好しだものな……」
「お陰でトビウメとカスミと仲良くなれた。いえい」
トビウメが呆れた顔をしている。
「ピンコともね」
ニコッと笑いこちらを見てきた。
少しだけラヴィと過ごしている時を思い出す。不思議な感覚だ。
「いや、助けてもらったから逆か……?」
すぐに表情を変えて思い悩む。忙しい子だ。
「にしてもビックリしたよー魔法とか魔術とかホントにあるんだね」
「見たことなかったの?」
「うん、前住んでるとこじゃあなかったねぇ」
なるほど、それならまともに喰らって動けなくなっていたのにも納得だ。
「ピンコはどこで知ったの?」
どきりとする。私の魔術は大半が魔界で研鑽を積んでいる。
が、そんなことは言えない。
「生まれ故郷の方では結構使われてたから、そこで習得した感じかな」
嘘ではない。精霊魔術などは母から学んだ。
「素晴らしい故郷だな。私にも是非魔術を教えてもらいたいものだ」
「あ、私もお願いしたーい」
「あはは……」
一応魔界の外れで人間界に近いとはいえ、そんな日は来ないことを願う。
「それにしてもこのような可愛らしいご令嬢に助けていただくことになろうとは……私もまだまだ精進が足りんな」
「ん? ピンコは男じゃない?」
マイカの言葉に全員が固まる。
数秒の後、余波が訪れた。
「へ?」
「え?」
「えええええええええっ!」
一際大きな声で叫んだのは、
トビウメだった。