ぱたんと扉が閉じ、鈴の音が鳴った後のこと。
少しだけ経って、深い深い溜息と小さく笑う声が室内に響いた。
「おい、海」
「いや、悪い悪い」
「これで助けられた恩は返したと判断するが――――」
それにしても。
思ってしまったことを口にする。
「
三十九層、道中で感じた異変。
多かれ少なかれ同行していた全員が感じたそれは、戦闘中に感じ取ったモノ。
目前に敵がいたのは不運と言う他無いが、助けられた恩は恩。
故に、
私の家が経営する事業、間近の店舗で事件が起きているとまでは想定していなかったが。
比較的多発する事柄、身内で対応出来るならばそれで良い。
故にその程度のことを恩として精算しなかったがこの始末。
とは言え、出会いの儀と数えるのならば正も負も重ねてやや正に傾く天秤だろうから文句も言えぬが。
「何も無いだろ、お前さんが見た通りだよ」
「
思わず漏れてしまう
……根幹まで捻じ曲げられる前に、気付くことが出来たのは明らかに正だと自分を認識出来ている。
正と負。
私の内側に宿る天秤。
自分を戒める鎖にして、生まれた時から負った錘。
私だけは恵まれて。
もう一人は選ばれない。
そんな不公平な、釣り合いの取れない呪いに立ち向かう術として構築した術理。
この判断から来るモノに、私自身は背くことを禁じることで効果強度を増し。
なのに。
「
見えない。
感じ取れない。
一見するだけでは何でもない唯の一探索者。
にも関わらず、此奴との『悪者になれ』という約に従った結果。
僅かに漏れ出た、怒りとも悲しみとも取れぬナニカが周囲へと伝播して。
それ以後は何も感じ取れなくなった……表面上は、何一つ変化が無いにも関わらずだ。
「言っただろ」
だから、問い詰めるように言葉の温度を下げる。
私にしか聞こえない、
そんな中で口にするのは、先程の焼き直しに近い。
『犬神』として成り立った、犬神憑きの家系の末の末。
受け継いだ呪詛は、下手をしなくとも対象を呪い殺すだけの力を秘めている。
にも関わらず――脅しだと分かっているからか――平然とする此奴の顔は好かない。
普段の、泰然自若とした姿であれば……私の婚約者として相応しいだろうに。
何ら変わらないのに、その目が私を見ていないのがどうにも気に食わない。
嫉妬だと自認しながらも、探索者としての私が事実を聞こうと前に出る。
「『迷宮』に愛されてる人種だ。それも特別濃く、周囲を引き付ける、な」
「それを信じろと?」
「事実だから仕方ねーだろ……いやまあ、他に証拠も無いわけじゃねーんだが」
彼奴にとっては普通になってることだが、と前置きされる。
つまり、周囲からすればそれは普通ではないことと理解する。
一度頷き、先を促せば……何処まで話して良いか悩むように口先を尖らせ。
結局は一度同行する以上は知っていたほうが良いと判断したか、改めて口を開く。
その程度の思考の巡りは、此奴に付き合っていれば嫌でも理解が及ぶこと。
「彼奴に与えられた能力は『浮石』、文字通りに石を浮かせる能力だ」
「ふむ」
「決して
海が口にした異常性とは、その能力を維持し続ける時間と効果範囲。
それも、『迷宮』の外でも内側と殆ど変わらない運用をし続けている、という所。
其処まで言われれば、幾ら私が詳しく知らない相手でも理解が及ぶ。
「外的要因に影響を与えるのにも関わらず、内と外で変化がない――――?」
至極当然のことで、今更口にすることではない。
何より、自分の弱点に繋がることだから明言など出来るはずがない。
外部でも扱い続けているからこそ、その差異に気付くことが出来たのは早かった覚えがある。
……自身に直接影響を与える効果を除き、外部での特異性の発露は否が応でも出力が低下する。
その例外となるのが創作者型と特殊型にはなるが、それでも本来ならば『迷宮』内部で物を作成するほうが効能は上がる。
何度も出入りする内に自然と気付く事なのに、その変化に気付けない探索者。
「……そのような者が、存在するのか?」
「実際してんだから仕方ねえだろ……俺もまぁ、零の側に近い立ち位置だけどよ」
「海の場合は自身にしか効果がない、の間違いだろうに」
あるとすれば、一つだけ思い当たる可能性がある。
ただ、それは明らかに荒唐無稽で存在する事を知らねば無条件で思考から跳ね除けるような事柄。
親しいもの以外に言えば、熱でも疑われる空想の虚事。
「『迷宮』の内と外を区別しない、何方であっても変わらない存在……か」
本質を知れば有り得ない。
諸外国を手繰ればその可能性は僅かにでもいるかも知れないが。
この国に於ける基準から鑑みた場合、該当する可能性は殆ど無に等しい程度に低下する。
「正直特殊型なんじゃねーかなーと、彼奴に会う度に思う」
「ならば与えられた石とは何だ、という問題に立ち返るな」
とにかく、何も分からない存在であるのは分かった。
私が理解できない存在であってくれることに、感謝した。
「ならば……」
私が差し出せるなんでもいい。
願いが叶えられる可能性があるのなら、それに縋る。
「会わせるのか?」
「異物頼りだけでは致し方なかろう?」
私が継がなかった呪い。
呪詛、血の贖い。
それを一身に背負った、双子の妹。
千里を救う為ならば。
私は、悪鬼にでも何にでも魂を売る。
それが、生まれた時に最初に決めた事柄だから。