色々と準備は整い始めた。
大家さんに連絡もしたし、小鳥遊を追い出す準備も着々と進行中。
どうにも嫌がるというか気味悪がっているが今更だろうし部屋に残すつもりはない。
そして今頃は『迷宮』内が端的に言えば大混乱状態なんだろうな、と思う日曜日。
実質的な最終日であり、明日には先輩方に呼び出された通りに出向かなければいけない前日。
「恵先輩ー入りますよー?」
『あ~、うん』
普段通りに訓練と最低限の運動を熟した後。
小鳥遊のアホを遊びに来た天音ちゃんに引き渡し、嫌がる姿を他所に勉強するように命じて。
ついでに二人を見ているように、とミサキとクダをその場に残して。
早めに色々と引き渡しておきたい、という連絡の下普段通りのビルにやってきた。
その過程で一往復半する羽目になったのは……まあ今更過ぎるか。
(別に明日でも良いと思うんだがな……ちょっと早めに出ればいいだけだし)
元々集合時間が夜明け前から直後に掛けて。
今日の睡眠はそれに合わせて時間を変えるつもりだし、一時間程度のズレなら別に気にしないのだが。
出来れば今日、と言い張った恵先輩に根負けした形。
普段世話になってる人だし、と諦めと僅かな期待がちょっとだけ。
「失礼しまー…………あ゛?」
一声掛けて部屋の中へと入り、最初に見たもの。
一年の頃の中盤くらいまでは日常的に見掛けていたような格好で、けれど見覚えのないもの。
自身の見た目に頓着しないが故の適当な服装――――の筈の、上着を羽織っただけに似た姿。
と言うよりそれより酷い、多分正しく下着さえも身に着けてない似姿。
綿か絹か、白一色で織り上げた羽織るような薄着。
どことなく神聖さを感じなくもない、周囲から明らかに浮いた身格好。
「何……ああ、いや早く着て……でもない、どういう意味で……?」
こういうのなんて言うんだっけ、と。
混乱混じりに口走る言葉は、やはり意図を幾つも含んでしまう。
自分で自覚しているところがあるから、余裕が全く無い言語。
「ああ、うん……そうだよねぇ、変に見えちゃうよねぇ」
けれど、目の前の
いや、普段よりもしっかりした、明瞭な言葉を口にしている。
つまり意図した、きちんと理由があってこんな格好をしている。
(やっべ、やっべ……!)
余り表に出さずに此処最近は過ごせていた筈なんだが、多分ストレスの影響か中々隠し通すのが難しくなっていた自覚はある。
普段は思考を回してどうでもいい部分は別の思考にぶん投げれば終わっていたのに、口にしてしまっている。
嘗て一度だけしてしまった、結構な
「でもこれね、明日潜るのに必要なんだよね……特に私は」
ただ、初めて会った頃と同じような口振りには深く追求せずに対応してくれる事に感謝した。
分かっていて流してくれているんだろうと感じながら、そのまま話に乗っかることにする。
「必要……ですか?」
「そ。これから今日いっぱいは外にも出られないし出せなくなっちゃうし、明日はバタバタしそうだしね~」
何故なのか、に触れずに。
それが必要だから、というただ一点でゴリ押してくる言葉に疑問符が浮かぶ。
ただまあ、何となく理解出来ることはある。
口にできない、してはいけない禁忌に類する何かに引っ掛かるんだろうなぁ、と。
聞こうとしてしまう自分を、理性で抑え込む。
「それで今日呼んだんですか……その恰好なのに……」
「これからやんなきゃいけないことがいっぱいあるの。見慣れてるでしょ~?」
「見慣れてるっていう部分だけで見せても良い、ってなるわけではないでしょうに……」
特に服を留めている訳でも縛っているわけでもない。
だから、見せようとすれば見えてしまう。
腹部辺りの重なった部分に指を近付けながらそんな事を言われれば、目線を強引に外すしかない。
思ったよりも自分を制御出来ない自分に戸惑いつつ、表面上は溜息混じりの普段の格好を模倣する。
「ま、見たいなら見せてもいいと思ってるのはホントだよ?」
「なんかずーっと前からそれ言ってますよね、恵先輩」
「事実だもん。誰にだって誓って言えることだし~?」
けらけら笑っている。
普段と少しだけ違う、自分の定義を切り替えているような一つ年上の女性。
多分正しい意味で初恋を抱いた人だからこそ、きちんとした態度を取ってほしいのは強欲なんだろうと思いつつ。
「はいはい、それは後でちゃんと聞きます。先に準備だけさせて下さい」
後に回す。
こうして話していれば自然と落ち着き始めるものだと客観視。
今日丸一日要するというのなら、見落としがあってはいけないので何重かの確認はいるだろう。
後は小鳥遊の分と天音ちゃんも引き取って自室で振り分けたほうが無難だろうなぁ。
「言ったね~?」
「言いましたよ、一言一句違わず」
大分脳が焼けてるのは事実。
普段言わないこと、けれど嘗て口にしていること。
だからこその軽口の応酬であり、事実の確認でもある。
「誰も、見たくないなんて一言たりとも言ったこと無いでしょう?」
恥ずかしいから。
隠すのが普通だから。
そうした理由付けはしているけれど、完全な拒絶は出会った頃から数えて一度もしていない筈だ。
見ては不味いから――――みたいな言い回しならば別としても。
本心から断ったことは一切ない。断言する。
「そーゆーとこずるい」
口を尖らせる。
僅かに頬が朱に染まっているから、言い負かせたと思っていいだろう。
普段は本心を贅肉たっぷりの皮で覆っているから言う機会もない、そんな事。
「はいはい、良いから準備しますよ」
「んー」
それを口にしようと思ったのは……何故だろうか。
『迷宮』に潜ることが脳裏に浮かんだからか。
或いは。
何かが呼んでいるような感覚が、少しだけ強くなった気がしたからか。
真実はまるで分からない中。
片手を掴んで、倉庫に向かおうとする行動の視界の端。
目に見えていない範囲で、小さく手を握り締めているのが分かったからなのかもしれない。
結局、俺の思い過ごしかもしれないけれど。
東雲パイセン「こんな会話してるやつに横恋慕とかすると思うか?」
八月朔日先輩「なーんにも変わってねえな此奴」
アホ「うわぁ…………」