五分、十分。
彼女が来ると言ってからちくたくと手元の時計だけが奇妙な時間を刻む。
「……なぁ」
「流石に遅すぎんな」
『何かあったのでしょうか』
最初の何分かは彼女の能力の確認で。
次の何分かは今日の予定を詰めて。
最後の何分かはただ『扉』を見て、妙な焦りだけを覚えていた。
「何もなかったんだよね?」
『私が抜ける時は……でも、後ろを確認したかと言われると』
「まあ何でも良い、一回見に行った方が良いのは変わんねーよ」
まあ、ただ『扉』の前に出ただけなら多少落ち着きを取り戻した上で潜るだけだもんな。
周辺を警戒なんてするかと言われると確かにするべきことでもないし。
一度目線を併せた上で『扉』へと一歩近付こうとした瞬間。
薄明かりが灯り、同時に見覚えのある顔が吐き出されて見える。
「おー…………お?」
「おい小鳥遊」
手元ではなく、一度『扉』の方を振り向いた。
いまいち理解できない何かでも見たように、目を白黒とさせて何かを見ていた。
声を掛ければ、改めて此方を振り向いて。
そうした時には普段通りの顔色へと戻っていて、少しだけ安心したような気がする。
「何があった?」
ただ、そんな感情は全て蓋をした。
僅かな安堵でさえ食われる餌になると、今は余分だと切り捨てた。
何があったのか。
それを知らなければ、対応する手立てを間違える可能性だってある。
だからこそ、繰り返すようだが問い掛けた。
「あー……えーっとですね……」
少しだけバツが悪そうな顔。
何かをしでかした、という訳ではないのだろうが言い難そうな声。
「雄次、悪いが」
「わーった、ちょっと入口のとこで警戒してっから早く来い」
何方かと言うなら、その対象は俺以外の二人に向いている気がした。
だから、振り向くこともなく声を投げ。
足音が遠ざかって行くのを耳で聞きながら、もう一度言えと顎を動かして指し示す。
「……ありがとうございます」
「良い、んで何を見た」
『扉』を潜る際に何かを感じた……というのとは違うと思う。
それならもう少し此奴はテンション上げるだろうし、今の感じからすると見たくないものでも見たような雰囲気がある。
能力の変異に関してとか、細かい部分を気にしている余裕が無いとも言える。
「えーっと……先輩は知ってますよね、私がどういう扱い受けたか」
「どういう……ってのはアレだろ?俺等が最初に会った時のことでいいのか?」
「です」
知っている、と言うかお前から聞いた。
ただ、今その話が出る――――ということは、だ。
「あー……まさかとは思うが」
「私を切り捨てた元仲間が、知らない人達と一緒に守護者の前の部屋に来ました」
「天音ちゃんが潜った直後に?」
「そのちょっと後、精神統一を挟んで動こうとした時……ですね」
あー……そりゃあまた妙な縁があるというかなんというか。
で、多分部屋越し……背中越しに此方に気付いて声を投げてきたってところか。
そう考えると、少なからずそいつらがどういう現状にあるのかは察しが付く。
「生き延びた、と言うよりは
「生かされてる、ですか?」
「彼奴等に借金があるのは分かってるよな?その上で潜る負担に関しても併せてだ」
「はい、嫌ってくらいに」
そうだよな、金銭感覚……特に『迷宮』関係に関しては泣くくらいに叩き込んだもんな。
潜ったことで得た利益の大半は借金とその利子に消えていく。
下手な怪我を負えば治療さえ出来ずその時点で人生が詰む。
大幅に安全を確保した上で、毎日潜ることで何とか最底辺の生き方が許されている状態が彼奴等だ。
それが分かってるなら、どういう地獄にあるのかはなんとなく理解できていると思う。
「だから、多分
「……と、言いますと?」
「形としては俺達と似た形だ、先輩の集団や個人に付いて借金の支払いをそっちに負担して貰う」
ただ、その代わりに失うものはほぼ今後の人生其の物と同義と言って良い。
捨てた同級生たちの能力を鑑みて、便利に使えると判断した奴等に買われた奴隷のようなもの。
明言はされないが、その上級生の財産と化したと裏で囁かれる末路の一つ。
「代わりに、
生きることだけは出来る。
ただ、『扉』を潜る時も便利に扱えるように強制されるし、それに逆らえば契約違反で更に負債が積み重なるだけ。
解放される頃には単独では何も出来ない探索者と化し、事実上の小間使……或いは何かがあった時に切り捨てる盾として扱われる。
ただ死ぬだけよりも。
俺が絶対避けたかった末路の一つ。
小鳥遊が少しだけ震えるのが分かった。
その気持は痛い程良く分かることだったから。
「話を戻すぞ。そいつらは守護者戦越えてきたのか?」
「いえ、声を掛けてきて部屋に入り込もうとしたところで知らない人に殴られていました」
「ほぼ確定だな」
そうなると、此処で待機する猶予はほぼない。
本来なら帰ってしまいたいところだが、既に恵先輩が潜っている筈。
合流を優先して、身を隠す薬品を分けて貰わんとまともに帰れもしないだろう。
「本当なら『能力』の確認をしてから進もうと思ってたがその余裕も無いみてーだな、悪いが」
「いえ……先輩が気にしてくれるのは嬉しいです」
それに。
そんな言葉を零して、謝罪の言葉を遮った彼女は鯉口を切るような動作を取った。
今までではそんな行動は一回も見せていなかった筈。
そして腰の辺りに開いた空間は、どすんと重い何かが落ちる音を立てて再びに閉じた。
「特異性は分かりませんけど、武具に関してだけは何となく分かったんです」
呼び掛けられた声を切り捨てた時に。
彼等に切り捨てられて、貴方に拾われて。
そして私の武具が欠けた時に。
言葉にしない言葉が、耳に届いた気がする。
欠けた武具で良いのか、という問い掛け。
問題ない、という返事。
そんな少し前の会話が、唐突に脳裏に浮かんだ。
「私が求めて、
足元に転がったのは、今まで振るっていた半両手剣ではなかった。
もっと古びた、外見だけ見れば見窄らしくも感じる鞘に隠された直剣。
ただ、その剣其の物が帯びた良く分からない感覚は俺を一度撫で。
その上で許すとでも言いたそうに再び剣身に戻っていく。
凡そ、
その呼び方を不思議と思い出し。
そしてまさか、と疑いつつも認めてしまう俺自身がいる。
「……本物か?」
「どうでしょう、結局扱う人に依るんじゃないですか?」
ただ純粋に種別としても呼ばれ、けれどその総称自体がある意味昇華された剣。
『迷宮』内、選ばれた探索者だけが握るとされる異物――――伝承に謳われる幾つかの武器。
それ其の物を下賜されたのか、或いは掴み取ったのか。
何にしても、それは後輩の手の内にある。
「古くても、新しくても。結局、人は斬れば死ぬんですから」
十拳剣。
そう呼ばれる筈のナニカが、十一階に降り立ったのは。
そんな言葉を濡れたような声色で呟く、担い手の武具としてだった。