やるべきことは単純だ。
視覚と聴覚の優先度を削る。
頼るものを特異性のみに切り替える。
嗅覚と触覚の優先度を上げる。
他の部分は、同行者に頼り切る。
普段は決して使えない、自分自身の在り方を一段階貶めた扱い方。
もう一つの、俺自身の能力の扱い方。
「恵先輩」
「はいはい~?」
感覚の重みが一段階、二段階切り替わる。
見ているけれど見ていない。
聞いているけれど聞いていない。
触れているもの、届くもの。
自分自身が『迷宮』の一帯を覆い隠し、周囲の主になるような薄っすらとした感覚。
「前方右側、小隊が来てます。任せていいですか」
左側からももう二個小隊。
俺が触れていても気付かない、気付く筈がない。
触っているだけであって、干渉している訳ではない。
先輩が何かを言ったのは分かった。
けれど、それを聞き取れる程の余裕は薄れていた。
空気一つ、枝葉一つ。
其れ等全てを俺とするような、空間の扱い方。
何故か。
少しだけ苛立ちを覚えた時に、こんな事が出来るのだと直感的に理解した。
浮かべた鉄塊を視線を向ける為の
足元の草を
二つの感覚を切り捨てているからこそ出来る、自分を操る為の土台としているから出来る今だけの技。
狙うのは一体、一番大きく声を張り上げて指示を出している個体。
足を掛け、僅かに躓くだけでいい。
それだけで張り上げていた声は途切れ、同時に鉄塊を見て警戒しろと告げていた言葉は終わる。
取るだろう行為は二つ。
指示を出していた個体へと向き直るか、或いは変わらず前方を警戒しているか。
狙うのは前方を警戒する個体。
恐らくは小隊を指揮する補佐役なのだろう、少しだけ質のいい石造りの短剣を握っている奴。
(混乱させるだけでいい、潰すのは小鳥遊がいる)
糸を伝達して今
何かを訴えかけようとしている――――けれど、それに集中するだけの脳の猶予がない。
伝えてくれ、とだけ告げて同時に取った行動は二つ。
一つは、大きく円を描くように戻ってきた音を立てながら飛ぶ鉄塊。
一つは、その真逆から襲い掛かるその辺りに転がっていた折れた木の枝。
片方に意識を取られ、そしてもう片方が大したものではないと理解してしまえば意識は自身にとって致命的な方向に向く。
それでいい、普段俺がしていることを特異性のみで再現している図。
相手は既に嫌になるほど殺し尽くしてきた子鬼……思考は手に取るように分かる。
ギッ、と喉が鳴るような声が漏れそうになって。
けれど。
軽いが故に勢いが増した枝が、折れること無く喉元を穿ち抜き。
僅かに開いた傷口から赤い泡が漏れては地面に落ちる。
(だよな、これくらいは)
動かない、動けない。
目も耳も聞こえず、聞かずに自分の身の安全を投げ捨てている。
その代償に一時的に得る増幅が、これくらいは当然に出来ると俺に訴えかけている。
普段は自分が動くことを前提とした能力の扱い方。
今は自分が動かずに相手を殺し尽くすことだけを考えた扱い方。
未だに変異した能力の総て、真髄を理解したとは到底思えないけれど。
周りが出来る最大量を鑑みれば、不利益を受け入れればこれくらいの利益は返ってくる。
――――この方向性へと進んで良いのか。
自分を抑えるもう一つの俺が囁いている。
今は、これでいい。
客観視しながら、ある程度の冷静さを担保しながら。
何処かで賭けなければいけないのなら、自分の身を削る事を。
多分。
他の知り合い、仲間を見ても。
何かを捧げれば、その分何かが返る取引という面では、誠実だと思うから。
鉄塊を動かす。
枝を走らせ、草を結び、転がった枝を踏み締めるだけで脚を貫き縫い止める。
本来有り得ない事象を発生させ、頭痛を覚え。
気付けば止めていた呼吸を繰り返せば、集中した意識の緩和と痛みの鎮痛と引き換えに。
先程までと何ら変わらない、唯一異常性を秘めた鉄塊が宙を舞っては乱れ狂う。
「――――行け」
言葉が届く筈がないと分かっている。
けれど、踏み込むその外観と姿形を見逃す筈がない。
何より、
なら、あの阿呆はどんな手を使ってでも踏み込むだろう。
例えそれが、つい先程までの異界であったとしても。
躊躇いを見せることもなく、自分の在り方を鬼畜生に知らしめる。
彼奴の剣は、そうした実践的な美しさを求めているのは分かってる。
だからこそ、踏み込むのだ。
『センパイ』
「悪い、水貰えるか」
一気に疲労が浮き出たように喉が渇き、鈍い頭痛が働いている。
昔良く感じた、普段使っていない思考を無理矢理に回した時に感じたモノ。
少しだけ震えた手で空間を開き、丸薬状の回復薬を噛み潰して飲み込む。
喉に張り付き反射的に嘔吐しそうになり、唾液と併せて強引に飲み伏せる。
差し出された水を呷り、ペットボトルを一本一気に飲み干して少しだけ落ち着いた気がする。
「零、お前何した」
「幾つかの感覚を強引に塞いだ。その分の思考領域を強引に特異性の調整に当てた」
出来る、と思ったからやった。
初めて訓練階層に降りた時。
白兵戦を交えながら石塊を操作した時。
明確に何かが変わった、と自覚した時と同じような階段を一つ昇った感覚。
此奴が出来る、相手を抹消するという荒業と方向性は同じ。
周囲から認識されていて、『俺』という存在が確立しているからこそ意識が霧散しないと信じてしたこと。
「零くん」
「…………なんですか、スパルタ先輩」
「酷いなぁ。でも、間違ってないよ」
心配、警戒、■■。
三者三様の感情を示しながら、果てで乱れ散る首の断片を感じ取りながら。
「君は、もっと武具と特異性を信じなさい」
それに頼るだけでなく。
それを切り捨てるでもなく。
何方も併せて、初めて見える道がある。
「一人で何処かに行けるなんて、思ってないんでしょ?」
言葉という重り、錨がまた一つ絡み付いたのを感じながら。
薄ぼんやりと見上げた先。
少しだけ見える煙と霧の奥。
集落への道が切り開かれたのを、感じ取りながら。
「それは贅沢、って話ですか?」
『贅沢ですね、ええ』
肩を竦める馬鹿の姿を見て。
お前も端から見たら同類だろ、と。
益体もない事を思い浮かべていた。
――――小隊の数は数え切れず。
中隊、大隊、連隊。
数えようと思えば幾らでも現れる
出来るようになったことを確かめるには、もってこいの場所だと。
妙に好戦的な感情を抱く、俺もいた。