寝煙草   作:MenoMash

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土曜〇馬座的な、夏を舞台に活躍する架空馬のネタ。


夏の女

 夏競馬──それは、毎年夏の時期に開催される中央競馬の開催を指す。

 その特徴は春・秋の競馬シーズンとは異なりGIレースが一つも行われず、暑さを回避するために主力級の競走馬が出走を控える点にあり、出走馬の実力が拮抗してレース結果が波乱になることも多く、「夏競馬は荒れる」と言われるほど。

 

 春秋の競馬シーズンでウオッカやダイワスカーレットが激闘を繰り広げていた頃、「夏」を中心に活躍した一頭の牝馬がいた。

 

 

 

 その名はナデシコブルー。人々は彼女をこう称した──夏の女、と。

 

 父オフサイドトラップ、母リバルドクイン、母父マルゼンスキー。父オフサイドトラップは不治の病、屈腱炎と闘いながら当時最高馬齢で天皇賞(秋)を制した。母父マルゼンスキーは「スーパーカー」の異名を冠する名馬。それ以外は三代母の父が年度代表馬オンワードゼアというくらいだった。

 

 夏も盛りの遅生まれながら、そのデビューは2歳の夏。伸びしろだらけの馬体、デビュー2戦目での新潟2歳ステークス制覇。鮮烈な走りだしに期待した人々は、すぐに掌を返した。

 3歳、同期がダービーを走った同日の最終レース・目黒記念。前年の勝者相手に急襲。次いでマーメイドステークス。そうして勢いをつけ迎えたのは、パリ大賞典。初めての海外挑戦で待望のGIを制覇。次いでインターナショナルステークスを制した。一時帰国を挟んでからの凱旋門賞。日本調教牝馬としては初の挑戦。結果は出なかった。

 4歳、サンクルー大賞。帰国後、札幌日経賞。前年は敗れたものの、ロンシャン巧者と噂され挑んだ凱旋門賞。昨年と異なり、同じ日本馬のメイショウサムソンが参戦していた。最後の直線、大外から駆けたものの差しきれずに3着と、自己ベストを更新するに留まった。

 5歳仲春、まさかのここに来て屈腱炎を発症。数ヶ月に渡る休養、陣営は小康状態での海外遠征を危険とみて断念。休養の合間で七夕賞・新潟記念の親子制覇を果たした。

 6歳、引き続き長期休養を挟みつつ、夏競馬でリハビリを続けた。緩解した脚の状態を見ながらの連覇を達成したが、相変わらず夏以外は振るわなかった。

 7歳。約2年ぶりの海外遠征。ヴィコンテッスヴィジエ賞・モーリスドニュイユ賞を経て、ヨークシャーオークスを制し、復活の狼煙を上げた。そしてヴェルメイユ賞からフランスに残り、オペラ賞を制覇。相変わらずなロンシャン巧者の凱旋に、彼女をフランス馬だと主張するファンたちは湧き上がった。そんな彼女が最後の舞台に定めたのはアメリカ・チャーチルダウンズ競馬場、ブリーダーズカップ・フィリー&メアターフ。不治の病に打ち克った常夏の女の参戦に、パリジャンたちは惜しみない応援の声を上げた。結果は振るわなかったものの、誰も責めることはなかった。ただ、静かに夏の魔法が解けたことを実感したのだった。

 

 

 日本での知名度では同期や後輩たちに劣るものの、フランス・パリを中心に人気のあったナデシコブルー。引退式は日本で行われたものの、フランスのファンたちが押し寄せ、横断幕が掲げられた。

「Notre mademoiselle d'été, chère œillet bleu」

「私たちの夏の乙女、親愛なる青いカーネーション(※)」

(※フランス語ではナデシコとカーネーションは同じである。)

 

 

 

 不治の病と闘いながら、結果を残したナデシコブルー。

 その馬名はサッカー女子日本代表「なでしこジャパン」に由来し、現役引退後に同チームのキャプテンとのツーショットが撮影された。

 JRAが超有名サッカー選手とコラボした際には、父オフサイドトラップと共に参戦。これが初めての親子共演だった。




いつかウマ娘編も書きたい。
その時には大分変わってるかもだけど
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