少女の名は、ブライト・ノア   作:6451hole

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10.信仰告白

天井にかざした手を見上げ、ぐっと拳を握る。

少し間を置いて、諦めたように手を開く。

白く、細く、あまりにもか弱い手だった。

 

この手で何ができる——

 

そう思っていた自分に気づき、ブライトは笑えもしない皮肉を感じた。

 

(たとえ男の手を備えていたところで、おれに出来ることなど限られていたのに)

 

ロンデニオンの深い夜。検査時に投与された麻酔の影響でまだ意識がもうろうとしている。大人しく眠りに落ちてしまえばいいのに、妙に神経がささくれて、眠りの世界に踏み込めない。

手をぱたりと落とし、ぼんやりと天井を見ていたブライトの耳に、ノックの音が響いた。

 

(ニチテじゃない——医者か?)

 

ニチテは信じられないほど強引な子供ではあるが、こんな時間にブライトの病室に押しかけてくるほど無礼ではないはずだ。

黙殺することもできたが、タイミングがよかった。ゆっくりとベッドの背を起こして、ブライトはドアに向かって答えた。

 

「どうぞ」

 

照明を落とした室内に廊下の常夜灯が差し込む。硬い靴底の音が近づく。ブライトはヘッドボードのライトを灯し、近づく人物を見上げた。

硬直したような表情、若々しい甘さを湛えた瞳を誤魔化すような銀縁の眼鏡。冷え切った眼差しが、レンズ越しに注がれている。

連邦政府の女エージェント——彼女が一人でここを訪れたのは、ブライトが覚えている限り初めてだった。

 

(何のつもりだ?)

 

意図が全く読めない。

出方を伺っているブライトに、女は前置きも何もなく言葉を突き刺してくる。

 

「ニュータイプという言葉がただのサイコミュ兵装適性のあるパイロット程度の意味であるなら、そもそもNT論がこんなに過熱することはなかったでしょう」

「……?」

 

書類を読み上げているような平板な調子だ。

ブライトは相槌すら打たず、ただ女の表情の動きをじっと見ていた。だが、それも何のことはない、岩を眺めるようなものだ——揺らぐことのない眼差しで、女は続けた。

 

「ニュータイプの多くは戦場で目覚め、あるいは戦場で役立てるために見出されました。そしてあなたはたびたびそこに居合わせた。それが広く喧伝されるにつれて人々は誤解を深めていく。ニュータイプと戦争は常に不可分のものであると。しかしそれは誤りです。いえ、もちろん正しくもある——人間と戦争は不可分なのですから。でも、それだけ」

 

ブライトは女の言葉が途切れるのを待って、ゆっくりと頭を押さえ、首を振った。

わけがわからない。

唐突すぎるし、危険すぎる。この話に付き合う理由は、ブライトの方にはない。

 

「この立場で、その手の議論に参加できるほど軽率じゃない」

 

呻くようにブライトは言うが、女は表情を動かすことすらなかった。

 

「だから、ブライト・ノア。あなたは戦場以外でニュータイプを見たことはないはずです」

「そうかもな」

 

そう言うしかない。

この手の話は相槌を打つのも面倒だが、黙殺するのも不気味だった。

 

「私がそうです。戦場を知らないニュータイプ。あなたがブライト・ノアであると、私の感応を以て政府側に証明しました」

「……君が。そうか」

 

逸らしかけた視線を上げて、その顔をしげしげと見る。

戦場を知らないニュータイプ……彼女が言うほど覚えがないわけではないが、こういう形で対面するのは初めてかもしれない。

『ラプラス事変』以降、ニュータイプの人材登用は連邦政府の努力義務となっている。努力義務というのがまた曖昧ではある——存在を無視し続ける旧来の世界とは潮目が変わってきたという程度のことかもしれない。だが、激動する世界の中で、少しずつその存在は世界の表側に取り入れられつつあるのだろう。

その一端が、今目の前にいるというわけだ。

 

ブライトは思い出していた。

ラプラス事変のさなか——旧来の秩序に摘まれようとしている未知の可能性を繋ぐために、《ラー・カイラム》から《ネェル・アーガマ》への綱渡りを成し遂げた純白の機体。《ユニコーン》。

それに乗り込む少年の——バナージ・リンクスの、迷いの中に進むべき道を見出した、凛々しい横顔。

 

——状況に潰されるな。

絶望を退ける勇気を持て。

君が《ガンダム》のパイロット……ニュータイプであるのなら。

 

彼にそう言って送り出した自分が思い浮かべていたのは、このような未来だっただろうか。

 

「ニュータイプの登用義務は盤石のものではありません。旧来の秩序は未だ根を張り、それを暗闇に押し込めようとしています」

 

女の声は妙に熱を帯びている。

ブライトは心持ち腰を引き、女と距離を取る姿勢を見せた。

 

「……そこまで来ると政治と法制度の話です。私の管轄外だ」

「いいえ。これは生き方の話です」

 

女の眼は眼鏡の奥で、ぎらぎらと光っていた。

 

「そして、運命の話でもある。そうでしょう、ブライト・ノア」

「運命の話をしたい気分じゃないな……」

 

危うい空気が病室に満ちている気がした。ブライトは女と目を合わせないように窓の外へ視線をやった。このままこの話を続けさせることは、どう考えてもいい結果に繋がらない。

今のこの女は、明らかに異常だ。

この接触も、恐らくは任務外のものだろう。

 

「あなたは特別です。運命があなたを特別たらしめた。これから増えていき宇宙を覆い人類の歴史と版図を書き換えていくニュータイプのありふれた才能などより、ずっと稀有なものになる」

「君と話を続けたくない。部屋を出て行ってもらえるか」

 

窓の外を見たままでも、陰々と耳に沁み込んでくる声を追い出すように、ことさらはっきりと声を響かせる。腹の底から響き渡らせた、室内の至近距離の相手に掛けるには大きすぎる声だ。

部屋の空気が止まっている。

女の気配に神経をとがらせる。

立ち去る靴音は聞こえない。

 

もう少し強く言う必要があるのだろうか——

 

気が進まない思いで、ブライトは女へ顔を向けた。

 

「……!」

 

ブライトの視界を完全に塞ぐほどの間近に女の顔は迫っていた。眼鏡の奥の黄緑色の鮮やかな瞳がぎらぎらと輝いている。濃いリップを乗せた小さな唇がいびつな笑みに吊り上がっているのが見えた。

女の手が、ブライトの薄すぎる肩を強く握った。

 

「痛っ……!」

 

 

【挿絵表示】

 

 

完全に頭に血が上っている——

いまや揺らぐ燐光を含むかのような女の眼を間近に見る段になって、そう判断せざるを得なかった。

 

反射的に振り払おうとするのを自制する。

体格が違いすぎる。力で勝てるとは思えない、女を余計に刺激するだけだ。

 

「……なぜ今、そんな話を?」

 

ブライトは静かに、水を向ける気で一言尋ねた。

女のぎらぎらと光る眼が、ゆっくりと細められる。

 

「マフティーが引き起こした一連の騒ぎは……」

 

そうだ。当然、この女はブライトの経歴を全て知っているだろう。一年戦争から始まった様々な戦い、そして退官に際したスキャンダルの内容まで。

ブライトは掴まれたままの肩を強張らせ、続きを待った。

 

「連邦政府側の旧勢力によって、ニュータイプ登用のネガティブキャンペーンに用いられる可能性もあった。ニュータイプ登用を推進する側は未だ若い勢力で地盤が不安定。致命的な事態を避けるための綱引きが起きていました。グッゲンハイム大将——彼が個人的なルートから、マフティーがハサウェイ・ノアであると確定したのは、どちらにとっても僥倖となった」

 

それは、ブライトにとっても預かり知らぬところにあった綱引きの話だった。

シャアの反乱直後の、連邦軍本部との渡り合い——あの慣れない取引と腹芸で現場の軍務を続ける立場を確保してからは、連邦軍本部との接近は慎重に避けていた。誰もがブライトと、ブライトの部下に首輪を着けたがっているのは明白だったからだ。

 

「すでに退官が決まり、いずれ政治家に転身しニュータイプ運動の旗振り役となるだろうブライト・ノアを失脚させる形で手打ちが成り立ったのは、こういった政治力学の複雑な兼ね合いの結果です。双方が望んで作り上げられた生贄。あなたがちょうどよかった。だからこうなった。それだけの話です」

「……」

 

政治家への転身。それも考えていた。もちろんのこと。

自分にそれができるかはともかく、多くの死を見てきた自分に残された義務のようなものと。

実績と知名度のある非ニュータイプである自分であれば、他の人物に出来ないこともできるかもしれない。そう思っていた。

 

結局は、それすら自分のあずかり知らぬところで、政局と陰謀の材料の一つとして用いられていた。

ブライトが警戒していたような、硬直した旧来の権力だけでなく——ニュータイプ側にすら。

 

(絶望など、いまさらだ)

 

感傷に浚われることへ抗う。

それでも、自分が立つ場所の危うさは実感として染み入ってくる。

ブライトはゆっくりと嘆息した。

 

「ですが」

 

女の声が、ぴしゃりと続いた。

 

「それでいいはずがない。いいはずがないんです」

「……」

 

女の手に力がこもる。つやつやと照り光るマニキュアを塗った滑らかな長い指。そのどこにこんな力があるというのか。細い骨がブライトの肩の中で軋んでいる。

 

「ブライト・ノアを、それで終わらせていいはずがない」

「別に終わるつもりはなかったんだが、おれには……」

 

反射的に飛び出してしまった言葉。声の響きは自分が思っていたよりはるかに鋭く響いた。自分で思っていたより遥かに苛立っていたようだ、とブライトは認めざるを得なかった。

女の唇に浮かぶ笑みが深くなる。

 

「ええ、そうです。そうでしょうとも。状況に潰されず、絶望に流されず、なすべきことをなす特質が、あなたにはある。だから、私たちが——」

「誤解があるな」

 

肩に掛けられた手に自分の手を重ね、ゆっくりと押しやるように力を込めながら、ブライトは女を睨んだ。

 

「おれが言いたいのは、ここまで無惨に切り捨てた相手を更に利用しようと近づいてくる人間を信用するのは難しいということだ」

「そちらも誤解があるようですね」

 

女の手はびくともしない。吐息がかかるほどの距離だ。

 

「利用などではありません。あなたの生き方を用意すると言っているのです」

 

眼球が全く動いていない。不気味な注視だった。光を宿したような蛍光色の瞳が、ブライトを貫くように見ている。

 

「だから、言ったのです。『あなたがブライト・ノアならば——』」

「今のおれが為すべきことを用意できる……そうだったな」

「ええ」

 

あの時は唐突な言葉に思えたが、最初からブライトにその一言を投げかけるつもりで立ち会っていたとなれば納得もできる。

ブライトが溺水直後の症状で苦しんでいる間にも、連邦政府側ではその『ブライトが為すべきこと』についての根回しを進めていたということだろう。

つくづくうんざりしてしまう体質ではあるが、大きな組織とはそんなものかもしれない。それが見えていたからこそ、かつてのブライトは連邦軍本部に上がり次世代のために動くという選択肢を諦めたのだ。

 

「為すべきことについて、ご興味は?」

「答えは変わっていない」

 

女の視線を感じながら、言い切る。

 

「おれがブライト・ノアだからこそ、できることなどもう何もないんだ」

「ご自身のことを低く見積もりすぎでは?」

「君は歪んだ人間だ……だからこんな言葉も歪んで届いてしまう」

 

明確な挑発のつもりもあったが、女の表情に動揺は見られない。

 

「一人の人間として、君たちを信頼できない。信じてもいないものに、人生を預けることはできない。たとえそれがどうしようもなく損なわれ、磨り潰されたものであったとしても、おれはそれに価値を見出している」

 

ブライトは逸らしていた視線をゆっくりと持ち上げ、女の底光りする瞳を正面から見た。

 

「信じるに足りるものは、この宇宙には確かに少ないが——それを追い求めることには、意味があると思っている」

 

思い出していた。

ニチテ。

居心地が悪いほどきらきら光る少年の瞳。浴びせられる不可解な言葉のシャワー。間違いなくこの手に負えない状況の一端を作り出した人間。

それでも——

 

(おれを信じる人間が確かにいる以上は、破滅に繋がる道を選ぶことはできない)

 

それもまた、多くの命を背負い続けた自分の、宿痾のようなものかもしれなかった。

 

ふ……と、女のオーキッドに塗られた唇が開き、吐息を短く、転がすように落とした。

女の眼の光が失せ、わずかに瞼が落ちて視線を阻む。

 

「……そのひとつになりたいと、私は言っているのに」

「……」

 

先ほどまでの異常な圧はすでに失せていた。

肩に突き立つようだった指が外れ、女の腕が引っ込められる。まだ肩には鈍い痛みが残る。痣になっているのかもしれない。

女がゆっくりと離れる。

ブライトはどこか毒気を抜かれた心地で、何気なく呟いた。

 

「君は……」

「……メイ」

「?」

「メイ・ウチフヅです。……間違いなくあなたが知らない女の名前。それでも、あなたが救い続けた女の名前……ただそこにいて、私たちのために戦う男がいたと、それだけで、私たちは」

 

どこかとりとめのない言葉に翻弄されて、ブライトは言葉を継げなかった。女——メイ・ウチフヅは眼鏡を直して、少し離れた場所で背筋を伸ばし、居住まいを質した。

 

「状況は、幾らでも変わります」

「……」

 

押し上げられた眼鏡が乏しい室内の明かりを映し、その眼差しは見えない。

 

「いつでもお声を掛けてください。その通信端末は私の個人端末に繋がります」

 

指差された方向を見る。ベッドの傍らにスレートグレーのデータ端末のようなものが転がっている。形状は5センチメートル程度のサイズのスティック型、今のブライトの小さな手でも掌に握り込める程度のサイズだ。

ピン型通話機。安価で出回っている、音声通信のみの単機能通信端末だ。小型のバッテリーを内蔵し、登録された連絡先にしか繋がらない。コロニーでは子供や老人に持たせるものらしいが——

 

「おれに、首輪を?」

 

皮肉を含んだ声で聞き返す。ウチフヅは眉一つ動かさず、言った。

 

「通信端末です。それ以上の意味はありません」

 

最初から通じるとも思っていない皮肉だった。女が背を向け、歩き出す。振り向くこともなく、足音を必要以上に高く響かせることもなく、病室を立ち去る。

ブライトはしばらく間をおいて、息を吐いた。全身が酷く緊張し、疲弊しているのを遅れて自覚した。重苦しく痛む頭に掌を添えてゆるく首を振り、置かれたままのピンに手を伸ばす。店頭で連絡先を登録して使用するタイプのその単機能通信端末には、発信先を入力するボタンすらついていない。

 

選択肢は増えた——

崖から飛び降りるのを「選択肢」と言えるならの話だが。

 

ブライトはしばらくそれを見つめ、瞑目した後、枕の下に押し込んだ。






次回更新は9月30日18時ごろです。

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