少女の名は、ブライト・ノア   作:6451hole

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13.解消

それは、拍子抜けするほどあっさりした再会だった。

 

「あれ」

 

ロンデニオンのメインポート内部の壁にもたれていた長身の男が、少し間の抜けた声を上げて背中を壁から離す。

 

「連れてきちゃったの?」

 

その声は確かに呆気に取られているようだが、大した深刻さは感じられない。

掘りの深い顔立ちで半ば影を落としている淡いグリーンの眼が、ニチテと、その隣に立っているブライトを順を追って映した。

ブライトはその目をじっと見つめ、無意識に肩をそびやかし、背筋を伸ばして鋭い声を発した。

 

「久しぶりだな、ナイジェル大尉」

「……」

 

ナイジェルはそこに立ち尽くしたまま、ブライトを穴が開くほどじっと見つめていた。

 

ナイジェル大尉——ナイジェル・ギャレット。

かつてロンド・ベルのMS隊、『トライスター』のエースでもあった腕利きのパイロットだ。

鷹揚で飾らない人柄は広く目下に好かれていて、状況を広く見通すだけの眼力も、そこから叩き出した判断を通すだけの度胸も備えている。ただ腕が立つ戦闘要員で終わる男ではないということは、艦長として彼を間近で見ていたブライトにも感じられたことだった。

その彼が、今はこの実験部隊の指揮官だという——

 

「出世はしてますよ、あれから……」

 

やがてナイジェルは薄く笑ってその場に姿勢を正し、ブーツの踵をぴしりと揃えてブライトの前に立つ。

その改まった態度は、ブライトをかつての上官、ブライト・ノアであることを受け入れていると判断するに十分だった。

敬礼はしないようだが、それは《ラー・カイラム》にいた頃も滅多にしなかったのだ。そういう性質の男だった。

 

「無事だったみたいで、まずは何よりです」

「何が起きてるんだ? あの襲撃者は一体……」

「当たり前みたいに突っ込んだ話に移るのはやめときましょうか、場所が場所だし」

 

なだめるようにブライトの言葉を遮って、ナイジェルはニチテの肩をぽんぽんと叩いた。ぼんやりと立ち尽くしているニチテの顔を覗き込むように背を曲げて、にやりと口角を吊り上げてみせる。

 

「決死の救出劇、ご苦労さん。キンジィの奴には散々イヤミ言われると思うけど、文句ないだろ?」

「は、はいっ!」

 

裏返った素っ頓狂な声を上げて、ニチテが反りかえるほど背筋を伸ばして敬礼をする。

 

「あの、ナイジェル隊長は、ブライトとどういう関係で……」

「おいおい、やめときましょうって言ったばっかりだぜ」

 

大して怒ってもいないらしいへらへらした口調で受け流し、ナイジェルはブライトとニチテに背を向けて歩き出す。

 

「落ち着ける場所でゆっくり話そうか。ついてこい」

 

ニチテが物問いたげな視線をブライトに突き刺してくるのが分かる。ブライトは居心地の悪いものを感じてわずかに眉を寄せ、ニチテを見上げた。

 

「行かないのか」

「ブライト、きみっておれに何か隠してる?」

 

今、それなのか?

この会話に果たして意味はあるのか?

俄かに疲労の重みがのしかかってくるのを感じながら、ブライトはため息と共に言った。

 

「何も隠してない……おれはブライト・ノア、UC0060生まれの45歳の男性だ。地球連邦軍を退官し、ロンデニオンに移住した」

「その冗談の話じゃなくて……」

「何て言えば聞くんだ、君は……」

 

ブライトはのっそりと歩き出した。少し先で立ち止まっているナイジェルが広い背中を僅かに丸めて肩を震わせ、笑いを必死に抑えているのが伺えた。

 

■■■

 

実験部隊の基地の一室に、ブライトとニチテは通されていた。

重厚感はあまりないオフィスチェアに腰を下ろしてデスクに頬杖を突いたナイジェルが、人を食ったような笑みを僅かに浮かべて並ぶ二人を見上げている。

 

「ブライト艦長を立たせておれが座ってるっていうのは、どうも居心地が悪いんですが」

「構わない。今は民間人だ」

 

ブライトは幾らか柔らかい声でナイジェルに言った。それに関しては最初から大して気にもしていなかったらしいナイジェルはふふん、と楽しげな吐息を一つだけ漏らして、視線をニチテに移す。

 

「そんで……どんな関係、って話をするんだったか。おれがロンド・ベルのパイロットだったって話は聞いてるだろ? ブライト艦長と顔なじみなのは、別に驚く話じゃないはずだ」

「だ、だって……そんなの、ウソですよ!」

 

ニチテが裏返った声を上げる。ブライトはいくらかもやもやと胸を満たしてくる不快感を堪えて、抑えた声でニチテに尋ねた。

 

「何がウソなんだ、ニチテ」

「ブライト! ナイジェル隊長と知り合いなのかもしれないけど、よってたかっておれで遊ばなくたっていいだろ?」

「おれは一度も君に嘘や冗談は言っていない」

 

淡々と説き伏せるブライトに、ナイジェルが横槍を入れる。

 

「おれは結構言ってたけどな。それも、今は関係ないから」

「た、隊長……!」

 

(また、これだ……)

 

明らかに動揺しているニチテを見て、ブライトは苛立ちを覚えていた。

ブライト本人の言葉にはろくに取り合わなかったニチテが、結局は隊長の言葉が持つ権威を前にするとあっさり揺らぐ。今のブライトが膂力や社会的地位だけでなく、その発言の信用性すら見くびられていることを実感するには十分だった。

肉体が変容したことで、認識を共有するための真剣な言葉すら一笑に付されてしまう。

言葉に込めた誠実さすら、他人が値踏みしてしまう。

単にこの現象を受け入れられないということについては、ニチテばかりを責めるべきではないと思っていた。だが、この非対称性は、あまりにも——彼が全く善良な少年で、何もかも無自覚だからこそ、心にこたえる。

 

少し前の自分なら、それも諦観と共に受け入れていたはずだ。

何が、その受け取り方を変えてしまったのか。

 

(怒りっぽくなった? いや……)

 

ニチテの顏をまじまじと見ながら、ブライトは自分の内面に起きた嵐をもまた見つめ直さずにはいられなかった。

 

(この少年に見くびられることに、怒りを覚える程度には……自分に価値を見出し始めている。そういうことなんだろう)

 

それは、諦めを越えたということだ。

諦めていた。失ったものに囚われていた。世界の闇に呑まれていた。星も映らない湖面を眺めるかのように。

それは、残された虚無と向き合うためには、必要な時間だったのかもしれないが——

 

(今は、その時じゃなくなった。そういうことだろう、カイ——)

 

俺は、諦めない。

あんたにも、諦めてほしくない。

 

古い友のひりつくほど真剣な声を思い出しながら、ブライトはゆっくりとニチテに体ごと向き直った。

 

「ブライト? ど、どうしたの、おれのこと、そんなに見つめて……」

「ニチテ」

 

ブライトははっきりと、腹の底から出した声で、ニチテのせわしなく芯のない浮ついた声を遮った。びりっ、と空気が震え、ナイジェルが参ったねと言わんばかりに薄笑いを浮かべて首を軽く引っ込める。

 

「君は実直な少年だ。疑わず、ふざけず、素直に、人の話を聞けると思っている」

「ほ、褒めてる?」

「残念ながら、今は出来てない。だから、これは『修正』だ」

 

ブライトの鋭い語気に、ニチテは明らかに鼻白む。

 

「君にも君なりの考えがあるだろう。だが、おれが言葉を尽くして伝えていることに耳すら傾けないのは論外だ。目の前にいる人間が言ってることが、冗談か、そうでないか程度の区別はつくはずだ——16歳の男ともなれば」

 

ニチテの瞳が揺らぎながらブライトを見る。

そう、区別はついているはずだ。分かっているはずなのだ。

はっきりと見えている目を自ら閉ざす欺瞞を、ブライトは看過できなかった。

 

「君の機体が異常な現象を引き起こし、おれはそれに巻き込まれた。負傷はなく、溺水からもすぐに救出されたが、本来の肉体が大きく変容していた」

「ブライト、もういいよ……」

「君を責めるつもりはない。異常事態であることは門外漢のおれにも分かる。だが、それが引き起こしたことから目を逸らすべきじゃない」

 

ニチテの弱弱しい声を押し切るように声に力を込めて、言い切る。

 

「すでにおれたちは、異常事態の只中にいる。柔軟に対応する必要がある。君の心を守るための嘘を見逃し続けることは、もうできない。現実を見据えるんだ、ニチテ」

「……ブライト」

 

二人の視線が交わる。

ニチテの瞳は澄んでいたが、今は揺らぐような弱い光を含んでいるように見えた。

ブライトは、ニチテの言葉を待った。

 

「きみが……」

 

呟くように、ニチテは言う。

 

「きみがどんな秘密を抱えてたって、きみのことが好きだって、あの戦いの中で思ったんだ」

「……」

 

この期に及んでまだそんなことを——と、怒鳴るのを後回しにした。

ニチテの表情は真摯で、誤魔化そうとしている様子は感じなかったのだ。

 

「確かに今のきみは本当に綺麗で、儚くて、守ってあげたいって思うから、それに引っ張られてるのは自分でも分かるよ。でも……大事なのは見た目じゃないってことも分かってる」

「……ニチテ?」

 

おかしい。この答えは、何かがずれている。

ブライトは眉をひくりと跳ね上げ、水を差すようにニチテの名を呼んだ。

ニチテはそれに構わず揺らいでいた瞳を輝かせ、まっすぐにブライトを見る。

 

「きみがおじさんでも、本物のブライト・ノアでも、おれはきみが好きだよ!」

 

その声はあまりにも鮮やかで、澄み切っていたが——

 

(そうじゃない……!)

 

脱力感と焦りに冷や汗が滲む。ブライトは素直に現状を受け入れ、対応しろと言っているだけなのだ。だが、勝手に思い余った挙句にこんな言葉が出てくる少年が、現実を受け止めてなどいるはずがない。

ニチテは、少年の眩んだ目にしか見えていない幻想の愛が、試されていると思っているのだ。「私があなたの思っているような私でなかったとしても、愛してくれるのか」と……。

ニチテがこの幻想の中に生きれば生きるほど、欺瞞の壁は分厚くなっていく。それはブライトが望んだものではないのに、なぜかブライトにばかり堅牢にまとわりつく。

 

滲んだ動揺をどう受け取ったのか、ニチテの手がブライトの手を取ろうとする。

ブライトはするりとその手から逃れ、少年の手の甲を払い除けるように軽く叩いた。

 

「話はまだ終わっていない、ニチテ」

 

鋭く叱責しなからも、ひどく気が重い。

ただ殴って聞かせるだけでは、この肉体では限度があるのは見えている。その手の暴力的な手段を避けた場合としても、この年代の少年が何をされたら堪えるかは、それなりに分かるつもりだが……そもそもそれをやりたくなかったから、これだけニチテの勘違いを放置し続けていたのだ。

だが、と、ブライトは気を取り直す。

 

(このまま放置し続けるのは、この少年のためにならない——)

 

冷徹にならなければならない。

戦場にいるかのように。

ブライトはニチテの手を振りほどいたばかりの自分の手をゆっくりとさすり、ニチテを見据えた。

 

「そうだとしたら——そうだとしたら、だ。ニチテ」

「……?」

「君の言葉と気持ちを尊重する……その前提で話をしてやる。君がこの事故に巻き込み、保護下に置くことを余儀なくされた民間人に特別な好意と善意を持ち、これまでこのおれにやってきたような接触を試みていたとして……」

 

ニチテがかすかに浮かべた喜色を、ブライトは黙殺して続けることにした。

いいから黙って聞け、と視線で示すが、伝わっている気はしなかった。

単純に引っ叩くより遥かに心が痛むのを感じながら、ブライトはあどけない少女の声で、はっきりと芯を持って、聞き逃しようのない明瞭極まりない発声で、その一言を突きつける。

 

「君のやりかたは、本当に気持ちが悪い」

 

死んだような静寂が落ち——

ぶっはっごほんっっ、という、明らかに爆笑を咳でごまかしたような奇妙な音を立ててナイジェルがデスクに突っ伏した。

 

 

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走り出してしまった。もう立ち止まれない。今、手心を加えれば、ただ侮辱しただけで終わってしまう。

ブライトは完全に凍り付いた鉄面皮でニチテを真っ直ぐに見つめ、続けた。

 

「どんなに真っ直ぐで優しい気持ちを持っていても、相手の話をへらへらと聞き流してやたら体に触りたがるようなやり方は駄目だ。君はまだ若いのだから、一度自分を見直すべきだ」

 

ニチテは呆然と立ち尽くしている。

こうやってプライドを傷つけられたとしてもムキになって反撃や侮辱に出ないあたりに、この少年の性根の真っ直ぐな善良さを感じずにはいられなかった。

本来なら、彼はここまで傷つけられるべき人間ではない——そのはずなのだ。だが、この停滞をもたらしたのもまた、ニチテの真っ直ぐさと善良さだ。それを打ち砕かなければ、何も変わらない。

良心の痛みをなんとか無視して、ブライトは淡々と一定の抑揚を保って続けた。

 

「明確に拒絶しなかったのは、男女の情が芽生えていたからじゃない。あれは、おれが君よりはるかに年上の男で、君くらいの歳の少年にままある思い込みや無神経さを『若いころは誰だってこういうものだったんだろう』と思うところがあったからだ」

 

あ、と、ニチテの喉が震えて無意味な声を短く溢す。

 

「ひとえに、年長者の慈悲と同性どうしの情けから来る甘さでしかない——君のやり方は誰にも通じない」

 

ニチテの呆けた顔に視線を注いだまま言葉をしばらく切り、最後の一言を力強く付け足す。

 

「目を覚ませ、ニチテ——」

 

医療施設に現れた《メッサー》。そこに迅速に駆けつけたニチテ。襲撃について早い段階で情報を得ていたらしいナイジェル。そして、実験部隊に関与する複数の団体。

先の分からない状況で生きると決め、諦めることをやめたなら、始まることはいつも一つしかない。

戦いだ。

 

「これからどんな戦いがあるにせよ、君が現状から目を逸らしている状態ではどうにもならない!」

 

ブライトの声は打ち据えるほどの力を持って室内に響き、光を失いかけていたニチテの目がはっと見開かれた。言葉を忘れたような唇が震え、きゅっと引き結ばれる。

ニチテはしばらく、言葉を探していたようだった。

それがこざかしい口先の反論ではなく、彼の心からの言葉であることを、ブライトは祈った。

 

少し長く、焦れるような沈黙の後に、ニチテはナイジェルに向かってそそくさと敬礼した。

その行動を、奇妙だと思うことはできなかった。

すでにニチテの大きな目は僅かに歪み、涙の粒がうっすらと膨れ上がっていたのだ。

 

「す、すみません、ナイジェル隊長、ブライト、おれ……」

「ああ、いい。下がれ。必要が出来たら呼ぶよ」

 

笑い交じりにナイジェルが言って、ひらひらと手を振る。

ブライトは肩をすとんと落として強張るほど改まった姿勢からいくらか力を抜き、もはやブライトの顔を真っ直ぐ見ることもできずに小走りで隊長の執務室を駆け去っていく少年の後ろ姿を横目に見送った。

 

「……」

「……」

 

しばらく視線だけを通わせた後、ナイジェルがポツリと言う。

 

「ブライト艦長、あんな時期ありました?」

「なかったな」

「おれはありましたよ、もうちょっと上手くやれたけど……モテたから、あいつと違って」

 

しかめっ面のブライトに睨まれながらナイジェルは短く笑い声を立ててデスクの上のファイルを手に取り、「本題に移りましょうか」とあくび交じりに言った。






次回の更新は10月6日の18時ごろです。


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