サイコフレーム研究の凍結解除、ジオン共和国の自治権放棄、反連邦思想の高まり、サイド国家間の政争の激化、何よりニュータイプ関連政策の激変。
幾つかの潮目が重なり、時代が『倉庫』を必要とした。サイド国家、複合企業体、連邦軍。技術と人員と政治的意図の吹き溜まり。面倒な案件を押し付ければ、抜け駆けと目されて拗れることもなく、現場の連中がうまくやってくれるような。
それが、このロンデニオンに置かれた「実験部隊」の実情だった。
「一応は連邦軍少佐のおれを隊長に置いてるんですから、何かあった時に事態を連邦軍のコントロールに置きたいって意図は分かりやすいんですが……自由ってわけじゃない。むしろがんじがらめって言った方が実態には即してる」
ブライトはナイジェルの言葉に黙って耳を傾けていた。
大方、キンジィから聞いた内容と矛盾はしていない。キンジィにも自分を欺く意図はなかったようだ。
ナイジェルはオフィスチェアに座ったまま、目の前のファイルをぺらぺらと捲っていた、
「その魑魅魍魎どもに押し付けられた仮称《ガンダム》が起こしたインシデント……ブライト艦長はそれに巻き込まれたってことです。こいつに関しては出所もよくわかってなくて……一応この部隊に持って来たのはサイド国家側なんですが」
「サイド1が、《ガンダム》を?」
「ロンダリングにロンダリングを重ねて……出所は不明って言った方が通りがいいかな。そもそもガンダムって名前だって、おれたちが勝手に呼んでるだけですから……見ます?正式名称。ガンダムのガの字もないですよ。名前には大した意味はないでしょう」
ナイジェルがファイルを開こうとするのを、手を出して制する。
「おれに見せていいデータとは思えないが」
「当事者でしょ?」
「実験協力に同意しただけの民間人だ」
「今更通ると思います?」
薄笑いを向けられて、言葉に窮する。渡されたファイルは今のブライトの非力な腕には重く、ぐ、と細い腕を思い切り沈めさせてからなんとか持ち直して開いた。
デスクに肘を突いたナイジェルが、その声にわずかな困惑を滲ませて呟く。
「こんな小さな女の子を巻き込むなんて、って、おれだってちょっとは思っちまいますよ。今のあんたを見てると……中身が分かっててもね」
「……」
それが軽侮でないことも分かっているだけに、怒るわけにもいかない。
ブライトは沈黙したまま、ファイルを繰った。
仮称《ガンダム》の資料はすぐに見つかった。白黒の粗いコピーに、型番らしき長い英数字の羅列とスペックシート。フレーム図すら入っていない味気ない書類だ。
「どうです、艦長。どっかに書いてあります?」
ナイジェルが軽い調子で尋ねてくる。
「何がだ?」
「近づいたら若返って、女の子になっちゃうって」
「……書いてないだろうな」
軽口に付き合う気もないが、そう答えるしかなかった。
つまり、そこに書かれているスペックなど役にも立たない可能性の方が高いということだ。言外の諦めを受け取って、ブライトはファイルをぱたんと閉じた。
「この部隊とおれの状況については分かった。特に気になってるのは例の敵についてだが……」
「ニチテが戦った奴ですか? 灰色の《メッサー》……ジェガン系列の最新機の警備部隊をなぎ倒しやがったから、こっちもかなり焦りましたが」
《メッサー》。
ブライトにとっては、癒えていない傷に鋭く食い込むような名だった。マフティーの主力機。連邦要人の暗殺に多用された、血と謀略のこびりついた名。あの堅牢な機体が、ハサウェイの歪んだ思想に衝き動かされた手足となって、許されざる罪をひとつずつ積み重ねていった——
《メッサー》は、外観からして連邦で制式採用されている機体とは様々な点で異なっている。ジオン系列の技術やデザインが大幅に取り入れられた異質さは、病室の窓からの肉眼の視認でもはっきりと見分けられた。
「マフティーなのか」
絞り出すように、かすれた声でブライトは尋ねた。
平静を保っているつもりだが、上手くいっているようには感じられない。
ナイジェルは静かに、ブライトの表情を注視しているようだった。
「マフティーに《メッサー》を売るような連中は、よそにだって売りますよ」
「よそ?」
「よそがどこかなんて聞かないでくださいよ」
要は何もわかっていないということだろうが、マフティーの可能性は低いとナイジェルは踏んでいるようだ。実際、これまでのマフティーの行動範囲や理念を見ても、地球でもないロンデニオンの、重要度の低い医療施設をピンポイントで襲撃するというのは考えにくい。
マフティーがあの病院を襲う理由がない以上は、他の可能性を考えるべきなのか。
理由がない——
そこまで思案してブライトの眉根が曇るのを、ナイジェルは敏感に感じ取ったようだった。
「理由はありますよ、もちろん。あれが本当にマフティーで、あなたがブライト・ノアで、あの病院にいるってことまで筒抜けになってたなら」
「敵討ち……」
マフティー・ナビーユ・エリンの銃殺刑の責任者、ケネス・スレッグ准将は執行直後に失踪した。彼の後任が決まっていたブライトは、あくまでそれに立ち会っていたという程度だ。立ち合いとは言っても当時の執行に関わる実務はもう少し複雑なものになっており、ブライトは処刑の現場を目視してさえいなかった。当時のブライトが見たのは、釘を打った後の棺桶だけだった。
だが、結局は後々の必要に迫られて、ブライトがマフティーの処刑を執り行ったと虚偽の発表をしている。
それを受け、首魁を失って求心力を失ったマフティーが怨恨に囚われた残党と化すというのは、いかにもありそうな話だが——
「もっともな理由ではあるが、怨恨を理由に、退官してコロニーに住んでいる元軍人をMSを使って襲撃して殺害するというのは……彼らの主張を考えると正当性がない。首魁を失って性質が変わるにしても、急すぎるような気がするな」
「ブライト艦長……いいんです? この話、続けても」
「構わん。ハサウェイ・ノアはおれの息子だが、マフティーの構成員はおれの血縁でも何でもない」
そう簡単に割り切れるものでもないが、ここは断言するしかなかった。
ナイジェルは気まずそうに視線を逸らし、ため息をつく。
「《メッサー》や《Ξガンダム》にしたところで、マフティーのアジトにいきなり生えたわけじゃない。マフティーの人殺しを大歓迎して兵器の供給を行った連中がいるってわけです」
「軍産複合企業体……連中はそんなものだろう」
「求心力を失ったマフティーに見切りをつけて、他の火種を探してる。『在庫』も余ってたんでしょうしね」
「火種……それはありそうな話だが、疑問は解決しないな」
ブライトは顎をさすった。髭の毛穴すら感じられない滑らかな顎を指先が擦る。
「どんな団体が《メッサー》を使ってるにしろ、ロンデニオンの軍事ブロックに単体で飛び込んで病院を襲う理由までは見えてこない」
「それについては——……」
ナイジェルが言いかけたそのとき、激しい足音が執務室の外を駆けつけるのが聞こえた。それは迷いなくこの部屋のドアの前で止まり、次の一瞬でドアを吹き飛ばすほど強く開け放つ。
首から下はノーマルスーツを着たままのキンジィ・マォンが、赤い髪を振り乱して執務室の入り口に立っていた。
何か言おうと開いた口を閉じ、ただ怒りに眉を逆立てて、ずかずかと室内に踏み込んでくる。
眉をひそめるブライトをよそに、ナイジェルがぴしゃりと鞭うつように冷ややかに言った。
「下がれ、キンジィ。懲罰モノだぞ」
「なんで……なんでおれを行かせなかったんです!?」
金色の瞳が、佇んだままのブライトを横目にじろりと見る。
「ニチテと俺が行けば、襲撃の時点で押さえられた。敵は1体だったんです!」
「そして、おまえに任せた追討任務は失敗したってわけだ……あの《メッサー》はもうロンデニオンにはいないだろうよ」
ナイジェルは笑みのない唇を開き、冷たく言い放った。
「任された任務も満足にやり遂げられなかったのに、作戦に文句を付けに隊長室に殴り込みを? 俺が現役だったらとても真似できないぜ、そんな惨めなこと」
「……!」
キンジィがギリ、と歯を食いしばる。しかし、その言葉は頭を冷やすには十分なようだった。乱れた赤い髪を整えもせずに俯いて拳を震わせ、ゆっくりと息を吐く。
「報告書は……追って提出します。市街地の地下セクションまで追跡しましたが、そこでロストを」
「そうかい」
ナイジェルは穏やかに言い、ひらりと手を振って見せた。
「とりあえず、部屋に入るときはノックをしたほうがいい。可愛い女の子の部屋でも、こわいおじさんの執務室でもな。……下がれ」
「……はっ」
キンジィは不承不承に背筋を正して短く答え、何も言わずただ佇んだままのブライトへ視線を向ける。取り乱したところを見られたことにはにかんでいるのか、その表情は一瞬だけ翳った。
そして、その唇にわずかな笑みが浮かぶ。
「本当に心配してたんだぜ、ブライトちゃん。あの間抜けがしくじりはしないかってな」
「心配には及ばん」
「……無事でよかった。ほんとなら今すぐ熱いハグでもしてやりたいところだけど、営倉にブチ込まれたくはないからな」
ブライトは眉一つ動かさず、視線で部屋の外を示した。御託を並べてないでさっさと下がれ、と、上官を差し置いて自分が口にするわけにもいかないが仕草で雄弁に伝える。
キンジィはその仕草に少し虚を突かれたように瞬きしてから、呆れたように笑って隊長室を出ていった。すれ違いざまに頭に触れようとした手を首を逸らして躱し、ドアが閉まる音を背中で聞く。
キンジィが立ち去るのを待ってから、ブライトは口を開いた。
「ナイジェル、何かを知ってるな」
「そりゃあ、今のあんたよりはね」
「教えてほしい。おれはすでに無関係じゃない。そんなことはもうわかっている……何もわからないまま破滅するのは御免だ」
ナイジェルはしばらく沈黙し、ブライトをその淡い瞳で見つめていた。
瞳の奥にはどこか割り切ったような、冷酷な光がよぎったように見えた。
それは、軍人として戦い続けた人間ならだれもが持つ醜さだ——生命を、道徳を、想いを、もっとも尊重すべきはずのものを、埒外に置かなければ踏み込めない場所に踏み込むための醜さ。
さして長くない沈黙の後、ナイジェルは言った。
「『文化セクト』って言葉に、聞き覚えは?」
文化セクト。
聞き覚えのない、そして、さほど脅威でもなさそうなその響きに——
ブライトはなぜか、ぞくりとするものを覚えたまま、ゆっくりと首を振った。