少女の名は、ブライト・ノア   作:6451hole

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17.暗くもない夜に

過ちを認めた男は、黙り込むか、妙に饒舌になるものらしい。

前者がブライトで、後者がニチテだった。

少しの気まずい沈黙の後、ニチテは弾かれたようにしゃべり始めた。

 

「ブライト・ノアって名前くらいは、おれだって知ってる。それがきみだなんてなかなか信じられなかったけど、今は信じるよ。ああ、それに、ブライトって名前の友達もいたんだよ、まさにきみから名前をもらったってさ……おれと同じ年で、今は新聞社で働いてて」

「……外の友人が多いんだな」

 

ニチテが工場で働いている友人の話もしていたのを思い出し、ブライトはぽつりと言った。それは閉鎖的な組織に完全に閉じ込められるよりは、いくらか健全な環境に思えた。

悪くない。組織にあまりに深く浸かると、そこ以外での生き方を忘れるものだ——そして、誰もがその組織にいつまでもいられるわけではないのだから。

 

(離れたとしても、事態に追いかけられて引っ張り込まれる場合もあるみたいだが……)

 

自虐めいた心地で付け足すブライトに構わず、ニチテはあっけらかんと答える。

 

「だって、ここに来てまだほんのちょっとなんだ。外で生きてた時間の方がずっと長いよ」

「そうか」

「……ねえ、ブライト、おれ本当に嬉しいよ。今、すごく嬉しいんだ」

 

ニチテはぎこちなく笑い、まだ目尻に残っている涙を拭った。

 

「君みたいな綺麗で気高い子を好きになれて幸せだと思ってた。でも、今は……君の中にあるような美しい魂を迷わず信頼できることを、誇らしいって思ってる。君があれだけ強い言葉でおれの目を覚ましてくれなければ、ここにはたどり着けなかったと思うから」

「……ニチテ。君は」

 

ブライトはかすかに眉を寄せて言った。

気恥ずかしさもあるが、少し驚いていた。

 

「全部口に出して言うんだな」

「だって、言わなきゃ伝わらないだろ!」

 

ニチテはむっと口を引き結んでから力強く主張し、ソファから勢いよく立ち上がった。

 

「トレーニングの時間だ。どやされるのも嫌だし、行ってくるよ」

 

その言葉からも規律の緩さが伺えて、ブライトは明確な引っ掛かりを覚えた。子供だらけの実験部隊、ニュータイプの若いパイロット、クレイアニメが流れるロビー。自分が知る場所に少しだけ似ていて、その実何もかもが違っている。不気味な感覚だった。

駆け去るニチテを見送って、ブライトはソファから立ち上がった。この隊舎で割り当てられた自分の部屋に戻る前に、ナイジェルに会っておく必要がありそうだ。

 

■■■

 

ブライトの身柄はそのまま、医療施設から隊舎へ移されたということになっているらしい。地図上の距離で言えば1kmも離れていないはずだが、そこには大きな違いがあるようだ。

もちろん、ブライトとしても、引っかかりを感じていないわけではない。

医療施設の防衛にニチテの《グスタフ・カール》が駆けつけ、そのままブライトを連れて軍事ブロックのメインポートへ走り、更に当たり前のようにこの隊舎へ取って返してきた。

ブライトからはニチテ単独の暴走のように見えたが、隊長であるナイジェルの反応を見た限りだとそうも言い切れないようだった。

 

ブライトは食堂でコーヒーメーカーを動かしているナイジェルの後ろに立ち、唐突に話を切れ出した。

 

「おれをあそこから連れ出したことになってると思うんだが、問題ないのか?」

「あの医療施設もここも実験部隊の持ち物で、おれはその隊長ですよ? 何か問題が?」

 

本気でそう思っているわけでもなさそうだ。この実験部隊で起きるあらゆることが複雑な権力構造の板挟みであることはすでに説明されている。

その中でもブライトを動かすことはかなりのリスクを負う行為に見えるが、ナイジェルはニチテのその判断を全く咎めなかったのだ。

ブライトが問い詰めるような沈黙をしばらく落とすと、その圧に負けたようにナイジェルが広い肩をすくめた。

 

「一応医療施設がよこした資料と実験計画には目を通してましたからね。捻じ込まれるのが麻酔薬と医療用プローブだけで済んでるうちに動かした方が良いとは思ってたんですよ」

「妙な言い方だな。これだけの事態を引き起こす理由には思えないんだが」

「そうですか? なんせ、繁殖だか生殖だかって書いてあったから」

「……助かった」

 

そう言うしかなかった。陰鬱なため息をつくブライトの前に、湯気を立てるステンレスのマグが突き出される。

 

「コーヒー。久しぶりでしょ?」

「ああ。もらっておこう」

 

差し出されたマグを受け取ってブライトは頷き、ひょろひょろした指には重くも感じられるそれを慎重に両手で持った。

 

「医療施設にナイジェル隊長が手を出しづらかったのはなぜだ?」

「あれは連邦政府側の縄張りなので、連中が威嚇してきましたね。インシデント初動でブライト艦長とニチテを渡しちまったのが良くなかったかもしれないけど、あの時はどっちも治療しなきゃ命の危険があったから」

「縄張り、か……」

 

直感的だがあいまいな言葉ではある。具体的な力関係は追って知っていくしかないようだ。熱すぎるコーヒーをしばらく冷まし続ける。

 

「今回は日が経って更にアナハイム側の介入もあったもんですから、単に需要に対して被験体が足りなくなっちゃったんじゃないですかね。殖やそうとしたってことなら」

「泥縄にもほどがある」

「いやまったく。ミルク入れます?」

 

いつまで経ってもコーヒーに口をつけあぐねているブライトを見かねて、ナイジェルが気楽な調子で尋ねてくる。ブライトはいや、と曖昧に呟いてそれをやんわりと断り、カップに口を付けた。

そのまま、顔をしかめる。

少女と中年の男では味覚の受容体まで根こそぎ異なるのだろうか、コーヒーは舌がよじれるほど苦く感じた。

カップを手にしたまま固まっているブライトに構わず、ナイジェルは言う。

 

「ニチテはいいパイロットです。腕がいいってだけじゃなくて……わかるでしょ」

「精神性の問題か?」

「いや。そのへんはどうなのかなあ……そう見えましたか? ブライト艦長には」

 

自分のコーヒーを一気に飲み干して、ナイジェルははあっと息を吐いた。

 

「もっと分かりやすい話です。要は、毒に染まってない」

「毒、か」

「どこの組織の思惑も背負ってない子供だってことが、この状況だと心強いんですよ。情けない話かもしれないけど」

「……」

 

ブライトはしばらくナイジェルを見つめ、カップを手近なテーブルに置いた。

 

『ニチテと俺が行けば、襲撃の時点で押さえられた。敵は1体だったんです!』

 

キンジィの言葉を思い出す。

あの時のブライトには確証が持てなかった。医療施設は4階建てだった。最上階まで登ってもあのMSを見下ろすどころか、頭部すら見えない。戦場が全く見通せない以上、伏兵や支援がある可能性は十分あった——この林立する建物の中で不慣れなパイロットが単機で囲まれれば、簡単に命を落とす。だからこそニチテの追走を必死で止めなければならなかった。それが、結果的にニチテとキンジィを分断して《メッサー》の確保を不可能にしてしまった。

 

(だが、それもすべて……『単機なら』だ)

 

確かに、ニチテとキンジィが最初から連携を取れれば、《メッサー》を撃破できた可能性は十分あった。

キンジィは正しい。

ブライトとしても、疑問だったのだ。

ナイジェルはなぜ、ニチテを一人で《メッサー》にぶつけたのか。傍目には無謀とまでは言わないが、不備のある判断だと言わざるを得ない。

 

毒。

 

その言葉が、じわりと思考に広がっていた。

 

「毒に染まっているパイロットもいる、ということだ」

「随分遠まわしですね」

 

ナイジェルが平然と言い、二杯目のコーヒーをマグに注ぐ。ブライトは僅かに眉を寄せ、言った。

 

「キンジィを、警戒してるのか?」

 

香気の込められた湯気はすでに薄れて、白っぽく安っぽい内装の食堂には二人の男の張り詰めた沈黙だけが居座っている。

ナイジェルは淡い色の瞳を伏せてマグの中を覗き、しばらく考えているようだった。

 

「昨日話した『文化セクト』について分かってるのは、アナハイム・エレクトロニクスの社内閥ってことだけ……それくらいのものなんですが」

 

それは、ブライト自身もすでに聞いていたことだった。

医療施設の襲撃。

その黒幕としてナイジェルが当たりを付けているのが、アナハイム・エレクトロニクスの『文化セクト』だ。

軍産複合企業がその肥大した腹に飼っている、数ある怪物のほんの一頭——

 

「キンジィ・マォンはアナハイム側からうちの部隊に来た人員です。警戒するのが妥当ってもんでしょう。だから、あの状況でキンジィをニチテと一緒に行かせるわけにはいかなかった」

 

敵と目した『文化セクト』と同じ土壌に根を張っているパイロット。それが、キンジィの立場ということだ。

もちろん、それだけでキンジィの思惑を全て判断することはできない。だが、ナイジェルの立場からすれば、軽率に彼を信じるわけにもいかないはずだ。

 

「ケンカで済んでるうちはいいですけどね。後ろから撃って殺しちゃうかもしれないから、ニチテのこと」

「……おれが君でも、そうしていただろうな」

 

ブライトはマグを片手にコーヒーメーカーが置かれた棚に歩み寄ってナイジェルに並び、ジャムの空き瓶に挿されて置かれているシュガースティックを2本まとめて取った。はるか上からちらりと視線を下ろしてくるナイジェルを横目にマグの中に砂糖をざらざらと流し込み、スプーンを取って掻き混ぜる。

大分冷めてもいるコーヒーは、さっきと比べれば飲みやすくなっていた。一度のどを潤してから、ナイジェルの顔を見もせずにブライトは言う。

 

「難しい立場だ」

「ブライト艦長にそう言われると、なんとも言えないな」

 

ナイジェルは小さく笑ったようだった。大人しくコーヒーを飲みながら、ブライトはしばらく沈黙を守ることにした。

 

「ああ。今の話、とりあえずあいつにはナイショですよ」

「キンジィに?」

「いや、ニチテに」

 

少年の無垢な表情を思い出す。

考えていることを片っ端から筒抜けで話しているかのような、裏表のない振る舞い。言われて困ることは教えない方が良さそうだ、というのは、この短い付き合いのブライトでも当然納得できた。

 

「まあ、状況を判断するにしても材料がないのが現状でしょう。とりあえず、ここはあの医療施設よりは安全だ。出方を伺うだけの余裕はあると思いたいですが」

「そう願いたいな」

「隊舎の部屋にご不満は?」

「問題なさそうだ」

 

甘ったるいコーヒーを飲み干して、空のマグを置く。多忙な隊長の時間をこれ以上削るわけにもいかないだろう。きびすを返そうとしたブライトに、ナイジェルが声を掛けた。

 

「医療施設の食堂」

「……?」

「アナハイムの社食と同じシステムが入ってるとかで、評判がいいらしいんですが。検査なんかもそれが楽しみだって、ウチのちっちゃい連中も言っててね」

 

ブライトの顔を覗き込んだ隊長が、笑みを交えて尋ねる。

 

「ブライト艦長の評価は?」

「艦内で食べるのには向かんかな」

「……ブライト艦長。こんなこと言うのもなんだけど……」

 

至って真剣に答えたブライトに、ナイジェルはなぜか呆れた顔で眉頭をぐっと上げた。

 

「レストラン、やめといたほうがいいって思いますが」

「……おれもそう思ってたところだ」

 

ため息とともにブライトは言い、今度こそナイジェルに背を向けた。

 

■■■

 

割り当てられた自室のドアを、ノックする者があった。

ブライトはベッドから立ち上がり、スリッパを足に引っかけた。誰だ、と尋ねる間もなく、ドアの向こうから気安い声が響く。

 

「ブライトちゃん、夕食は?」

「……キンジィか」

 

ブライトからドアを開く。ティーンの少女としても目立って小柄だろう今の肉体からすると、対面したキンジィの長身は見上げるほどに高い。覆いかぶさるように身を乗り出して、キンジィは人懐っこい笑みを見せた。

 

「こんなショボくれた隊舎で、きみみたいな可愛い子と一緒にご飯が食べられるなんてことがあったら、みんな夢みたいだって思うぜ。食堂に案内するよ」

「それには及ばん。場所は知ってる」

「おれが、きみと一緒に行きたいんだ。手は繋がなくてもいいけど、もちろん繋いだっていい」

 

キンジィは大きな手をひらりと振って示す。長く力強い指、頼もしい骨格が感じられるシルエット。自分の手からあまりにも明確に失われたそれに気が遠くなる思いがして、一瞬だけそれを目で追ってしまう。

 

「……ブライトちゃん、ちょっと目がエロいかも? なんかドキドキしちまうんだけど」

「食堂にはひとりで行け」

「悪かったって、拗ねなくたっていいだろ」

 

向けられる笑みに徒労感が込み上げ、ブライトは薄すぎるひ弱な肩を落とした。

キンジィはブライトの気持ちを知ってか知らずか、楽し気な笑みで腕を組む。

 

「褒められるの嫌いって子もいるよな。きみもそう?」

「……相手の感情も顧みずに一方的にそういう言葉を浴びせるのは、褒めるとは言わない」

 

冷たく吐き捨てるブライトの手を強引に取って、キンジィはブライトの体をいともあっさり廊下に引っ張り出した。子供相手にいつまでも揉めている不毛さは頭の隅で自覚していたので、大人しくそのまま部屋から出ることにする。

するりと滑ったキンジィの指がブライトの手を絡め取るように握った。反射的に振り払って手を引っ込め、ブライトは僅かに後退した。

 

「そうやたら触るものじゃない」

「へえ。きみが本当にあのブライト・ノアなら、無邪気な少年に求められた握手を振り払ったりしないと思うけどな。やっぱり冗談でしたってこと?」

「そんな理屈、どこで通じるんだ……」

 

牽強付会も極まった言葉に、思わず吐き捨てる。キンジィはそのとっておきのジョークの受けが悪かったことを紛らわせるように照れ笑いを浮かべ、それ以上は触れてくることもなく廊下を歩きだした。

 

「不機嫌になることないだろ? 可愛い顔が台無し」

「……いつもこの時間に食事を?」

「だいたい、みんなね」

 

あっさり答えるキンジィに続いて、食堂に入る。食堂にいるのは十人足らず、ミドルティーンからハイティーンの少年ばかりだ。その視線が一斉にキンジィとブライトに注がれ、すぐにブライトだけに集中して一切外れなくなった。

その中の誰とも目を合わせないように顔を逸らした瞬間、キンジィの腕がのしっ、とブライトの肩に乗った。

 

「怖がることないって、ブライトちゃん。ただのガキばっかりだからさ」

 

少年たちが口々に抗議し、食堂は弾けたようにやかましくなる。

 

「聞こえてんぞ、キンジィ!」

「お前の方がずっとガキだかんな!」

「独り占めはナシだぜ、こっちに座ってもらえって」

「肩抱くなよ、肩を!」

 

騒がしい声を涼しい顔で聞き流し、キンジィは金色の瞳をずっと細めてブライトの顔を覗き込む。

 

「気にするなよ。俺を見てて、ブライトちゃん。雑音なんか忘れて二人きりで……」

「あのトレイと食器だな」

 

少年たちのテーブルに置かれているのと同じものが積まれているテーブルを見つけ、ブライトはあっさりキンジィの腕の中から逃れてそちらへ向かった。

しばらくぽかんとしているらしいキンジィが追いすがってくる様子はない。囃し立てるような少年たちの笑い声と、ムキになってそれに言い返すキンジィの声が聞こえた。

 

トレイを手に食堂の配膳口に立ちながら、ブライトはナイジェルとの会話を思い出していた。

 

キンジィ・マォン。彼はアナハイムからの出向でこの部隊にいる——『文化セクト』の息がかかっているかもしれないパイロットだ。

彼がニチテと共に《メッサー》と相対した場合に何が起きていたのかを知るすべは、もうない。

少なくとも彼が逃走する《メッサー》を逃しているのは事実だ……しかし、それにしたところで、それが単に振り切られただけなのか、明確な意図があったのかを確証する方法はないだろう。

警戒は必要だ。だが、それ以上に——

 

(ただの、子供に見える……愛情に飢えて、自負に振り回されるだけの、未熟な子供に)

 

キンジィの掌のかっと熱い体温が残る肩を見下ろして、ブライトは迷う心を持て余す。

投光器の光が定期的に巡る軍事ブロックの夜はさほど暗くもないが、その奥には得体のしれないざわめきが秘められているように思えた。






次回更新は10月14日の18時ごろです。


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