古書店「Plowonida」の店外に、ニチテとキンジィは立っていた。
ブライトとリディ室長は、店内の応接セットに腰かけて顔を突き合わせ、話を続けているようだ。
つまり、自分たちは蚊帳の外に追い出された形になるわけだ——
「キンジィー……」
ニチテはキンジィの脇腹をつついて、じっとりとした眼差しを投げかけた。
「さすがにそろそろ分かっただろ」
壁にもたれるように立っていたキンジィは、道の向こうに立っている少女にへらへらと笑いかけて手を振っていた。指を何本か半端に曲げて右手をくりくりとねじる、独特のジェスチャー。出身コロニーの俗習か何かだろう、キンジィが女の子に向けてこれをやるのは珍しくなかった。
立ち去る少女にしばらくしまりない笑顔で見惚れてから、ついでとばかりにニチテへ視線をやる。
「んで、分かったって、何が?」
「ブライトのこと! ただの女の子じゃないんだってば」
肩を怒らせて、ニチテは言い切る。
室長があれほど明確に「ブライト・ノア艦長」を遇する態度を取っているのを自分と同じように見ているはずのキンジィが、なおもブライトを「ブライトちゃん」と呼び、馴れ馴れしい態度を取っているのがニチテには信じられなかった。
たとえニチテ自身が今もなお彼女を「ブライト」と呼び、だいたいにおいては年下のかよわい女の子に対するように振る舞っているとしてもだ——それとこれとは全く別だ。別に決まっている。
キンジィは呆れたように眉頭をクッと上げ、ニチテの顔をまじまじと見た。
「それ、おれが先に言ってたやつだろ」
「あの時は分かってなかったんだよ!」
素直に認めてから、それに、と付け足してニチテは気まずそうに目を逸らした。
「正直、特に女の子の事なんてキンジィに言われたって何一つ響かないし……」
「はあ? おまえよりモテる奴が言ってることなんだから信用しろよな」
「みっともないぞ、自惚れ屋」
ニチテは呆れて唇を尖らせるが、キンジィはせせら笑って鼻歌を歌うだけだ。キンジィのこの自信はどこから来るのだろう、とニチテは思っていた。
「ブライトちゃんはブライトちゃんだろ?」
「でも、その……そういうことがあってそうなったんだって」
「中身なんてそんなに気になる?」
広い肩をすくめて、キンジィはさらりと切り返してきた。
「どうせ一生戻らねえんだろうし、中身がどうなってるかなんて考えるだけ無駄だろ」
「……え?」
想定もしていなかった角度から切り返されて、ニチテは固まった。
一生戻らない——戻りたいと、彼女は思っていないのだろうか? いや、思っているはずだ、あれほど強く女の子扱いを拒むなら。それなら方法を探すべきで……
ニチテは眦を決して、語気を強めた。
「そんなに早く諦めるなんて、間違ってるよ。そばにいるおれたちが支えないと……」
「今のブライトちゃんの肉体年齢が14歳くらいだそうだ」
キンジィは壁にもたれてポケットに手を突っ込み、ニチテの顔を見もせずに言った。
「それに加えて性別も体格も違う。元に戻すっていうのは、30歳も一気に年を取らせて、内臓と骨格の総配置換え。あの40kgなさそうな体に30kgくらいの有機物を新しく捻じ込んで馴染ませて、って話だぜ」
ニチテは唖然として、キンジィを見上げていた。
何だ。何を言い始めたんだ、この男は?
キンジィは軽く肩をそびやかして冷ややかな視線をニチテに向け、一言言い切った。
「死ぬって」
明らかにキンジィの理屈はおかしいはずだ。言葉ばかりは正しく聞こえても、この事態の異常さを勘定に入れていない。ニチテはしどろもどろに反論する。
「で、でも……その逆は起きたんだ。異常な現象でこうなったなら、また異常な現象を引き起こして……」
「なんで?」
「え?」
「知ってるだろ、ブライト・ノアがどういう人物なのか」
車道を行きかうエレカを眺めて、キンジィは続けた。
「何を起こすかもわからないサイコフレームとの接触、老化による衰弱、更に二乗になった奇蹟ってやつを背負わされる危険性……えげつないリスク負って得体の知れない現象に頼ってまで、取り戻さなきゃいけない人生かね? おれにはそう思えねえけど」
「……そんなの、おれたちが決めるべきじゃないよ」
「決めてねえよ。野次馬根性で言ってるだけ」
卑怯な逃げ口上だ。ここまであからさまなことを言っておいて、いきなりシャッターを下ろす。納得できるはずがない。
ニチテはキンジィを睨みつける。キンジィはその視線に気づいている様子もなく、視線を遠くに投げてしばらく黙り込んでいた。
その目が道路を吹き抜ける空気対流に何かを読み取るように細められ、唇がかすかに開いてふ、と控えめに吐息する。
「おれだって……中身に興味がないってわけじゃねえよ」
「おまえって絶対すごく嫌なこと言いそうだから、一度黙ってくれ、キンジィ」
即座に言葉を上書きするように割り込むが、キンジィは何食わぬ顔で続けた。
「ブライトちゃん、あんなに細いけど五体満足だしほら、生殖能力っていうかそういうハード面も至って健全だって、ドクターが」
「黙ってろって言ったろ!」
ニチテは力いっぱいキンジィの足の甲を踏み抜いた。キンジィがさすがに悲鳴を上げて飛び上がる。ニチテは全くひるまず、減らず口を叩いたら更に追撃を入れてやるつもりでずい、キンジィに向かって進み出た。
「てめぇ、ニチテ!」
「お前のそういう、無神経なことを言えばカッコよくて強いって思ってそうなところ、ほんとうに最悪だぞ!」
「いい子ちゃんヅラしやがってよ」
痛むらしい足を上げてぶらぶらと振りながら、キンジィは苛立たし気に歪んだ唇から犬歯を覗かせた。
やがてその足をゆっくりと下げて石畳を踏んだキンジィが、半身を軽く下げて重心をスムーズに爪先に移すのをニチテは見ていた。その唇に挑むような笑みが滲み、自然に下げられていた左手が平たく緩い拳を固める。
よく観察していなければわからない、しかし紛れもない挑発だ。
ニチテは静かに瞼を伏せてから、瞳に光を含むほど力強く目を見開いた。
「そうやって脅せば黙るって思ってるところも最悪だ。今度はおまえを病院送りにしてやる!」
「はっ、ブライトちゃんの次はってことかよ!?」
嘲笑うキンジィに相対して、ニチテは長身の相手に飛び掛かる隙を伺った——
古書店の窓から見える二人の少年の様子を、ブライトとリディは気が付けば応接セットの上で軽く体を捻って注視し、しばらく会話を完全に途切れさせて見守っていた。何を話しているかは分からないが、明らかに険悪な空気が漂い始めるのは見えた。
「バカなのかな?」
リディが呆れた声で端的な疑問を口にする。
「この建物の前で目立たれるのは困るな……」
ブライトはもはやため息をつく気も起きず、無表情に事実だけを口にした。
リディがのっそりと腰を上げ、肩を軽く回してブライトに断りを入れる。
「ブライト艦長。おれは中座します、ちょっと部下に指導を」
「強めにやれ」
ブライトはようやくソファに腰を落ち着けて座り直し、手をつけないままだった紅茶に口を付けて、立ち上がったリディがドアを開けて鈍い打撲音をしっかり二回響かせるのを背中で聞いていた。
リディにはいくつか聞きたいことがあった。そのために二人を外に行かせたことが、どれほど意味があるかは分からなかったが——意味がないどころか、悪手だったのかもしれない。
(直接会うことに意味があっただけで、会話自体は通信でできるはずだ——キンジィを引き連れてるこの状況で、『文化セクト』について話すことに意味はないかもしれない)
窓の前に少年二人がびしりと背筋を伸ばし、肩を並べて立っている。見るからに優男の上司の拳は、思っていたより効果があったようだ。
無駄だと知りつつ、ブライトは自分のあまりに細い五指を丸めて頼りない拳を見下ろす。
(殴られるのが痛いから話を聞いている——そんな単純な話だとも思いたくなかったが……)
ドアが閉まり、リディが戻ってくる。ブライトはリディが何か言い出す前に軽く頭を振ってカップを置き、立ち上がった。
「顔を合わせたついでに話しておきたいと思っていたが……」
「ああ、はい」
「続きは今度でいい」
「赤い髪の彼が?」
問いは自然に続いていたが、唇を動かすだけにとどまっているかのように、声量はしっかりと抑えられていた。ブライトは小さくうなずき、そのままリディとすれ違ってドアに向かった、そのとき——
温かで力強いものが、手首をしっかりと戒めた。
リディの力強い手が、自分の右手首を掴んでいる。視線をやれば優しく回された指の優美なアーチすら見えたが、その緩やかさに反して掴まれた手はびくとも動かなかった。
リディの険しい瞳は、ブライトを見ていない——周囲を伺うように鋭く走る。
「どうした?」
「エンジン音——」
リディの呟きが何を意味するのか理解する間もなく——
ブライトの視界は勢いよく回って、全身がなすすべもなく後ろに引っ張られた。
軽すぎる体はリディの腕にほとんど引っかけられて抱えあげられ、肺が絞り出されて潰れた息が漏れた。リディはブライトにほとんど覆い被さるように密着したまま古書店の床に勢いよく転がり、革張りの豪奢なソファの影に飛び込んでほとんど押し潰さんばかりに身を低くする。
ゴガッ……!
轟音が鼓膜を叩き、天井を舐める爆炎が視界を塞いだ。床が震えて埃が舞うのを目にしたのを最後に、コンマ秒の間だけ完全に感覚がマヒする。
吹き過ぎた爆風の後に残る、息が詰まるほどの独特の匂いに五感を引き戻されると共に、くらりと眩暈がする。
(ガソリン臭——コロニーで?)
地球で暮らしていてもなかなか嗅ぐ機会は少ないが、一度覚えれば忘れない有機化合物の刺激臭。ブライトに覆いかぶさったままのリディの手がハンカチを引っ張り出してブライトの顔に無造作に押し付けた。
木造に似せた合成建材製の店内に激しい炎が上がり、盾にしたソファは半ば炭化していた。ブライトはハンカチを受け取って顔に押し付け、リディに引き起こされるまま起き上がった。
店の壁に車体が食い込み、無惨に潰れている。炎に包まれた鉄屑の下に、店主の焼け焦げてひしゃげた脚が見えた。
「外へ、ブライト艦長!」
まだ火の手が回っていない窓をリディに引きずられて乗り越える。窓を乗り越えるのにも引っ張り上げられなければならないのは、単純に手がふさがっているからだ。
そろそろ手を離すかいっそのこと担ぐかしてくれればいいのだが、動揺しているのか他の理由からか、リディの手はその非力な手を全く離す気配がなかった。
がつっ……!
外に飛び出した途端、今度は物も言わずに伸びてきたキンジィの大きな手に容赦なく頭を掴まれて石畳にほとんど叩きつけられるかのように伏せさせられる。ぱきゅっ、と耳に届いた音の方を振り仰ぐと、ブライトたちがくぐったばかりの窓の立派な窓枠に弾けたような穴が開いているのが見えた。
狙撃——
激痛が残る頭がぐらぐらと揺らぐのを感じながらキンジィとリディに引っ張られるように歩道と車道を分ける花壇の影に身を低くし、ブライトは呻くように言った。
「ニチテは……」
「車が突っ込んでくるちょっと前にいきなり走り出しちまったよ!」
キンジィがまくしたてるや建物の上を睨みつけ、襟の内側に押し込んでいたマイクに鋭く叫んだ。
「オレンジの屋根、右から三つ目の柵の影!」
少し遅れて、かすれるような破裂音がかろうじて聞き取れる程度に響く。どうやらナイジェルが用意していたこの近くに伏せていた狙撃手が動いたようだ——それがオレンジの屋根からの狙撃を止めたかどうかは、ブライトにはすぐには分からなかった。
激しい足音と銃声。キンジィが腰を上げるや拳銃を危なげなく構えて引き金を引く。どうやら突っ込ませた車から降りてきたらしい襲撃犯たちが、こちらに向かってきている。男が四人、武装は拳銃とアサルトライフルでまちまちだ。
「ニチテのクソ馬鹿! これじゃ誰がブライトちゃんを脱出ルートに引っ張ってくんだよ」
苛立たし気に叫んで、キンジィが路肩のエレカの影に飛び込み、執拗に襲撃犯の頭を押さえるように撃つ。襲撃犯をブライトたちの方に向かわせないために、そうして目につく形で移動せざるをえないのだ。
リディの手が、ブライトの手を掴んだままぐっと引っ張った。
「おれが連れて行く、問題ないよ」
青い瞳が揺らぐ戦火を映しながらも冷たく凪いで、ブライトを映した。
「そうですね、ブライト艦長。キンジィ君と狙撃手はここで足止めを」
リディの言葉が終わるより早く——
煤煙と遮蔽の向こうから弾丸を浴びせてきていた襲撃犯の一人の巨体がびくんと跳ねあがってそのまま奇妙なほど穏やかに静止し、遅れて響いた掠れるような破裂音と共に路上に崩れ落ちた。狙撃手を警戒して後ろへ下がろうとする男たちに食らいつくように、キンジィがすかさず前へ飛び出す。
キンジィが制圧射撃で襲撃犯たちと競り合い、突出した敵が足を止めれば狙撃手が仕留める形だ。キンジィがマイクに向かって何かを叫んでいる。二者間の連携は問題ないと見て良さそうだった。
リディが掴んだ手を引っ張って走り出す。
「こっちへ! 転ばないでくださいよっ」
「わかってる!」
簡単によろけてしまいそうなひょろひょろした脚に、ブライトは舌打ちしたい気分になった。厚手のコンフォートシューズが、走ることは可能にしている。これ以上の破壊が起きてそのポリウレタンの靴底を貫くようながれきや鉄屑がばらまかれないことを祈りつつ、リディに誘導されるままに走る。
避難経路についてはブライトも完璧に頭に叩き込んでいた。古書店のあるブロックの、建物と建物の間の細い道。これを抜けた先に、隊の車両が用意されているはずだ——
(何か、引っかかる)
違和感を置き去りにするように、ブライトの手首を引く力は強かった。