銃声は散発的に続いていたが、新手が来ることはないようだ。
力強く走るリディにほとんどひきずられるように走りながら、ブライトは声を張り上げた。
「ガソリン車をわざわざ運び込んで襲撃に使うような連中だ……! 油断するな、っ、はあ、っげほっ……!」
「担いでいきましょうか、ブライト艦長」
「いい、走れる……!」
ぜえぜえと肺が弾み続け、薄く血の匂いがする息を激しく吐き出している。
手を掴んで引かれているので、多少足がもつれても前に引っ張られる。情けないことに、そのおかげで走り続けることができていた。
不意に、とても静かな、そして吹き飛ばされそうなほどすさまじい衝撃が肘を後ろから跳ね上げ、ブライトの左手が不随意に空に弾かれた。
鮮血が散り、ぱしゅっ、という銃声が鼓膜を叩く。
「——……ッッ!」
左腕が消え去ってしまったのではないかと思うほどに静かな麻痺が広がって、次の瞬間には激痛に思考が焼ける。
狙撃だ。オレンジの屋根の狙撃手は沈黙していなかった。直撃ではない。弾は逸れた。遮蔽物に逃げ込まなければ。
ブライトは迸りそうな悲鳴を必死で押し殺しながら、リディの胴に体当たりするように体を押し付けた。リディは心得たようにブライトの肩を力強くホールドして跳躍する様に地を蹴り、そのまま目当ての狭い道に飛び込む。
「艦長を撃っちゃったら何にもならないでしょうに!」
「殺す気はなかったんだろう」
「死にそうな顔してますよ!」
「それはずっとだ……!」
カイにも顔色が悪いと心配されたばかりだ。不本意な気持ちで言い返し、リディに手を引かれたまま頭に叩き込んだ脱出ルートを駆け抜ける。
実験部隊の車両が用意されているパーキングエリアまでの入り組んだ道。追跡の気配はないようだが、リディはどこかぴりぴりと神経を立てているようだった。
その葛藤を代弁するつもりで、ブライトが抑えた調子で投げかける。
「あれだけ派手にやっておいて、追っ手もないのは臭いな」
「キンジィ君がよくやってます」
それにしてもだ——と言いかけたところで、リディに握られたままの手に勢いよく振り回されて、その背後に引っ張り込まれた。
薄暗い道から剥離したかのように、暗い影が揺らぎもせずに現れる。二人……いや、三人。
暗色のボディスーツ、テーザーガンとスタンバトンで武装している。異常に静かで不吉なほど揺らぎのない身のこなし。
「——ッ!」
その姿を視認した瞬間、警告も制止も発さず、リディが焼け焦げたジャケットの裏に手を突っ込んで引き抜いた拳銃を撃ち込んだ。
それより早く、一切の無駄のない挙動で、敵の一人が動いた。射線を既に読んでいたのか、抜き撃ちでは当たらないと踏んでいたのか、向けられる銃口にプレッシャーを感じている様子すらなく最小限の動きでリディに肉薄し、スタンバトンを突きこんでくる。
リディは危うく避けたようだが、明らかに肉弾戦の練度が違いすぎた。追撃が来る——
その時だった。
ぼんっ——と、空気が弾けるようなくぐもった破裂音が遠くから響き、猛烈な突風が狭い道を吹き抜けた。道路にへばりついたゴミが勢いよく舞い上がり、空だったらしい塩ビのゴミ箱が弾き飛ばされるように転がる。
すっ飛んできたボトルを反射的に払い除けて、襲撃者は追撃の機会を逃す。その隙にブライトの手を引いたリディは、あろうことか襲撃者たちの目の前に無防備に飛び出し、背を向けて走り出した。
ありえない。パニックか——と、ブライトは絶望的な思いでリディを見上げる。掴まれた手はびくともしない。だが、その横顏には、どこか確信を得たような力強さが伺えた。
今の音に、何か機を見たというのか。しかし、この判断は明らかに致命的だ。
(三人もいる襲撃者たちに背中を見せて逃げることになる……テーザーガンで狙い撃ちにされる。足は敵の方が速い——!)
瞬時に廻った思考から、警告を口にするより早く——
フオォォォン——……
風が突き抜けた。
コロニーの気象制御装置が送り出す空気対流とは違う。
路地の壁にぶつかりあって増幅しながら駆け抜ける強烈な排気、スラストノズルから空気がこすれるほど鋭く排気される風切音、熱風、そして力強いモーター音。
ブライトは思わず、肩越しに振り向いた。
道の向こうから乏しい陽射しを遮って現れたのは、二つの半球を伏せた形の、堅牢な金属製の外郭カウルをサドルで繋いだような形状の、一人乗りのヴィークルだった。真下に叩き付けるような強烈な空気の噴出で粉塵を巻き上げ、突風を生み出しながら、一切の躊躇なく突進してくる。
近くで響いたあの破裂音。ブライトは思い出す。あれは——ホバークラフトの起動音だったのだ。
ワッパタイプ。
民生用のホバー・バイクだ。乗っているのはもちろん——
「ニチテ……!」
驚愕にかすれた声が漏れた。
ホバー・バイクはブライトたちを追おうとしていた襲撃者の背中へ強烈なクラッシュを仕掛けて数メートル吹き飛ばしていた。即座にコマを回すかのように勢いよくターンが決められて、前底を覆う外郭カウルが急速度で横薙ぎに振り回され、突進をかろうじてかわしていた襲撃者の胴体をほとんど平らになるほど叩き潰して壁に縫い留める。
リディに追いすがろうとしていた最後の敵がホバー・バイクに向き直るやよどみなくバトンを捨て、腰の後ろに差していた拳銃を引き抜いてニチテに向かって発砲する。その瞬間に前底のリフトファンが強烈な排気音を立てて勢いよく持ち上がり、車体はほとんど棹立ちになってニチテを守った。ファンに飛び込んだ弾丸が弾かれる騒がしい金属音が響き渡る。
ほぼ後底リフトファンだけでの、不安定な突進——見事にそれを制御して、ニチテの駆るホバーバイクが襲撃者の頭上に迫った。
ごしゃっ——!
一瞬で空気の噴出を切ったホバー・バイクが勢いよく落下する。熱い金属塊の下敷きになった襲撃者の投げ出された腕が、路上で力なく痙攣していた。
ニチテが危なげなくバイクから飛び降り、ブライトとリディの方へ駆け寄ってくる。
「ブライト、血が出てる!」
「狙撃手がいたんだ。ニチテ、なぜ単独行動を——」
「なんてひどいこと! 大変だ、すぐに見せて……」
駆け寄ってくるニチテとブライトを阻むようにリディが体を割り込ませ、ニチテの頭を掴んでぐいと押し戻した。
「周囲の警戒とおれたちの誘導」
「は、はい!」
笑みすら含んで紡がれた穏やかで簡潔な言葉に、ニチテはびしりと背筋を伸ばして元気よく答える。
ブライトは今更悪夢のように強くなってきた腕の痛みにじりじりと脂汗が浮かんでくるのを感じながら、食いしばった歯の奥からゆっくりと息を吐いてまだ自分の手を掴んだままのリディに寄りかかった。
弱った肉体を巡る全身の血が冷え切って、意識が明滅し始めている。力なく垂らした指の先から、流れ落ちた血の雫が冷え切って離れていくのが感じられた。
「傷は大したことはないはずだが……ショック状態が」
リディの肩に受け止められながら、苦々しくブライトは唸る。
ずっと握られていた手がするりと外れ、止血帯代わりのハンカチを撃たれた左前腕にするすると巻き付けて締めあげてから、ブライトの体を軽々と持ち上げた。肩にでも担がれるのかと思っていたが、どうやら両腕に抱えられているらしい。両腿と背中を掬い上げるようにしっかり支えて、母親が子供を抱くように——気まずさに顔をしかめ、垂らしたままだった血まみれの左手を胸元に引き寄せる。
「ああっ」
無念そうなニチテの声が聞こえる。リディはそれを見事に無視したようで、間近から至って落ち着いた声音で言った。
「艦長だって……民間人の小さな女の子が同じ怪我をしてたら、同じことをするでしょ?」
「おれは……」
「小さな女の子ですよ、少なくとも今はね」
図太く有無を言わせない口調でリディは言い切って、ニチテに誘導されるまま歩き始めた。
秘匿ハンガーは昼でも薄暗い。ちらつきながら光る白熱灯の下で無線インカムを軽く指で押さえて通信に耳を傾け、アンジェロは呟くように言った。
「市街戦? 同じ目標実体を狙ってる奴らが……?」
ロンデニオン市街で、『文化セクト』の目標実体——ブライト・ノアという名の少女を巻き込んだ銃撃戦が行われたようだ。状況から察するにかなり手荒なやり方だったが、目標実体は逃げおおせたらしい。
その場を切り抜けたプロフェッショナルの足跡を、得られた情報から不完全に脳裏に描く。
「ロンデニオン実験部隊……素人の集まりではないのは分かっていたが」
《メッサー》でのMS戦では、初動やパイロットの練度はともかくその後のぬるさが目立った。無意識に侮っていたかもしれない。アンジェロは冷静に敵に対する印象を修正しながら、インカムを外してパイプ椅子から立ち上がった。
ハンガーには、3体のMSが直立している。補修の終わった灰色の《メッサー》が、光のないカメラにハンガー内の照明をぬらぬらと映しているのが見えた。
「奴らを潰すのは、それなりに歯ごたえがあるかもしれない」
高揚も敬意もなく、ただ事実として——
アンジェロは、間近に迫る戦いを、そう評価した。