MSパーツの輸送コンテナに寄りかかって腕組みしたキンジィが、薄暗がりの中でブライトを待ち構えていた。
物陰ではあるが隔離された空間ではない。若い整備兵たちの喧騒と、再開し始めた作業音が聞こえる。
庫内灯が斜めに切り取る光と影の間に立って、ブライトはキンジィを見上げた。
「ブライトちゃん。《ガンダム》の話……少しは何か分かった? 隊長とよく話してるみたいじゃない」
「……別に、君と情報を共有する、という話じゃなかった気がするが」
一言釘を刺しておくが、そもそもそれについては秘しておくほどのことは分かっていない。特に包み隠すこともなく、知っていることをすらすらと口にする。
「あれは出所不明の高性能機だ。表向きはサイド国家から供給されたものになっているが、その過程には疑問が残る。この部隊に渡されている情報もどこまで正しいかわからない。おれが収容されてからは稼働もしてないはずだ……こんなことは君も百も承知だと思うが」
「そうだね。そのくらいならおれの方が詳しいくらいだ。おれが聞きたいのは……ブライトちゃん」
キンジィの金色の瞳が、乏しい光を吸い込んだかのように闇の底で鋭く光る。
「あれに接触したきみが何を見て、何を感じたか」
「おれが見たもの……」
「要は……『ニュータイプになる』ってことが起きたかどうか」
ブライトは探るようにキンジィを見た。キンジィは平然と微笑し、ブライトの出方を伺っている。
もとより駆け引きが必要な場面ではない——ブライトの立場から返せる答えは明確だった。
「ありえない」
「言い切るね?」
「確かに何かが見えた。あいまいな時間と空間の広がりと褶曲だ。だが、そこにある意味を受け取ることはできなかった。未知の何かが伝わり、それを不完全に知覚した——」
「それが、『ニュータイプの感覚』じゃないって、どうして言い切れるんだ?」
キンジィが素早く切り返す。
もっともな疑問だった。そして、ありえない仮定でもあった。ブライトはゆっくりと息を吐いて、明瞭に言い切った。
「初めてじゃなかったから……それで分かるか?」
「初めてじゃない?」
「彼らが空間を越えて何かを伝えようとして、おれがそれを受け取る。完全に受け取ることも、分かり合うことも、こちらから思いを届けることすらできなくても……それはかつても、起きたことだ」
「……へえ」
キンジィはしばらく黙り込み、何も言わなかった。品定めをするように、その金色の瞳の奥で思案がひらめくのが見えた。やがて、くっ、と小さな音が響き、その喉が笑いをくぐもらせたのが分かった。
わずかに吊り上がった口角から歯を覗かせ、キンジィは笑い交じりに言った。
「マフティーも、そうだったの?」
冷えていく——血が、あるいは心が。
ブライトは声もなく、ただ目を見開いた。
薄暗い視界の中央で、キンジィは挑むようにブライトを見下ろしている。愉悦と挑発の歪みが、その口角に宿っていた。
「きみがブライト・ノアなら……そういうことだろ? マフティーが伝えようとしたことを、父親であるブライト・ノアは受け取らなかった」
「……」
「何か伝えたいことがあったのか、何を考えてたのか……きっと、それさえ知らないんだろ?」
口を開こうとしたブライトを制するように、キンジィが鋭く言葉を被せる。
「おれには関係ないって? あれだけ『自分はブライト・ノアだ』って主張してきたきみが、マフティーと無関係なものとして見てもらえるわけがないってことくらいはわかってるはずだ」
「何を——」
「変な連中に狙われてる、かわいそうなオールドタイプの可愛い女の子……その枠の中に収まるタイミングは幾らでもあった。それでも『ブライト・ノア』でありつづけたのは、きみの選択だろ」
「選択も何も……人間は、他の人間にはなれないものだ」
声は、いつもより弱弱しく響いたかもしれなかった。
多くの屍を置き去りに進み続け、ついには乗り越えられない喪失を経験してなお、自分であることは捨てられない。当たり前の話だ——
肉体に合わせて、無力な少女のように振る舞う。肉体の変容に合わせて、自分であることを捨てる。ブライトにとっては、全くの考えの外にある発想だった。
「ふん……」
キンジィはその言葉に鼻を鳴らし、唐突にふらりと前に揺らいで身を乗り出してきた。
その手がギプスを吊った腕吊り包帯を掴み、ブライトの軽い体を振り回すように引っ張った。
コンテナの分厚い外殻に背中が叩きつけられ、潰れた肺から声が漏れる。
「うぐ、……!」
がんっ、と音を立てて、キンジィの拳が壁に叩き付けられた。頭をかすめるように突き刺さった衝撃が、コンテナの堅牢なアルミ合金板をびりびりと震わせている。広い背中が完全に光を遮って視界が暗闇に沈み、キンジィの金色の瞳だけが影の中にぎらぎらと光る。
彼はそのまま、その長身でほとんどブライトに食らいつかんばかりに身を乗り出して、と息がかかるほど顔を近づけてきた。
「つまんねーオンナだな、あんた……」
「こんな話をしに来たのか?」
こんなただの衝撃を背中に受けただけで肺が詰まって、呼吸にすら不自由する。くらくらと揺らぐ視界をなんとか定めるように軽く頭を振って目を細め、ブライトは唸るように言った。
キンジィの意図が読めない。
襲撃のことについて探ってくるか、あるいは何か伝えることがあるのではないかと思っていた。だが、キンジィの口ぶりは、まるで——
(ブライト・ノアという人間、そのものを見定めようとしているかのような……)
キンジィは唇を歪め、濡れた歯を微かに覗かせた。
「人生を捨てられるって時に、なんで捨てようとしないんだ?」
「……それに、価値があるからだ」
ひきつったような笑いが、震えながらキンジィの鼻から漏れる。
「そうは見えないけど」
「他人にどう見えていようと……おれにとっては」
ようやく呼吸が整ってくる。ブライトは自分の視界をほぼ閉じ込めるキンジィの胸板に手を置いてぐ、と押しのけようとするが、自力でこの長身を突き放すことは全く無理なようだった。
「ねえ、ブライトちゃん」
実を結ばない抵抗を楽しむように、びくともしないまま、キンジィが悠々と顔を覗き込んでくる。
「おれはさ——用意してあげたいんだ、きみに」
「用意……」
「新しい人生を」
「……」
またこの手の話か——と、言葉にするより前に徒労感が湧き起こった。一歩間違えば厄介な集団に拉致されてそれを引き金に戦争が起きかねないという事態と戦っているときに、聞きたい話ではなかった。
ブライトはキンジィが口を開こうとするのを待って、すかさず機先を制する様に言葉を突き刺しにかかった。
「メイ・ウチフヅと結託を?」
「どうしてそう思うの?」
「言ってることが同じだ」
「あいつが言いそうなことだね。でも、一緒にされたくないな」
せせら笑って、キンジィは取り合わない。ブライトは痛む背中をコンテナに着けて改めて呼吸を整えてから、一つ余計にため息をついた。
「誰かに言われたな。君の言葉じゃない」
キンジィの眼が、狙うように細められた。苛立ちが笑みを含んだ声に滲む。
「子供が何か言うたびに、そうやって封じ込めてきたのか? マフティーの、地球から人間を追い出すなんて言うのも——正直無視できないくらい、誰かの受け売りすぎて。聞いただけで笑っちゃった奴だって、いたんじゃないかな」
「……誰かに影響を受けるのと、誰かに言わされるのとは違う」
もはや明確な悪意を隠さないキンジィの言葉に、ブライトの心はむしろしんしんと冷えて凪いでいく。
この局面でとってつけたような悪意を剥き出しにしてきたキンジィには、どこか痛々しいようなものを感じていた。
結局のところ、情報を共有するためにブライトを呼び出したわけではないのだろう——この少年はブライトから、ただ自分が望む言葉を引っ張り出すために、会いに来たのだ。
実のない時間だ、と冷めた心地で、ブライトは判断していた。
「おれはさ、ブライトちゃん——……」
キンジィの長い指が、ブライトの髪を一束掬い上げた。
「きみが可哀想で、見てられないんだ。どうしようもなく使い潰されて、貶められて、何もかも失って……そして、新しい人生を生きられるかもしれないって時に、まだずっとその台無しになった人生に拘り続けてる」
「……」
「老醜、っていうのかな、そういうのって? 年を取ったらやり直しが利かなくなるから、頭が固くなるのだって仕方ないかもしれないけど……だとしても君に起きたことは、特別だろ。またとないチャンスじゃないのか?」
(言ってくれる……)
髪を弄ばれながら、ブライトはさすがにちりちりと苛立ち、波立つ自分の感情を冷静に自覚した。
キンジィはウチフヅとの繋がりを否定してはいるが、言っていることは結局のところ同じのように思えた。ブライトの何かを欲し、その見返りとして「ブライト・ノアであり続けなくても良い」という『福音』を差し出してくる。そんなものが救いになるはずがないというのに。
そんな言葉が、十七歳の少年から出てくるというのも大分不自然に思える——ブライトに対して「新しい人生を用意する」とまで言い切ってきたとすると、なおさらだ。
ふと、思い出す——リディ室長の言葉。
『聞くだけ聞いてくれたらよかったのに』
身もふたもないが、一理ある。
(聞くだけは聞いてやったほうがいいか……おれのためにも、この子供のためにも)
キンジィの指が顎の下に差し込まれ、顔を上げさせる。
されるがままに視線を上げ、ブライトはキンジィを見据えた。
「新しい人生というのは……何を用意しているんだ?」
「興味が湧いてきたって顔じゃなさそうだけど」
「君がおれに話したいことなら、耳を傾けてやろうと思っただけだ」
キンジィの瞳が一瞬、視線を外して上向きにふらふらとぶれる。
何かに教えを請うような——
そこにない何かが、キンジィの振る舞いを既定している。その何かが望むことなのか、望まないことなのか——それだけがキンジィの方針を決めている。先走りすぎた推測は危険だが、決して的外れではなさそうだ。
キンジィの眼はすぐにまた、その指が捕らえたブライトの顔を覗き込む。
「一緒に来てほしい。おれと一緒にいてほしいんだ」
「君と?」
「ママも、それを望んでる。おれがきみの傍にいて、きみを守り、きみと結ばれ、新しい……次の世界を紡ぎ出すことを。呪わしいわだかまりは全部捨てて、一緒に行こう。今までのきみじゃないきみになろう。もう何もきみのことを傷つけることはない。きみのことを万雷の祝福が待っているって、そう想像するんだ」
「つまり」
熱を帯びていくキンジィの声に水をさすように、ブライトは冷たく口を挟んだ。
「君の母親が、おれの身柄を欲しがって、君に懐柔を命じた?」
「違う!」
荒げた声に動揺が滲む。顎に添えられていた手がいつの間にか離れたと思えば、胸ぐらを掴んで引き上げている。体格差のせいでひきずられる形になり、スリッパから踵が少し離れた。
切迫した光が揺らぐキンジィの眼を見上げ、ブライトは質問を重ねる。
「母親はアナハイムの人間か? おれに接触しろと言ったのか?」
胸ぐらをつかむ拳が着衣をしっかりと巻き込んできたせいで、喉笛が締まってきた。うっすら息苦しさを感じるうちにも、苛立ったような震える笑いが鼓膜を叩いた。
「安直だなァ! 子供が、誰かに押し付けられた言葉を話すだけのマシンだとでも思ってるの? あはっ……きみの息子はそうだったかもしれないよな! シャア・アズナブルの残した影法師を追いかけて、テロなんてことまで——」
「君の望みだとは思えない」
「おれのことなんか何も知らないくせに……!」
キンジィの絶叫は、声量自体は大したことはなく、半ば以上はかすれて吐息にまぎれていた。
つまり、図星ということなのだろう——なら、これ以上キンジィの意図を確かめることに意味はない。キンジィの母親が、この局面でキンジィを動かしてきた意味。探るならそこから探るべきだ。
そろそろ離せ、と意思表示のつもりでキンジィの手首を掌で軽く叩くが、それに呼応するようにさらに強く絞め上げられるだけだった。
「きみがブライト・ノアだから……戦争の中で何人もの子供を使い潰して死なせてきたような大人だから、子供が自分の意見を持ってるってことさえ信じられないんだろ……?」
「……よく知ってるな」
呟くように言った途端、がぁん、と音を立てて背中と後頭部をコンテナに叩き付けられる。
視界が明滅して星が飛んだ。焦げ臭いような異臭が一瞬鼻の奥にちらついて消える。視界が妙に暗く沈んで、すぐには目の前のキンジィがどんな顔をしているのかさえわからない。
虚弱すぎる——近づいてくるキンジィの影を見上げたまま内心で毒づいて、ブライトは砕けかけた膝に力を入れ、なんとか姿勢を持ち直した。
「戦争の中で多くの子供を知ったからこそ、分かったこともある」
倒れそうに見えたのか、キンジィの力強い手が肩を掴んで引きずり上げた。
大人しくそれに従ってコンテナによりかかりながら、ブライトは続けた。
「子供は大人の思い通りになるものではないんだ。上官であっても、親であっても」
視界が定まり、キンジィの表情がおぼろに見えた。
なぜ、こんな顔をするのだろう——あまりに無垢に、真摯に。祈るような、縋るような。
皮肉な思いだった。自分を前に、何かを祈る子供がいるというのは。自分がどんなに祈ったところで、何にもなりはしなかったのに。今まで、一度たりとも。
その無為な祈りを超えて光を齎すものこそが、いつだって子供だった——ニュータイプ。まだ来ない新しい世界の息吹を纏った、揺らぐような美しい瞳の少年たち。
「従順に、わが身を顧みず、母親の言うことを果たそうとしている——それが、君なら。キンジィ・マォンなら……」
キンジィの眼が見開かれ、食いしばられる歯の軋みすらわずかに耳に届いた。
威嚇している——その先を口にするなと。
ブライトは息を整え、はっきりと言い切った。
「君は、子供になることすら許されていないんじゃないのか——」
がんっ——
耳のすぐそばで音を立てて、振り下ろされた拳がコンテナの壁を叩いた。
強い衝撃を伝えた金属板が、しばらくびりびりと鳴り続ける。
叩きつけた拳に縋るようにキンジィは俯き、表情の失せた虚ろな瞳でブライトを見ていた。
「おれは、役に立ってるから、子供でいられるんだ……ママの子供で」
「色々な家庭があるとは思うが、その言葉はまるで——」
「うるさい!」
ブライトの言葉を遮るように、キンジィが声を上げた。
それはほとんど、悲鳴に近かった。
「……君を……ブライト・ノアを、本当に可哀想だって思ってるんだ。本当だよ。他の誰でもないブライト・ノアにこの現象が起きて、それまで抱えてきた全てと決別する機会が得られたのは、ただの偶然なんかじゃない……ずっと残酷過ぎた神様が、最後に少しだけ微笑んで、きみに奇蹟をくれたんだ。おれは、そう思ってる——」
不安定に震える声が、口早にまくしたてる。
「あとは、きみが捨てるだけなのに……それだけで、変わるのに。そんな簡単なことが、なんでできないんだ!」
「……」
捨てる。人生を。まるで、使い古した日用品のように。
その言葉がこれほどの情熱とともに出てくるのは、単にキンジィが若いからなのか……あるいは。
(自分の思うように生きることすら、一度も許されなかったから——そう思えてきたな)
ブライトは俯き、わずかの間目を閉じた。揺らぐ金色の瞳を見つめ、耳に届くキンジィの弾む呼吸が落ち着くのを待って、口を開く。
「キンジィ。君は、捨てたいんだな。それまでの生き方を——」
「……」
キンジィはしばらく絶句していた。この薄暗がりで、キンジィの金色の瞳は淡く光すら放っているかのように際立っている。丸く、大きく見開かれた目が、痛みを感じたように狭められた瞼に歪められて形を変え、そして閉じられた目に隠されて——すぐさままた、大きく見開かれる。
壁に置かれたままの手が、強く拳を固める動きが伝わってきた。
「女を黙らせる方法は幾らだって知ってるけど、ひとつひとつ試す時間ははなさそうだな」
震え声を妙に上機嫌に上ずらせて、キンジィは言い放つ。
拳に一度体重をかけてから、その長身が揺らいでブライトから離れた。
「君は必ず、おれの手を取る。ブライト・ノアであることを捨てて——おれと結ばれることを選ぶ」
縋るように、あるいは呪文を唱えるように。キンジィの声はどこか茫洋と響き、目の前のブライトに話しかけている様子さえなさそうだった。
ふらふらと離れたキンジィが、思い切ったようにブライトに背を向け、小走りに立ち去っていくのを眺めている。
ブライトはその足音が聞こえなくなるのを待って、今更悪夢のように痛み出した背中を感じ、小さく唸ってその場にずるずると滑るように座り込んだ。
(ナイジェルに連絡を……キンジィが母親の意向で動いているのは確かだ)
自分を奮い立たせようと次にやるべきことを一つ一つ思い浮かべるが、しばらくは痛みで動けそうにない。浅く途切れる息を整えながら遠すぎる暗い天井を見上げ、ブライトは額の汗を無造作に掌で拭った。
この異常な変容が起きたからこそ、より深く自覚しなければならなくなった。自分がブライト・ノアであることを、その四半世紀の軍歴の重みと共に。
(だからこそ、おれが出来ることを、やるべきことを……後悔のないように)
後悔のないように。
それこそが最も難しいと、ブライトはよく知っていた。