「この星のために、お前たちは死ぬべきなのだ」と——
そう宣告されたとき、メイ・ウチフヅはまだ7歳だった。
メイ・ウチフヅは地球の富裕層の家庭に生まれ、何不自由なく育った。
並外れた勘の鋭さから来る不安定な情動と頭痛の発作を危ぶんだ両親に、脳外科に連れていかれたこともあったが、それも成長と共になりを潜めていった。
誰かから見て汚れ、疲弊し、悲鳴を上げている星は、彼女にとっては満ち足りた日常の舞台にすぎなかった。
朝日の清らかさも、空の青さも、夕焼けの赤さも、自分たちを責めているもののようには思えなかった。
断罪の槌のように最初の星が落ちた日は、ピアノの発表会だった。少女の指が「カントリー・ロード」の最後の音符を弾いたとき、星が落ちた地の、名も知らない子供たちの捩れた肺が、最後の吐息を吐き出したのだと——恐ろしいニュースが明滅するモニターを見ながら、メイは思わずにはいらなかった。
シャア・アズナブル。憂えるような端整なマスク。底知れない知性と生命力を漲らせた美しい声。短い映像の中の男は、まるで人類の罪を読み上げる天使のようで——
「この映像に、宇宙じゅうの人が熱狂してる。地球に隕石を落とすことを、あまりにも多くの人が歓迎している。誰もが、お前たちは死んだほうがいいって、そう思ってる」
呟きは喧騒に溶けて、誰も耳を傾けることはなかった。
それでも、少女は語り続けた。
「この星に生まれて、7年間生きた罪で、わたしは殺されるのかもしれない」
死にたくない、でも、生きたい、でもなく。
不思議な気持ちだった——
「悪い事なんか、なにもしてないのに」
ダカールの夜空に裁きの火球が現れた時、メイは父と母に寄り添い、リビングに置かれたモニターを食い入るように見つめていた。
その映像は途中で不自然に途切れ、環境映像に切り替えられて——結果から言えば、世界は終わることなく続いた。
アクシズショック——のちにそう呼ばれる歴史的事件の、それはほんの一端だった。
極光の彼方に呑まれた英雄と虐殺者。その暖かな光を見た者が語る、「人の心」の可能性——
それは、声なき声を聞き、時を超えた世界を知覚するメイにとって、目が眩むほど輝かしいものに違いなかったが。
その狂騒の中、メイは別のことを考えていた。
「あの奇蹟に至るまでの道筋を、どれだけの人間が繋げていったのか——」
そう。
誰もが、自分たちの死を望んだわけではなかった。
寂しい無音の宇宙で艦とMSを駆り、地球に叩き付けられようとしている小惑星に立ち向かい、その命を燃やそうとした男たちがいた。
君達は生きていていいのだと——彼らはその気高い戦いを通して、教えてくれたのだ。
地球のいたるところで巻き起こるけたたましい報道と混乱の中、《ラー・カイラム》クルーへの数少ないインタビュー映像がメディアに乗ることになる——。
〈現場の奮起により、最悪の事態を免れたものと認識しております〉
〈当該の発光現象については、今もって事実と異なる報道が多く為されているものであります。無用の混乱を起こさぬよう、地球の人々には節度ある振る舞いを期待したいものと考えております——〉
硬い表情と冷ややかな眼差しで語る、ブライト・ノア大佐。
ニュータイプとサイコマシンが引き起こした奇蹟の証明を、彼は否定した。人類の可能性を描いた光など、あの夜空にはなかったのだと、その理知的な眼差しが強く主張していた。彼の声が一音一音鼓膜を叩くたび、その痛々しい叫びがメイの魂に届いた。
「嘘をついてる」
語り掛けるように言って、メイはモニターに触れる。うっすらと熱を持った液晶の向こうで、ブライト大佐の黒い瞳がフラッシュを映して一瞬だけ白く焼けた。
「あなたほど強く、祈るように、直向きに……新しい世界と、温かな奇蹟を信じる人なんていないのに」
連邦が抱えるニュータイプ信仰への過剰な警戒や、多くのニュータイプを率いてきたブライト大佐を取り巻く政治力学など、メイには分かるべくもなかった。その嘘をブライト大佐が口にすることがどれほどの意味を持ち、地球連邦を利することになったのかまで、思いを馳せることなどできなかった。
ただ、感じたのだ——
「あなたが救った
メイ・ウチフヅは、誓うように囁いた。
「そうじゃないと、つり合いが取れないよ。そうでしょう?」
ロンデニオンのホテルの一室で、メイ・ウチフヅはシーツの上に手脚を投げ出し、息が詰まるような沈黙の底に横たわってきた。
(市街地での実力行使。ブライト・ノアの確保は失敗した)
ガソリン車を用いた強襲、人員を投入しての誘導と捕獲。ブライト・ノアを確保しさえすれば数十分の間に速やかにコロニー外への搬出が可能になるように手筈は整えていた。計画は完璧だったはずだ。
あれだけの人員で凌ぎ切ったのは、それだけ実験部隊の練度が高かったということか……そこまで思案して軽く首を振る。
(ナイジェル・ギャレット……見誤っていたとしたら、こっちのほうか)
どちらにしても、もはや大した違いではない。今この時にナイジェルがどこまで食らいついてきているのか確かめる術はないが、これまでのようにはいかなくなるのは確かだ。
どんな状況証拠が積み重なっているにしろ、確証は得られていないはずだ——それが唯一の強みではあった。自分の後ろにあるものを探り出すために、彼らは慎重にならざるを得ないだろう。
(私が動きを見せれば、一度はそれを静観するはずだ——それが最後の機会になる)
その『動き』こそが、明日の午前中にセッティングさせた『面談』だ。
ブライト・ノアと、ニチテ・サウザン。二人と接触し、その動向を外部に見張らせて私兵を動かす——
不確定要素の多い作戦だが、失敗は出来ない。
変容を引き起こしたニチテ・サウザンも、その実例であるブライト・ノアも、取りこぼすわけにはいかないのだ。
起き上がり、窓辺に近づく。
コロニーの夜を街の灯りが彩り、エレカのライトが光列を作ってゆっくりと動いている。
「
どこか焦がれるような思いで、メイ・ウチフヅはその言葉を呟いた。
全てはその名のために、彼女は動いていた。
古い歌をとって名付けられたその名。老いず、朽ちず、欠けない、新たな世界へ繋がるきざはし。虐げる者も、虐げられる者もいない地平の向こう。
「その向こうに、あなたを連れていきたい。それだけなのに……それが、とても遠い」
焦がれるように、呼びかける。
「待っていて、ブライト・ノア」
吐息が窓を曇らせて、夜景を白く塗りつぶす。ごく狭い乳色のキャンバスに、来るべき明日が儚く描かれた気がして、彼女は切ない思いに浸るように目を細めた。
ニチテはタオルケットを抱き締めて、説教部屋の床を激しくローリングしていた。逸りすぎた情熱が全身から溢れそうで、一秒たりともじっとしていられなかったのだ。
その原因は、もちろん少し前にブライトと交わした言葉にある。
(おれと一緒に食事したいって! ブライトが……朝一番っていうのはびっくりしたけど)
要は謹慎明けに話を聞きたいというだけのことかもしれないが、彼女と一緒にいることを喜ぶ気持ちに歯止めは掛けられない。
ばった、ばった、と両脚をばたつかせて硬い床に顔面を押し付けているところへ、心臓が跳ね上がるほどの容赦のない打撃音が響く。
どんっ、ばんっ。
「うるせーぞ、ニチテ!」
「キンジィ!」
ニチテは床から飛び起きてタオルケットを放り投げ、金属の扉の格子窓ごしに見える長身の同僚の顏を仰ぎ見た。
「何に浮かれてるか知らねえけど……」
「おまえには教えない!」
「誰が教えろっつったよ。うるせえって言ってんの!」
金属扉を隔ててやかましく言い合い、キンジィが大きくため息をつく。
「まったく。最後までその調子かよ、てめーは……」
「最後って?」
「この隊を離れることになったから」
一度調子を落ち着けたキンジィの言葉に、今度はニチテが声を張り上げて叫ぶ。
「な、なんで!? キンジィが? おれじゃなくて!?」
「クビになったわけじゃねえよ。アナハイムからの出向組なのは知ってるだろ? 月に帰れって言われたの」
「月に……そうか」
ニチテは床に座り込み、項垂れた。
「シミュレーターの成績も、格闘訓練も負けっぱなしだ。悔しいな」
「あー、まあ。お前、負けるべくして負けてるからなあ」
「なんだよ、それ!」
反射的に噛みついてから、ニチテはどこか切ないような、虚しいような気持ちを押し殺すように胸の前に拳を固めた。
「……何が足りなかったんだと思う? おれに……」
「殊勝じゃねえか。もう出ていくおれに教えを請いたいって?」
「だって、いつかまた勝負するかもしれないだろ」
どん、鈍い音がした。キンジィが扉に背中を預けた音だ。
「そうねえ……」
皮肉気なせせら笑いが、その声に短く続いた。
「お前、敵を見過ぎなんだよ」
「見すぎ?」
「生身の虹彩にしたってMSのメインカメラにしたって、動きが意外なくらい目立つ。よーく見て敵の毛穴まで見えたって、ドンパチやってるときは意味がねえ……そのくらいはわかるだろ?」
ニチテは不可解な気持ちで口を挟んだ。
「でも、見なきゃわからないだろ」
「見ても分からない時の方が多いと思うけどな」
そう言われてしまうと、言い返すに言い返せない。ぐ、と唸って黙り込んだニチテの様子にいくらか上機嫌になったらしく、キンジィはすらすらと続けた。
「情報を広く拾って、取捨選択する。戦闘っていうのはそれの連続なんだ。感覚情報を知覚神経への刺激点ではなく、広がる網として捉える……自分の中に張り巡らせて、一気に投射する。できるはずだぜ……ニュータイプなら」
「すごく難しいな……でも、お前が普段の意地悪でキザなところを出さずに、おれに分かりやすい言葉をめいっぱい選んで苦労しながら話してくれてるのも分かるから、頑張って分かろうとしてるとこだよ」
「……全部言い過ぎなんだよ、お前」
むすっとしたキンジィの声を笑うでもなく、ニチテは真剣にその言葉をかみ砕く。
実際、シミュレーターを用いた訓練にしても、単純な反応速度やしぶとさではニチテに分がある局面はたびたびあった。だが、キンジィは何かにつけて隙がない。綻びがあれば必ず見つけ、誘いにはぎりぎりまで踏み込んで肩透かしを食らわせてくる。手堅さと狡猾さが、この年上の戦友を強力な戦士にしていた。
網のように投射される感覚神経——
感覚の拡張もまた、ニュータイプの精神が為せる業だというなら、その境地すら通過点に過ぎないのかもしれない。
「キンジィ」
「なんだよ」
「すぐ出ていくわけじゃなさそうだな」
「……」
ぽつりと投げかけた問いに、ドアの向こうのキンジィは明らかに動揺し、沈黙を守った。ニチテはタオルケットを膝の上に引き寄せて、呟くように指摘した。
「何を話したらいいか、戸惑ってる。何か隠してるんだ」
「こんな時ばっかり勘のいいとこ見せんなよな」
「なんだよ、こんな時ばっかりって!」
ニチテは怒りに声を荒げ、ドアを見上げた。
廊下の白々とした光は、何にもさえぎられることなく鉄格子の狭い窓から差し込んでいる。
既にそこに立っていた長身の影はなく、足音さえ聞こえなかった。確かにそこにあった騒がしさが突然失せた、奇妙な喪失感がそこに残っていた。
それすら、数秒もすれば霧散して——彼がいなくなったことに、違和感さえ催さなくなるのだ。
別れとはそういうものだと、ニチテもよく知っていた。
「キンジィ……」
呟くように、呼びかける。
キンジィは、もうそこにはいない。
しかし、これが最後ではないのだろう、と——
友との再会への希望と言うよりは、振り払い切れない腐れ縁を笑うような気持ちで、ニチテは確信していた。
キンジィは昨晩のうちに影のように姿を消し、所在が知れない。
アナハイム側はナイジェルからの問責にも沈黙を守っている。
そして、メイ・ウチフヅとの対面がこの午前中に予定されている——
(当然、ウチフヅはおれの確保に走るだろうが……)
ブライトは思案しながら、渡された物理鍵の束を指先でちゃらちゃらと回して選んだ一本を持ち直し、『説教部屋』の前に立った。
(それも織り込み済みで、取り押さえて尋問を……おれを捕まえてどこかに送るつもりなら、そのルートも見つけられるはずだ)
見通しが悪い——あやふやであいまいな状況に若干の苛立ちを覚え、ブライトは顔をしかめた。鍵穴に鍵を差し込み、ドアの向こうに呼びかける。
「ニチテ、所定の時間だ」
「は、はいッッッ!!」
ドアの向こうで既に身構えていたようだ。朝早く静まり返った隊舎で迷惑なほど騒がしい声が返ってきて、キン、と痛んだ鼓膜を持て余すように軽くかぶりを振る。
「声を抑えろ」
鍵を回してドアを開くと、完全に着替えて髪まで整えたニチテが弾丸のように飛び出してくる。
「おはようブライト! その、えーと、いい朝だね、静かで」
「静かだったな、さっきまでは」
「静かな方が好き?」
「死んでないことが分かる程度には、騒いでもいい」
「優しいね」
「……」
私室の一つの前を通り過ぎると、ドアの隙間の向こうから廊下を覗いている少年たちと目が合った。特に話しかけることも合図をすることもなくその前を通り過ぎる。
「あの、おれがワッパで轢いちゃった奴らなんだけど」
「轢いちゃった、か……一命は取り留めたようだ」
軽すぎる言葉だが、そうとしか言いようがないのも分かっていた。
3人の襲撃者は全身挫滅で漏れなく意識不明、尋問が出来る状態ではなかったが差し当たって死亡はしていない。所持品に身元が分かるようなものもなかった。
「何か言ってた?」
「『死ぬ』とは言ってたみたいだが」
「良かったね、死ななくて!」
「……そうだな」
色々と自分を強引に納得させて、ブライトは大人しく頷くことにした。
実際のところ、轢かれた男たちの容態は今は問題ではない。ニチテがどのように思考し、あの行動に至ったのかを明らかにしておく方が先決だ。
ニュータイプの子供は千差万別で、一筋縄ではいかない——つまりは、ニュータイプではない子供と同じということだろうが。あの衝突を経た今なら、ニチテの特性を少しでも理解しやすい形で知ることができるはずだ。
きらきらした眼で自分を見下ろしているニチテを横目に見る。ニチテは小柄だが、それでも今のブライトよりは明らかに目線の高さが上に遭った。
「ニチテ。君は、あの襲撃の時——」
不意に立ち止まったニチテは、二歩ほど後ろでぽかんと佇んでいた。
ブライトは怪訝な思いで立ち止まり、振り向く。そのあどけない顔に警戒の影が走り、大きな瞳が緊迫した光にぱっと閃くのを、ブライトは見た。
「ニチテ——」
「ブライト、走ってッ!」
鋭い命令と共に、ニチテの体は撃ち出されたように飛び出した。真横をすり抜けた一瞬で正確にブライトの右手首を掴み、ほとんどバランスを崩してつんのめりかけるブライトに構わずそのまま初速にますますブーストを掛けて疾走する。
明確にひきずられ、よたついて、ブライトはそれでも転ばずにニチテに追随する。
どう——……っ!
遠い地鳴り。何かを踏みしめたような——聞きなれた衝撃音だ。二つの衝撃源、その間で有機的に重心がラリーされて続く、この音は。
「MSの足音……!」
ブライトが息も絶え絶えに、そう叫んだ瞬間。
駆け抜けたばかりの廊下後方で、壁が爆発するように弾け、濃灰色の金属塊が突き刺さるように現れた。
関節部分にわずかに覗く機構部分。巨大すぎてわかりにくいが、上方を見ればわずかに丸みがついていることが分かる。それがMSの前腕部だと分かった矢先に、ニチテがブライトの肩がすっぽ抜けるほど腕を引っ張る。
「転ぶよ! 前見て! ハンガーに!」
「メイ・ウチフヅ——このタイミングで!?」
「階段!」
ニチテの叫びにひとまず思考を凍結し、ブライトは隊舎の階段を滑り落ちないように駆け下りて行った。
建物の壁に反響しているのか、音源自体が複数あるのか、振動はいたるところで鳴り響き、塵と破片がばらばらと落ちて床を叩いていた。