少女の名は、ブライト・ノア   作:6451hole

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5.The Few and Far Between

恐ろしいほどの沈黙だけが部屋を満たしていた。ブライト・ノアという名の少女はまるでその聡明な知性も毅然とした態度も突然シャットダウンされてしまったかのように、完全に黙り込んで抜け殻になってしまった。

ニチテは心から心配になり、ただブライトを見つめていた。

 

 

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青ざめたように白い横顔は、とても儚げで繊細だった。黒々とした長い睫毛が震えている。一枚の繊細で悲劇的な名画のような、胸が痛くなるほど美しい光景だとニチテは思った。

いつまでも見惚れていたい……そう思って、すぐに思い直した。

 

(……ブライトがいくら美人で絵になるからって、ショックを受けたままほっとかれていいはずがない。誰かに守ってもらうべきなんだ)

 

ニチテはずいと踏み込んで、女とブライトの間に立った。女はテーブルミラーを畳んでブライトのベッドの枕元に置き、静かにニチテを見返す。

自分に上背で勝る女の眼を、ニチテは堂々と胸を張り睨んだ。

 

「ブライトは疲れてるみたいです。聴取は明日でもいいでしょう」

「あなたが決めることではありません」

「せめてお医者さんに聞くべきだ!」

「ドクターに許可を取ったからこの聴取を行っているんです」

 

女は一歩も引かないようだ。ニチテを押しやりこそしないが、不穏な緊張感がじりじりと漂っている。強硬に妨げ続ければ、聴取を続けるためにニチテを恫喝することももちろん辞さないだろう。

この空気はもちろん彼女にも伝わっているはずだ。ただでさえ傷ついているのに、不安がらせてはいけない。ニチテはベッドの上のブライトを振り向き、声を上げた。

 

「ブライト! 怖がらなくていいんだ、大丈夫だから」

「……」

 

ブライトの黒い瞳がゆっくりと上がり、ニチテを見た。だが、どこか焦点が合っていないようにも見えた。ぼんやりと瞳はひどく無垢で、それだけに痛ましく感じられた。

白く細い喉がひくりと動く。すぐさまニチテは女へ視線を戻し、言った。

 

「せめて、ブライトにお水を飲ませてあげてください。明らかに普通の状態じゃないことくらい分かるはずです」

「……こちらに」

 

女は静かに言って、ベッドのわきに置かれた背の低い冷蔵庫を指さした。ニチテが近くにしゃがみこんで扉を開けると、確かに飲料水のペットボトルが入っている。

その一つを手にしてプラの蓋を捻じり、ニチテはブライトに近づいた。

 

「ブライト、お水だ」

「……ああ」

 

白く清らかな手が水滴に濡れながらペットボトルを受け取る。一度は手に取ったそれを、ブライトは持て余すように少し滑らせた。まるで「指の長さが足りなくて困っている」とでもいうように。

桜色の唇を微かに噛んで、その両手でしっかりとペットボトルを持って口に運ぶ。大人びた少女が見せる子供のような初々しい所作に、ニチテの胸は熱くなるばかりだった。

 

(不器用なところも可愛いなあ……)

 

水を一口、二口、と飲み下して、ブライトはゆっくりと息を吐きだす。

ペットボトルの蓋をしっかりと閉めてベッドに無造作に転がしてから、濡れた下唇へと人差し指で軽く押し込むように触れ、言葉もなく俯いている。

飲み物を飲むたびに蓋をしっかり閉めるのは、無重力環境が骨身に染みついた人間か、あるいはよほど生真面目で育ちがいいかだ。ニチテは後者なのだろうと勝手に決めつけていた。

この子はいったい、どんな子なんだろう? 彼女を見れば見るほど、好奇心が止まらない。彼女についてもっと知りたいと、奥底からの衝動が自分を突き動かそうとしている。

 

「お話を続けても?」

 

女が冷酷に告げる。

ニチテが女を再び睨みつけるのをよそに、ブライトが静かに答えた。

 

「まだ肝心の話を聞いていない。私が話しただけです。説明を聞かせていただきたい」

「ブライト、無理をしなくたって……」

「ニチテ」

 

ブライトの声が一段低められる。

 

「黙っていろと言ったはずだ。次に騒いだらただでおかんぞ」

 

苛立つような鋭い光がその黒い瞳に宿った。冷たく硬直していたブライトの顔に表情の彩が宿ると、その生気がますます彼女を愛らしく魅力的に見せる。

ニチテは小さく息を詰め、黙り込んだ。

自分が間違っていたのかもしれない。

彼女は賢く、強い女の子だ。疲れていても、ショックを受けていても、自分に何が起きているかを正確に知らずにはいられないのだ。なんて気高く、尊い心の持ち主なのだろう。

 

「……」

 

大人しくなったニチテを、女の手が力強く脇に押しのけた。

 

「民間人であるあなたに説明できることは多くありませんが、あなたは連邦軍の機密を目撃しました。しばらくはこの施設内で生活してもらうことになります」

「湖に落ちたモビルスーツ……私は純粋に救助を試みただけだったが」

「ご協力に感謝します」

 

ニチテは女の紋切り型の言葉に怒りを覚えるが、ブライトは至って落ち着いているようだった。

一度静かに頷いて、女の目を真っ直ぐに見る。

 

「家族がいるんです。形式は問わないので、連絡を頼みたい」

「手紙をお届けします。便箋とペンはそこの引き出しに。内容はこちらで一度確認します」

「それで構いません」

 

確かに、こんなにちゃんとした子がいつまで経っても帰らないなら、お父さんとお母さんも余計に心配しているだろう。ニチテは胸が痛む心地がした。

そんなニチテの内心をよそに、ブライトは淡々と、女に言葉を突きつける。星空のようにきらめく黒い瞳が、女を静かに映している。

 

「状況についての説明はできない、これからこの施設内に……『保護』される。期間については決まっていない。私が聞ける話はそれで終わりのようですが、まだ何か」

「ここからは、確認が必要です」

「確認?」

 

女は頷いた。

 

「あなたに何が起きたのか。お話いただければ、こちらから出せる情報もあります」

「取引……というわけでもなさそうだ」

 

ブライトは女の反応をしばらく待つ。まるで微かな反応からでも情報を読めるといわんばかりに。数秒のその空白の結果何を得たかは分からないが、ブライトは僅かに目を伏せて思案し、話し始めた。

 

「宇宙を見た。時間の流れが折り重なっているような不可解な場所の概念だと感じた」

「前にも、似たようなことは?」

「ない」

 

重々しく、ブライトは言う。

そして何かを噛み締め、その苦さを味わうように、どこか悲痛な声音で付け足した。

 

「ついに、一度たりとも、なかった。あの時まで」

「……」

 

それは確かに、ニュータイプであるニチテには言外に伝わる感覚の話ではあった。彼女もそうなのだろう。サイコフレームの暴走がその手の感応を引き起こしていたのだろうか?

だとしたら、とニチテは思った。

 

(あのとき、ブライトと繋がって、分かり合えたらよかったのに——変な意味じゃなくて)

 

女はその情報を精査するように、眼鏡の奥で冷たい瞳を光らせる。

 

「あなたの所持品から見つかった身分証明証は確かにニューハンプシャーシー4区在住の男性のものでした。生年月日、氏名も供述と一致します。また、様々な要因から、あなたが強奪した身分証明証で身元を偽っている犯罪者である可能性は低いと判断しています」

 

男性。生年月日。犯罪者……。

 

(何を言い出したんだ……?)

 

ニチテは理解が追い付かず声を上げかけ、ブライトに睨まれた。

ブライトはゆっくりと嘆息し、自分の華奢な手を見下ろす。

 

「あの機体に取りつき、コックピットを目指したときに光を浴びた。一時的な失明状態で先述の状態に陥って、姿勢を保てなくなり、落水と共に意識を失った。覚えている限りではそれがすべてです」

「光……サイコフレームの発光現象ですね」

「それについては……私からは、何とも言えませんが」

 

ブライトは無表情にそう伝えた。

女は眼鏡のつるに触れ、それをくいと持ち上げた。室内に満ちる太陽光が乱反射し、その冷たい瞳をつかの間隠した。

 

「サイコフレームによって引き起こされる過度の共振現象が肉体に影響を及ぼした例はすでに確認されています。ただ絶対数が少なく、系統立てた理解は困難な状態と言えます」

「起きうることだが、何が起きるかわからない……そう言いたいのか」

 

サイコフレームの暴走がブライトに影響を与えたようだ。ニチテの理解が追い付いてくる。ニチテを助けようとした段階で45歳の男性の身分証明証を持っていたブライト。そして、その肉体に何かが起きたという話をしている。

その先のもう一歩を踏み込んで理解を進めるより早く、女が口を開いた。

 

「あなたがブライト・ノアならば、我々は今のあなたが為すべきことを用意できます」

 

ブライトの目がゆっくりと見開かれ、そして光を追い出すように伏せられた。

 

「私がブライト・ノアだからこそ、もう出来ることなど何もないんだ」

 

その声は、ひどく寂しく響いた。

少女の横顔は厳しく、虚ろだった。淡く色づいた唇が、それ以上の言葉を発することに疲れたようにそっと閉じられ、黒髪を揺らして細い首を振る。

ニチテは女を見上げた。女の凍り付いたような横顔は、今の言葉に何を含んでいたのかすら読み取らせない。だが、女の言葉がブライトを傷つけているのは間違いないように思えた。

それに怒りを覚えるのは、言うまでもなかったが——

ニチテは声を上げて騒ぐのを、もうやめることにした。

ブライトのベッドに近寄り、その澱んだ瞳が見下ろしている華奢な手を掴む。

 

「……なんだ」

 

全く驚く様子もなく、ブライトはニチテに視線をやる。

冷え切ったかのように静かな声音だ。

不意打ちになってしまうと思ったが、こうなってくると、自分の方が緊張してしまう。ニチテは心臓が高鳴り、声が上ずるのを感じながら、動揺を押し殺してブライトを見つめた。

 

「おれは、きみに何があったかなんてわからない。おれはコックピットの中にいたけど、マシンに振り回されて、余計なインシデントを起こさないための対策に必死で、きみが何を見て何を感じたかすら分からなかった」

「……」

「でも、グリッチノイズだらけできみの華奢な外見も不格好に大きく映したカメラと、壊れて低い音でしかきみの声を再生してくれない集音システムごしでも、きみは凛々しくて強くて……こう思ったんだ」

 

声に熱が入るのが自分でも分かった。

警告音が響き渡り続けるコックピットで、あらゆる大惨事の可能性がちらつく焦燥の中、ブライトの声を拾った時の安堵感が去来する。

誰かが自分を見ているということ。

自分が直面した難局に、共に立ち向かおうとする人が確かにいるということ。

それは何物にも代えがたい、心の支えだったのだ。

 

ニチテはブライトの目を見つめ、告げた。

 

「信じるに足りるものなんて、この宇宙には本当に少ないけど……おれが今助けを求めたのは、その数少ない、信じるに足りるものなんだって」

 

ブライトの表情は凍り付いたように動かなかった。

しかし、その豊かな睫毛がかすかに揺れ、宇宙の遠景のような深く黒い瞳がはっきりと力を含んで、まるで星を宿したかのように微細にきらめき、控えめに輝いて、ニチテを見つめたのが分かった。

柔らかそうな小さな唇がわずかに開いて、言葉に困ったように吐息だけを短く漏らす。

 

言葉にされなかった想いは、遠い希望のようだった。

 

「……ニチテ」

「うん、何? ブライト」

 

にこっ、と笑いかける。

ブライトは握られた手を見下ろし、言った。その声にはどこか気の抜けたような呆れが滲んでいる。まるで「この手の駄々をこねる子供には慣れっこになってしまった」とでも言うような、不思議な響きだった。

 

「黙れとは言ったが手を握るなとは言っていない……おおかた、そういう理屈だろう」

「うん。もしかしておれのこと、すごくズルい奴だって思った?」

 

手を握ったまま、ニチテは尋ねる。

ブライトは細い指をその手の中からするりと抜いて逃れ、籠る熱を追い出すようにひらひらと振った。

 

「少なくとも……その理屈が通じる相手も、『この宇宙には本当に少ない』だろうな」

 

その唇に笑みはないが、ブライトの声からは、これまでの悲痛な響きが薄れていたようだった。

怒っているわけではない。彼女なりの、精いっぱいの軽口なのだと、ニチテは理解した。

ニチテは照れ笑いを浮かべ、軽く頭を掻いて言った。

 

「きみって、本当に賢い女の子だね」

「……」

 

女が聴取の中断を告げる。ニチテは兵士に引きずり出されるより前に、ブライトに別れを告げた。

 






次回の更新は9月20日土曜日の18時ごろです。


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