オイルサーディンとキノコのパスタ。マルベリーのピューレを掛けたヨーグルトムース。水耕ケールのサラダ。
(重力環境の食事だな……)
ケールの表面に宿るオリーブオイルの丸い珠を見て、ブライトはそう思わざるを得なかった。油や水が水滴になって舞う無重力環境の艦内では、危なっかしくて食べられたものではない料理ばかりだ。
何も言わないうちから同じような食事を対面に置いて座ったキンジィが、頬杖をついてにやにやとブライトの顔を見つめている。気になって視線を返すと、少年は金色の瞳を細めて楽しげに笑った。
「いただきますの前に、名前くらい教えてくれると思ってたけど」
「ブライト・ノア」
もはや自分には階級もない。名前をそのまま名乗るしかない。特に気負いもなく口にした名前に、キンジィは盛大に噴き出して見せる。
「あっは。ナンパされるとそうやってかわしてるんだ?」
「……」
その反応から、キンジィが自分の名を知っているのは疑いようもないようだ。ブライト・ノアは知っていても、結局は目の前の自分とその名前を結び付けることはできない。つまり、知っていたところで何も変わらないということだ。ブライトはフォークを手に取って、キンジィから視線を外した。
「それで、そのブライトちゃんは……」
「かわされたなら黙っていろ」
鋭く一言を突き刺して制する。
鼻面に食らわせるにはそれなりに効果的な言葉だった。キンジィはしばらくぽかんとしていたようだった。ブライトが食事を始める段になって、ようやく我に返ったように声を上げる。
「面白いってよく言われない?」
「堅物だと言われることの方が多いな」
「やっぱり、しっかりした子なんだ。そんな気はするけど」
しっかりした子——ニチテも似たような言い回しをしていた。ブライトは推し量るようにキンジィを見る。こうも続けて聞かされると、その言葉にどこまでの含みがあるかは知っておいたほうが良いようだ。
キンジィはサラダをつつきながら、視線が合うとすかさずにっこりと花開くように笑った。
「気づいた? うるせーんだよね、ニチテが」
「うるさい……君と同じくらいにか」
「うん、同じくらい」
キンジィは上機嫌に声を弾ませる。
慣れない皮肉を更に畳みかける気力はブライトにはなかった。食事を続けながら推測する。どうやらニチテは仲間内で自分のことを繰り返し話しているようだった。その中で繰り返し使われている表現の一つに「しっかりした子」があるようだ。
ニチテとキンジィ。実験部隊のパイロット。二人の関係は自分の現状にどれほど影響を与えるだろうか。どうにも状況の見通しが悪い。少しでも情報が欲しい。
そのためには、この胡乱な会話を続けるしかないようだ。
キンジィがフォークでくるくるとパスタを巻きながら、空いた左手で狙うようにブライトの胸を指さした。
「ニチテの奴が起こした事故に巻き込まれて保護された民間人から、当たり前みたいに被験体にされてる。その時、きみに何かが起きたわけだ」
「……」
「ニュータイプ関連……にしては『どんくさすぎる』気がするけど」
ブライトは言葉の続きを待ちながら、キノコとオイルサーディンをフォークに突き刺した。
「オールドタイプの、非力で、基地内の機器さえろくに扱えないようなありふれた女の子が、ここまで厳重に扱われてる理由って何だろうね?」
「厳重なのか? おれの扱いは」
この場合、聞く権利は自分の方にある。ブライトは開けた口にパスタを運びながら、全く揺れない視線をキンジィに突き刺した。
キンジィは機嫌を損ねた様子もなくあっけらかんと答える。
「きみがいる区画に医療スタッフとニチテ以外が近づこうとすると、制服さんに追い出されるよ」
「……初耳だ」
どうせなら、ニチテも追い返してくれたらいいんだが——
とは口にせず、ブライトは真剣に頷いた。
「だから、ずっときみと話してみたかったんだ」
キンジィの眼はなかなか珍しい外見をしている。肉食獣のように光を多く取り入れる、輝膜状の金色の瞳だ。
残り少ないパスタにフォークを垂直に突き立てて指先で軽く傾けるように弄びながら、輝く瞳を挑発的に細め、キンジィは歌うように続けた。
「湖で運命と出会って、悲劇の変貌を遂げた——そんな、おれたちのオデット姫に」
誰かとの会話の中でこの手のロマンチシズムが始まった時、ブライトはだいたい沈黙を選んできた。曖昧な会話で血を流すように情報や感情を漏らすこと自体が好ましくないうえに、自分には心底向いていないことを知っている。
それは今も変わらない。ブライトは空になった器にこつんとフォークを置いたまま、沈黙を保った。
話したいことがあるならさっさとそれに移れ——鋭い視線でそう示す。
しばらくその視線を受けて沈黙してから、キンジィは吊り上げた口角から白い歯を覗かせた。
「あの《ガンダム》が何を引き起こしたのか、ちゃんと知っておきたいんだ。だから、きみに会う必要があった」
小さなスプーンをヨーグルトムースに沈めてぐしゃ、ぐり、と掻き混ぜながら、さらに続ける。
「おれたちとあの《ガンダム》は、言っちまえば運命共同体みたいなものだからな」
「……よくある話だ」
そう言うしかなかった。
戦場を穿ち、捻じ曲げるほど強力な機体。それがそこにあるだけで、隊の命運はそれに収束していく。望むと望まざるに拘わらず。ブライトにとって、それは変えようのない物理法則のようなものだった。
あの高熱を放つ白い機体もまた、そうした存在なのだろう。
自然と腑に落ちる結論だった。
「ああ、はは? なるほどね。ブライト・ノアなら、そう言うかもな」
キンジィは声を弾ませる。
もはや先を促す必要はなさそうだ。ブライトは食事を終えたトレイを前に音もなく座り直し、キンジィの表情を注意深く観察し続けることにした。
「おれたち実験部隊のやることは、何かにつけて見通しが悪いんだ。増える人員、与えられる装備、決定される施策、ひとつひとつがどこかしらから押し付けられるお仕着せだ。革新といえば聞こえはいいけど——扱いにくいものをとりあえず押し付ける倉庫みたいになってるのは否めない」
「どこかしらから?」
曖昧にさせまいと、ブライトは聞き返す。
「連邦政府、サイド国家、アナハイム・エレクトロニクス、ロンデニオン駐留部隊」
歌うようにすらすらと、キンジィは並べた。
ブライトの眉間の皺が深くなる。
自分の知識が及ばない場所にあり、複雑な権力関係の中に設けられた特殊部隊。そのただなかに突然現れて、ただ実験材料に徹するしかない自分。
情報を得てなお、ますます身動きが取りづらくなるような息苦しさを感じた。
だが、それ以上に——
「君たちのような子供が、そういったデリケートな立場に集められることは危うい」
ブライトはテーブルの上で拳を固め、絞り出すように言った。
キンジィは驚いたように少し目を丸くしてから、強い光の宿る瞳をふと緩めるように笑う。
「十七歳だ。ガキだから出来ないなんて言い訳は、もう通らない歳だぜ」
「……」
「心配してくれるのは分かってるよ。でも、そんな言葉に対して『ありがとう』なんて言えないんだ。ここに来ちまった以上はね」
キンジィは後ろに傾いた椅子をがたんと直して立ち上がり、空になったトレイを取り上げた。
出会った時とは大分違う、真摯な響きが声に宿っている。
「本題は……《ガンダム》の話は、また今度でいい。おれのことを少しだけ知ってもらえたって思ってる。だから、きみとまた話したい」
「そうか」
ブライトはキンジィを見上げ、頷いた。
決然と口を開き、力強く言い切る。
「おれもだ、キンジィ。また話したい」
どんなに絶望的でも、戦況を掴まずに殻に閉じこもり、破滅を待つわけにはいかない。
今必要なのは、判断に用いる材料。
そしてキンジィ・マォンは、ブライトが利用できる、数少ない『舷窓』だ。
ブライトはこの少年から得られる情報に、いくらかの信頼を置くことを決めていた。
キンジィは首に少しだけ角度をつけ、赤い髪を気取った仕草で掻き上げた。甘ったるいような流し目が寄越される。
「気に入ってもらえて、嬉しいよ。ブライトちゃん」
「……」
その視線はどうにも居心地が悪く、ブライトは瞼を伏せて肩を落とした。
ブライトには何ひとつ隠している気はないが、いくら伝えても伝わらないものは仕方がない——それもまた、現状として取り入れるしかないのだろう。