アトランティスの旅行雑誌を作る話。 作:人工肉のステーキ
ネレアという名のその女性は現実離れした美しさの根源ともいえる琥珀色の光輝く瞳をこちらに向けながら案内を始めた。ここから先は限られた人間のみが立ち入ることを許された楽園。いままで足を踏み入れた人間は主要国の政府関係者のみに限られる。
少し緊張した面持ちで彼女のあとをつけると、そこには高級ホテル顔負けの豪華なラウンジが広がってた。
座り心地のよさそうなチェアがあるのはもちろんのこと軽食やドリンク、アルコールを提供するようなカウンターまで備わっていた。
あの展示物の奥にさながらVIPルームのような空間が広がっているとは思いもしなかった。少し唖然としながら一眼レフを構えると、ネレアさんが絹のような声で言った。
「何かお飲み物でもいかがですか?」
「あ、いただきます」
「どのようなものがお好みですか、いかようなものでもご用意できますよ」
「さようですか」
しばし悩む、やがて妙案を思いついた。
「ではアトランティスで人気のジュースをください」
「ジュースですね、炭酸入りになってしまいますが大丈夫でしょうか」
「もちろん」
すると彼女はカウンターに向かって声をかける。
やがて展示スペースで見たような人型のホログラムが天井からビジョンとして照らされて現れた。先ほど見た技術だと既視感を感じているとそのホログラムが、カウンターに置かれたカップを手に取るさまを見て思わず目をこすると同時に声を出してしまった。
「え」
「どうかなさいましたか?」
「え、いや…ホログラムですよね?あの…店員?」
「はい」
「いや…│もの《カップ》を持っているので」
戸惑いながらおずおずと聞くと、ネレアさんはこちらの驚愕した理由を悟ったのか、懇切丁寧に説明してくれた。
「ホログラムは本来であれば実体のないただの投影物にすぎませんが、我々はホログラムの開発から長い年月をかけて、ようやく実体のあるソリッドグラムを開発することができました。その技術の一端が彼、ブンちゃんです。」
彼女がそういうと、ブンちゃんという名のホログラムもといソリッドグラムがこちらに向かって手を振った。
聞くに彼の肉体を構成しているソリッドグラムは長年の研究の末に、アトランティスが作り出したホログラムの進化系らしく、本来であれば空間に投影された光の集合体にすぎないホログラムに、特殊なナノ粒子を噴霧して光の中に停滞させることで、実体のあるものに触れたり持ち上げたりすることが可能らしい。
ただしまだ課題点もあるらしく、アトランティス本国で使われているような実物と見分けがつかないような、超リアルなホログラムにナノ粒子を停滞させることが不可能らしく、どうしても我々人類が想像するような、透け感のある見た目になってしまうこと、またあまりにも重すぎる物体を持ち上げたり移動させたりすることは不可能らしい。
そもそも人類が技術の頭打ちの一例ではないかと考察したホログラムに進化系が存在することが驚きだし、あのアトランティスでさえ発展途上な分野が存在していることに科学技術の無限の可能性を感じた。
唖然としているとやがてカウンターにカシスバイオレット色のドリンクが置かれていた、炭酸の気泡が鮮やかな赤色で、バイオレットの色味によく合っていた。
キンキンに冷えたそれを手に取る。
もっとアトランティスっぽい、真っ青なジュースが出されることを想像していたがゆえに、若干拍子抜けしているが、赤と紫のコントラストからくる見た目の美しさや、はじける炭酸から香る形容しがたいフルーツのような鮮やかな香りに渇いていた喉を鳴らす。
飲みたい感情を抑えつつ、写真撮影を行うと同時にネレアさんに問いかけた。
「この飲み物は?」
「イコルです、アトランティスではポピュラーな飲み物で、地上で言うコカ・コーラほどの人気を博しています、製造元のイコル社はアトランティスでも有数の大企業です」
「なるほど…コカ・コーラに勝るとも劣らないと…」
わかりやすい例えに納得しつつ、俺はついにその飲み物に口をつけた。
「あ、うま」
程よい刺激のはじける炭酸、舌の上で広がるコクのある甘みとさわやかな酸味、そしてかぐわしい花のような、それでいて熟れたピーチを思わせるような香りが鼻孔を抜けていく。万人受けするような安心感のある癖のない甘みと香りに、拒絶感はなく、かといっていままで味わったことのない新鮮さを感じる不思議な感覚に満たされた。
さすがはアトランティスのコカ・コーラ、地上で発売されたあかつきにはしっかり人気を博しそうな味わいをしている。
ごくごくと流し込んでいくと同時に、ふと初めてアトランティスを訪れた人たちにとって、明確な観光資源になりうる可能性を見出した。
「このジュースを販売しているイコル社って、工場見学とかされてますか?」
「工場見学ですか、場所によってですが製造の要で本社の社屋に隣接している第一工場では、アトランティス国民を含めいろいろな方が見学にいらっしゃいます」
「おぉ、それはいい観光名所になりそうです。」
早速、懐に入っているメモに書き込む。
工場見学ないし会社見学といえば、日本では基本、学校の郊外学習で行くような場所という認識が強いが、旅行の際の名所としてはかなり集客数の多い、強い観光資源とされている。
地上における有名どころでいえば、レゴだろう。
あの踏むと痛いブロック型のおもちゃ、その本社があるデンマークのビルンにはテーマパークのレゴランドがあるほか、広大な土地の中には製造機関から博物館などの巨大展示施設もそろっている。
加えて、ドイツのビール、ハイネケンの工場見学も有名だ。来場者はハイネケンの歴史と製造を体験を通じて見たのちに、ビールを飲むことができる。
なじみ深いものや有名なものが作られていく過程を目にすることができる体験は、歴史的な建築物に興味の薄い、小さなお子さんのいる家族連れのような観光客層にとっては、外せないスポットといえる。
早くも、紹介する欄の一枠が埋まったことに内心歓喜しつつ、氷のみになったカップを返す。
飲み終えたのちにソファに座るよう促された俺は、ふかふかとしたそれに腰を落ち着かせた。
するとネレアさんが真正面の座席に座って、改まって自己紹介を始めた。
「では改めて、私はタリア・ガラ・ネレアと申します。アトランティス帝国観光枢院で│窓官《そうかん》を務めています。東郷様の観光雑誌作成においてサポートとアテンドを務めます、以後長い付き合いにはなると思いますが、よろしくお願いいたします。どこか気になる観光名所や、その詳細、歴史を知りたい場合はなんなりとご用命ください」
「わかりました。あ、自分は│東郷《とうごう》 │廣吉《ひろよし》です。年齢は36歳で独身…えー、日本という国の│青陽社《せいようしゃ》という出版社で編集者…あ、”ひざくりげ”という観光雑誌の編集者兼ライターをしてます。好きな食べ物は焼き鳥です……よろしくお願いします。」
「はい、よろしくお願いいたします。」
自己紹介で思わず余計なことまで紹介してしまった気がするが、幸いネレアさんは引くわけでもなくあっさりと挨拶を返してくれた。ままならない自己紹介に若干冷や汗を流す俺のことなどつゆ知らず、ネレアさんは何やら手首に巻いたブレスレット型の端末を操作し始めた。
操作することしばし、こちらに向き直ったネレアさんは、淡々とした口調で言った。
「これからアトランティス帝国入国に際して、入国港に向かいます。なお向かっている途中は、地上で使われている通信機器の電波が遮断されますのでご注意ください」
「わかり…まし…た……。え、ここが入国港じゃないんですか?」
「いえ、今現在我々がいる建物…人工島プロピュライアは入国港まで向かう…そうですね、わかりやすく言えば、送迎バスのようなものです」
「へ?」
一瞬理解できずに、間抜けな声を出していると徐々に島が動いている感覚をソファ越しに、加えて│三半規管《さんはんきかん》と│耳石器《じせきき》で感じた。やがて窓の外が徐々に暗くなっていくのがわかる。先ほどまで島の真下にあったはずの海面が窓を下から染め上げるようにせり上がってくるのを視認した。
そこでようやく理解した、彼女の言っている意味が。
この人工島は単なる海上に作られた少し豪華な観光施設ではない。
アトランティスへ向かう観光客を導くためのバカでかい”潜水艇”であることを。
【解説】
イコル
イコル社が製造販売を行うアトランティスで最もポピュラーな炭酸飲料。地上で言うコカ・コーラレベルの知名度と普及を誇る。味わいは口に残らない上品かつ濃厚な甘みと、花や果物などの香りとさわやかな酸味を感じさせるもので、既存の飲料とは全く違った味。
地上の西暦で紀元前2年に開発され依然として人気を博している。地上のコーラ類のようにコカ・コーラ、ペプシ、ドクターペッパーなど様々な会社が独自に開発してブランドが多岐にわたって存在するかと言われればそういうわけでもなく、イコルはイコル社のみが独占販売している。
イコル社本社および第一工場を内包する土地は大きさにして11.5k㎡という広大な敷地を有しており、おおよそこの大きさは千代田区とほぼ同じである。
そのほかにもさまざまな