長い前置きみたいな話ですが、よろしくお願いします。
百一話 未知との遭遇
月の都。不変の都にして、穢れなき仙郷。
ここは天に下しるもの達が何度も羨望を向け、そして終ぞたどり着けなかった場所でもある。
そんな都が、今まさに強大なる敵の攻撃を受けている。その敵の名は純狐。過去にも何度もこの地へとたった一人で攻めては、その度に都の大盾と称される大綿津見神によって撃退されてきた。
しかし、今回は違う。
苦汁を舐め続けた純狐は遂に単独行動するのが良くないのでは? と気付いたようで、今回は自身の友人であるヘカーティア・ラピスラズリと手を組み、その力を以て何度目かも分からない侵攻を開始したのだ。
「……報告します! 依姫様! もはや防衛線は連中に突破されました! 奴らの攻撃に歯が立たないです!」
「耐えなさい! 私達の持つ辞典に敗北の二文字など存在してはなりません!」
月の都が誇る不敗の剣、綿月依姫。
半ば隠居状態の父より大部分の軍事力を引き継いだ彼女が出陣した時、都の大路を進む軍隊を月の民は歓呼をもって送り出した。
そんな空気の中で彼女が指揮する軍勢はヘカーティアに従う妖精達との戦端を開いたが、純狐の持つ能力によって純化されて穢れの塊となった妖精たちの攻撃を受け、極度にソレを嫌う月の軍は手も足も出せぬままに後退を余儀なくされた。
結果として防衛線を突破した敵軍が都へと迫る中で主将である依姫が奮闘したものの、その姉である豊姫によって撤退の指示が出され、その後参謀の稀神サグメを中心に今後の対策が話し合われた。
それにより、都の住民達を夢の世界の中に作り上げた月の都へと避難させると共に、天下には依姫が鍛え上げた精鋭部隊であるイーグルラビィを送り込み、かの地を月の民の移住先として見定めたのである。
そう。数千年の時を経て、月の天津神が第二の国譲りを目論んだのだ。
……
都市伝説の異変から少し経った、夏の午前十時。
正直に言って今もあまり調子は良くない。
身体ではない。精神的なものである。
昨年の春に天邪鬼から愛弓を取り戻して以降、本当にやることが無くなり、最低限自分を保つための修行、散歩、そして三度のご飯に日々のお勤めだけで精一杯なのである。そのため、この前の異変だって博麗神社裏に住まう妖精たちに「妖怪ワカメ男、覚悟しなさい!!!」と、絡まれたことを除けば何もする事はなかった。
その中で楽しかったことと言えば人里に行った時、郊外に住まう百姓達から村相撲を見てくださいなんて声がかかったので見に行き、飛び入り参加したくらいだろう。カンカン照りの日本晴れのもとで小細工無しの真剣勝負で村一番の力自慢を転がし、年甲斐もなくはしゃいでしまった。きっと来場所は僕も横綱昇進だろう。
「おはようございます! 今日もこれからお散歩ですか?」
「……あ、うん。そうだけど。早苗は?」
「私はこれから布教に向かおうかと思っていたところです! ……でも、あんまり何度も行っていたらさすがにウンザリされそうですし……朝斗彦様、良ければ同行してもよろしいでしょうか?」
「いいけど……結構歩くよ? 大丈夫?」
「大丈夫です! 私、これでも朝里まで降りて走り込みしてるんですから!」
「あ、そういやしてたね。ならいいよ、支度しておいで」
僕は二日にいっぺん、山を散歩するようにしている。気にするのは、何か変わったところはないか、敵対的な存在がいないかなどなど……。
言ってしまえばただの見回りなのだが、それをする事で、天狗やら山童などといった山に住まう者達との情報共有をスムーズに行えるようにしている。
なお、回る経路は特に決めておらず、最近ここ見たよな? って場所や、山姥などの排他的な種族が住む地域は出来る限り避ける。
そんなこんなしつつ、飛んだり歩いたりを織り交ぜることで、頭の中にその土地を落とし込むのだ。
妖怪の参拝客に向けて僕が作った長椅子に座って支度が終わるのを待っていると、手ぬぐいを頭に巻き、もんぺに履き替えた早苗が現れた。
「……思った以上に準備万端じゃん」
「だって……明らかに汗かくと思いますし、虫刺されとか寄生虫とかヒルとか……何がいるか分からない以上、色々怖いですから……」
「まぁそうか……。早苗みたいな今をときめく少女はそこら辺気を使えば使うほどに良いからね……。
いや、にしても頰かぶり、めっちゃ似合ってるね? 外の世界での農作業中のおばあちゃんみたいで可愛いよ」
「……私、そんな年取ってないんですけど!」
早苗は怒りつつ、「全く……早く行きますよ!」と、そう言って進むべき道もわからぬのにずんずんと歩き始める。そんな彼女を見て、たまには他人の進む道を追うのもアリか……と考えた僕は、それについて行くことにしたのだが……しばらく歩き続けた後に事件が起きた。
「なんだコイツは!?」
「……むー? 何でこんなのが幻想郷に……」
なんだか焦げ臭い匂いがしたので早苗に一声かけて僕が先行する形で辺りを確認すると、一切の穢れを取っ払ったかのように禿げ上がった土地の上に、金属のような外殻を持つ得体の知れない生物? が転がっていた。
「早苗、何か知ってるの?
にしてもコイツは……死んでるのか?」
「いやいや、コレは人工物! キュリオシティってヤツですよ朝斗彦様! あっほら、
「きゅり……えっ、なんて?
……鉄馬ってことは、石油を入れれば動くんだね? にしても、コレ、人乗ってるの??」
「いやいや、キュリオシティは無人探査機ですから! ……えーでもおかしいなー。なんで火星探査機が此処に?」
興味津々にチラチラと倒れた異物を観察する早苗を見つつ、僕としてはこんなものが突然現れたことが何を意味するかが気になってしまう。
初めは河童の発明とも思ったけど、彼女達の場合は三、四人くらいの団体*1で突然社務所まで押しかけてきた後に、
「別に中身は読まなくていいから、とりあえずここに判だけ押してくださいなっ!」
と、許可を求めてくるはずだ。
昨日今日は珍しくずっと山に居て、且つ来客対応も基本僕がしていたので、兎にも角にも不審極まりない。
「……よく分からないが、用心するに越したことはない。
早苗、君は今すぐに迷いの竹林にある永遠亭を訪ね、おも……八意様に何か分かるか聞いてくるんだ! 彼女なら僕の分からないことも確実に知っている!」
「は、はい! 分かりました! 竹林で迷っちゃうかもですが、出来る限り急いで向かいます!」
「迷うのはナシだ! あの蓬莱人でも、てゐでもいい! とにかく道がわかる者を捕まえて案内してもらえ!」
「……人使いが荒い! ですが、そうも言っていられないですね。今すぐ向かいます!」
早苗はすぐさま飛び上がって竹林へと飛んでいき、残ったのは僕とこの鉄グモだけ。周りを見て回った感じ、入り口は見つからない。
刀で一刀両断してやろうかとも思ったものの、流石に調査対象に変なことをした結果破壊……というのも避けたいところである。
とはいえ、敵が現れる可能性は無きにしも非ず。僕は刀を引き抜くと、目の前にある得体の知れないものの周りを円を書くように旋回し、様子を伺うようにした。そんな時である。
ガサッという音が背後から聞こえたのですぐさま刀の切っ先をその方向へと向けると、四つの白いナニカが草むらからはみ出ているのが見えた。
「そこに潜むのは何者だッ! 名を名乗れ!」
「……にゃー」
「……わん」
「なんだ猫と犬か……って、こんな場所にいる訳がないだろ! もう少し考えたほうがいいぞ!」
「……やばいよ清蘭。あの顔の傷、髪の特徴……間違いなく依姫様が話してた穢れ度ダントツ一位の国津神だ。どうするよ」
「行くしかないんじゃない?探査機だって壊れちゃったじゃん」
「清蘭、それ本気で言ってる? 私たちイーグルラビィなのに? ……あーあ、これなら休憩早めに切り上げずにさ、もう少しのんびりしとけば良かったな」
「……そう言う割にはこねたての餅頬張ってんの、緊張感ないわねー」
ガサガサと揺れる草むら。その中でボソボソと二人で相談しているのが丸聞こえである。
「陰口は全て聞こえているぞ! この絡繰がどうなってもいいのか?
さぁ、今すぐにその姿を見せろ!」
「やばいよ、出る?」
「出よう」
ちょこちょこと草むらから姿を表したのは二羽のイナバ……いや、この二人が纏った天下に馴染めなさそうで案外馴染みそうな、そんな浮世離れしたかのような雰囲気……まさか。
「……お前達、月兎だな!」
「違います、私たちはただの迷えるか弱きイナバです」
「嘘つけ! さっき聞こえた名前、明らかに玉依比売の事だろ」
「「ぎくっ」」
この反応、間違いない。……しかしなんで月兎がこんな所に? まさか、思兼様も絡んでいるのか?
しまった、早苗を向こうに送ったのは失敗だったかもしれないぞ。
「……何をしていたかについて話すというのなら、妻や妖怪達に働き掛けてこの狼藉働きを不問にするよう取り計らおう。
もし、それでも抵抗すると言うなら……弾幕勝負でも殺し合いでも、天下の神である葦原朝斗彦がなんでも受けて立とうじゃないか」
「……どうしよう、他の皆も呼ぶ?」
「そうするか。
……おぉい、ちょっとタンマ。流石に二人じゃ手も足も出ないからさ、もう少し仲間呼んでもいい?」
「え、ちょっと鈴瑚!? 何手の内晒してるの!?」
「いいぞ、幾らでも呼ぶといい。全員まとめて相手してやろう」
僕はそう宣言すると共に眠らせていた力を見せつける。目の前の兎たちは妙な絡繰で自らの位置情報を仲間に知らせると、手に持った杵と鉄砲を構えたのだった。
……
「もー! なんでこういう時に限って鈴仙さんにてゐさんも妹紅さんも、全員揃って見つからないの!?」
困った。朝斗彦様に頼まれてこんな格好のまま飛び出してきたはいいものの、この竹林を案内できる人が誰一人として見つからない。
ってことは、無理矢理突破しようとして、罠にハマり……そのまま竹林で遭難、果ては誰にも会えぬままに……餓死!?
「……ぬあーっ! やだやだ! まだ死にたくないよー!」
「…………あのさ、こんなところで何喚いてんだ?」
「ッ! 妹紅さん、いい所に! 今すぐに私を永遠亭まで連れていってください! 急ぎなんです!」
「いいけど、どうした? 神様達がボケでもしたのか?」
「そうじゃなくて〜っ……! 幻想郷じゃ無理しないと作れなそうな技術を使ったものが山に堕ちたんです! それで、朝斗彦様に命令されて飛んできたんですよ!」
「あー、それで永琳の知恵を借りに来たのか」
「その通り! 流石妹紅さん、話が分かる!」
「まぁいいや、とりあえずついてきな」
そう言って猫背で歩き始めた妹紅さんについて行く私。
にしても、なんだかこれからたけのこ取りにでも行くのかと言わんばかりの格好だなぁ、私達。
「……あっ。そこ、罠あるから気をつけろよ」
えっ、うわっ!?
縄でこさえられた輪に足が引っかかった瞬間、テンションを失った竹が瞬く間に伸びていき、私は少し引き摺られた後に天地がひっくり返って宙ぶらりん。
いつものスカートだったら完全におしり丸出しである。
……前言撤回、もんぺ履いてて良かったー!
「……あー。ゴメン、言うのが遅かった。
今下ろしてやる。ちょっと待ってな」
竹で編まれた背負子の中からいそいそと鎌を取り出すと、妹紅さんはそのまま罠に使われていた縄を切り始めた。すると、周りからガサガサと音が聞こえ始め、辺りには大量のイナバたちが現れたのだ。
「ちょっとー! 妹紅、なに勝手に外してんのさ!」
「あん? こちとらツレが迷惑してんだよ。片付けて何が悪い」
「ソレは私の獲物! ……って、あっ! あんた、朝斗彦の所の!」
「そうです! 朝斗彦様の所の風祝です! 助けてください!」
「おい……早苗もお前なんぞのちび助に小娘とか言われたきゃないだろ」
「うるせー! こんなかじゃ私がダントツ、一番の年上ウサ!」
「博麗の巫女がいる時点で幻想郷は年功序列じゃねーだろ! 威張ってんじゃねぇぞ!」
あのー……早く助けてくれませんかね。ちょっと、頭に血が昇って、なんだかぼーっとしてきたんですけど……。
口喧嘩を始めたことで、妹紅さんは竹に巻き付いた縄を切っていた途中にも関わらずその手を止めてしまったため、全く恥ずかしいことこの上ないが私の体の重みでゆっくりと、しかし確実に組紐がぶちぶちとちぎれていっているのが分かる。
……ヤバい! このままじゃ脳天から落ちる!
「あの……あのっ、妹紅さん! 喧嘩するのは後でにしてください! ちょっと、切れちゃいそうなんですけど!」
「キレたいのはこっちだよ!
早苗、とりあえず今は待っとけ! 先にこっちをうさぎの丸焼きにするからさ!」
「違いますって! 縄が切れるんですよぅ!
ああっ誰か、私を受け止めて〜っ!」
顔が真っ赤になっているのを自覚しながらそう叫ぶと、啀み合う二人がキョトンとした顔でこちらを見た。
「……あっやばい。鎌、引っ掛けたままだった!」
「何やってるウサ! 朝斗彦に怒られたくないんだから早く助けなよ!」
「……うるさい! 元はと言えば、お前がこんなモンそこら中に仕掛けてたからだろうが!」
ギャーギャー騒ぎ立てるので自由に使える両腕で頭を抱えつつ耳を抑えていると、小さく「衝撃に備えるんだ!」という妹紅さんの声が聞こえ、その瞬間私の身体は地面へと一直線に落ちた。
───────
「……うーん、あ! あれ、私何して……」
「あっ早苗さん!
お師匠様! 目を覚ましました!」
「分かったわ。
……目を覚ましたようね。アナタ、体調はどう? 何処かが痛むとか、視え方がおかしいとか、そういったことはないかしら?」
「えっと……ちょっと頭がぼーっとするかなって……」
「……やっぱり、打撲と軽い脳震盪ね。これから私が言うことを守るように。
先ず、激しい運動は行うことで二次症状が起きる可能性があるから禁物よ。飛行なんかもね。
その二、飲酒も控えなさい。酔いは血の流れを悪くしてしまうし、身体の異常に気付きにくくなるからよ。
その三、誰かの監督無しに行動しないこと。一人で作業を行ってもしも万が一のことがあれば、対応が遅れるためね。
……とまぁ、だいたいこんなところかしら。一応、アナタの迎えは朝斗彦に頼んであるわ。用を済ませたらこちらに来るそうよ」
「あ、はい。分かりました……ってそうだ! 朝斗彦様の名前で思い出した!
永琳さん! 今日、妖怪の山にキュリオシティが堕ちていたんです! コレって、もしかして月の……」
「……ハァ、アナタといい、彼といい……どうして揃いも揃って妙に記憶力がいいのかしら。ホントに厄介なんだから。
仕方ないわ。ウドンゲ、あの二人を呼びなさい」
「は、はい! 承知しました!」
あの二人……あの二人! やっぱり! これは異変なんだ!
そして現れたのは予想通りの霊夢さんに魔理沙さん。どうやら私が異変の話をしなければ横にいる鈴仙さんを含む三人だけに説明するつもりだったらしく、私は駆け込み乗車完了! というわけみたい。
……まぁ、どうせ私は運動禁止だから弾幕ごっこも出来ないんだけど。要はこの場に混ぜてもらえる分お口チャックという事である。
「……何から説明しようかしら。
……皆、月の都は分かるわね? そこが今敵の手に落ちようとしているわ。それに伴い、都を放棄せざるを得なくなった時にこの地上に移住をするため、弟子達は軍を派遣しようとしている。それを起こさないようにするため、あなた達には敵を倒して欲しいの。
私は向こうとのコネクションがある以上、騒ぎの内容については全て聞き及んでいる。だけど私が動けばほかの有力者たちは疑いの目を向けるわ。故に、あなた達のみに為せる任務という訳ね」
「まぁ、いつものように異変を解決すればいいんでしょう?」
「……それで済むなら、それでいいわ。だけど、あなたたちが戦うべき存在は途方もない力を持つ者よ。だからこそこの薬を……」
「思兼さまーッ!」
「……おっ、この声はモジャ神様のおなりだな」
「はぁ……タイミング悪いわね……」
薬……なんだろう。増強剤的なやつだったりするのかな。
そんな事より、迎えにやって来てくれたのは朝斗彦様。両脇にてゐさんのような小柄な兎ちゃんを二人抱えて現れた彼は大股で永遠亭の廊下を進み、部屋へと入ってきた。
「……おっと、八意様!
早苗からもう話は聞いてる? この子らが山を荒らしていた月兎の隊長格。捕まえてきた」
そう話す朝斗彦様はその私ぐらい長い髪を後頭部の高い位置で一つまとめにしており、日頃は隠されている項を露わにしながら、「ゴメン、ここに寝かすよ」と、抱えていた二人組をゆっくりと患者用ベッドへと寝かした。
彼のその優しげな手つきは、隣にいた霊夢さんが唾を飲み込んだ音が聞こえるほどに様になった振る舞いであり、抵抗した月兎を一羽残らずコテンパンにやっつけてきたんだろうな〜と考えているのは、きっとこの中では私と永琳さんだけだろう。
「……霊夢、視線がモジャ神さまの項に釘付けじゃないか。お前が面食いなのは相変わらずだな」
「……今のは忘れてちょうだい」
「静かに。そろそろ話の続きをしてもいいかしら?」
「何話してたか知らないけどどうぞ?」
「……あの、異変の話です。朝斗彦様」
「……で、この薬を渡すわ。
名は紺珠の薬。
これを飲めば未来を予知する力を身につけ、前もって異なる決断を行うことで、自らの失敗を無かったことにできる。そして、本来約束されていた未来を変えることすらもできるわ」
「……!!!!!」
その場にいた大半がへー? と、半分良く理解出来てないのが見え見えであるのに対し、永琳さんの説明を聞き、一人だけ目を見開いたのは朝斗彦様。彼は一人でハッと驚いた後に辺りを見回すと、
「いや……いやいや。そんな、そんなのさ、無理でしょ。ねぇ早苗?」
と、呆れが混じったリアクションを見せ、何故か私に対して同意を求めた。
「……朝斗彦様?」
「……いや、大丈夫。大丈夫だから」
「先に言っておくけれど。
貴方は使わなくていいわよ? というより、使ったら存在そのものが消えてしまうわ」
「…………え、なんで?」
「その副作用はアナタにとって死活問題となるからよ。
……それは、一切の穢れを捨てるということ。
神々の目を盗んで勝手に妖を庇護するようになったアナタには長年かけて溜めた穢れと、道を外れ根付いた信仰の形がある。だけど、この薬を服用することでそれらが浄化され、これまでに蓄えた神力がキャパシティオーバーを起こしてしまうの。
そして、それに耐え切れることなく、アナタは第二の死を迎えてしまうのよ」
「…………」
「アナタは今の状態だとそこいらの人間と大して変わらないくらいの穢れ方。だから何も飲まず、ただ敵を打ち砕くだけでいいのよ。そこのお嬢さんが行けたのなら使用しても良かったと思うけれど」
「……なっ、モジャ神さま……アンタも月の救援に!?」
「え!? いや、初耳だけど。……ええ? いやいや、八意様……こんな奴が行っても向こうの人達が喜ばないでしょ」
「そうね。向こうではアナタに頼りたい者なんて誰も居ないでしょうね……。
でも、そんな事は言っていられないの。依姫が負け、あの子達がいつ覚めるかも分からない夢に閉じ込められ続けるのならば、必要な手は全て使う。例えそれが穢れに満ちた神であってもね」
「つまり、藁にもすがる思いってヤツね」
「そういうことね」
霊夢さんに鈴仙さんはそう言って視線を朝斗彦様の方へと向けるが、普段からこの方を見て育った私は違う。
あの顔は、何か全く別のことを考えている時の表情。恐らく、いや間違いなく、朝斗彦様は月のことなんて微塵も興味を持っていない。
……
いつもなら考えの読めないこの方も、こんな様子では何を考えているのかなどすぐに分かってしまう。
「……この薬は飲むも飲まないも全てはアナタたち次第。そう、別に棄ててもらっても構わないわ。それじゃあ皆、頼むわよ」
呼び出された少女達が各々返事をした中で、朝斗彦様はまるで世界を呑み込まんとする大蛇のような鋭い視線を向けたまま、こう言った。
「……例え、幾万もの困難が待ち受けようとも、このボクが出るからには必ず勝利を収めてやる」
頼もしいな! と魔理沙さんが言う横で、朝斗彦様は永琳さん以外の他の子達が決して持たぬような張り詰めた気配を放ちながら腕を組んだ。そして一言、「帰るよ」と、そう言って私を呼んだのだった。
「……あっ、早苗さん! 処方箋! お薬出しますから! ちょっとまっててください!」
どたどたと足音を立てて鈴仙さんが薬を用意し、これが朝に飲むもの、こっちが夜のみと説明をしたあと、それを包みへと入れて手渡してくれた。
そして、何故だか分からないが底に先程の劇薬、紺珠の薬も同封した。
「……早苗、心配だからおぶってあげるよ」
「分かりました。……ありがとうございます、朝斗彦様」
……
「あの……朝斗彦様。無茶だけはしないでくださいね」
「……」
迷いの竹林を抜けた後に空へと飛び立った朝斗彦様は、子供の頃に父に背負われた時と同じようなその大きな背中に私を収めると、特に会話もないまま帰路へとついた。
すっかり日も暮れて星空が見え始めた頃、喉から絞り出すように私が話しかけると、しがみつくこちらからはその顔は見えないものの、いつもであれば笑いながらも「早苗に言われるほど僕だって分別つけられない訳じゃないよ」……などと言うはずなのに、何も返事は帰ってこなかった。
「貴方には守矢の神として帰る場所がある。それを待つ人だって……。だから、どうか間違った道に進まないでください……。
早苗からの願いです。どうか……」
「……ボクにはやらなきゃ行けないことがある。前もっていうが、月の救援などどうでもいい。連中を助ける義理など、こちらにある訳ないからな」
「そんな、それじゃあ朝斗彦様は永琳さんに嘘をつく事になってしまうではないですか……」
「嘘? ……ボクはさっきの集会でも月を救うなどとは一言も口にしていないよ。連中はボクの故郷を滅ぼすよう唆したんだ。手など貸す訳がない」
「そんな……朝斗彦様、そんなの、変ですよ……! 私の知ってる朝斗彦様は、弱った者を見捨てないはずです! なのに何故!」
「なぜ? ヤツらは弱者じゃないからだッ!
……その気になればいくらでも戦えるはずだ。ヤツらはな、潔癖がすぎるが故に自分で自分の首を締めているだけに過ぎないんだよ!
そんな愚かな連中は、滅ぶしか道はない!そうだ…。奴らにもついにその時が来たんだよ」
ただでさえ飛ぶ鳥の真横スレスレを通り抜けるような危なっかしい飛行が、更に激しさを増した。私は、(どうか無事に着けます様に!)と、心の中で念じながら霊力を使って何とか耐えるものの、その動きはまるで遊園地のジェットコースターのよう。
速さも増している以上山まではあっという間に着くとは思うけど、荒ぶる神の背中というのはこうも恐ろしいものか。
「……紺珠の薬はボクが貰う。どうせ、他の娘達もあんな劇薬は服用しないだろうしな」
「んなっ、一体何に使うというのですか!?
朝斗彦様が飲めばどうなるかは、さっきその耳で直接聞いていたではないですか!」
「夢を、叶えるのさ。独りじゃ叶えようのない夢も、この薬があれば叶えられるからなッ!」
ああ……そんな。
朝斗彦様の言葉を聞いた瞬間、私の心にはカミナリが落ちたかのような衝撃が走った。
……駄目だ。私一人じゃ、このヒトを止めることなど出来ない。私の爪よりも小さいあの薬が、優しい朝斗彦様を恐ろしい荒御魂へと変えてしまった。
彼が何をしようとしているか多方予想がつくというのに手出しすらも出来ない自分の弱さに対して嘆きたくなり、私はその背中にぎゅっと強くしがみついた。
それから時を経たずして朝斗彦様は守矢神社へと辿り着いた。そして大鳥居の前で私を降ろすと、背を向けて山を下るように飛んで行ってしまったのだった。
光秀しかり謀反とか起こす人って、多分これくらい衝動的な動機だと思います。