書いた当時、あまりにもダイジェスト過ぎた国譲りの戦争の一幕。古代人って存在は、気の遠くなるような距離を自らの足で移動してるものです。
「さぁ全員、この葦原朝斗彦に続け!裏切り者を打ち崩すぞ!」
方面軍の指揮官として黒毛の馬へと跨り、当時はまだ備前、美作などと細かな区分すらもされていなかった吉備地方の津山で先陣を切るのは、素戔嗚尊の息子である事が発覚し、思わぬ秘密を抱えることとなった葦原朝斗彦。
彼は出雲軍が闇妖怪の襲撃によって潰走した後、本来義弟の天稚彦が任せられるはずだった東の護りを大国主より引き受けた。そして、瀬戸内海を回り込んで来ようとする天日槍と相対する為、数多の豪族を引き連れて出雲より南東に位置する備前の山道を進軍していたのである。
しかしそんな時、諸侯の離反が起きた。
離反したのは山陽に広く分布していた豪族達。
この勢力は元を同じ祖とする言い伝えを持つ幾つかの支族に別れて割拠していたものの、高天原の本格的な侵攻に対して氏族ごと同調し、形なりにも臣従していた出雲から離反。そして、南下する出雲軍を迎え撃とうと独自に兵を動かした。
睨み合った両者は山に囲まれた丘陵地帯であるこの地において衝突する事となったのだ。
「者共、遅れをとるなよ!大国主様の為、この手で勝利を掴み取る!さぁ、裏切り者を許すな!」
山鳥の尾羽で出来た羽根飾りを付けた
そんな彼は中つ国で有数の腕を持つ騎手でもある。
今でこそ当世きっての愛妻家である事が知られる彼も、妻となった神奈刀比売の過干渉を嫌い、敵情を探ると言って護衛も付けずに遠乗りに出かけることが多々あった。*1
その際、当時のお決まりの経路にあった手入れされていない草木や岩、川などを避ける事で培った騎乗技術によって、彼は敵を確実に仕留める騎兵としての素質を磨いたのだった。
彼は敵味方入り乱れる戦場の中で微かに生じた隙間にも恐れる事なく突入し、影を縫うように戦場を駆け抜ける。
ついこの間まで味方だったはずの勢力との戦いである故か、いささか強ばりながら戦っていた出雲の兵士たちであった。しかし、裏切った時点で敵は敵、味方は変わらず味方…と、割り切りが尋常ではない程に得意な朝斗彦による果敢な攻めの姿に圧倒され、彼に導かれるままに士気を向上させたのである。
「敵には鉄器*2で武装した兵士が山ほど居るが、我らには大義がある!皆怯むな、かかれ!」
勇猛果敢…とまでは言えないものの、やる時はやるぞと自負している出雲軍の兵士達は、指揮官である朝斗彦に続いて手に持つ戈や剣を掲げながら突撃。持てる力を全て振るって奮戦した。
辺りを囲む森に隠れた両軍の弓兵から放たれた矢が戦場を飛び交い、そんな死の雨の下では互いの威信と名誉を掛けて戦士達が殺し合う。
数で勝る出雲軍による人海戦術によって戦線が徐々に彼ら有利の状況で動き始めたその時、死線をくぐり抜けた伝令が朝斗彦へと一つの情報を齎した。
「朝斗彦様!これより先、南に天日槍率いる軍勢が現れました!あと四半刻もしないうちに戦場に到着すると思われます!」
「あいわかった!有益な情報を感謝する!
…聞け、皆の者!敵を追撃しろ!ただし、深追いだけはするんじゃないぞ!目の前の森には絶対近付くな!」
剣を掲げ、声を張り上げて指示を出すと、最前線で戦う兵士達は言われてた指示が出たと言わんばかりに敵を仕留めていく。
元々牧歌的な出雲の民は成人男性であれど武器を握ったことが無いという者がいた程に長年平和を保ってきた。そんな者達がいざとなれば戦う訳であり、軍の練度の低さは国にとって致命的と言えるほどの弱点だったのだ。
そんな中、十年以上前に起きた天日槍による襲撃を生き抜いた朝斗彦を始めとする戦士達は、どこかボーッとした様子の民兵連中に対してとりあえず必須の動きだけを叩き込むことにしたのである。
『皆聞いてくれ!こう言ってしまうのは本当に申し訳ないのだが、まず初めに……君たちは弱い!
今回の戦いはきっと、僕のように人ならざる力を持つ神性あるもの達の存在が戦場の流れを左右させる。つまり、君たちは足下の蟻のように簡単に蹴散らされてしまうはずだ!』
『まぁ、そりゃあそうだよな』
『面と向かって言われると胸に刺さるね』
『……但し!それは一人と一人が戦った時の話だ!この中の者で、蟻が食事するところを見たことがある者はいるかい?』
『それくらいなら有るよ』
『見たことないやつなんていないよ』
『よし。あの虫は一匹一匹はとても小さく、強くもない。だけど集団で連携し、獲物へと挑む事で何倍もの大きさのご馳走を手に入れる狩人になれるんだ!
そう、君たちは蟻だ!一人一人は強くなくとも、皆で力を合わせてかかればどんな強大な敵であろうとも必ず倒せる!みんな、蟻になれ!団結し、ヤマトに勝つんだ!』
『なんだか東神さまらしい例え方だ。我らは蟻だ!』
『蟻になるぞ!蟻になるぞ!』
朝斗彦は生粋の出雲っ子であるが、同時にかなりの変人でもある。自然をこよなく愛し、その途方もなく大きな概念が形作る枠の中に自分というちっぽけな存在があるという事を、常に意識しながら育ってきた。
普通の者が当然だと信じて疑わないモノを異なる視点で見続ける、そんな何処かズレた考えの持ち主である彼も、出雲の支配を受け入れる者たちにとっては日頃から分け隔てなく接してくれる仲間にして、中つ国の若き希望である。
そんな彼がクニを守る為に立ち上がって自分達の為に歩み寄った以上、民草が手を貸すのは当然のことだったのだ。
なお、余談ではあるが、幼少の頃の朝斗彦は一日中せっせと働くアリの巣の様子を眺めるのが好きだった。
そして、そんな彼の姿を見て自身が構って貰えないことに苛立った神奈刀比売によってよりにもよって目の前でその巣を埋め立てられた際には、彼は言葉にならない感情を胸に抱き、そのまま癇癪を起こしたことで揉み合いの大喧嘩に発展した事がある。
…と、そんなこんなで、指揮官の指示を聞く事、敵に背を向けないこと、敵を深追いしない事の三つの教えを叩き込み、自分の麾下に在る者についてはいざとなれば僕が守るから!という、朝斗彦のなんとも力強い言葉を信じた出雲の民たちは、
「俺達がクニを守るんだ!」
という素朴ながらもハッキリとした国防の意識をはっきりと胸に抱いたのであった。
…
叛乱者の軍勢が戦線を崩され、背後の森へと逃げ去っていく様子を見た朝斗彦は、すぐに味方を自身の居る場所へと招集し、目を閉じながら風に揺らめく木々の声を聞いていた。
彼らの声なき声の中に力強い足音が混じるのを感じ取り、目を見開くと共に次なる指示を出した。
「…次なる敵が来るぞ!皆、直ちに亀の陣を敷け!急げ!」
亀の陣とは、要は盾の壁である。
危険な敵が現れた際に取り、自らの身を守る事を最優先にする為の行動で、朝斗彦によって指示が出された時は必ず行う陣形のひとつであった。
小走りで兵士たちが集まって自身の手に持つ盾を周りの者達と目配せしながら重ねていき、そこには亀の甲羅がごとき盾の壁が作り上げられた。
「蟹のように横歩きで丘の頂きへと足を動かせ!陣形は崩すな!」
朝斗彦自身の力によって生やした木々を用いて職人が造った盾。それぞれ個別に描かれた異なる絵が、集まることでやがて大きな大蛇へと姿を変え、まるで動き出すかのように波を打つ。
実際の仕組みは、後退する際の兵士達それぞれが持つ歩幅などのズレにより、大蛇が動くかのようにみせかけているのだ。
高所へと陣取った出雲の軍が一言たりとも無駄な声をださずに待機していると、盾の間に空いた僅かな隙間より先程までとは違う容貌の軍勢が森の中より現れたのが目に入った。
渡来の侵掠者、天日槍が率いし精強なる集団である。
「狼狽えるな、こちらには僕がついている。必ず守り抜いてやる!……常に神経を尖らせるんだ。油断すれば首を噛み切られる。注意しろ」
朝斗彦は歩兵の一人一人の背中に声をかけていく。
彼にとって天日槍は不倶戴天の敵であり、先の戦においても干戈を交えていた。
なおその際は天日槍が放った弾幕が朝斗彦の肩を貫いたことで馬上で戦っていた彼は落馬。あわや黄泉へと送られる程の大怪我を負わされるなど、手痛い敗北を喫している。
「むッ!その兜…貴様、葦原朝斗彦か!全くしぶといヤツめ…。その息の根、今度こそはこの天日槍が止めてやる!
行くぞ者共、かかれ!出雲のヤワ男共をぶちのめすぞ!」
「来るぞ、皆備えよ!…歩みを止めよ!射手、前へ!」
鎧の上に虎の皮で出来た外套を身に着けた天日槍が、既に一度破った相手である朝斗彦を再び打ち負かす為に先陣を切って突撃し始めた。
手網を握る右手で馬首を返した状態で左手を挙げると、朝斗彦は森に隠れていた弓持ちの兵士達へと指示をだし、彼等は腰を屈めながら進み出す。
東の軍団における最精鋭である彼らは亡き天稚彦によって鍛えられた、言わばわすれ形見のような存在である。天津神仕込みの精強さを初めて目の当たりにした際は流石の朝斗彦も、
「…これ、僕が指揮しちゃっていいのかな。大国主様直属にした方がいいんじゃ…」
と困惑する程だったが、大国主が「朝斗彦、お前が指揮を取りなさい」と下知を出した事でそのまま麾下に組み込まれた。そんな彼等が歩兵達の後ろへと移動し、下がっていた歩兵達の背後へと控えた事で、登ってくる敵を丘の頂上よりヤマトを仕留める為の準備は整った。
「歩兵、狭間を作れ!射手、矢を番えよ!」
盾の合間からわずかに開かれた隙間より弓兵達が弓を覗かせ、走って突撃してくる敵に対して予め番えた矢の鏃をそちらへと向ける。そして、朝斗彦の「放て!」という合図と共に彼らは引き絞った弦を離し、放たれた矢が風を切りながら敵を仕留めていった。
「良いぞ!直ちに二の矢を放て!」
「者共ーッ、盾を構えろ!次が来るぞ、備えよ!」
高所を取っているという有利な状況を活かしたい朝斗彦は攻撃の手を緩めず、不利な状況に置かれた天日槍が後退りする様子を見てほくそ笑んだ。
「……ッ!葦原朝斗彦よ!其方に一騎打ちを申し込む!一介の戦士であるならば馬より下り、我が面前へと歩み出よ!」
「朝斗彦様、どういたしますか」
「……いや、乗る必要はない。皆が作ったこの状況を、僕一人の個人の感情で台無しにはできない」
頭に青筋を浮かべながら叫ぶ敵に対し、朝斗彦は後の世でのノリの悪さを彷彿とさせるような、どこか冷静な判断を行う。そのうえ耳に手を当てたまま一言、「アレを狙え」と、隣にいた古参弓兵へと小声で指示を出した。
「本当にいいので?」
「いいよ。それで相手に何を言われようが、僕は気にしない…。まぁ、もしかしたら君達は多少気にするかもだけどね」
「いえ、貴方様の命とあらばそれに従うのが我らの勤めです」
「頼もしい限りだ。では皆の者、矢を番え次第次の合図を待て」
朝斗彦は腕甲に包まれた左腕をあげると、何も言わずにそれを振り下ろした。その刹那、弓兵達は再び矢を放ったのである。
そんな朝斗彦による予想外の答えに対し、先頭に立っていた天日槍は瞬時に仰け反り、そのまま手に持った盾を構えつつ尻餅をついたものの、兜を被らない彼の額には矢によるかすり傷が出来ていた。
「っ!?これは…!
おんのれぇ!この私をコケにするか、葦原朝斗彦よ!許さん!その首、掻っ切ってやる!」
「さぁ敵が来るぞ!!歩兵、ここで出来る限り食い止めよ!」
額を撫で、自らの掌に付いた真っ赤な鮮血を見て激昂した天日槍は、周りの者と共に全速力で突撃を敢行した。しかしその後まもなく彼は一人走る速度を落とすと、その血塗れの手の内に神力で作られた光の槍を作り出した。そして、誰が見てもヤバいと感じるシロモノであるそれを大きく振りかぶって敵へと投擲したのだ。
歩兵の護りを崩す為に放たれた高密度の一撃に対し、予めその行動を予想していた朝斗彦はすぐさま合わせて弾幕を放つ。
相殺された弾幕は向かい合った両陣営の中間地点において大爆発を起こし、その衝撃は丘が崩れ、辺りにいた兵士達が為す術なく吹き飛ばされる程のものだった。
「散開しろーッ!全員、亀の陣を解け!すぐに立ち上がり、敵の弾幕による被害を減らすんだ!」
「…受け身、東神様から教わっててよかったな」
「んだなぁ」
驚き、後ろ足で立ち上がる馬から振り落とされないように手綱を掴みつつ、太ももに力を入れて踏みとどまると、朝斗彦は左手で剣を引き抜くと共に新たに指示を出し、馬の腹を蹴って走り出す。そして、荒れた道をものともせず降っていくと勢いそのままに逆手に持った剣を振るって敵を仕留め、両脚に力を込めながら手綱を握っていた右腕を地面へと伸ばした。
そして、地面へと突き刺さっていた鉄の矛をその手に掴み取ったのだ。
「ヤツを仕留めろ!狼狽えるな!」
味方が体勢を整える為の猶予を稼ぐ為に敢えて単身突撃した朝斗彦は、その狙い通りに敵の注目を集めることに成功した。そんな彼は剣に付いた血を払って鞘へと納めると、再び敵の群れの中へと突っ込み、吉備の鉄矛を振り回して奮戦したのである。
そんな時、名もしれぬ雑兵が突き出した矛が彼の馬の胸へと突き刺さる。馬銜と手綱、鞍のみという簡素な装備であった馬はその痛みに耐えかねて嘶きながら再び後ろ脚で立ち上がり、最早制御不能な状態に陥ってしまったのである。
危険を悟った朝斗彦が馬から飛び降りて着地すると、彼の首を
「そう易々とやられるものか!ヤマトめ、覚悟しろ!」
『仕留めることなど容易いのに、なぜこちらが手加減する必要がある?』
後の時代の幻想郷、稗田邸で開催された宗教家同士の対談中、ふと思い出話を語る事になった際にこう発言したことでその場の空気を凍らせたこともある朝斗彦は、まるで何年も使い続けた相棒かのようにその場で拾った武器を巧みに扱い、相手の首や胸、腹といった急所の数々を的確に狙って突き刺し、切り裂いていく。
迫り来る敵の攻撃に対しては持ち前の剛腕を活かし、突き刺した相手を身代わりにすることで凌ぐなどその戦いぶりはまさに豪傑そのものだった。
こうして敵の返り血に染まった暗い紅色の顔の中で揺らめく一対の蒼眼が一人、また一人と敵を捉え、容赦なく確実に黄泉へと送っていく。そんな彼の視線の先に居るのは敵の大将、天日槍である。
「者共、向かってくる敵を抑えろ!その隙にヤツは私が仕留める!
……葦原朝斗彦!戦士の風上にも置けぬ、誇り知らずの醜男めがっ!今すぐに私と闘えっ!」
「ヤマトに靡いた自惚れ屋の外つ国人風情めッ!居丈高に偉ぶって恥ずかしくないのか!
それに、わざわざお前に言われずとも、初陣より続く穢れしこの因縁はここで僕自らが断ち切ってやる!
……お前のその間抜け面を晒した首、海の向こうの新羅まで投げ帰してやるからな、覚悟しろよ!」
「この小童!こちらが黙って聞けば減らず口を叩きやがって!我が故地を引っ張り、奪った狼藉者*3の癖に生意気なんだよ!
…我こそは向かい日に照らされし虎豹、天日槍!貴様のその首をねじり切って、あの
「うるさい!御託はいいからさっさとかかって来い!」
辺りの喧騒が何も聞こえなく感じるほどの緊張感が二人の戦士を包み込む。互いに睨み合い続けた後、戦士の雄叫びをあげたのは天日槍。
異邦人である彼は長く伸ばした髪と髭を靡かせながら手に持った矛を振り上げ、朝斗彦の頭上目掛けて振り下ろした。
朝斗彦はそれを石突で弾き返した勢いのままに矛を回し、がら空きとなった敵の腹目掛けて得物を突き出した。しかし、敵は須臾の早さで反応したことで咄嗟に石突で朝斗彦の身体を押し離し、その攻撃を阻んだのである。
虎をも一人で狩ってしまう程の勇猛なる戦士である天日槍は、例え相手が何であろうとも決して退くことはない。
新羅の主邑、後の金城にほど近い地域の海岸線を治めていた彼らの一族は極東にあるという豊かな土地を目指して海を渡り、そして葦原中国へと辿り着いた。そして、その地を治める
「ああ、遥々新羅から来たのか。そこなら私も知っているよ。我が義父素戔嗚尊が棄て、祖父が中つ国の為に引いてくっつけたという土地があると言うからね。
故に我らには手を…」
「…それは、故郷を追われ、故地を偲ぶ他ない我等に対する自慢かっ!?」
「…うん?」
この一言により、定住地を求める為の会合のはずが、両者にらみ合いの騒ぎとなる。にも関わらず
、その原因となった当の本人は椅子に座ったまま一言、「やめないか」と口にするだけだった。
誰よりも熱く、短気な天日槍にとっては、その大国主の振る舞いが何よりも気に入らなかった。
結局、喧嘩別れした両者は播磨にて交戦することとなる。その際、個々が弱い出雲の兵士達において妙に戦いぶりのいい若造が在ったのだが、その若者はよりにもよって前線で戦っていた兄弟を討ち取る大功をあげてしまったのだ。
結局、小競り合いから発展した戦いで身内を喪った天日槍は撤退を決意し、筑紫の北端へと逃げ去った。
その血族を殺めた男こそが、何を隠そう目の前で自分までも殺そうと矛を振るう葦原朝斗彦である。
血を分けた存在を殺した仇に、愛する国へ攻め込んできた侵略者。双方共に憎み、憎まれることで生まれたその認識は干戈を交える度に凝り固まっていき、いつしか修復不可能の相克の関係へとなったのだった。
「殺してやるっ!」
「僕はこの国を護ると誓ったんだ!お前ごときに殺されてたまるか!」
修練とは違い、ほんの少しの油断で己の身が終わりかねない実戦の場において、朝斗彦は一度たりとも隙を見せなかった。相手が速攻を武器とする戦い方である以上、少しでも時間を稼ぐことで相手の油断を誘うつもりだったのだ。
間合いを取り、睨み合っていた次の瞬間、天日槍が大きく後退して手の内にあった得物に神力を纏わせた。そして左腕を伸ばし、目測で狙いを定めた後に助走を付けたままそれを放り投げたのである。
「お前の手の内など分かっている!そう何度もやられると思うな!
根よ!奴の足を掴み、動けなくさせろ!」
朝斗彦は地面を蹴って跳躍して天日槍の攻撃を回避し、父との修行で手にした飛行能力によって空に浮遊すると、左手を握り締めた後にそのまま手繰り寄せる様な素振りを見せた。すると、地面が地響きを立てながら隆起し、そこから姿を現した得体のしれない根が、まるで愛する夫を黄泉まで連れ戻そうとする伊弉冉の様に天日槍の足へと絡み付き、引き摺ろうとする。
「ぬおおっ!?この汚らしい眷属め、俺の足から離れやがれっ」
「天日槍よ!お前は今日、この地で、この僕によって!止めを刺されるんだ!さぁ、隼が如き一撃を受けてみろ!」
恐怖心が希薄な朝斗彦が矛を持つ両腕を伸ばして急降下を始め、そんな彼の捨て身の攻撃によって出雲の軍は「なんだアレは!!!」と、驚きつつも大層士気を上げたことで敵の陣を切り崩す事に成功した。
天日槍は引き摺られ続ける中で地面に落ちていた盾を見つけて拾い上げると、それを構えた後に小さく縮こまった。しかし、それから間もなくして朝斗彦が飛んでくると、その矛はいとも簡単に盾を突き破る。盾を破壊し、板甲を穿いたことで肋骨まで届いた一撃に天日槍はえらく悶絶し、無理矢理朝斗彦へと組み付くと彼の顎に向けて頭突きを放つ。
その一撃によって朝斗彦の集中が途切れ、足に絡みついていた根もまた地中へと戻っていった。
天日槍は己に突き刺さった矛の長い柄を無理矢理へし折り、キツく締め上げられていた足を引き摺りながらも好機と言わんばかりに敵に背を向けた朝斗彦の元へと向かう。そして、手に持っていたへし折られた柄を投げつけたあと、泥に足を取られてずっこけた朝斗彦に組み付き、腰に着けた短剣を引き抜いた。
「お前はここで終わりだ!」
「それはどうかな!」
朝斗彦の力によって再び這い出た根が天日槍の右腕へと絡み付き、その激痛によって彼は短剣を手放した。そしてその短剣を別の根が地中深くへと持ち去ってしまったのである。
役目は終えたぜと言わんばかりに潜っていく根を横目に、怒りに支配された敵はその拳を振り上げ、合わせて朝斗彦はすぐさま顔を両腕で覆う。そして腕甲で一撃一撃を受け止めながら反撃を繰り出そうとするもなかなか隙が生じない。
万事休すかと思われた次の瞬間、北の方角より矢がヒュンヒュンと風を切って飛んでくる音が聞こえ始めた。
「…っ、天日槍よ!あの音が聞こえるか!我が軍がお前の手下どもを打ち破った勝利の音だ!
勝った!勝った!我らの勝ちだ!」
「何をッ!まだ勝負はついておらんだろうが!」
「何をやっているのですか主様!早くお逃げ下さい!我らの負けです、撤退するしかありません!」
「ちっ…クソッッッ!おい、コイツを連れて行くぞ!」
「そんなこと、今の状況でできるわけありません!
逃げましょう!早く!今ならまだ間に合います!」
「クソ…クソッッッ!!!葦原朝斗彦よ、次にあいまみえる時は必ずやその首取ってやるからなッ!」
「無事に逃げ切れたら…をつけ忘れているぞ、このバカめ…!はぁ…ははっ、ははははっ!勝った!我らの勝ちだ!
…っ、足の動くものは全速力で奴らを追いかけよ!追撃しろ!」
フラつきながらも立ち上がり、大声で発した朝斗彦の号令によって、背後よりわぁわぁと声を上げながら出雲の兵士達が戦場を駆け抜ける。そして、すっかり満身創痍な彼は力尽きて地面に寝っ転がっているところを旗下の豪族に拾われた。
森へと侵入した出雲軍は隠れていた叛乱軍の残党達を仕留めていき、彼らの持つ装備を略奪する。それによって更に興奮した兵士たちは血眼になって天日槍を探したものの、天に見放された出雲軍は彼の姿を見つけることは終ぞ叶わなかった。
私の紀元前18世紀日本の神代には鉄があるんだよ…って、ジョージ・ルー〇スも言ってたよ。知らんけど。
そんな存在から見て歳下どころの騒ぎではない曾祖叔父にあたる朝斗彦にとっては、正直とばっちりにも程がある。
天日槍(天之日矛)は三韓征伐の伝説や応神天皇の母后として知られる神功皇后の母系の祖とされる、朝鮮半島の新羅にルーツを持つ渡来の神です。
彼が倭国へとやってきたとされる時期は資料によって異なりますが、本作においては播磨風土記にある記述からとって国譲り前後の時期という風にさせていただきました。
本作においてはナーフ気味な彼ですが、風土記によればアメノヒボコは韓の国からやって来た渡来神であり、葦原醜男(大国主のこと)から
「海の中になら住んでもいいよ?出来るものならね」
と、舐めた態度で無理難題を吹っ掛けられたあと、手に持つ矛を使って海底から島を作り出してしまったほどの力を持つ強大な神とされています。
そんな彼らの争いが由来となる古い地名や伝説が兵庫県内においては各所に残っており、県北の出石の地に根差した彼を祀る出石神社を訪ねるついでにそれらの場所をまわってみるのもいいかもしれません。
……まぁ、それをする人はかなりの変わり者だと思いますけどね。