それは、諏訪での秩序の再構築を行っていた時のこと。
地元の者たちとの合意のもと新たに造営された社にて、ある日の夕方一人の来訪者が現れた。それは僕達の世継ぎである出速男……後の神氏・諏訪氏の祖へと嫁ぐ予定となっていた多満留比売であった。
「明神様、斗神様、おはようございます。この度はお二方にお目通りが叶ったことを嬉しく思います」
母の諏訪子に似ず落ち着いた雰囲気を持つ彼女が僕たちに向かって挨拶を行い、僕たちもまたそれに応える。
「多満留比売よ、息災で何よりだ。この度は如何したか」
余所行き仕草で比売が要件を聞くと、彼女は再び頭を下げて実は……と話を切り出した。その内容はと言うと、許嫁である出速雄に話しかけても、それに対しての彼の反応がどこかよそよそしいというものであり、それを聞いた僕達は立ち振る舞いも忘れてエッ! と声を上げてしまった。
息子は母親と祖父譲りの剛勇が自慢の益荒男であり、後継者として指名されて諏訪へとやってきた後は、明神の後継者らしくあろうと日々ああでもない、こうでもないと言いながら試行錯誤している印象しかない、言わば真面目くんである。
そんな息子が縁組に対して良からぬ行動を起こそうものなら我々の諏訪の統治に関わる重大な問題へと繋がってしまう。それだけはなんとしてでも避けなければ。
「義娘よ、何かその……女の勘的な何かは感じたりしているのか?」
一度ため息をついて心を落ち着かせてから、比売は調子を崩さぬままに近い将来義理の娘になる彼女へと恐る恐る質問をした。
……ちなみに、比売はそういった勘ははっきり言って全然強くない。先の見通しがあまり良くない事は今までの話から先日の地底の異変までの間でもなんとなくは分かるよね。
うるさい? いやだって事実じゃん。そうじゃなかったらさ、大御神の使徒たる八咫烏を縁もゆかりも無い地獄鴉に降ろさないでしょ!
比売は向こう見ずすぎるんだよ。そこがいい所でもあるけど!
……
「それが義母上、私にも全く分からないのです。
他の女の気配なども正直全く感じられません!
……挨拶をすれば微笑んで手を振ってくださりますし、この前二人で出かけた際には妖怪に狙われた時に助けてくださったりと頼りになるお方です。
ただ、話そうとするとどこかぎこちないというか、途端によそよそしくなられてしまうのです……」
なんか……その……初々しいな? と思ってそれを言おうとした時、扉が開いて乱入してくる者が一人。現れたのはそう、彼女の実の親である洩矢神……改め守矢神、洩矢諏訪子だった。
「話は聞かせてもらったよ! 我が娘よ、やつを尾行するぞ! モチロン、場合によっては問題が起きるかもしれないから上座の二人も来てね。拒否権は無い!」
そう言うと彼女はこちらへとやってきて僕たちの腕をとんでもない力で掴み、それに引っ張られて僕達は無理矢理連れ出されてしまった。
……
夕餉も終わり、年老いた者ならまず眠る頃に一つの動きがあった。出速雄がこっそりと宮殿を出ていったのだ。我々四人はコソコソと陰に隠れながらそれを追跡する事に決め、彼を見失わぬように少しずつ動きながら彼のとる行動を覗き続けた。
「相手は息子とはいえ、こう様子を伺っているとまるで出雲で戦っていた頃のようだ」
「確かに。あの時はこうやって物陰に隠れては大和を奇襲したもんね」
そんな事を夫婦で言っていると、多満留比売があの……と一言置いてから、
「お二方は元々大和の神なのではないのですか?」
と聞いてきたので簡潔に経緯を話すと、彼女はええっ! と驚き、横に居た諏訪子に口を押えられていた。
「そんな声出したらバレるよ! ほら、あの子ってばどんどん進んで行ってる!」
諏訪子の言う通りに息子はスタスタと通りを進んでいき、時たま道行く人に話し掛けられてはそれらに対してもきちんと対応していた。この時点で後ろめたいような事はまずないだろ……と僕は思っていたんだけど、ほか三人が追跡を楽しんでいたので何も言えなかった。
やがてしばらく道を進むと、息子は人気のない森へと入っていった。こんな森になんで……? と漏らす母子と妻に対し、僕だけには強力な人ならざる者が居るということを木々達によって知らされた。
この森は地元の人が近づくことは無いと言われる場所である。しかし、かつての内乱では戦場のひとつとなり、その際は両軍共に多数の死傷者を出した場所だ。
その時の記憶の通りではあれば、森の中に諏訪湖に比べたらだいぶ小さい湖があったと記憶しているが、ほかは特に何も無かった筈……。
そう思いつつも僕達は息子の追跡を続けたんだ。
……
森へと入り、抜き足差し足忍び足で出速雄を追跡していると、奴はとある場所へとたどり着いた。例の湖である。そしてそこに着いた時、僕たちは目を疑った。湖は枯れ、辺り一面に当時の僕達は見た事のない花が咲いていたんだ。
「な、なんだここは……。諏訪にこんな場所があったのか?」
「いや、ここは湖があったはず……。そうだよね、二人とも?」
僕がそう聞くと、諏訪子と多満留比売は頷き返した。
やはり僕の記憶違いでは無かったのだ。
「でもこんなの、ずっとここで暮らしてきた私は見たことがない……。なにかヘンだよこれ」
「母上の言う通りです。私もこのようなものを見たのは初めてです。綺麗だけど、怖い……」
そう言っている間にも息子は花畑へと進んでいき、その背丈の高い花の群れの中へと消えていった。慌てて追いかけてみると、彼の足跡は道に咲く小さな花なども全て避けて歩いていることがわかった。油断ならない場所なので、足跡の通りに歩みを進めて行くと、花畑の奥に拓けた平地があり、そこには昔に見た袿姫さんの工房のような建物がたっていた。そして何より、その建物の前で息子と見知らぬ女が喋っていたのだ!
先頭を進んでいたのは僕なので、後ろでいきり立つ女性陣に待ったをかけて花の群れの陰に隠れ、彼らの話を盗み聞きする事にした。
「幽香、前に言った物の用意は出来ているのか?」
「えぇ。貴方の言っていた黄金色に咲く花の種よ。
……ねぇ、それにしても貴方。前を向きすぎるあまりに後ろの存在に気付いていなかったようね。国の後継者として些か注意不足ではないのかしら?」
「なっ、なんだと!?」
……!?
今の発言、間違いなく奴はこちらに気付いてる! そう思って剣の柄に手を当てて様子を見ていると、彼女は優雅に歩いてきてこちらへと目を向けた後に一言、
「貴方達、何者?」
と聞いてきた。神相手に一切怯まず話しかけてくるこの胆力、中々のものだ。観念して物陰から姿を現すと、驚きの声をあげたのは出速雄だった。
「なっ!? 父上、母上! それに守矢神に比売! 何故此処が!?」
「まぁ後ほど説明するよ。
私は諏訪国国主の配神である葦原朝斗彦命、後ろの彼女は諏訪国主である御名方神奈刀比売命だ。さらに後ろに控えるのは旧国主の守矢神とその娘多満留比売である。
この度は息子出速雄の行動を探る為にここまで来た。此方は名乗り、目的を伝えたのだから其方の名も聞かせてもらおうか」
相手の実力が分からぬ為に僕が強気で名乗ると、彼女はふぅんと不敵な様子で腕を組みながら、
「私の名前は幽香。植物と花をこよなく愛するただの妖怪よ。宜しく。
一応念の為に言っておくけれど、あそこにいる貴方の息子とはただの友人なだけ。彼の名誉の為に言うならば、あの子は私の好みの異性じゃないし、やましい関係になどは一度たりともなってないわ」
と名乗ってきた。横で唖然としている息子にそうなのか? と聞くと、彼は我に返って激しく首肯した。それでも相変わらず我が妻や諏訪子は疑いの目を向けているので、彼にここまで着いてきた理由を教えた後に何を企んでいたのかを聞くと、一呼吸ついた後に息子は恥ずかしさで顔を真っ赤にしながら事の次第を説明し始めた。
「家族皆が勢揃いして私に疑いの目をかけている以上、己の身の潔白を証明するために全てを語ろう。
以前比売と出かけた際、花が好きであるという話を彼女本人から聞いたのだ。そこで、自在に花を咲かせるという噂がかねてよりあった幽香の事を探し出してどうにか頼みこみ、倭の地では入手不可能である、比売の髪色と同じ色を持つ花を咲かせるという植物の種を貰おうとしていたのだ……。
ああ、致し方ないとはいえ、このような形で自分の行動を自白せねばならぬなど恥ずかしい……」
その後、いい歳した男が何故に家族にかようなことを説明せねばならぬのだ! と言って息子は耳まで真っ赤に染め、ぬおおと唸り声を上げながらその場へと蹲ってしまった。
恥ずかしがり方が比売そっくりなのはやはり血だよね。
「ちなみに、それなら別に種じゃなくとも、花を咲かせて渡すことも出来ると私は言ったのだけれど、彼は自分で育てて相手に渡すことに意味があるって言って譲らなかったのよ。
花を愛する身として彼の考えは良い心構えだと思ったから、彼の願いを叶えるためにソレを用意してあげようとしたの」
そんな幽香の言葉を聞いていてもいられなくなったのか、多満留比売が息子のもとへと走っていき、その丸まった背中へと優しく抱擁して休む間もなく感謝の言葉を伝えていた。
その姿を見て横にいた比売は目頭が熱くなったのか、
「良かれと思ってすることが空回りしてるのを見ると、昔の自分を見てるみたいでどこかムズムズしてくるわ。
出速雄、良き伴侶と出会えてよかったわね……」
と、ずびっと鼻を鳴らしながら言っていた。
え? なんか遠回しに僕のこと言われてない? と思ったので、
「……えっと、比売? 色々と空回りさせちゃってごめんね」
と謝ったら、肩をぽんとひと叩きだけされた後、彼女は諏訪子と共に息子達の元へと向かっていった。……一言くらいは何か返して欲しかったけど、これについては実際僕が悪いからしょうがないか。
……
その後、とりあえず花の妖怪にはお礼を言わなければと思って振り向くと、彼女はその長い緑色の髪を靡かせながら目を閉じ、両手を広げていた。
……どうやら、彼女はかなり周りに流されにくい性格のようだ。
「……ねぇ、貴方には感じる? この向日葵達の安らぎの声が。
かつてここで散った死者達の無念を和らげ、物言わぬ彼等の代わりにその短い生を謳歌するような……そんな声が聞こえるのを感じない?」
「……僕はどちらかといえば木々を司る神だが、彼らも同じ植物である以上多少なりは聞こえるよ。しかしよそ者にも関わらず、ここで死者が出たことがよくわかったな?」
「こういった土地を何度も見てきたもの。時には私がそうした土地もあったわ」
「……全くえげつないな。その身から溢れ出る妖力は飾りではないらしい。そんな貴女にはちょっと話を聞いてもらおうか……。
……ここではかつて戦いが起きた。まだ湖があった頃ね。それに僕は指揮官として参戦し、この国をまとめる為に戦った。……しかし、我々が最善だと思ってしていた事は最善ではなく、結局のところはただ要らぬ犠牲を産んでしまっただけだった。
安定して統治を行えるようになった頃にここには慰霊の印を立てたが、この花畑の方がよっぽどそれらしく思えるな。……しかし、今は生き生きとしていても、いずれこの花たちの命も尽きる。
そうなった時、その霊たちはどうなるんだろうな」
「さぁ、どうなるのかしらね。
私は自分が咲かせた花の根を通じて、この地に染み付いた怨嗟を自分の妖力に替えてるだけだから正直言って分からないわ。
でも、一つだけ言えるとしたら……そうね。私が力を吸いきって他所へと行く時にはもう魂もどっか行ってると思うわよ。今まで花畑を作った時はどの地でもそうだったから……」
「……貴女は今怨嗟と言っていたが、ひょっとしたら霊魂が持つ力ごと吸収してるのでは? それならば、その尋常ではない量の妖力についても説明がつくと思うが」
「……そうかもしれないわね。となれば、さしずめ私は掃除屋って所かしら。……死の穢れに満ちた戦場のね」
目を閉じたままそう語った幽香に対し、生命の循環のようだと僕が言うと、彼女は曖昧な返事をした後に、
「恐らくだけど、ここの花々が枯れた跡地には再び湖が出来るわ。
ここは魔力に満ちているし、今まで行った何処よりも怨嗟が濃いもの」
とだけ言った。
それを聞いて当事者として耳が痛くなったが、あの時に取れた行動というのは戦い以外の他になかった。今からできることというのはひたすらに戦没した者達を供養する事しかないだろう。
「それじゃあまるで霊達が涙を流すかのようだな。
色々とありがとう。先程の件や、それに息子の事でも色々手助けをしてくれて。
この地を治める立場にある者の一人として礼を言う」
「……別に、礼を言われるようなことなんてしていないわ。
彼のことはただ気まぐれで手伝っただけだし、ここの事については……そうね。私と同じ世界を感じられる者がいたことへの興味からよ。
……あの子が言ってきたの。自分の父は木々と深い関係で結ばれているからきっと貴女とも気が合うって。
初めに言われた時は正直全然興味なんてなかったし、そんな話にはああそうとしか言いようがないでしょ? そうしたら噂の父親とやら、つまり貴方がノコノコと現れた。その時にあの子の言葉を思い出して、少しだけ気になったのよ。
そして、こうやって話して分かったわ。
貴方と私はどこか似てるところがある。強さへの渇望……野心とは違う、純粋な想いが。
……あっちであんなものを見せられている以上今日は気分じゃないけれど、いつか互いにやる気になった時には手合わせでもしましょう?」
会話の間常に閉じられていた瞼を開き、燃え滾る血のような深紅の眼を此方へと向け、幽香は片手を僕の方へと出してきた。武神としてこの誘いを断る理由など全くもってないので、差し出された手を握り返し、必ずや果たそうと約束したんだ。
信じられないよね。今もなお幻想郷で恐れられる花妖怪と握手するなんて。証拠に手洗わなければ良かったかな。なんてね、冗談だよ。
……
この後、150年程幽香はこの花畑に滞在し、その後満足したのかこの地から姿を消した。幽香が去ったことで枯れてしまった日輪草達は、やがて彼女の予言通りに復活した湖に全て呑み込まれた。
その変化に気付いた僕達はその湖の四方に磐座を置き、さまよう霊達を丁重に弔う事とした。死者を弔う儀式を行ったことで日輪草に結び付けられていた霊達は姿を変え、ひまわり妖精として生まれ変わったんだ。
その後、暫くの間は湖周辺を管理する者達が居たのだが、そこから本当に長い年月が過ぎ去ると共にこの森の奥深くにある湖の存在は綺麗さっぱり忘れ去られてしまい、いつしか地元の者達ですらもその存在を思い出すことは無くなってしまった。
姿を変え、その後何事も無かったかのように復活を遂げ、誰にも覚えてもらえぬままにいつしか再び姿を消したこの湖は、まさに夢幻の湖と言うに相応しい存在だろう。