「うぅ、寒いわ……」
季節は秋。山は暖色に染まり、湖の上では赤とんぼが宙を舞う頃。朝斗彦と神奈子は現在出雲への里帰りに向けて準備を行っている最中であった。
「今年は間違いなく厳冬だろうな。そうだ比売、昔みたいに毛皮でも羽織れば? 出雲にいた頃はよくそうやってたじゃないか」
「あのね、今どきそんな格好したら他の神々に『アイツは従属してから数百年も経ったのに未だに未開なヤツなんだな』って思われるわよ……」
「えぇ? 僕今まで言われたこと無かったけど?」
「そりゃそうよ。言っちゃあ悪いけど、貴方変な神なんだから。毛皮のひとつ羽織ったくらいで誰も何も言わないわよ」
「変な神!? なんでさ! もっとこう……さ、居るでしょ適役がさ。ほら、父上とか袿姫さんとかさ……」
「アンタねぇ……。私達神は神聖な存在であって、人々から信仰されてこそ神徳を持つ存在なのよ? なのに妖怪と仲良くやってちゃっかり信仰も集めてるんじゃ、そりゃ変な奴扱いされるわよ。
正直邪神扱いされていないだけマシよね、諏訪子?」
「そうだなぁ。私も妖怪と手は組みこそすれど、支持されるってのは無かったな〜。朝斗彦ってさ、割と異質だよね」
「むぅ、そうなのかぁ。僕は自分の思うがままに活動してただけなんだけどね。勿論、伯母上に迷惑かけない程度にだけど」
「……その大御神の子孫たる大王には思いっきり迷惑掛けてると思うのは私だけかしら? 最近鬼達が活発に勢力を拡げてるって上方からよく噂が流れてくるじゃない。いくらかつての戦友だったからって私だって見過ごせないわよ」
「ああ、それなら心配には及びませんよ。一度敗れはしましたが、我等鴉天狗が山背の鞍馬にて万全の体制でヤツらを見守っております故」
「万全の体制ってもねェ……。一回完膚なきまでに叩き潰されてるってのにどう対策とってるのさ」
「フッ、アイツらには弱点があるのですよ。あまりにも間の抜けた弱点が。
それは豆ですよ。前ここに向かっていた頃に同行者の鬼と喧嘩した際、そこらにあるもの全てを投げ合うほどの大喧嘩を起こしたのですが、アイツら乾いた豆を投げつけられるとまるで礫を投げつけられたかのように泣いて痛がるんです。
あの光景は傑作でしたよ。ねぇ朝斗彦殿?」
「……キミら僕の見てないところでそんなことしてたの? 初耳だよ」
「えっ?」
『……』
「……もしや、私は間違いを犯してしまったのか?」
「……飯綱丸龍、飯縄山の大天狗の後継者。聡明な若き鴉天狗だが、やや詰めの甘い所ありっと……」
「あ、有員殿? 見識を広げる事は結構だが私の事を木簡に記さないでくれないか?」
……
「皆の者! これより我等は出雲へと向かうぞ! 我等に着いてこい!」
ノロマな蛇が随分と早い時期から動き出した。
数百年の長い月日をかけて完全に遅刻魔の地位を確立していた諏訪勢は、突如帰ってきた朝斗彦によって喝を入れられたことで、普段では考えられないほどの早さで身支度を終えて諏訪を発った。
因みに、彼らの留守の間は神の末裔たる家系が一つの守矢某が留守役を務めることとなっている。
「あの旅以降何かと歩きで行動しがちだったからこうして馬に乗るのも久々だなぁ。いやぁ、便利便利」
「きっと貴方の知る馬よりも馬力が有るでしょう? 甲州や上州の勇壮な牡馬を迎えて諏訪の馬と交配させて作ったのよ」
「へぇ。こういう見えにくいところからもかなりの歳月が過ぎたことが分かるな。まるで琥珀に囚われた虫のような気分だよ」
「実際、戻ってきてから何かと苦労してるもんねぇ。神奈子の代わりもやってるし」
「まぁ、それに関してはずっと戻れなかったことへの罪滅ぼしというかね……。ずっと一人でやってきた妻をいたわらない旦那なんて居ないでしょ?」
朝斗彦がそう言うと神奈子は紅葉した椛のように顔を真っ赤に染め、諏訪子が茶化す。
何百年も共に過ごしていた筈なのに相も変わらず初々しい若者のようなやり取りをする信仰の要たる三神を見て、いつの間にやら神霊になっていた最初期の一族の者達はまたやってるよ……と内心思いつつもその光景をえらく懐かしがった。
……
諏訪の神々の行進の列はまさに彼らの象徴たる蛇の如く。その威容は先頭に立つ二柱、勇壮なる建御名方命とその妻である八坂刀女比売命の姿を見れば一目瞭然である。
彼らは大和古来の衣装を身に纏い、背には大きな注連縄を背負っていた。諏訪の明神は見事な角髪を結い上げ、神の姿ここにありと言わんばかりに胸元の碧勾玉を見せつけながら先頭を馬に乗って進み、妃神は極彩色の珠飾に彩られた筒状の髪留めでその青き髪を耳の前にてまとめ、華々しさと彼女の持つ力強さを見たもの全てに知らしめていた。
突然現れた神の大行列は近くに住まうもの達皆が幻と勘違いするほどであり、明神の馬を曳く者が
「諏訪の明神のお通りだ! 道を開けよ!」
と叫んでその正体を知らせるまでの間、大王の行幸だと勘違いするものが続出した。彼等はそれを聞くやいなや畏怖のあまりに平伏し、こうして我らが明神達の威光は瞬く間に濃尾の地に広まったという。
……
美濃と近江の国境である大垣にて今夜はこの地で一夜を過ごすと神奈子が決めたことにより、鬼司令官と化した朝斗彦の指示によって即席の野営地が組まれていた。
「お疲れ様です、お二方」
「はぁ、角髪ってなんか落ち着かないね。項がスースーしたよ」
「朝斗彦って角髪似合わないね! ダイコク様はいつも様になってたのに」
「そりゃあ大国主様と僕は持ってる徳が違うもの」
「ふふ、それに貴方ってば昔から角髪が苦手だったものね。けれど私もまさかこんなお洒落出来るとは思いもしなかったわ。朝斗彦、ありがとう」
「比売にお礼を言われるとなんだか照れるなぁ」
彼等がとった作戦とは、夫婦入れ替わり作戦である。諏訪への帰郷の旅にて人間に視認してもらう方法を手に入れた朝斗彦は、敢えてそれを広範囲に用いることで諏訪明神の威光を世に知らしめようと提案したのだ。
その際、私がありのままの姿を見せるとなると混乱が起きるだろう? と神奈子が一言物申した所、それなら朝斗彦帰還後の諏訪での謁見の時みたく、朝斗彦が表向きの明神として振る舞えばいいのでは? という意見が脇よりウサッと飛び出した。
そして、それを聞いた諏訪子を含めた一族郎党がなんだか面白そうだぞ? とノリノリになり、その勢いに負けた神奈子は生まれて初めてと言っていいほどのおめかしをすることが決定してしまった。普段から気高い彼女が照れながら張り切った侍女達に化粧を施される姿は夫の朝斗彦を大層悶えさせることとなったという。
「コレで比売の神徳もより高まったんじゃないかな」
「ついでに私もね」
「そっか諏訪子もか」
「御二柱は虫の骸とそれに生える冬虫夏草みたいな関係ですからね」
「!? 有員お前、今この諏訪子様を虫の骸だって言ったな? 口の悪い奴にはこうしてやる!」
そう言って諏訪子は有員へと飛びかかり、こめかみを握り拳でぐりぐりし始めた。
「いだだだ! 朝斗彦様、助けてください!」
「いや、今のは君が悪い」
「酷い! 悪鬼、奇神、人でなし!」
「あっはっは! 鬼好きだし元々人じゃないから文句言われても全然響かないもんね〜」
「うわああああっ! 天はこの神有員をお見捨てになられたっ!」
そう言って彼らが騒いでいると、数人の歩哨が報告します! と言って天幕へと入り始めた。
「どうした! 何か問題でもあったか!」
神奈子が普段の調子で聞くと、彼等はいえ……となんだか煮え切らない反応。なんで来たの? と改めて朝斗彦が聞くと、彼らは口を揃えてこういうのであった。
何だか気味の悪い唄が聴こえると。
「おやおや、これは妖怪退治の時間か?」
「諏訪が平和だから私鈍っちゃってるよ。戦いたいなぁ」
「……相変わらず血気盛んな二人だ。それで? 気味が悪いって言ったって色々種類があるだろう? そうだな、例えば女の美しい声とか鳥の鳴くような声とかさ」
「いえ、何か
心配になったので、報告に上がった次第となります」
「嗄声だと? ……それなら知ってる者の可能性が出てきたぞ。そこまで案内してくれないか」
「え、えぇ? まぁ、朝斗彦様のご命令とあらば……」
「面白そうだから私らも行こうよ!」
「駄目だ! 朝斗彦の知り合いなんてろくな奴な訳ないもの!」
「そんなつまらないこと言うなよ神奈子! 行こうよ! いーこーうーよー!」
「だーもう、うるさい! 行く! 行くわよ!」
「私達もお供しますね」
……
歩哨達に案内され件の唄の聴こえる場所へと向かうと、朝斗彦が突然ニヤニヤし始めたではないか。神奈子と諏訪子に心の底から気味悪がられながらも彼が腕を組み仁王立ちをすること数分後、何重にも重なった唄の声量は更に大きくなる。やがて闇の中より赤く光る眼が幾つも見え始め、そしてその中から少し低い位置に光る二つの目の持ち主が前へと進み出た。
「やぁ東神さま。その様子を見ると無事に諏訪へと着けたようだな」
「やっぱりな。息災か、萃香」
「私もいるぞ、東神様。……おっ、てゐもいるのか。なのに彼奴は居ないのか?」
「龍のこと? 彼女は諏訪にいるよ。なんだ、そんなに気に掛けてるなら連れてくればよかったよ」
「なっ! ばっかいえ、そんな訳ねぇやい!」
旅の面々がお互いに再会を喜ぶ中で、反対に諏訪の者達は驚きを隠せずにいた。悪い意味で世間を賑やかす鬼が目の前にいるのだから。
「なっ、鬼だと!? そうかこれが噂の……」
「……貴方、この鬼達……」
「え? ああ、こっちのちっこいのが萃香。女体化して困ってる時に出雲で出会ってさ、筋のいい子だったから鍛えまくった。お陰で今じゃ伊吹山の首領さ。そして、こっちは華扇だよ。萃香の幼馴染。以上かな」
「誰が米粒ドチビじゃ!」
「おい! 紹介が雑すぎるだろ! 私は首領の右腕だぞ!」
鬼達ふたりがぎゃーぎゃーと喚いて怒り狂うのを朝斗彦がへらへらしながらあしらっていると、彼女達とは別に怒りを露わにする存在がいた。彼の妻である神奈子の事だ。
彼女が国津神として天に逆らわないようにする為に上方へと行った政治工作の回数は数知れず。それを夫にぶち壊されたら全てが水の泡である。溜まったものではない。
「……アンタ、黙って聞いていれば私の知らない間に鬼の勢力拡大に一役買ってんじゃないの! これから大御神への挨拶があるってのに何しでかしてくれてんのよ!!」
朝斗彦は後悔した。力を取り戻す為に貢献してくれたとでも言えばよかったのに、面倒に感じて雑な紹介をしたせいでこのザマである。
二方から鬼の怒りが、そしてもう一方からは妻の雷が飛んできて、もはや場の状況は混沌極まることとなり、盛り上がった鬼達が歓声を上げながら自らの腕甲や盾に武器を打ち付けてガチャガチャと音を鳴らし始めた。
つまるところ、鬼流の決闘の合図である。
「ちょ、ちょっとさ比売? 話を聞いてくれない?」
「黙りなさい! これから父上や大御神に会うってのに自分の旦那が朝廷に仇なす妖怪に加勢してたなんて知られたら面目が立たないわ!
一度私がお灸を据えてやる、覚悟せよ!」
「や、やばい! 萃香、華扇! 君達はこっちの味方だよね?」
「……チビって言ったからヤダ!」
「扱いが雑だったから右に同じく! どの口が言ってんだ!」
「こ、このガキ共めが! 諏訪子、有員、助けてくれ!」
「朝斗彦のああいうところ、お前にソックリだよ」
「傍から見た自分ってあんな感じなのですね」
「お前はまだ引き返せる年齢だからあれを反面教師にしなよ」
味方が得られない事を悟った朝斗彦の前に、完全装備の神奈子、巨大化した萃香、片手に大金棒を持った華扇が立ちはだかる。周りには鬼と神党の見物客が囲む中、じわりじわりと迫る三名に対して朝斗彦が後ずさりをするとそのうち背中が群衆に当たって八方塞がりである。
最早彼に逃げ場など残されてはいない。
『いざ覚悟!』
「なんでこうなった!」
敢えて言おう。自分の行いのせいであると。